ゼロがオメガを倒した。
その瞬間、ネオ・アルカディアの地下深くから凄まじい爆発が巻き起こった。
モニター越しですら伝わる衝撃。崩れ落ちる瓦礫。吹き荒れる炎。空間そのものが崩壊していく光景に、基地の誰もが息を呑んだ。
「ゼロ様は!?」
「急いで救助隊を!!」
「いや、シグマがまだ潜んでいる可能性が――!」
指令室は騒然となっていた。人間たちも、レプリロイドたちも、皆が口々に叫ぶ。ハルピュイアは即座に部隊編成を始めていた。
「私とファーブニルで先行する。レヴィアタンは基地防衛――」
「待ちなさい、ハルピュイア。私も行くわ」
「だが――」
「ゼロを置いて待っていられるわけないでしょう?」
レヴィアタンの声は珍しく感情を隠せていなかった。
ファーブニルも腕を鳴らしながら笑う。
「はっ、今度こそ俺も混ぜてもらうぜ。ゼロ一人にばっか格好つけさせてられるかよ」
だが。
その議論は、いい意味で無駄になった。
基地全体が、ふわりと優しい光に包まれたからだ。
「……え?」
誰かが呟く。白く暖かな光。それはイレギュラーウイルスの禍々しい輝きとは正反対だった。
包み込むような。
母親のような。
安心感を与える光。
そして。
その光の中心に、一人の男が立っていた。
「ゼロ!!」
シエルが思わず駆け出す。そこにいたのは、間違いなくゼロだった。だが、誰もが驚いた。つい先程まで、オメガに痛めつけられ、全身傷だらけだったはずだ。
なのに。
今のゼロには傷一つない。
砕けた装甲も。
損壊した関節も。全て修復されていた。その傍らには、小さな光。マザーエルフ。彼女は静かにゼロの肩の辺りを漂っている。
その姿を見て、人間もレプリロイドも思った。
(……なんて、暖かい光なんだ)
涙を流している者までいた。
シグマやダークエルフの狂気を見続けていたからこそ、その優しさが胸に沁みた。
「……ここは?」
ゼロが周囲を見回しながら呟く。
どこか疲れた声だった。
「私たちの基地よ、ゼロ」
シエルが微笑む。
「無事に帰ってきてくれて嬉しいわ」
ゼロは短く頷いた。
「ああ」
その直後。
「おい、ゼロ!!」
ファーブニルが豪快に笑いながら近づいてくる。
「全部終わったら、本気で俺と模擬戦しようぜ!! 退屈はさせねえぞ!!」
「……考えておく」
「はっ! 断らねえだけマシか!」
ファーブニルは嬉しそうに笑った。その隣では、レヴィアタンがじっとゼロを見ている。まるで、本当に帰ってきたのか確認するように。
だが。
その空気をぶち壊すように、一人の小さな影が飛び込んできた。
「ゼロー!!」
アルエットだった。
そのまま勢いよくゼロの胸へ飛び込む。
「無事でよかったぁ!!」
「……ああ」
ゼロは少し戸惑いながらも、アルエットの頭を撫でた。それを見て、レヴィアタンが露骨に不満そうな顔をする。
(……子ども相手に何を張り合っているんだ、あいつは)
ハルピュイアは思わず頭を抱えそうになった。
その時。
ゼロがふと口を開く。
「……お前たちの仲間に、ファントムというやつはいるか?」
その言葉に、空気が変わった。特にファントム直属だったミュートスレプリロイドたちが反応する。
「な、何故あなたがその名前を……!」
ゼロは少し考えるように目を伏せた。
「マザーエルフを正気に戻す時、手を貸してくれた。エックスと共に……」
静かな声。
「……俺の勘違いかもしれんがな」
沈黙。
そして。
ファントムの部下たちが、一斉に頭を下げた。
「……いえ」
「ファントム様なら、そうなさるでしょう」
その声には誇りがあった。死してなお、人間とレプリロイドを救うため戦った。
それが、自分たちの主だと。
「語り継がねばな……」
「今度こそ、真実を」
「二度と、同じ過ちを繰り返さないために」
誰かが呟く。
ハルピュイアも静かに頷いた。
歴史を間違えてはいけない。
エックスも。
ゼロも。
