『ノースフレイクの魔王』が丸くなったと囁かれた。
年甲斐もなく天使に絆されたと。
その通りなので、老翁は怒りも握り潰しもしなかった。
ある日、子供が別荘のテラスの端で、警護の黒服と共に、猫の親子と遊んでいた。
黒服は、ロゼが居ない時も一人で猫の世話を焼いていて、呼べば来る程になっていたのだ。
老翁は黒服の配置替えをした。
長らく側に置き信頼厚い者だったが、惜しむ気持ちは無かった。
突然の配置替えはよくある事なので不自然は無く、黒服も何も言わずに従って、他部署へ移って行った。
猫は許容してやろうと思っていたが、ロゼに噛み付くのを見たので、傘下の商店長に引き取らせた。
猫だって野良でいるよりは屋根の下で養われる方が良かろう。
研ぎ澄ませて生きて来たのが少しずつ、周囲の空気が濁り不明瞭になって行った。
背筋を冷やすしくじりがあった。
幹部の謀反に気付かずに、敵方に結構な範囲まで入り込まれていた。
あわやで覚醒して事なきを得たが、牙城が崩れかけた事に、周囲は動揺した。
そこに来て、後継が育っていない不備が指摘された。
翁は家族を持たなかった。
血縁の情は不穏の種にも弱点にもなるからだ。
それでも持っておけば良かったと、初めて思った。思ってしまった。そんな、もうどうしようもない後悔、今更したくないのに。
霧の深い夜、ベッドサイドでセイレーンの民話を朗読していたロゼが、本を閉じて物語の続きのように語った。
『貴方の寝首をかけと指令されました』
『……シュヒギムにか』
『はい、そちら経由の新たな依頼主に』
律儀にまだ繋がっていたのか。
しかしロゼを操っているつもりでいるからか、どうにも調子に乗っているようだ。
『害にもならぬから放っておいたのだが』
『すみません』
『潰すか』
『お許し下さい、恩のある人たちなんです』
『お前はどうしたい?』
『僕はただ、僕が側にいる事でオーナーが軽んじられて、害意を向けられるのが嫌です。凄く嫌なんです』
『…………』
おそらくロゼは、最近の事象全般を指して言っている。
――あの子供は
昼間すれ違ったS級冒険者の声が、脳裏に戻った。
だからと言って、ロゼを手放す気持ちになど、とてもなれない。この子がいない日々を考えただけで気が狂いそうだ。
『お前はどうしたい?』
もう一度聞いた。
子供はそれに答えずに、夕べの晩餐会で主賓だった外交官の、泊まりの部屋を聞いて来た。
老翁は、それ以上は質問せずに、それを教えた。
突然アポイントを取って来た外交官と面会し、老翁は少なくない衝撃を受けた。
ロゼは身体の成長に苦しんでいた?
……まったく気付いていなかった。
思えば変声期など当たり前ではないか。
唄の専門家を付けていれば、変換期も上手く管理出来たのに、ロゼは自分の声が失われて行くのに、誰にも寄り掛かれず一人で抱え込んでいた。
誰かを頼ると老翁の気に障るからだ。
ロゼは天使でいられなくなる。
でも、魔王の傍に侍るのは、天使のロゼでなくてはならない。
老翁がそう演出していた。
外交官は、子供を人間として捉えていた。
成長を見据えて、大人になる為に必要な物を与えようと、熱く語った。
勢いもあるだろうが、頭を打った事のない人間の純粋な人柄が伝わった。
(自分には無い物だ……)
加えて彼は隣国の王族だ。
シュヒギムの契約破棄だの冒険者ギルドの縛りだの、すべて上手くやってくれるだろう。
『お連れください』
口から自然にこぼれ出た。
***
子供が旅立って季節が二つ過ぎる。
老翁は幸い気が狂いもせず、天使の居なくなったノースフレイクを裏から支える毎日に忙殺されている。
遠くに、ロゼが外交官に付いて侍従見習いとして頑張っていると伝え聞き、たまに絵葉書なども送られて来る。
それだけで何と心が暖められる事だろう。
そうしてふと、自分はそういう風に、心を暖める物を他人に与えた事があるだろうかと考えた。ビジネス以外で。
気紛れで……本当に気紛れで、教会の孤児や、商会の従業員の子供の誕生日などに甘い菓子を送ってみたら、異常なほど感激されて、見掛けると挨拶される程になっていた。小さい子供は笑顔で手を振ってくれる。
裏社会の
湖畔の合歓の木の別荘には、親しくなった子供がたまに遊びに来て、薄紅の羽毛のような散華の中、輪になって踊っている。
ロゼの為に雇っていたトレーナーがでんぐり返しを教え、栄養士がおやつを作ってやっている。
小さい子供が湖に落ちたら危ないので、警護の黒服も呼び戻した。
踊るよ踊る 輪になって 輪になって
賢い猫と男の子
愚かな羊と女の子
聖者と怠け者
悪魔と天使
天使と魔王
橋の上では みんな同じ みんな平等
躍り過ぎて 落っこちて
残ったのは・・・・
***
「あああ、あの爺さんかぁ~~」
「怒るだろうな」
「めっちゃ怒るだろうなぁ、ロゼの事、ベタベタに可愛がっていたみたいだし」
「ああ、別国にいた俺の耳にも入るぐらいで」
「それでなくとも一回ヤラカシてるんだよなぁ……」
サウスシャディーダの冒険者ギルド。
街の騒乱に開店休業状態。
ガラガラの受け付けカウンターでダベる、ギルド職員と双剣使いの
「去年、俺が出張で外してる間にさ、代理で『裏』受け付けを任せた職員が、トンでもない依頼を通しちまって。
あの爺さんの寝首かいて幹部の謀反に加担しろって」
「うわっヤバッ」
「ヤバいだろ、背筋が冷えたわ。ちゃんと精査して通せよ、あのZ世代が。
幸いロゼは賢い奴で、逆に動いて謀反をすり潰す方に回ってくれたから助かったんだが。
有り難かったわ―― そんなの魔王にバレたら、俺ら翌日にはサウスの海に浮かんでたじゃん」
「いや、ここの『裏』すら最初から無かった事にされてただろ」
「怖い怖い」
「くわばらくわばら」
窓の外を、新たな一団が駆け抜けて行く。プラカードに『ウェストパレス』の文字が見える。
この地上で、イストメーア帝国と並ぶ、もう一つの大国の名。
「そんな爺さんだから、当然ロゼの過去なんかも把握してたんだろ?」
「十二歳以前のか? そりゃそうだろ、調べるだろ、傍らに置くんだから。むしろあの背中の火傷の痕見たら、気になりまくるだろ。
ま、ここの『裏』冒険者連中だって、あっちから来た流れの
「ウェストパレスでは二年たった今でも有名人だからな」
外から軍人らしい勇ましい声が聞こえる。
「『ウェストパレスの英雄』を救え!!」
続・代替サービス:
天使のキスキャンディは、ロゼがいなくなってから製造中止になったので、
現存してる物はプレミア価格がついてエライ事になってる。
魔王さん:
誕生日にロゼから贈られた安眠枕が宝物。
<