模擬戦が終わった瞬間、基地の空気は一変した。それまで張り詰めていた緊張は弾け飛び、代わりに溢れ出したのは、歓声だった。人間も、レプリロイドも関係ない。誰もが立ち上がり、声を上げ、手を叩き、目の前の戦士を称えている。
ゼロ。
紅き破壊神。
その姿は、間違いなく英雄だった。確かに、計測結果は異常だった。肉体性能だけを見れば、量産型パンテオンの数倍程度。だが――そんなものは問題ではなかった。
四天王最強の近接戦闘能力を持つファーブニルに対し、ほとんど何もさせずに勝利した。それが、すべてを証明していた。
(これが……ゼロ)
シエルは胸の奥に熱を感じていた。隣ではミランも同じように、興奮と安堵を滲ませている。
「凄い……あれが、エックス様の対となる英雄……破壊神ゼロ……」
「ええ……」
シエルはゆっくりと頷く。
「彼がいれば……私たちは、シグマに勝てるわ」
その言葉に、迷いはなかった。周囲からも声が上がる。
「ゼロ様……!」
「お願いします……!」
「シグマを……倒してください!」
誰もが口々に願う。祈りにも似た声。ゼロはそれに応えない。だが――無視もしない。ただ静かに立ち、すべてを受け止めている。
(エックスとは違う……)
シエルはそう感じていた。
あの人のような優しさや柔らかさはない。だが代わりに、揺るがない何かがある。背負う覚悟。それが、言葉よりも強く伝わってくる。
やがてゼロは模擬戦区画を後にし、控えの間へと戻ってきた。
一方、ファーブニルは斬り落とされた腕を抱え、別の通路へと向かっている。その背中には悔しさよりも、満足が見えた。
そして――。
「ゼロ!」
小さな影が、ゼロに駆け寄った。アルエット。シエルにとって妹のような存在のレプリロイドだ。
「強いね!!」
無邪気な声。ゼロはわずかに視線を落とし――その頭に手を置いた。優しく撫でる。その仕草に、場の空気が少しだけ和らぐ。
「ありがとうゼロ!」
アルエットは嬉しそうに笑う。
「私、アルエット! 私ね、お姉ちゃんたちを傷つけるイレギュラーになりたくないの!」
真っ直ぐな言葉。
「お願い……シグマたちを倒して!!」
一瞬の沈黙。
「……ああ」
ゼロは、短く答えた。それだけで十分だった。アルエットの顔がぱっと明るくなる。その様子を見て、ミランが一歩前に出る。
「ゼロ様!」
その声には、強い決意が込められていた。
「俺たちも戦います! 弱いレプリロイドでも、イレギュラーになった奴らなら倒せる!」
拳を握りしめる。
「一緒に戦わせてください!」
だが――
「……いらん」
即答だった。
冷たいほどに、はっきりと。
「犠牲が増えるだけだ」
ゼロは視線を上げる。
「シグマとオメガは、俺が仕留める」
その声には、一切の迷いがない。
「お前たちは、この基地を守れ。人間たちを守れ」
「……ですが……!」
ミランが食い下がる。
「全部を任せるなんて……!」
その言葉に、ゼロはわずかに目を細めた。
「エックスと約束した」
静かな声。
だが、その一言で空気が変わる。
「この世界を守ると」
シエルの胸が、強く打たれる。
「エックスは、俺に世界を託した」
その事実の重み。
「なら――応えるだけだ」
短い言葉。
だが、圧倒的だった。
「次に会う時に……恥ずかしくないようにな」
誰も、言葉を返せなかった。それは、紛れもなく英雄の言葉だった。覚悟。責任。誓い。すべてを一人で背負う者の声音。
(この人は……本当に一人で戦うつもりなんだ……)
シエルは息を呑む。シグマ。そしてオメガ。あまりにも強大な敵。
それに対して、たった一人で――
(勝てる……?)
