橋の上で踊る天使   作:西風 そら

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Ep4-1・ノースフレイク商業ギルドの魔王

 

 

 

 

『あの子供は手放した方がいい』

 

 外交官を招いての晩餐会の後、とある貴族の護衛で来ていたS級冒険者に、すれ違いざまに言われた。

 

『ロゼの事かい?』

 老翁は、静かに立ち止まって聞き返した。

 

『ご無礼お許しを。私の立場では見過ごすのが正解だろうが、貴方には度々のご恩があるので』

 

『おやおや、ロゼに何の不備が?』

 

『貴方ほどの方なら気付いていらっしゃるのでは?』

 

『…………』

 

『あの子供はファムファタール(魔性)です』

 

 

 知っている、そんな事。

 

 

 ***

 

 

 愛する祖国ノースフレイク、その中でもひときわ風光明媚なこの湖畔地区を、老翁はいたく気に入っていた。

 緑の草原に開いた幾つもの水面が、空と雲をくっきり鏡映しにし、眺めていると、どちらが本当の現実世界なのかと錯覚に襲われる。

 贔屓目抜きで、ここの景色は当代随一、唯一無二だと思う。

 

 美しい物は正統だ。美しいというだけで心癒される。

 この天の造詣の尊厳を守る為、若い頃から粉骨砕身して来たら、いつの間にか『裏社会の実力者』『黒幕』『魔王』と恐れられるようになった。

 魔王上等。妖怪爺で結構。

 天があとどの位の時間をくれているかは分からぬが、最期の一息までこの地の為に燃やすのみ。

 

 

 湖畔別荘、合歓(ねむ)の古木の木陰、水辺に張り出したテラスで老翁は、気に入りの景色と紅茶を楽しんでいた。

 

 不意に、周囲の陰が揺れ

 

 警護の黒服が覆い被さると同時に、メキメキという音、ああ――と子供の悲鳴、次に辺り一面舞い散る合歓の花。

 薄紅の羽毛のような散華の中、水飛沫を上げて、白っぽい子供が折れた枝と共に湖に落っこちた。

 

 目が合った。

 鏡のように澄んだ湖の色。

 

 反動で戻った木が更に花を散らして、老翁もテーブルも花まみれになった。

 まったくもって驚く。

 この年になって、目の前でこんな間抜けな光景が繰り広げられるなんて。

 

 呆気に取られる翁の前に、同じく花まみれの黒服が立ち塞がる。

 子供はバチャバチャ音を立てて懸命に手を伸ばしているようだ。確かここはけっこうな水深だった筈。

 

『引き上げてやれ』と言うと黒服は動いたが、振り向いた彼は困ったように手の中の毛玉を見つめていた。

『猫……?』

 子供の伸ばした手の先には水から庇われた仔猫がいて、警護の男の差し出した手に必死に押し付けて来たのだと。

 

 一瞬呆然とした二人だが、ぷくぷくぷくという音に我に返り、慌てて子供を救助した。

 

 

 ――くちゅん

 

 テラスの床、濡れた物を脱いで、大判タオルにくるまる子供。

 引っ立てて行こうとする警護を制して、翁(みずか)らが尋問をしている。気紛れの好奇心からだ。

 

『この家が誰の家だか分かって近付いたのか?』

『はい、ノースフレイクの冒険者ギルドで「この国の商人さんで一番偉い人は誰ですか」って聞いたら、ここを教えてくれました』

 

 誰だ教えたのは。そこは商業ギルド支部長あたりにしておくべきだ。まったく冒険者界隈の連中は雑だ。

『それで?』

 

『どう声を掛けようかとモジモジしている所に、呼んでいるのが聞こえて』

『わしは呼んでおらんぞ』

『ああ、はい、呼んだのは()()()()()で』

『わしの母が存命しているように見えるか?』

『いいえ。おかあさんが子供を呼んでいたので』

『???』

『見上げたら、高い枝から降りられなくなった仔猫がいて』

『…………』

 

 その時、テラスの反対側からヒョイと、鋭い目の野良猫が顔を覗かせ、オアァと鳴いた。

 子供は立って、警護の男の足元にいた仔猫を拾い上げ、母猫の前に持って行った。

 身体に掛けていたタオルがずれて、老翁と警護の二人はギクリとする。子供の背中に酷い火傷の痕があったからだ。

(あれは、火掻き棒を故意に何度も押し付けた痕だ……)

 

 母猫は人間たちを睨みながら、用心深く仔猫をくわえ、素早く去って行った。

 

『おかあさんが子供を呼んでいるのなら、すぐに帰してあげなくちゃ』

 

 

 老翁は、伊達に修羅場をくぐって来てはいない。海千山千、旨い事言って近付いて来る連中を散々相手にして来たのだ。

 だから一連の出来事がこの子供の()()()である可能性も、十分に疑っていた。

 

