壊れた基地の中枢区画。かつては補給拠点として使われていたらしいその場所は、今や無数の避難民で埋め尽くされていた。天井の一部は崩れ、応急処置の鉄骨が剥き出しになっている。壁のモニターは半分以上が機能停止し、残された画面には各地の状況が断片的に映し出されていた。
その空間の一角――比較的損傷の少ない区画に、高位の者たちが集められていた。
人間の代表、研究者、そして我々四天王。その中心に――ゼロが立っていた。赤い装甲は戦場の匂いをまとったまま、微動だにしない。周囲の視線など意にも介さず、ただ静かに空間を見渡している。
そして、不意にゼロは口を開いた。
「すまん。体がなまっている。勘を取り戻したい」
その声は低く、しかし迷いがなかった。場の空気が一瞬で引き締まる。
「勘を取り戻したら、すぐにシグマとオメガを討伐しに行く」
当然のように告げられたその言葉に、誰も反論できなかった。
(迷いが、ない……)
私は内心でそう呟く。エックス様とは違う。あの方は常に考え、悩み、選び続けていた。だが、この男は違う。戦うことに、疑いがない。
「……承知しました」
私は一歩前に出て応じる。模擬戦の相手普通に考えれば、ミュートスレプリロイドたちか、我々四天王が相手をすべきだろう。いや、エックス様のことを考えればミュートスレプリロイドでは、対応ができないか。となれば出るべきは我々だ。
かといって、自分やレヴィアタンは環境を取り戻すために作られた存在。戦うこともできるが、それが本来の役目ではない。となればだ、戦うこと、イレギュラーを狩るために存在する、四天王――。
「それでは……模擬戦の相手は――」
「よーハルピュイア。その役目は俺以外にいねえだろう?」
豪快な声が割り込む。自分が紹介する前に紹介するつもりだった人物の声が部屋に響いた。そう、ゼロの相手をするなら彼以上の適任者はいない。
振り向けば、ファーブニルが腕を組んで立っていた。その口元には、いつものように好戦的な笑みが浮かんでいる。
「初めまして、ゼロ様。エックス様の四天王の一人、ファーブニルだ」
「……敬語はいらん」
ゼロは短く言い捨てる。
「どこで模擬戦を行えばいい? 外か?」
「いえ」
私はすぐに応じた。
「基地内部に模擬戦用の区画があります。そちらで行いましょう」
そして、一瞬言葉を選ぶ。
「それと……可能であれば、戦いの様子を基地の者たちにも見せたいのですが」
この場にいる者たちだけではない。基地全体に――そして他の拠点にも。希望が必要だった。
「……好きにしろ」
ゼロはそれだけ言った。許可は得た。
「よし、決まりだな!」
ファーブニルが楽しげに笑う。
「ついて来いよ、ゼロ。退屈はさせねえ」
そう言って歩き出す。ゼロも無言でその後に続いた。その背中が見えなくなると同時に、場の空気が一気に緩んだ。ざわめきが広がる。
二人が歩く先には驚愕の声が上がる。
「本当にゼロだ……」
「あの伝説の……」
興奮と期待が入り混じった声が、あちこちから上がる。人間も、レプリロイドも。皆が同じ表情をしていた。――希望を見た顔だ。
「普通に考えれば、新型であるファーブニルが勝つでしょうけど……」
隣でレヴィアタンが小さく呟く。
「あなたはどう思う、ハルピュイア?」
私は、少しだけ目を閉じた。エックス様の姿が脳裏に浮かぶ。あの方が信じた存在。あの方が、自らの後を託した存在。
「……エックス様の戦友だ」
静かに答える。
「同じく伝説に謳われた存在だ。負けてもらっては困る」
それは願いではない。命令に近いものだった。
(負けることは、許されない)
我々のためではない。この場にいるすべての者のために。
「……そうね」
レヴィアタンが小さく頷く。
「できれば、ファーブニルに何もさせないくらいであってほしいわね」