不安がよぎる。だが、すぐに打ち消す。
(違う……信じるの)
この場の全員が、同じ想いだった。その時――甲高い警報音が、基地全体に響き渡った。空気が一瞬で凍りつく。
「な、何!?」
モニターが一斉に切り替わる。外部センサーが捉えた影。そして――
『ゼロォ!!』
通信回線を強引に割り込む、荒々しい声。
『久しぶりだなぁ!!』
その声を聞いた瞬間、ゼロの目がわずかに細められた。
『VAVAだ!!』
場がざわめく。
「VAVAだと……!?」
ゼロが叫ぶ。それを見たミランが息を呑み、シエルの背筋にも冷たいものが走る。
『表に出てこい!!』
嘲るような声。
『でなければ……この基地、片っ端から壊して回るぞ!!』
外の映像には、巨大な影が映っていた。重武装のレプリロイド。破壊の化身だ。
「ゼロ……VAVAって?」
アルエットが不安そうに見上げる。ゼロは一歩前に出た。
「シグマに付き従うイレギュラーだ」
その声は、冷静だった。だが、確実に戦闘の色が宿っている。
「守りを固めろ」
振り返らずに言う。
「俺が――仕留める」
その一言に、迷いは一切なかった。そしてゼロは、そのまま歩き出す。戦場へ。再び――戦いが始まろうとしていた。
☆ ☆ ☆
瓦礫と鉄骨の影が交錯する荒野に、重々しい駆動音が響いていた。その中心に立つのは、巨大な戦闘マシン。そのコクピットから、歪んだ歓喜を滲ませる声が響く。
(どいつもこいつも……)
VAVAは舌打ちした。
(エックス、エックス、エックス……!)
脳裏に焼き付いている。比較され続けた日々。自分の方が優れていると、何度も証明しようとした。だが――
(あの野郎は死んだ)
それも、戦いの中でではない。決着をつけることもなく。
(逃げやがったんだ……)
怒りとも虚しさともつかない感情が、胸の奥で燻っている。。だからこそ――視線の先にいる存在に、それをぶつけるしかなかった。
赤いボディ。静かに佇む戦士。ゼロ。
「久しぶりだな、ゼロ!!」
VAVAは嘲るように叫ぶ。対するゼロは、わずかに顔を上げた。
「……VAVA。このイレギュラーめ……」
低く、感情を押し殺した声。
「そうだ!」
VAVAは笑う。
「俺はイレギュラーだ! あの甘ちゃん野郎のB級ハンターとは違う!!」
拳を握り、操縦桿を叩く。
「俺が……俺こそが! 世界を変えうる存在なんだ!!」
その叫びは、半ば執念だった。だがゼロは、微動だにしない。
「……何故、シグマに付き従う?」
静かな問い。VAVAは一瞬だけ沈黙し――すぐに笑みを深めた。
「決まっているだろうが」
砲口が持ち上がる。
「それが一番……俺がエックスより優れていると証明できる、最短ルートだからだ!!」
轟音。バスターの閃光が走る。だが――ゼロはそれを、受けなかった。弾き返しもしない。ただ、紙一重で回避する。
「……はっ」
VAVAの口元が歪む。
(やはりな)
あえて観察していた。
その動き。反応速度。
そして――選択。
(今の出力じゃ、弾き返す余裕もねえか)
確信に変わる。
「哀れだなぁ、ゼロ!!」
嘲笑が響く。
「人間に尽くして、英雄なんて呼ばれて……その結果が今のお前だ!!」
だがゼロは、ただ前を見据えたまま答える。
「……俺は、自分を英雄だと思ったことはない」
一歩、踏み出す。
「だが――目の前にイレギュラーがいるなら、狩るだけだ」
その言葉に、揺らぎはなかった。
「ははっ……!」
VAVAは肩を震わせる。
「お前だってイレギュラーだろうが!!」
声を荒げる。
「聞いたぞ? お前とエックスの因縁……!」
ゼロの動きが、ほんのわずかに止まる。
「エックスを破壊するために作られた存在……それが今や英雄だとよ!!」
嘲り。
「お前の創造主も、さぞかし泣いてるだろうなぁ?」
だが――。
「知らん」
即答だった。
冷たく、切り捨てるように。
「俺を作った存在の思惑など、知ったことじゃない」
風が吹く。
金色の髪が揺れる。
「俺は……ただのゼロだ」
その目は、まっすぐだった。
「友と……友の信じたものを守る。それだけだ」
その言葉に、VAVAは一瞬だけ言葉を失う。
だがすぐに、苛立ちが上書きする。
「……くだらねえな」
肩部ユニットが展開される。ロケット弾が連続で射出された。爆炎。しかしゼロは――それすらも避ける。ギリギリで。
本当に、紙一重で。
(動きは衰えてねえ……しかし、遅いな)
VAVAは目を細める。
(だが――)
見えていた。限界が。
わずかな遅れ。
余裕のなさ。
(当たれば終わりだな)
確信する。
「いいぜ……」
VAVAは低く笑う。
「そろそろ前座は終わりだ」
機体が前進する。
「エックスのいない世界で……どっちが上か、決めようじゃねえか!!」
「……少なくとも」
ゼロは構える。
「お前が上じゃないことだけは確かだ」
その声は、静かだった。
「お前はただの――イレギュラーだ」
次の瞬間、ゼロが駆けた。
閃光のような踏み込み。
「来たな!!」
VAVAは即座にバスターを連射する。だが――当たらない。すべてを回避される。爆弾も、ミサイルも。まるで未来を読んでいるかのように。
(だが……!)