 先に口を開いたのは警護の黒服だった。

「お前がボスの所へ訪ねて来たタイミングでたまたま可哀想な仔猫がいて、献身的な救出劇を披露出来たって訳だ。ラッキーだったな」

 

 出過ぎた態度だが、老翁は黙って子供の反応を待った。

 彼はコトンと首を傾げる。

 

『いいえ、ラッキーではなかったと』

『何故だね?』

『僕、貴方に()()()()()()()をする為に、色々考えてお洒落して来たのに、水に落っこちて、とっときの衣装を台無しにした上に、話題を全部仔猫に持って行かれちゃったんだもの』

『…………』

 

『お前はハニートラップの意味を分かっているのか?』

 思わず、という感じで黒服が口を挟んだ。

 

『あまい言葉で気持ち良くしてあげる、って教わりました。人を気持ち良くしてあげるんだから神さまに背いていないって』

『ちょっとそいつ連れて来い』

 黒服はでしゃばり過ぎだが、老翁も心で同じ突っ込みを入れていたので叱らなかった。

 

『依頼人はシュヒギムなので言えないです』

『…………』

 そこだけはしっかりしているのか。

 

『ねえ、僕、お仕事ちゃんとしないと、命を助けてくれた人たちに顔向け出来ないの。いつまでも半人前なままだと、また要らないって思われる。お願いだから僕にはにーとらっぷをやらせて下さい』

『分かったからひとまずハニートラップという言葉は封印しなさい』

 

 

 老翁は、この子供に着替えや湯あみなどの世話を焼いてやった。

 その後、目の届く冒険者宿に放り込み、軽く監視を付けたが、基本放置してみた。

 

 魔王と言われる身としてはお優しい事だと我ながら呆れたが、この子供の湖と同じ澄み方をした瞳と、アンバランスな精神性に、興味を持ってしまった事は確かだ。

 しかしこの時点では、適当な情報を与え満足させて追い払うか、誰かに押し付ける程度に考えていた。

 

 出会った時に居合わせた警護の男が彼の監視に付いたが、その報告が、

『あの子供は素でアレです、朝から晩まであんな調子で、冒険者内や商店街の女将さん連中、酒場の踊り子にまでひたすら可愛がられてます、きちんと仕込みさえすれば諜報員(スパイ)としての素養は抜群なんですよ、大元の雇い主は何やってたんですかね、

 そう思って、ハニトラの技術を細かくレクチャーしてやったら、「そんな事したら天国へ行けなくなる」って真剣に悩んでました、雇い主がこっちへ放流した気持ちがちょっと察せました』

 だった。

 

 いやこの黒服(おとこ)何をやっているんだと思ったが、面白いから特に正さなかった。

 

 そんな事を口にしながら子供は『仕事をちゃんとこなしたい』などと我が儘を言っているらしいので、少々身の程を弁えさせてやる事にした。

 

 

『わしが側に置くのは、わしの役に立つ優秀な者に限定しておる。そこでひとつアピールチャンスをやろう』

 

 早朝、テラスに呼び出された子供は神妙に頷いた。

 本日は赤いフードマント姿だ。

 

『今日、わしの監修した小売り店が新商品の売り出しセールをやる。お前に宣伝活動を頼みたい。このチラシを……』

 

 子供が早々と首を横に振ったので、翁は言葉を止めた。

 

『嫌だと言うのか?』

『うぅん、僕は冒険者登録をしているので、直に依頼を受けると規約違反になっちゃう』

 

 翁と、子供の後ろに居た黒服も目を丸くした。チャンスを与えてやると言っているのだぞ?

 

『……そうか分かった、後で冒険者ギルドに指名付きで依頼書を出すから、そちらで受けてくれ』

『はい、ご指名ありがとうございます』

 

 何なのだ、この拘りは……

 

『それで内容はだな、

 このチラシを配る。撒くのではなく、ポスティングでもなく、一人一人に手渡してきちんと読ませるのだ、一枚残らずな』

 二百枚ばかりのチラシを示す。

 それは厳しいと、後ろの黒服は眉を狭めた。

 一大商業地といえど、大都市とは違う。商人同士の大口取引がメインで、小売りは店舗巡りの観光客頼みだ。

 

『勿論数字でも示して貰うぞ。売り上げ……そうだな、去年のセールの、二倍は上げて貰おうか』

 

 子供が黙っているので、翁はわざと残念な顔をして見せた。

 

『ふむふむ? 自信が無いのか?』

『え、あの、約束出来ないので』

『はぁん?』

『店にお客さんを集めるだけなら出来るけれど…… でも、用意されている品物の数と、それを捌ける店員さんの数を、僕は知らないので』

『…………』

『お店に買い物に行くお客さんを二倍にするってだけなら、出来ると思う』

 

 老翁が、この子供が『ただ外見が綺麗なだけの物知らずな惚け者』ではない? と思い直したのはこの時からだ。

 

 

 

 

 

 

 






黒服:
新卒から配属されて警護ひとすじ。好きな食べ物は焼きビーフン。


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