クロスオーバータグXとゼロでは違うので念のため。
最初、シエルは何が起きたのか分からなかった。
巨大なモニターに映し出されたその顔は、かつて幾度も歴史を血で染めた存在そのものだった。緑色の瞳が不気味に輝き、鋼鉄の顔に浮かぶ歪んだ笑みが、見ている者の背筋を凍らせる。
「久しぶりだな、人間諸君。私はシグマ。名前を聞いたことくらいはあるんじゃないかな? そう、イレギュラー戦争の元凶だ」
ネオ・アルカディアの広場、居住区、研究施設、あらゆる場所のモニターが同時にその姿を映していた。人間たちは息を呑み、レプリロイドたちは動きを止める。
その名は、伝説として語られる災厄だった。だが今、その伝説は現実として彼らの前に立っている。
シグマは腕を広げ、まるで舞台の上の役者のようにゆっくりと語り続けた。
「エックスのコピーは私が処分した! エックスの肉体も破壊した!!」
その言葉に、人々の間にざわめきが走る。誰もが信じたくなかった事実が、あまりにもあっさりと告げられたからだ。
シグマは愉快そうに喉を鳴らした。
「邪魔をしたエックスの四天王とやらもな! いや、生きてはいるか……イレギュラーウイルスに感染したがな!!」
モニター越しでも分かるほど、彼の口元は歪んでいた。
「クックック……私の友達にもう少しでなってくれるだろう」
その言葉には、救いの欠片もなかった。イレギュラーウイルスの感染は、すなわち人格の崩壊を意味する。広場の一角で、小さな子どもを抱きしめた母親が震えていた。
周囲のレプリロイドたちも拳を握り締めている。しかしシグマは、人々の恐怖などまるで意に介さない様子で言葉を続けた。
「さて、私がこのネオ・アルカディアを統治することになるわけだが……」
わざとらしく顎に手を当て、考える仕草をする。
「そうだな。このまま殺すのは、もったいない」
モニターの向こうで、彼の瞳が妖しく光った。
「ここまで苦労したのだから、君たちにも苦労してもらわないとな」
ゆっくりと、残酷な遊戯を思いついた子どものような笑みが広がる。
「そうだな……一時間だけ時間をやろう」
その言葉に、人々は顔を上げた。
「その間、イレギュラーウイルスをばらまくのを止めてあげよう」
一瞬、希望が生まれかける。だが次の言葉で、それは無残に踏み潰された。
「そしてこの私の友人であるオメガを使って、鬼ごっこをしよう」
広場に静寂が落ちた。
「命をかけた鬼ごっこだな!?」
シグマの笑い声が、都市中のスピーカーから響き渡る。
「レプリロイドは人間を守れない! イレギュラーウイルスがあるからな!!」
モニター越しに彼は指を突きつけた。
「それを止めうるダークエルフも、すでに私の手の内にある!」
その言葉は絶望そのものだった。ダークエルフ。イレギュラーウイルスを制御できる唯一の存在がシグマの手に落ちている。
「もはや人間に安全な場などない!!」
シグマは両腕を広げ、宣言した。
「生かさず、殺さず!!」
その声は狂気に満ちていた。
「私が歩んできた長い年月と同じだけ!! 苦しませてやる!!」
そして、狂気の笑いが都市全体を覆った。
「はっはっはっはっは!!!!」
その時だった。モニターの向こうから、低く鋭い声が響いた。
「――させん。貴様はこの場で私と共に死ぬのだ。イレギュラー!!」
その声を聞いた瞬間、多くのレプリロイドが息を呑んだ。その名はファントム。四天王の一人、影の守護者。
シグマの表情が、わずかに変わる。
「ほう、エックスの四天王ではないか?」
興味深そうに笑う。
「エックス以下の貴様が、たった一人で私を倒すつもりか?」
モニター越しでも、ファントムの姿は満身創痍だった。装甲は破損し、煙が上がっている。それでも、彼は立っていた。
「この命に代えてでも!!」
迷いのない声だった。
シグマの瞳が見開かれる。
「むっ……貴様!! まさか、自爆する気か!!」