理解している。
(近づくしかねえよなぁ!?)
この装甲。
この機体。
正面からは突破できない。
だから――
「頭を狙うしかねえ!!」
VAVAは嗤う。
「分かってるぜ、その動き!!」
迎撃姿勢。
「来ると分かってりゃ、防ぐのは簡単なんだよ!!」
「……ちっ!」
ゼロの舌打ち。
その瞬間――
「終わりだ!!」
バスターが直撃コースに入る。
だが――
ゼロは止まらなかった。
閃光が、その身を貫く。
「なっ……!?」
被弾。
それでもなお、突進。
「馬鹿が……!?」
理解が追いつかない。
だがもう遅い。
赤い刃が、目前まで迫っていた。
「しまっ――」
斬撃。
衝撃。
金属が引き裂かれる音。
VAVAの機体の片腕が、宙を舞った。
「ぐっ……!」
コクピットが揺れる。
警告音が鳴り響く。
だがVAVAは――笑っていた。
「ははっ……!」
荒い息を吐きながら。
「その体で……よくやるじゃねえか、ゼロ……!」
視線の先。
ゼロは膝をつきかけながらも、立っている。
ダメージは明らかだった。
それでも倒れない。
(……なるほどな)
VAVAは目を細める。
(弱体化の理由は……分かってる)
だが――
口には出さない。
出す必要もない。
それは、いずれゼロに従う者たちに、絶望として叩きつければいい。
「いいだろう……」
機体を後退させる。
「今日はここまでだ」
爆煙の中で、機体が離脱体勢に入る。
「ここで死ぬには、まだ早え」
笑う。
「ゼロ……そしてオメガ……」
低く、愉悦を含んだ声。
「その正体を知った時の連中の顔……楽しみにしてるぜ」
推進炎が噴き上がる。
機体が空へと退く。
「次は……もっと楽しませろよ」
残響だけを残して、VAVAは去った。
静寂。
瓦礫の中で、ゼロはゆっくりと息を整える。
傷ついた体。
限界は、近い。
それでも――
「……まだだ」
小さく呟く。
その瞳に、揺らぎはなかった。
☆ ☆ ☆
モニター越しの光景に、誰も言葉を発することができなかった。
基地の中央管制室。そこに集まっている人間とレプリロイドたちは、ただひたすらに“それ”を見つめている。
荒野。
爆炎。
そして――ゼロと、謎のイレギュラー。
音声回線も開かれている。だからこそ、すべてが聞こえていた。戦闘の衝撃音だけではない。言葉も。その一つ一つが、彼らの理解を揺るがしていた。
(今の……)
シエルは思わず息を呑む。あのイレギュラー――VAVAが吐き捨てた言葉。
『あの甘ちゃん野郎のB級ハンターとは違う!!』
その一言。最初に気づいたのは、歴史を専攻する博士の一人だった。
「……今の、まさか……」
震える声。
「エックス様のことじゃ……」
誰かが、そう呟いた。
その瞬間、空気が凍りつく。
「そんな……」
「あり得ない……」
否定の声が上がる。
だが――
誰も、完全には否定できなかった。
B級ハンター。
それは記録に残っている、かつての呼称。イレギュラーハンター時代の、エックスの階級。つまり――
「知っている……?」
シエルは呟いた。
「ゼロとシグマ以外で……エックスの時代を知っている……?」
そんな存在が、今もいる。その事実が、恐ろしかった。ざわめきが広がる。
「そんなの……記録にないぞ……!」
「封印されていた個体……?」
「いや、それならどうして今……」
混乱。そしてもう一つの疑問が、浮かび上がる。
(技術……)
シエルはモニターに映るVAVAの機体を見つめる。重装甲。高出力兵装。そして、明らかに現在の主流とは異なる設計思想。
(私たちより……進んでいる……?)
