先にこちらを!
……そこからの戦いは、一方的だった。
否。
もはや戦いと呼べるものですらなかったのかもしれない。
オメガは紫色の光――ダークエルフの加護を全身に纏いながら、ゆっくりとゼロへ近づいてくる。
その姿はまるで、世界そのものを破壊する災厄だった。
ゼロはセイバーを振るう。
だが。
紫色の障壁が、その刃を容易く弾いた。
「……っ!」
重い反動。
腕が軋む。
オメガは嗤った。
「くくっ……あははははは!!」
その笑い声には理性など存在しない。
ただ破壊だけを求める狂気。
オメガはセイバーを捨てていた。
もう必要ないのだろう。
今のゼロは、セイバーすらまともに通らない。
だから。
素手で嬲る。
ゆっくり。
徹底的に。
絶望させるために。
拳が振り下ろされる。
ゼロはセイバーで受け流し、軌道を逸らす。
だが。
次の蹴り。
さらに肘打ち。
間に合わない。
咄嗟に腕を差し込んで威力を殺すが、それでも衝撃は凄まじかった。
吹き飛ばされる。
壁へ叩きつけられる。
地下空間が震えた。
警告音。
損傷率上昇。
関節部異常。
脚部出力低下。
視界の端が赤く染まる。
だが。
ゼロは立ち上がった。
オメガはそれを見て、また嗤う。
まるで壊れない玩具を見つけた子どものように。
そして理解する。
(……手加減している)
頭部は狙わない。
炉心も狙わない。
致命傷だけは避けている。
わざとだ。
長く苦しませるために。
ゆっくりと絶望させるために。
「……ちぃ」
セイバーを握り直す。
オメガが突進。
ゼロは半歩ずれて躱し、肘関節へ斬撃を叩き込む。
だが。
弾かれた。
ダークエルフの障壁。
紫色の光が、オメガを守っている。
次の瞬間。
オメガの拳がゼロの腹部へめり込んだ。
「――がっ!!」
衝撃。
装甲が歪む。
そのまま蹴り飛ばされる。
床を転がる。
立ち上がる前に、オメガの足が迫る。
ゼロは転がって回避。
轟音。
床が砕ける。
破片が飛び散る。
だが回避した先に、すでにオメガの腕が待っていた。
「ぐっ!!」
腕を掴まれる。
嫌な音。
関節が軋む。
引き千切ろうとしている。
「くくくっ……あはははは!!」
オメガは嗤っている。
ゼロは歯を食いしばった。
空いている腕で、無理やりオメガの手首を叩く。
わずかに力が緩む。
そこへ蹴りを叩き込み、強引に距離を取る。
だが。
(隙がない……!)
オメガは学習している。
ゼロの動きを。
癖を。
回避の仕方を。
このままでは、いずれ確実に捕まる。
そして捕まれば終わりだ。
ゼロは転がるように着地し、息を吐く。
そこでようやく、自分のセイバーが少し離れた場所へ落ちていることに気づいた。
オメガが迫る。
ゼロは咄嗟に飛び込んだ。
拳が背後を掠める。
烈風。
瓦礫。
だが。
間に合った。
セイバーを掴む。
その瞬間、オメガの蹴りが飛んできた。
回避しきれない。
「っ!!」
吹き飛ばされる。
壁へ叩きつけられる。
視界が揺れる。
(……あと五分)
全力機動は持って五分。
それ以上は脚が完全に死ぬ。そうなればなぶり殺しだ。
ゼロはゆっくり立ち上がる。
考える。
オメガそのものは倒せるはずだ。
実際、一度は瀕死まで追い込んだ。
だが。
ダークエルフがいる限り、オメガを倒しても、何度でも蘇る。
(なら……)
先に。
ダークエルフを。
どうにかしなければならない。
一か八か。
ゼロはセイバーを握り締めた。
「聞こえているか!! マザーエルフ!!」
地下空間へ叫びが響く。
オメガが動きを止めた。
シグマも。
興味深そうに沈黙する。
「俺に力を貸せ!!」
ゼロは叫ぶ。
「今のお前は、ドクターバイルの呪いに侵されている!!」