ファントムは静かに答えた。
「死んでもイレギュラーにはならない」
そして、最後の言葉を吐き捨てる。
「そしてイレギュラー、シグマ……貴様に死を!!」
次の瞬間――轟音が響いた。モニターが激しく揺れ、映像が乱れる。巨大な爆発の閃光が画面を白く染めた。その光景を見ていたレプリロイドと人間たちはどうすればいいのか分からなかった。
「レプリロイドたちは聞け!!」
鋭い声が通信回線に響く。混乱を沈めるように命令を発した。
「シグマウイルスに感染する前に、急いでこの場所を離れろ!」
四天王筆頭――ハルピュイアだった。
「人間を連れてだ!!」
その命令に、レプリロイドたちは迷わなかった。人間を抱きかかえ、背負い、手を引き、出口へと走り出す。シエルもまた、腕を掴まれた。
「急げ、シエル!」
ミランだった。周囲を警戒している。都市の空には、不気味な紫色の雲――シグマウイルスの霧が広がり始めていた。
逃げなければならない。ここは、もう安全な場所ではない。その日――ネオ・アルカディアから、多くの人間が去ることになった。
そして同時に、レプリロイドたちもまた、守るべき存在を抱えて戦場へと向かっていった。
☆ ☆ ☆
人間とレプリロイドたちは、着の身着のままでネオ・アルカディアから逃げ出した。
誰も振り返ろうとはしなかった。いや、振り返ることができなかったと言った方が正しい。背後の空には紫色の霧のようなものが広がり始めており、それが何を意味するのかは誰もが理解していた。
――シグマウイルス。
都市を覆い、レプリロイドを狂わせる死の霧。
足を止めれば、終わりだった。
瓦礫の残る荒野を、人々はただ必死に進んでいく。子どもを抱えた人間、傷ついた仲間を支えるレプリロイド、誰もが疲労で限界に近かった。それでも歩みは止まらない。止まるという選択肢など存在しないからだ。
今後どうすればいいのか。その答えを知る者は誰もいなかった。それでも、人々は一つの存在に希望を託していた。
四天王の一人、賢将ハルピュイア。風を司る将軍であり、冷静沈着な指揮官。彼ならばきっと、何か策を持っているはずだ――多くの者がそう信じていた。
だが、その表情を見た者は少なからず不安を覚えた。
闘将ファーブニルは、何も語らず前を歩いている。その顔には感情らしいものが浮かんでいない。戦場で見せる猛々しさも、怒りも、何もない。ただ静かな無表情だった。
妖将レヴィアタンは歯を食いしばり、苦悶の色を浮かべている。彼女の瞳には怒りと焦燥が入り混じっていた。
そして――隠将ファントム。その姿は、どこにもなかった。誰もが疑問を抱いていた。だが、誰も口に出せなかった。
やがて一行は、朽ちた建造物が立ち並ぶ区域にたどり着いた。かつて何かの施設だったのだろうが、今では半ば廃墟と化している。壁は崩れ、天井には大きな亀裂が走っていた。
それでも、外よりは安全そうに見えた。人々の間に、ようやく安堵の空気が流れる。ここで一息つけるのではないか――そんな期待が芽生えた。
だが、その希望はすぐに断ち切られる。
「レプリロイドは前へ出ろ!」
鋭い声が響いた。ハルピュイアだった。彼の両側には、ファーブニルとレヴィアタンが立っている。三人の四天王が、人間とレプリロイドの集団の真正面に並んでいた。
その迫力に、人々は思わず息を呑む。ハルピュイアの視線が群衆を見渡した。
やがて彼の言葉に従い、ミュートスレプリロイドたちが前に進み出る。彼らはハルピュイアたち直属の部隊だ。整然と並び、その後ろに他のレプリロイドたちが続いた。
人間たちは少し後方に下がり、不安げにその様子を見守っている。
ハルピュイアは一度だけ深く息を吐いた。
「まず、言わなければならない」
その声は静かだったが、強い覚悟が込められていた。
「私たち三人は――イレギュラーウイルスに感染している」