ファントムも。
皆が命を懸けた意味を。
その時。
レヴィアタンが一歩前へ出た。
「ねぇ、ゼロ」
「……なんだ」
「あなた、本当に本物の体が惜しくなかったの?」
その問いは、ここにいる全員の疑問だった。あれほどの性能。あれほどの力。本来の肉体を取り戻していれば、どれほど強かったのか。
ゼロは静かに答えた。
「惜しくなんかない」
迷いのない声。
「俺は、この体になったおかげで……イレギュラーになる悪夢から抜け出せた」
レヴィアタンは目を細めた。
「……そう」
どこか悲しそうに。
「あなたにとっては、悪夢だったのね」
そして、ゆっくり近づく。
「……何が言いたい?」
ゼロが訝しげに眉を寄せた、その瞬間だった。レヴィアタンは背伸びをして。人間の恋人同士がするように。ゼロの唇へ、そっとキスをした。
静寂。
そして。
「おぉーっ!?」
ファーブニルが盛大に口笛を吹いた。
周囲も騒然となる。レヴィアタン本人も顔を真っ赤にしていた。だが、それでも彼女は真っ直ぐゼロを見つめる。
「あなたは、私のものにするわ」
堂々と言い切った。
「絶対に」
そう言うと、レヴィアタンは羞恥に耐えきれなくなったのか、そのまま高速で去っていった。残されたゼロは、しばらく完全に固まっていた。
「……」
何をされたのか。
本気で理解できていないようだった。
その様子を見て、基地中に笑い声が広がった。
久しぶりの。
本当に久しぶりの、穏やかな笑いだった。
☆ ☆ ☆
オメガとの死闘を終えた後も、基地の空気は決して緩んではいなかった。むしろ逆だった。シグマはまだ生きている。
VAVAも健在。
そして何より、誰もが理解してしまったのだ。今の戦いは、まだ序章に過ぎないと。基地中心部にあるブリーフィングルーム。
壊れた旧ネオ・アルカディア施設を改修しただけのその部屋は、無骨な金属壁とむき出しの配線が目立つ場所だった。
だが今、この場には基地の中枢となる者たちが集まっている。
四天王。
ミュートスレプリロイド隊長格。
科学者たち。
そしてゼロ。
室内に重い沈黙が流れる中、最初に口を開いたのはハルピュイアだった。
「ゼロ……あなたが自分の体のことを言いたくなかった気持ちは分かる」
静かな声だった。
だが、その奥には怒りと心配が混ざっていた。
「しかし、事前に知っていれば、我々も援護できたかもしれない」
ゼロは腕を組み、目を閉じる。
「……すまないとは思っている」
短い返答。
だが、そこに後悔はほとんど感じられなかった。
「だが、オメガは俺一人で打倒しなければならない存在だった」
ゆっくりと目を開く。
「それが、これから俺が生きていくために必要だった」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ張り詰める。
「……シグマも、VAVAも同じだ」
ゼロは静かに続けた。
「これは俺とエックスが現代に残した負債だ。他の誰かに譲ることはできない」
その声には、揺るがぬ意志があった。
責任。
覚悟。
そして贖罪。
それら全てを一人で背負うような重さ。ミュートスレプリロイドたちも、思わず黙り込む。ゼロはさらに続けた。
「それに、俺以外ではシグマウイルスに耐えられないだろう」
確かに、それは事実だった。
ワクチンは完成している。
マザーエルフもいる。
だが、それでもシグマウイルスの脅威が消えたわけではない。
特に最前線でシグマと戦うとなれば話は別だ。
だが。
ハルピュイアは引かなかった。
「確かに、だが今はマザーエルフもいる」
視線をゼロへ向ける。
「我々も戦場に出てもいいのではないか?」
その瞬間。
ゼロの瞳がわずかに鋭くなった。
「……可能だ」
否定はしなかった。
「だが、VAVAもシグマも、俺の手で決着をつける必要がある」
そして、静かに言い切る。
「それが、エックスのいない世界を守る俺の役割だ」