紫色の光が揺れた。
「お前の本当の役目は!! イレギュラーになったレプリロイドを正気に戻すことだ!!」
叫ぶ。
必死に。
「頼む!!」
ゼロは前へ踏み出した。
「オメガを倒すために!! 世界を守るために!! 力を貸してくれ!!」
沈黙。
そして。
シグマの笑い声が響いた。
『クックックック!!』
嘲笑。
『命乞いか、ゼロ!!』
狂った笑い。
『確かにダークエルフの呪いが解ければ、お前は自分の体を破壊できるかもしれん!!』
シグマは愉快そうに続ける。
『だが、それで本当にいいのか!?』
声が響く。
『創造主の願いを踏みにじっていいのか!!』
ゼロは答えない。
そんなもの。
もう決まっている。
自分は。
創造主の願いではなく。
友の願いを選ぶ。
エックスが守ろうとした世界を守る。
それだけだ。
「マザーエルフ!!」
再び叫ぶ。
その瞬間。
紫色の光が、わずかに揺らいだ。
「……ゼ、ロ」
声。
かすかな。
消え入りそうな声。
ゼロの目が見開かれる。
シグマの笑いが止まった。
『……ほう?』
ダークエルフ。
いや。
マザーエルフ。
その呪いが、一瞬だけ薄れた。
今しかない。
ゼロはセイバーを構える。
傷だらけの体で。
限界を超えた脚で。
それでも。
前へ。
「行くぞ、オメガ!!」
ゼロは地を蹴った。
☆ ☆ ☆
ハルピュイアたちは、一度、確かにゼロの勝利を確信した。
モニターの向こう側。
オメガの巨体が爆発し、崩れ落ちる。
轟音と共に炎が吹き荒れ、地下空間を赤く染め上げた。
それを見た瞬間、基地のあちこちから歓声が上がった。
「やった!!」
「ゼロ様が勝った!!」
「勝ったんだ!!」
人間も、レプリロイドも、誰もが叫んでいた。
泣き出す者までいる。
長い絶望の中で、ようやく見えた希望だった。
ファーブニルは拳を握り締め、獰猛な笑みを浮かべていた。
「はっ! やっぱりやるじゃねえか、ゼロ!!」
レヴィアタンも胸に手を当て、安堵したように息を吐く。
「……よかった」
恐らく、自分も同じ顔をしているのだろう。
ハルピュイアは静かに目を閉じた。
勝った。
少なくとも、最大の脅威の一つは排除できた。
そう思った。
だが。
(いや……まだだ)
シグマがいる。
VAVAもいる。
まだ戦いは終わっていない。
気を緩めるな。
そう言おうとして――。
煙が晴れた。
そこに。
オメガは立っていた。
「……っ!?」
誰かが息を呑んだ。
ハルピュイアも言葉を失う。
無傷ではない。
装甲は大きく損壊し、内部フレームすら露出している。
だが。
立っている。
まだ動いている。
そして。
ゼロも、それを理解したのだろう。
一瞬の迷いもなく、再びオメガへ斬りかかった。
だが。
紫色の光。
ダークエルフ。
その禍々しい力が、ゼロのセイバーを容易く弾き返した。
同時に。
シグマの笑い声が空間を満たす。
『さすがだ!! さすがだ、英雄!!』
狂気に満ちた歓喜。
『だがな!! オメガはダークエルフがいる限り!! 何度でも!! 何度でも!! 何度でも蘇る!!』
哄笑。
『もうお前に勝ち目はない!!』
その瞬間。
基地にいた全員が絶句した。
空気が凍る。
希望が音を立てて崩れていく。
そして。
そこから始まったのは、戦いではなかった。
なぶり殺し。
オメガはゼロを徹底的に痛めつけ始めた。
致命傷だけは避けながら。
楽しむように。
嗤いながら。
拳。
蹴り。
投げ飛ばし。
壁へ叩きつける。
それでもゼロは立ち上がる。
セイバーを握る。
前へ出る。
ダークエルフに弾かれる。
吹き飛ばされる。
また立つ。
その姿を見て、ハルピュイアは拳を握り締めた。
(何故だ……何故そこまで戦える……!)
