求め望む子供の瞳が胸の奥に引っ掛かったまま、気持ちが晴れない日が続いた。
天気も例年にない長雨。
ウェストパレスの街全体がしとしとと湿っぽい夕方、双剣使いの
ふと行き交う人混みに、白っぽい子供を見た。
『鳥のヒナの坊っちゃん?』
雑踏の中、子供は斥候の声を聞き分けて、顔を向けて来た。
頬を幾筋の滴が伝っている。
多分雨垂れなのだろうが、ドキリとしてしまった。
緩く巻いた髪も雨を含んでしゅんとなっている。
手招きすると素直に寄って来た。
『びっしょ濡れじゃねぇか、風邪ひくぞ』
斥候は、丁度着ていたハーフマントを掛けてやった。先日迷宮で拾ったジャンク品だが、無いよりマシだ。
学校は休みの時期ではない筈だ。
サボりか? 抜け出して来たのか?
近くで見ると心なし目の下が赤らんでいる気がする。
さてどうしよう?
学校や家から逃げたいのなら手引きをしてやる……?
(いや、そんなに簡単ではないか)
貴族の子供、しかも侯爵家、国が管理する範疇だ。本人の意思に関係なく誘拐案件になっちまうし、国が威信に掛けて捜索するだろう。
そもそも人伝てな話でしか俺はこの子を知らない。
本人の意思はどうなんだ?
『何でこんな所にいるの。学校の外に出るのは厳しいんじゃなかったっけ?』
『あ』
子供はワンテンポ遅れて反応し、今初めて気付いたように掛けてもらったマントに手を当てた。
『ありがとう、ございます』
『ああ、うん』
『座学の試験で年間首席を取ったので、家に報告に行く許可を貰えて』
『あ、そうなんだ。首席なんて凄いね』
何だ、貴族社会で上手く生きているみたいじゃないか、こちらの取り越し苦労のようだな。
後でジャグラーにも教えてやろう。
(ん? でも、侯爵家なら馬車で移動が普通じゃないか? 護衛だって付くだろうに)
そんな疑問が湧いた時、子供が顔を上げて呟いた。
『……呼んでる……』
瞳が、またあの深い底の無いような色になって行く。
『は、何だって?』
『おかあさんが、子供を・・』
次の瞬間子供は駆け出した。
『おい俺のマント!』、と追いかけようとした斥候は、突然激しくなった雨足に、気を遅らせて軒に引っ込んだ。
まぁマントくらいくれてやるけれど…………
***
その夕方の瞬間豪雨は記録的で、街のあちこちで浸水などの被害をもたらした。
取り分けて大きな被害は大通り向こうの川の
御者はすぐに馬を外して共に這い上がったので、事なきを得たと思われた。
が、直後、通行人の女性が『我が子が見えなくなった』と騒ぎ始めた。
通り掛かった士官学校の生徒が川から幼児を救助したが、彼は鉄砲水に流された。
・・
・・・・
目撃者Aの証言
『女が、我が子が居ないって騒いでたけど、増水した川に落ちた荷車は半分沈んで今にも流されそうで、まさか巻き添えで落っこちたのか、だとしてもこれじゃどうしてやりようもねぇ、って俺らだって手をこまねいてたんだ。
そしたら、一人の子供が……凄い勢いで走って来た子供が、マント脱ぎ捨てて躊躇なく橋から飛び降りてさ。
そんで横倒しになった荷車の上に立って、ちょっと下を覗いたと思ったら、すぐに頭から水に潜って。
姿が見えなくなって、俺らハラハラしたんだけど、泥だらけのちっちゃい子を押し上げながら浮かんで来てさ。すげえよ。
きっと
雨が凄かったけど見守ってた奴けっこう居たから、わぁ――っと歓声上がって。でも喜んだのも束の間、泥だらけのチビ、ダランとしてピクとも動かねぇの。
荷車に這い上がった子供、チビの足首掴んで逆さ釣りにして、背中ドンと蹴飛ばした。母親は金切り声上げるし、乱暴な事しやがると思ったけど、次の瞬間チビがゴバッと泥水吐いて、手足動かし始めたんだ。
今度こそ大歓声よ
母親が半狂乱で橋から身を乗り出して、危ないから周囲の男衆が母親押さえて、代わりにその辺の皆で協力して手ぇ伸ばしたんさ』
目撃者Bの証言
『あれは士官学校の騎士クラスの制服だった。さすがの咄嗟の処置と勇気だと感服したよ。
僕も負けずに手を伸ばしたら、彼は幼児の足を両手で掴んだまま、ブンと振って投げて来たんだ。母親がまた悲鳴を上げたけど、十分な飛距離があったので、沢山の手で受け止める事が出来た。
なんでそんな危ない渡し方? と、その時は思った。
さあ君も上がって来るんだと手を伸ばして……僕たちはそこで気付いた。
彼の足が壊れた側板に挟まれて動けなくなっている事に』
目撃者Cの証言
『泥だらけの小さい子供が母親の手に渡って、ホッとしたのに、助けた側の坊やがまだ上がって来てないって聞いてさ。もう、早く終わって、早く助かって、って祈ってるしかなかった。
なのに次に聞こえて来たのが、鉄砲水だ、逃げろ! って声だよ。橋の上の人たちも手を伸ばすのを諦めて避難するしかなかったし……ああ、もう神様なんていないと思った』
『鉄砲水の声がして、みんな避難して、差し伸べる手が無くなっても』
『あの子、笑っていたんだよ』
『最期の一瞬まで』
『穏やかに』
『天使みたいに』
『そう、天使みたいに笑ってた』
ジャンク品のマント:
斥候さんは、拾ったものを平気で着る派。
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