その言葉に、ファーブニルが机を拳で叩いた。
「ならよぉ、ゼロ!」
険しい顔。
だが、その奥には心配がある。
「俺たちには、お前一人で戦いに行くのを黙って見てろって言うのか!?」
「……そうだ」
即答だった。
迷いすらない。
その答えに、ファーブニルは舌打ちする。
「ちっ……!」
レヴィアタンも前へ出た。
珍しく感情を露わにしている。
「それは認められないわ!」
顔を赤くして叫ぶ。
「昔の、オメガの体を持っていた頃のあなたなら、確かに安心して任せられたかもしれない!」
だが、と続ける。
「今のあなたの体は違う! 全盛期から程遠い!!」
拳を握る。
「そんな体で、本当にシグマに勝てるの!?」
部屋が静まり返る。
誰もが同じ不安を抱いていた。
ゼロは少しだけ目を伏せた。
そして。
「……勝つ」
静かに答える。
それだけだった。
だが、その一言には絶対的な確信があった。
「それに、勝算がないわけじゃない」
ゼロはマザーエルフへ視線を向けた。
小さな光が、静かに漂っている。
「マザーエルフがいれば、シグマを浄化できるかもしれない」
その言葉に、科学者たちがざわめく。
「イレギュラーじゃなくせる可能性がある」
「……!」
「VAVAも同じだ」
ゼロは淡々と続けた。
「俺はあいつらを斬ることに躊躇いはない」
その声には、戦士としての冷たさがあった。
「だが、エックスなら可能性がある限り試すはずだ」
その瞬間。四天王たちは沈黙した。エックス。蒼き救世主。彼なら確かに、最後の最後まで救済を諦めなかっただろう。
例え敵であっても。
例え何度裏切られても。
レヴィアタンが悔しそうに目を伏せる。
「……そうね」
ファーブニルも頭を掻いた。
「ちっ……エックス様らしいっちゃらしいか」
ハルピュイアは深く息を吐く。
ゼロは続けた。
「マザーエルフには、そのためだけに力を使ってほしい」
「……」
「だから俺一人で行く」
その覚悟に、誰もすぐ反論できなかった。
「それに、シグマは何度も蘇った」
ゼロの目が鋭くなる。
「イレギュラーをやめさせることができれば、もう二度と悪事を働かないはずだ」
それは、極めて合理的な考えだった。シグマは滅ぼしても蘇る。ならば根本から変えるしかない。その結論は、確かに正しい。
だからこそ。
誰も完全には否定できなかった。
沈黙が落ちる。
そして最後に、ハルピュイアが口を開く。
「……分かった」
苦渋の決断だったのか顔が歪んでいる。
「だが、必ず生きて帰ってこい、ゼロ」
ゼロは短く頷いた。
「ああ」
その返答を聞きながら、ミュートスレプリロイドたちは複雑そうな顔をしていた。
「俺たち、本当に何もできないのか……」
「せめて盾ぐらいには……」
「だが、ゼロ様の邪魔になる可能性もある」
悔しさ。
無力感。
それでも。
誰もゼロを疑ってはいなかった。英雄は、また一人で戦場へ向かおうとしている。ならばせめて、自分たちは帰る場所を守る。それが今、自分たちにできる唯一の戦いだった。
☆ ☆ ☆
どいつもこいつも、エックス、エックス、エックス。その名前を聞くだけで、胸の奥が焼けるように苛立つ。何故だ。
何故、あの甘ちゃん野郎ばかりが評価される。
何故、誰も自分を見ない。
VAVAは薄暗い通路を歩きながら、荒々しく舌打ちした。
ネオ・アルカディア深部。
シグマが占拠した区域は、もはやまともな施設ではなかった。紫色のシグマウイルスが霧のように漂い、壁面には脈動するような異形の回路が浮かび上がっている。
まるで施設そのものが生きているようだった。
その最深部。
巨大な培養カプセルの並ぶ空間で、シグマは笑っていた。
オメガは敗北した。
だが、それでもなお。
シグマの表情に焦りはない。
むしろ愉快そうですらあった。
「それでシグマ、この後はどうする?」
VAVAは肩を鳴らしながら言った。
「オメガとゼロの対決は、ゼロの勝利に終わったわけだが……」