普通なら、とっくに心が折れている。
だがゼロは違う。
どれだけ傷ついても。
どれだけ絶望的でも。
まだ前を見ていた。
「ハルピュイア様!!」
ミュートスレプリロイドの一人が前へ出る。
「我々がゼロ様の救援に向かいます!! どうかご許可を!!」
その声には焦りがあった。
恐怖も。
だがそれ以上に、ゼロを死なせたくないという覚悟があった。
「……駄目だ」
ハルピュイアは即答した。
「しかし!!」
「我々が動けば、シグマも動く。VAVAも来るかもしれん。最悪、基地そのものを狙われる」
「ですが、このままでは!!」
「分かっている!!」
思わず怒鳴っていた。
静まり返る。
ハルピュイア自身、理解している。
このままではゼロが危険だ。
だが。
ここで感情に流されれば、全てが終わる。
ゼロが命を懸けて守ろうとしている者たちまで危険に晒すことになる。
沈黙。
重苦しい空気。
その時。
「……ゼロは負けないわ」
レヴィアタンだった。
静かな声。
だが、強い確信があった。
「レヴィアタン様……?」
「ゼロの目を見なさい」
言われて、全員がモニターを見る。
そこに映るゼロ。
傷だらけ。
満身創痍。
それでも。
その瞳だけは死んでいなかった。
諦めていない。
勝利を探している。
どうすれば勝てるか。
どうすれば世界を守れるか。
ただそれだけを考えている目だった。
ミュートスレプリロイドたちも言葉を失う。
そして。
ゼロが叫んだ。
『聞こえているか!! マザーエルフ!!』
基地中が静まり返る。
ダークエルフではない。
マザーエルフ。
そう呼んだ。
『俺に力を貸せ!!』
ゼロの叫び。
『今のお前は、ドクターバイルの呪いに侵されている!!』
その瞬間。
紫色の光が揺らいだ。
誰かが息を呑む。
『お前の本当の役目は!! イレギュラーになったレプリロイドを正気に戻すことだ!!』
必死だった。
まるで。
救いを求めるように。
『頼む!! オメガを倒すために!! 世界を守るために!! 力を貸してくれ!!』
そして。
シグマの笑い声が響いた。
『クックックック!!』
嘲笑。
『命乞いか、ゼロ!!』
不快な笑い声。
『確かにダークエルフの呪いが解ければ、お前は自分の体を破壊できるかもしれん!!』
シグマは愉快そうに続ける。
『だが、それで本当にいいのか!? 創造主の願いを踏みにじっていいのか!!』
ゼロの創造主。
エックス様を破壊するためにゼロを生み出した存在。
その願い。
だが。
ゼロは止まらなかった。
そして。
ダークエルフ――いや、マザーエルフの光が再び揺れる。
紫色の呪いが、一瞬だけ薄れた。
ハルピュイアは息を呑む。
(……まさか)
奇跡。
そんな言葉が脳裏を過る。
誰も動けなかった。
誰も視線を逸らせない。
そして。
モニターの中で。
ゼロがセイバーを構えた。
傷だらけの体で。
満身創痍のまま。
それでも。
前へ。
オメガへ向かって。
一直線に駆け出した。
☆ ☆ ☆
サイバー空間。
現実とは切り離された、電子の海。
そこは静かだった。
無数の光が漂い、流れ、消えていく。
かつて存在したレプリロイドたちの残滓。
記憶。
魂。
そして、強い自我を持つ者だけが、この場所で形を保つことができる。
その空間の中で、エックスは静かに目を閉じていた。
肉体はない。
ただ意識だけが存在している。
本来なら、もう消えていてもおかしくなかった。
だが。
オメガとダークエルフ。
その膨大なエネルギーがサイバー空間を歪め、エックスの意識をかろうじて繋ぎ止めていた。
そして今。
エックスは、ゼロの戦いを見つめていた。
「……ゼロ」
親友の名を呟く。
モニターなど必要ない。
サイバー空間を通じて、ゼロの戦いが直接伝わってくる。
傷。
痛み。
焦り。
それでも前へ進もうとする意思。
全部、感じ取れてしまう。
エックスは苦しそうに目を伏せた。
「僕には……もう、何もできない」
かつて世界を救った英雄。