瞬間、場がざわめいた。
「そんな……」
「ありえない!」
人間たちの間から否定の声が上がる。レプリロイドたちの中からも、動揺の声が漏れた。だが、ハルピュイアはそれを制するように手を上げる。
「話を聞け」
場が再び静まり返る。
「話が終わったら、私たち三人はシグマに突撃を仕掛ける」
その言葉はあまりにもあっさりしていた。
「少しでも奴の力を削ぐ」
それが何を意味するか、誰もが理解した。
――時間稼ぎ。
「だが、そのためには人間を守る者と、エネルギー問題、食糧問題も考えなければならない。誰か意見を!」
沈黙が流れる。やがて、一体のレプリロイドが前に出た。装甲の意匠から、ファントム直属の部下であることが分かる。
「レプリロイドや人間が生きるために必要なエネルギーや食料は……」
彼は胸に手を当て、静かに言った。
「隠将ファントム様の名に誓って、我々が集めましょう」
その声には揺るぎない決意があった。
「ですが……まずは聞かせて頂きたい」
わずかな沈黙。
「ファントム様は?」
その問いには、主を案ずる気持ちがはっきりと滲んでいた。ハルピュイアは一瞬だけ目を閉じる。
「……ファントムは」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「我々が逃げる時間を稼ぐために――」
それ以上は言わなかった。だが、それで十分だった。
「……左様でございますか」
レプリロイドは静かに頭を下げた。
「では、主が命をかけたのです。我々も命をかけて人間たちを守りましょう」
顔を上げる。
「ですが、お尋ねします。あなた方も……イレギュラーウイルスに感染しているのは本当なのですか?」
短い沈黙。
「……ああ」
ハルピュイアの答えは、それだけだった。
ミュートスレプリロイドたちが一斉に声を上げる。
「そんな!」
「将軍!」
だが、ファーブニルもレヴィアタンも、何も言わなかった。否定もしない。それで全員が悟ってしまった。
――彼らは死ぬ覚悟をしている。
ハルピュイアは人間たちへと視線を向けた。
「人間たちは安心してほしい」
静かな声だった。
「ここにいるレプリロイドたちが、必ず人間を守る」
その時だった。
「――そう、生き急ぐこともないんじゃないかな、ハルピュイア」
聞き慣れない声が、どこからともなく響いた。その声は穏やかで、どこか懐かしさを帯びていた。空間の中央に、淡い光がゆっくりと集まっていく。
やがてそれは、小さなエルフの姿を形作った。青く輝く、優しい光。それを見たレプリロイドと人間たちは、息を呑んだ。
それは――
かつて世界を守り続けた英雄の意志。
エックスだった。
☆ ☆ ☆
気づいたときには、ハルピュイアは叫んでいた。
「エックス様!! 御無事だったのですか!?」
声は自分でも驚くほど大きかった。賢将と呼ばれる自分が、これほど感情を露わにするなど滅多にない。だがそれほどまでに、その存在は彼にとって特別だった。
荒れ果てた基地の中央。そこに浮かんでいるのは、淡く青い光の集合体――サイバーエルフ。だが、その光から感じられる気配は、間違いなく一人の存在を示していた。
エックス。
かつて世界を救い、長い時代を通して人間とレプリロイドを守り続けた救世主。
その光が、わずかに揺れた。まるで、微笑んだかのように。
「残念だけど、肉体は完全にシグマに破壊されたよ」
穏やかな声だった。しかしその言葉は、静かに場の空気を震わせた。ハルピュイアは一瞬、言葉を失う。やはそうだったのか。
ネオ・アルカディアでの戦闘。シグマの圧倒的な力。その結末を、彼らはすでに理解していたのかもしれない。だが、エックスの声は続いた。
「それでもできる事がある。僕なら近くにいれば、イレギュラーウイルスを浄化できる」
その言葉に、ハルピュイアの瞳が見開かれた。
「……本当ですか?」