その言葉には、半分冗談、半分本気の色があった。
「……そうだな」
私は短く返す。その時、シエル様がこちらを見ていた。不安と期待が混ざった表情。
「シエル様」
私は声をかける。
「あなたのサイバーエルフの力を借りたい。模擬戦の様子を中継してほしい」
彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開き――すぐに頷いた。
「分かったわ。私も……ゼロの力を知りたいから」
その声には、研究者としての興味と、一人の人間としての願いが込められていた。そして彼女は足早に去っていく。
準備に向かったのだろう。
「私たちも行きましょうか」
レヴィアタンが言う。
「できれば特等席で、二人の戦いを見たいわ」
「……そうだな」
私は歩き出す。通路を進みながら、胸の奥で何かが静かに燃えていた。
(エックス様……)
あなたが託した存在。あなたが信じた未来。
それを――今、確かめる。
模擬戦場へと続く扉の前で、私は一瞬だけ立ち止まる。そして、静かに息を吐いた。
(どうか――)
心の中で願う。
(我々を、一ひねりにできるほど強くあってほしい)
でなければ。この絶望を覆すことなど、できはしないのだから。扉が開く。その先にあるのは――希望か、それとも、さらなる現実と言う名の地獄か。
☆ ☆ ☆
壊れた基地の一角――かつて整備区画として使われていた場所は、今や臨時の解析室へと姿を変えていた。むき出しの配線、応急的に組まれた測定機器、そしてその中央に設置された即席のスキャンベッド。その周囲を取り囲むように、人間とレプリロイドの研究者たちがひしめき合っている。
誰もが息を詰めていた。これから測定するのは――伝説そのものだからだ。
「各機器、最終チェック完了……エネルギーライン安定しています!」
「生体反応スキャナ、問題なし!」
次々と報告が上がる。だがその声には、明らかな緊張が混じっていた。私――シエルもまた、その中心に立っている。
(ついに……)
視線の先には、ゼロ。紅い装甲をまとったその姿は、記録映像で見たものと寸分違わない。だが実物から発せられる圧は、それとは比べ物にならなかった。
(この人が……エックスの対となる存在……)
胸が高鳴る。オリジナル・エックスの肉体は、現代の技術では再現不可能なほど高度なものだった。ならば――その対となるゼロは。
どれほどの技術で作られているのか。それは、この場にいるすべての科学者が抱いている疑問だった。不敬かもしれない。だが、それでも知りたい。
人類とレプリロイドの未来に関わる技術だからこそ。
「ゼロ、少しだけじっとしていて」
私はできるだけ平静を装って声をかけた。
「……問題ない」
短い返答。それだけで、周囲の緊張がさらに高まる。
(始めるわ……)
私は端末に指を走らせた。スキャン開始。光のラインがゼロの全身を走査していく。内部構造、エネルギー循環、演算ユニット、フレーム強度――すべてがリアルタイムでデータ化されていく。
モニターに数値が並び始めた。最初は、誰も何も言わなかった。ただ、見つめていた。
そして――
「……え?」
誰かの声が、かすかに漏れた。それが引き金だった。
「なに、これ……?」
今度は、私自身の声だった。信じられない。表示されている数値が、理解を拒んでいる。
「再計測!」
誰かが叫ぶ。
「センサーの誤差かもしれない!」
すぐに再スキャンが始まる。だが――結果は、変わらなかった。
パンテオン。量産型戦闘レプリロイド。その性能基準と比較して――
「……二倍……? いや、良くて三倍……?」
誰かが呟く。
「そんな……馬鹿な……」
別の研究者が頭を抱える。ありえない。伝説の紅き破壊神。エックスと対をなす存在。その肉体が――量産型の数倍程度の性能しかないなど。
(そんなはずがない……!)