シグマは振り返る。
巨大な赤い眼光が、不気味に細められた。
「何、オメガは前座に過ぎない」
「ほう」
VAVAは鼻で笑う。
「オメガが前座、か」
「ああ」
シグマは愉快そうに両手を広げた。
「オメガ程度でゼロの心が折れないことは、最初から分かっていた」
そして。シグマは部屋の奥に視線を向けた。そこには、一つの巨大なカプセルが存在している。他のカプセルより厳重に封印され、幾重ものロックが施されていた。
中に眠る少女型レプリロイド。
長い髪。
穏やかな寝顔。
まるで、今にも目を覚ましそうなほど自然な姿。
VAVAは目を細めた。
「……なるほどな」
シグマは笑う。
「サプライズゲスト、『■■■■』の登場に、ゼロの心は耐えられると思うか?」
その名前。それを聞いた瞬間だけ、VAVAですら少しだけ黙った。ゼロにとっての傷。エックスにとってとはまた違う、もう一つの後悔。
シグマは続ける。
「仮に耐えたとしても結果は同じだ」
巨大なモニターに、現在のゼロの戦闘データが映し出される。
「今のゼロは劣化した体に押し込められている」
シグマの目が妖しく光る。
「あれだけ性能の落ちた体で、全盛期の私と、お前に勝てると思うか?」
「……ふん」
VAVAは鼻を鳴らした。
「俺は『■■■■』より先にゼロと戦わせてもらうぞ?」
その目には、獣のような闘争心が宿っていた。
「腑抜けたゼロを討ち取っても、嬉しくもなんともない」
シグマは肩を竦める。
「好きにしろ、VAVA」
少しの沈黙。
そしてVAVAは、ふと疑問を口にした。
「……一つだけ聞かせろ、シグマ」
「何だ?」
「お前は今、何のために戦っている?」
その問いに。
シグマは、一瞬だけ静かになった。
だがすぐに嗤う。
「無論、レプリロイドの進化のためだ」
「……」
「私が狂ったことで、世界はエックスの可能性を認めた」
VAVAの表情が険しくなる。
エックス。
またその名前だ。
自分はいまだに認めていない。
あの甘ちゃん野郎が、自分より優れているなど。
シグマは気にした様子もなく続けた。
「そして次はゼロだ」
モニターに、オメガを倒したゼロの姿が映る。
「ゼロの可能性も、我々は世界に示した」
シグマは両手を広げた。
「レプリロイドだけの世界」
その視線が、封印カプセルへ向く。
「ああ、一緒に作ろう、『■■■■』。ゼロと共に!!」
その声は。
まるで恋人に語りかけるようですらあった。
VAVAはカプセルを見た。
静かに眠る少女。
確かに。
これを見せられれば、ゼロの心が揺らぐ可能性はある。
だが。
(冗談じゃねえ)
VAVAは内心で吐き捨てた。
自分が認めたゼロは、この程度で壊れるような奴ではない。あいつは最後まで戦う。そういうレプリロイドだ。だからこそ。
だからこそ気に食わない。ゼロの失策は一つだけ。エックスに肩入れしたことだ。
(あいつが俺に肩入れしていれば――)
違う未来もあった。自分はエックス以上の成果を示せた。世界を変えられた。その可能性を。今から証明してやる。
ゼロを倒して。
自分こそが最強だと示してやる。
シグマにも。
エックスにも。
世界にも。
VAVAは踵を返した。
「ふん、じゃあなシグマ」
乱暴に肩を鳴らす。
「俺はゼロが来るのを待たせてもらう」
「ああ」
シグマは嗤った。
「お前がゼロを倒すか、それとも彼女がゼロを壊すか」
巨大な笑い声が部屋中に響く。
「楽しみだ。ゼロの行く末が!」
シグマの狂気じみた笑い声を背に。
VAVAは静かに歩き出した。
暗い通路を。
一人で。
胸の奥に燃える感情を抱えながら。
(ゼロを倒すのは俺だ)
シグマでもない。
■■■■でもない。
他の誰でもない。
ゼロを超えられるのは、自分だけだ。
VAVAはそう信じながら、戦場へ向かって歩き続けた。
さて、少女の名前が分かった人はいるかな('ω')