そんなはずはない。本来、技術は未来へ進むほど発展する。それが常識だった。だが――
(エックスの記録も……そうだった)
過去の存在であるはずの彼の性能は、今なお規格外。そして今、目の前にいるイレギュラーもまた――
(まるで……過去の方が優れているみたいじゃない……)
その考えに、背筋が寒くなる。
さらに。
『お前とエックスの因縁……!』
その言葉。
シエルの胸が強く打たれる。
(因縁……?)
ゼロと、エックス。
対となる英雄。
それは知っている。
だが、それ以上のことは――
(何も知らない……)
モニターの中で、ゼロは何も語らない。
否定もしない。
ただ、静かに受け止めている。
それが逆に、真実味を帯びていた。
(ゼロは……知っている)
あのイレギュラーも。そして、ゼロ自身も。過去を。真実を。
だが――。
『俺はただのゼロだ。友と、友の信じたものを守るだけだ』
その言葉が響く。
シエルは、思わず目を閉じた。
(……やっぱり)
本人は否定するだろう。
だが――。
(それでも……あなたは英雄よ)
心の中で、そう呟く。
次の瞬間。
戦闘が激化した。
爆発。
閃光。
VAVAの攻撃は苛烈だった。
近づかせない。徹底して、距離を維持する戦い方。
「……あれ」
ミランが眉をひそめる。
「やけに……戦いやすそうに見えるな……」
その言葉に、数人が頷いた。違和感。それは確かにあった。まるで――今のゼロが弱いことを、前提にしているみたいな……。
シエルの中に、嫌な予感が広がる。
(どうして……?)
過去に何があったのか。
ゼロに。
エックスに。
そしてあのイレギュラーに。
(分からない……)
分からないことだらけだった。だが――それでも。視線はモニターから逸らせない。ゼロが戦っている。自分たちのために。だから――。
信じるしかない。誰もが無言で拳を握る。祈るように。その時だった。ゼロが動いた。弾幕の中へ――踏み込む。
「ゼロ!?」
誰かが叫ぶ。銃撃が直撃する。赤い装甲が弾ける。
「やめて……!」
シエルの声が漏れる。
だがゼロは止まらない。
そのまま突進し――
閃光。
次の瞬間、VAVAの機体の片腕が宙を舞った。
「やった……!」
歓声が上がりかける。
だが――
敵は退いた。
『オメガ……』
去り際に残された言葉。
その名に、空気が再び張り詰める。
(オメガ……)
シエルの胸がざわつく。
嫌な予感。
だがそれを考えるより先に――
「ゼロが……!」
ミランの声。
モニターの中で、ゼロがよろめいていた。
限界は明らかだった。
シエルは立ち上がる。
「ミラン!」
叫ぶ。
「急いでゼロを救助しに向かって!! 早く治療しないと!」
「分かった、シエル!!」
ミランは即座に駆け出す。
その時――
「待て!」
一人のレプリロイドが声を上げた。
「レプリロイドは待機だ! イレギュラーウイルスの可能性がある!」
場が一瞬、止まる。
「人間が行くべきだ!」
その判断は、正しかった。
だが危険でもある。
それでも――
「行きます!」
「俺も!」
若い人間たちが次々に手を挙げた。
迷いはなかった。
「護衛は私がつくわ」
静かな声。
振り向けば、レヴィアタンが立っていた。
その存在に、緊張がわずかに和らぐ。
「……お願い」
シエルは強く頷いた。
救助隊が出発する。
その背中を見送りながら――
シエルは再びモニターへと視線を向けた。
そこにはもう、戦場の残骸しか映っていない。
静寂。
だが、心は静まらなかった。
(……どういうことなの)
疑問が渦巻く。
あのイレギュラーの言葉。
エックスの過去。
ゼロとの因縁。
そして――
(どうして……ゼロをイレギュラーと呼んだの?)
その一点が、強く引っかかる。
ゼロは否定しなかった。
ただ、受け流した。
(まさか……)
嫌な想像が頭をよぎる。
だが――
(……確かめないと)
これは、放置していい問題ではない。
知らなければならない。
ゼロの過去を。
真実を。
シエルは静かに拳を握った。
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