私は必死にデータを見直す。回路構造。エネルギー効率。反応速度。どこを見ても、異常はない。むしろ――整いすぎている。
無駄がない。合理的すぎる。だが、それは「最高」ではない。
「……もう一度、全項目再計測!」
三度目のスキャン。結果は、やはり同じだった。静寂が落ちる。誰も言葉を発しない。ただ、現実だけがそこにあった。
(どうして……)
私の視界が揺れる。もしこれが本当なら。ゼロは――シグマにも、オメガにも勝てない。そう結論づけるしかない。
「シエル……」
隣でミランが支えてくれる。気づけば、私は立っているのもやっとだった。その時だった。
「ハルピュイア様が来られました!」
声が響く。振り返ると、ハルピュイアが歩いてくるのが見えた。その表情は、いつものように冷静だ。だが、その奥にある焦りを、私は見逃さなかった。
「ハルピュイア……これを見て」
私は震える手でデータを示す。
「ゼロの肉体に使われている技術……パンテオンの数倍程度しかないの」
「……なんだと」
低い声。そして次の瞬間、彼は叫んでいた。
「馬鹿な!! エックス様と対になる存在が、その程度なわけがない!!」
その声は、この場の全員の心情を代弁していた。後ろではレヴィアタンも絶句している。研究者たちも同じだ。誰も、この現実を受け入れられない。
「……いや」
ハルピュイアが、ゆっくりと口を開く。
「エックス様が対等と認め、すべてを託された存在だ」
その声は、自分自身に言い聞かせるようだった。
「きっと……何か、我々には測れない力があるのだろう」
その言葉に、わずかな救いが生まれる。
(……そうよ)
私たちの科学で測れるものが、すべてではない。そうでなければ――エックスが間違っていたことになる。それだけは、ありえない。
「エックス様が……嘘をつくはずがない」
誰かが呟く。その言葉は、すぐに周囲に広がった。そうだ。エックスが、間違えるはずがない。
「……この件は他言無用だ」
ハルピュイアが言う。その声は強く、断定的だった。
「これが知られれば、士気に関わる」
誰も反論しなかった。できるはずがない。
「……分かったわ」
私は頷く。
「とにかく……ゼロがどれほど戦えるのか、実際に見せてもらうしかない」
それが、唯一の答えだった。ハルピュイアは静かに頷くと、踵を返した。おそらく、模擬戦の審判を務めるつもりなのだろう。
その背中を見送りながら――
私は、モニターに映るゼロのデータをもう一度見た。
(……おかしい)
性能が低い。それだけではない。どこか――足りない。まるで、何かが抜け落ちているような感覚。
(まるで……)
そこまで考えて、私は思考を止めた。根拠がない。ただの違和感。
けれど――消えない。その時、ハルピュイアの小さな呟きが、かすかに耳に届いた。
「……万が一、ゼロがそこまで弱いのなら……」
一瞬の間。
「……我々でシグマを討たなければならない」
その言葉は、重く沈んだ。私は何も言えなかった。ただ、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
(本当に……大丈夫なの?)
希望として目覚めたはずの存在。その正体が、もし違っていたとしたら――その時、私たちは何を信じればいいのだろうか。
☆ ☆ ☆
模擬戦区画の中央に立ちながら、ハルピュイアは静かに周囲を見渡していた。壊れた基地の一角を急ごしらえで整備したこの空間には、既に多くの視線が集まっている。人間、レプリロイド、そのどちらもが息を潜め、これから始まる戦いを見守っていた。
その視線の中心にいるのは――紅き戦士、ゼロ。そして対するは、四天王の闘将、ファーブニル。
ファーブニルは相変わらず笑みを浮かべている。戦いを心から楽しむ者のそれだ。だが、その笑みの奥にある感情を、ハルピュイアは見逃さなかった。
(疑っているな……ゼロの力を)
それは無理もない。先ほどの測定結果が、あまりにも異常だったからだ。だが――。
(エックス様が託した存在だ)
それだけで十分だった。信じる理由としては。ハルピュイアは一歩前に出る。審判としての役目を果たすために。
「では――始め!!」
その瞬間。
「行くぜぇ!!」
ファーブニルが爆発的な加速で踏み込んだ。両腕のバスター、ソドムとゴモラが火を噴く。連続するエネルギー弾が、一直線にゼロへと殺到する。
回避困難な距離。回避困難な密度。だが――ゼロは動いた。
膝を落とし、ほとんど地面に触れるほどの低姿勢から、一気に前へ滑り込む。弾丸が頬をかすめる。装甲を掠める。
それでも止まらない。
(あの距離で……!?)