だが今の自分は、見ていることしかできない。
それが悔しかった。
ゼロに全てを押し付けてしまっている。
まただ。
また、自分はゼロを戦わせている。
その時。
サイバー空間に、もう一つの気配が現れた。
黒い影。
静かに膝をつく。
「エックス様……」
隠将ファントム。
四天王の一人。
シグマから人間たちを逃がすため、自ら肉体を爆散させたレプリロイド。
その魂が、ここへ辿り着いていた。
エックスは目を見開く。
「……ファントム」
「ゼロ様の戦いを、見ておりました」
ファントムは顔を上げる。
その表情は静かだった。
だが、その奥には確かな焦りがあった。
オメガ。
ダークエルフ。
そして追い詰められていくゼロ。
それを見れば、冷静ではいられない。
「もどかしいね……」
エックスは苦笑した。
「見ていることしかできないなんて……」
拳を握る。
だが、力はない。
「僕にはもう……現実へ干渉する力が残っていない」
「ならば!!」
ファントムが一歩前へ出た。
「私の残っているエネルギーをお使いください!!」
真っ直ぐな声。
「そうすれば、エックス様ならもう一度、現実空間へ干渉できるはずです!!」
エックスは静かに首を振った。
「……ありがとう、ファントム」
優しい声だった。
「だけど僕は……もう誰も破壊したくないんだ」
その言葉に、ファントムは目を伏せる。
「ごめんね、ファントム」
エックスは苦しそうに続けた。
「ごめんね……ゼロ」
そして二人は、再びゼロの戦いを見つめた。
一度は、勝利しかけた。
オメガを追い詰めた。
だが。
ダークエルフ。
いや。
マザーエルフ。
ドクターバイルの呪いに侵された存在が、オメガを再生させた。
そこから先は、一方的だった。
ゼロが傷ついていく。
殴られる。
蹴り飛ばされる。
それでも立ち上がる。
その姿を見て、ファントムが低く呟いた。
「……これ以上、ゼロ様だけを戦わせるわけには参りません」
エックスは黙っていた。
だが。
ファントムはもう決めていた。
「エックス様」
「……うん」
「私は、私の意思でゼロ様を援護いたします」
静かな声。
「残っている全ての力を使い、一瞬でもダークエルフ……いえ、マザーエルフが正気を取り戻せるよう干渉します」
エックスは目を閉じた。
そして。
ゆっくり頷いた。
「……そうだね」
苦しそうに。
それでも。
英雄として。
「ファントム。君に命令する」
ファントムが背筋を伸ばす。
「ゼロの勝利のために」
「はい」
「人間たちとレプリロイドたちの未来のために」
「はい!!」
「君の命を……もう一度、使ってほしい」
ファントムは笑った。
初めてだったかもしれない。
穏やかな笑み。
「承知しました、エックス様」
その瞬間。
ファントムの身体が光へ変わる。
黒い影が、無数の粒子となってサイバー空間へ拡散していく。
エックスは、その背中を見送った。
「……ありがとう、ファントム」
そして。
現実世界。
オメガの周囲で暴れていた紫色の光が揺らいだ。
ダークエルフ。
いや。
マザーエルフ。
その瞳に、一瞬だけ理性が戻る。
ゼロの叫びが響く。
『マザーエルフ!!』
そして。
応えるように、呪いが崩れた。
エックスは静かに微笑んだ。
「ありがとう、ファントム」
視線の先。
ゼロがオメガへ突撃する。
セイバーが閃く。
貫いた。
オメガの中枢を。
次の瞬間。
大爆発。
地下空間そのものを吹き飛ばしかねない光。
だが。
その爆炎の前へ、マザーエルフが飛び込んだ。
紫色ではない。
優しい光。
母のような光。
彼女はゼロを庇っていた。
エックスは静かに息を吐く。
「……僕たちができるのは、ここまでだね」
ゼロ。
親友。
世界を託した相手。
「後は任せるよ」
ファントムの残滓が頷く。
「……はい。ゼロ様なら、必ず」
そして。
エックスとファントムの意識は、ゆっくりとサイバー空間の奥底へ沈んでいった。
静かに。
まるで眠るように。