思わず問い返していた。その声には、抑えきれない希望が混じっている。エックスの光がゆっくりと揺れる。
「ああ。こんな時に嘘は言わないよ」
その口調は、かつてと何も変わらない。優しく、静かで、そして揺るぎない。
「だから三人とも、少し苦しいかもしれないけど耐えて欲しい」
次の瞬間だった。胸の奥に、鋭い痛みが走る。
「……ッ!」
ハルピュイアは思わず息を詰めた。それは装甲の外ではなく、内部――コアの奥深くから生じている痛みだった。
横を見ると、ファーブニルが歯を食いしばっている。レヴィアタンもまた、苦しげに体を震わせていた。
だがその痛みは、破壊の感覚ではない。むしろ、何かが浄化されていくような、不思議な感覚だった。胸の奥に絡みついていた、冷たい霧のようなもの。
それが、ゆっくりと消えていく。
――シグマウイルス。
ハルピュイアは理解した。エックスは今、この場で自分たちを救っているのだ。やがて痛みは静かに収まり、空気が少しだけ軽くなったように感じられた。
エックスの声が再び響く。
「とりあえず、ハルピュイア」
呼ばれた瞬間、ハルピュイアは姿勢を正した。
「君がここにいる人間たちとレプリロイドたちを統率するんだ」
「……!」
その言葉の重みを、彼は理解していた。この場には数万人の避難民がいる。混乱し、恐怖に震える人間たち。それを守ろうとするレプリロイドたち。
彼らをまとめ上げる役目を、エックスは自分に託したのだ。エックスは続ける。
「ファーブニルは、まだ逃げ遅れている人間たちとレプリロイドたちを救助するんだ」
その言葉に、赤い装甲の将軍が力強く笑った。
「畏まったぜ! エックス様!」
拳を握りしめる。闘志がその声に満ちていた。
「レヴィアタンは、他の場所に逃げた人間やレプリロイドたちと連絡がつくようにするんだ」
蒼い装甲の妖将が静かに頷く。
「承知しました。エックス様」
そしてハルピュイアも深く頭を下げた。
「承知しました」
三人の四天王が頭を垂れる。
その姿を見て、周囲のレプリロイドや人間たちも次々と膝をつき始めた。まるで祈るかのように。救世主への敬意だった。
その時、一人の人間が震える声を上げた。
「エックス様!!」
群衆の中から、年老いた男が前に出てくる。
「どうか……どうか我々をお守りください!」
その言葉は必死だった。恐怖と絶望の中で、縋るような願い。ハルピュイアは思わずエックスを見た。青い光が、少しだけ揺れる。
「うん。もちろんだよ」
しかしその声は、どこか苦しそうだった。
「これは僕たちの負債だ」
その言葉に、ハルピュイアは胸を締め付けられる。
「シグマは必ず倒す」
静かな決意。
「だけど、まずは少しでも多くの人間たちとレプリロイドが生き延びられるようにしなくちゃ」
そしてエックスは視線を群衆の中へ向けた。
「……シエルさん?」
呼ばれた少女が、驚いたように顔を上げた。
ドクター・シエル。
エックス様のコピーを生み出した天才科学者。
彼女は戸惑いながらも前へ進み出る。
「……初めまして、オリジナル・エックス」
その声はわずかに震えていた。エックスの光が優しく揺れる。
「君が気に病むことはない」
静かな声だった。
「ただ、やってほしいことがある」
シエルは真っ直ぐにその光を見つめる。
「私にできる事なら」
迷いはないようだった。そしてエックスはゆっくりと言った。
「僕のイレギュラーウイルスを浄化する力を使って、イレギュラーウイルスの抗体やワクチンを作ってほしい」
その言葉に、周囲のレプリロイドたちがざわめき、シエルはすぐに頷いた。
「……分かりました」
拳を握りしめる。
「どこまでできるか分かりませんが……やらせていただきます」
その瞳には、強い決意が宿っていた。
コピーエックス「誠に遺憾である」
なお今作ではサイバーエルフはシエル以外の人間も見えることにしています。