ハルピュイアの目が見開かれる。常識ではありえない選択だった。だがゼロは迷いなくそれを選び、そして成功させた。そのままファーブニルの懐へ。セイバーが閃く。
「甘ぇ!!」
だがファーブニルも反応する。腕を広げ、ゼロを捕らえようとする。しかし――空を掴んだ。ゼロの姿は、既にそこにない。
後方へ、わずかに距離を取っている。
(……攻めない?)
ハルピュイアは違和感を覚えた。あの一撃。確実に追撃できたはずだ。だがゼロは、それを選ばなかった。
(まるで……試しているようだ)
その推測は、すぐに確信へと変わる。ファーブニルが次々と攻撃を繰り出す。拳。蹴り。組み付き。さらに地面を叩き、爆炎を走らせる範囲攻撃。
だが――当たらない。ゼロはすべてを、紙一重で回避する。最小限の動き。無駄のない軌道。
そして何より――。
(未来を見ているかのような回避だ……)
予測。いや、それ以上。相手の行動を確定事項として処理しているような動きだった。そして時間だけが過ぎていく。
三十分。
ファーブニルは息を荒げながらも、攻撃の手を緩めない。だが、その表情には焦りが混じり始めていた。
「どうしたゼロ!!」
吠える。
「避けてばっかじゃねぇか!! 余裕か!?」
ゼロは答えない。ただ、静かに立っている。
「攻撃してこいよ!!」
その挑発に――
ゼロが、わずかに顔を上げた。
「……分かった」
短い返答。
だがその瞬間、空気が変わった。
(来る……!)
ハルピュイアの全神経が研ぎ澄まされる。次の瞬間。ゼロの姿が消えた。否――速すぎて視認できなかっただけだ。一瞬で間合いを詰める。セイバーが振り上げられる。
「いいぜぇ!!」
ファーブニルは笑った。
相打ちを選ぶ。全力の拳を叩き込む。その判断は、間違いではなかった。だが――
「……遅い」
ゼロの声。次の瞬間。閃光。そして静寂。
ファーブニルの右腕が、宙を舞っていた。
「なっ……!?」
本人すら理解が追いついていない。ゼロは既に、ファーブニルの攻撃軌道から外れている。完全回避。そして、確実な一撃。
ハルピュイアの背を、冷たいものが走る。
(見えなかった……)
否、違う。
見えていた。
だが、対応できない。
(これが……戦闘経験の差……)
理解する。
ゼロの肉体は、確かに弱いのかもしれない。出力も、速度も、我々四天王に劣る。いやパンテオン程度の性能しかないのだろう。
だが――それを補って余りある何かがある。判断速度。状況認識。最適解の選択。それらすべてが、常軌を逸している。
ファーブニルは一瞬呆然とした後、やがて大きく笑い出した。
「はは……いいじゃねぇか……!」
失った腕から火花を散らしながら、それでも戦意は衰えない。
「最高だ……!」
ゼロは何も言わない。ただ静かに立っている。
その姿を見て、ハルピュイアは確信する。
(この男なら……)
肉体が劣っているのであろうと。
どれだけ性能が低くても。
(シグマを……討てる)
それでいい。
ハルピュイアは静かに目を閉じ、そして開く。
「――勝負ありだ」
その声は、確かな重みを持って、場に響き渡った。
今週は2話投降予定。
ただし27日の投稿はありません('ω')