転送の光が収束し、足元の床が実体を持った瞬間、ゼロはゆっくりと周囲を見渡した。
――ネオ・アルカディア。
かつて人類とレプリロイドの理想郷として築かれたはずの場所は、今や荒廃と混乱に満ちていた。壁面は焼け焦げ、通路には瓦礫が散乱し、遠くからは断続的な爆発音と断末魔が響いてくる。
「……やはり、か」
小さく呟く。予想通りだ。シグマは舞台を整えている。いつものように一番後ろにいるのだろう。きっと間にVAVAやオメガを置いて……一対一で。
(いいだろう……乗ってやる)
ゆっくりと歩き出す。足音が静かに廊下へと溶けていく。
進む先には、逃げ遅れたレプリロイドたちがいた。だが、その瞳は既に濁っている。赤く染まった視界、歪んだ動作――イレギュラー化が進行している証だ。
「……」
一瞬だけ、足が止まる。だが、迷いはない。セイバーが閃く。光の軌跡が走り、レプリロイドたちは一瞬で機能を停止する。苦しむ時間すら与えない、一撃。
「……すまん」
それだけを残し、再び歩き出す。
斬って、進む。
斬って、進む。
その繰り返し。
やがて、周囲の気配が変わった。空気が重くなる。まるで空間そのものが圧し潰されるような圧迫感。ゼロは足を止めた。目の前には巨大な隔壁。そして、その奥から感じる――異様な存在感。そして懐かしい感覚。
「……ここか」
セイバーを構える。次の瞬間、隔壁が轟音と共に開いた。そこにいたのは――
「……オメガ」
巨大な拘束具に縛られたまま、それでもなお圧倒的な威圧感を放つ存在。そして、どこからともなく響く声。
『クックック……よく来たな、ゼロ』
「……シグマ」
『どうだ? 自分の手で、何体ものレプリロイドを壊した気分は? 気持ちいいか?』
嘲るような声。
だがゼロの表情は変わらない。
「……俺は悩まない。目の前に敵がいるなら、斬る。そしてオメガとお前は俺の敵。それだけだ」
『ハハハッ! いいぞ、それでこそお前だ!』
笑い声が空間に反響する。
『さあ、見せてみろ! 本物と戦う気分をな!』
その言葉と同時に、オメガが、動く。
直後――
閃光。
三連のレーザーが一直線に放たれた。
「……遅い」
ゼロは低く呟き、体を滑らせるように動かす。光が頬をかすめ、背後の壁を焼き払う。そのまま一気に踏み込む。
間合いを詰める――が。巨大な腕が視界を覆う。
「……!」
叩き潰すような一撃。ゼロはわずかに身をひねり、紙一重で回避。そのまま腕の内側へ潜り込む。
「はあっ!」
セイバーが閃き、オメガの胴体へ叩き込まれる。
――硬い。
金属同士がぶつかる重い音。刃が弾かれる。
「……やはり、か」
すぐに距離を取る。
牽制として左腕でバスターを放とうと思い……気が付く。今の自分の体にそんな機能はない。所詮は劣化したレプリカボディ。あの頃の俺とは違う。ならセイバーと体を使って戦い抜く。それだけだ。
そう考えていると次の瞬間、巨大な剣が横薙ぎに振るわれた。空気が裂ける。ゼロは後方へ跳び、衝撃波を避ける。
(出力は高い……だが)
構え直す。
(動きが鈍い)
踏み込む。再び間合いへ。オメガの拳が振り下ろされる。
「……!」
あえて正面から自分の小さな拳をぶつけた。衝撃。だがゼロはその力を利用し、体を流すようにして側面へ回り込む。
バランスを崩したオメガの隙――
「そこだ!」
セイバーを振り抜く。
装甲の継ぎ目。わずかに柔らかい箇所へ、正確に。
火花が散る。
確かな手応え。
『クックック……いいぞゼロ!』
シグマの笑い声が響く。
『だが、それで終わると思うなよ?』
「終わらせるさ」
短く言い放つ。
息は乱れていない。
体は軽い。
――この程度なら、問題ない。
(この体でも、戦える)
確信する。
たとえこれが、本来の自分の体ではなくとも。
たとえ劣化したレプリカであろうとも。
(関係ない)
再び踏み込む。オメガの攻撃をかいくぐり、懐へ潜り込む。斬る。避ける。叩き込む。その繰り返し。巨大な剣が振り下ろされる。拳が迫る。
だが――
「……遅い」
すべて、見えている。
すべて、捌ける。
そして確実に、ダメージを積み重ねていく。
時間の問題だ。
(第一形態……この程度か)
セイバーを構え直す。
視線の先には、なおも動き続けるオメガ。だが、その動きにはすでに乱れが見え始めている。
「終わらせる」
静かに告げる。その声には、一切の迷いがなかった。
(俺は負けない)
エックスの姿が脳裏をよぎる。託されたもの。守るべき世界。
(全部、背負う)
踏み込む。
光が走る。
戦いは、まだ終わらない。
だが――
勝利は、すでに見えていた。
☆ ☆ ☆
ゼロ様を見送ってから、どれほどの時間が経ったのだろうか。
基地の中は、静かでありながら落ち着きのない空気に包まれていた。誰もが持ち場についている。武装の点検を繰り返す者、回線の監視に集中する者、ただじっとモニターを見つめる者――。だがそのどれもが、同じ感情を共有しているのが分かった。
不安と、祈り。
そして――無力感。
ミランは壁際に立ち、腕を組みながらその光景を見ていた。
(……俺たちは、結局何もできないのか)
胸の奥で、鈍い痛みのような感情が広がる。エックス様の時もそうだった。誰もが頼り、背負わせ、そして最後は――
首を横に振る。
(違う。今は考えるな)
だが思考は止まらない。
ゼロ様にすべてを任せている。シグマも、オメガも、VAVAも。あまりにも重すぎる役目だ。それでもあの男は、一人で行くと言った。
そして、それを認めたのは自分たちだ。
(……これでいいのかよ)
拳を握る。その時だった。
――警告音。
モニターが一斉に明滅する。
「な、なんだ!?」
「回線が……侵入されてる!」
技術班の叫び声が響く。だが対処する間もなく、メインモニターが切り替わった。映し出されたのは――
「ゼロ様……!」
ネオ・アルカディア内部。瓦礫と炎に囲まれた空間に、紅い装甲の戦士が立っている。
その先には――巨大な影。
『……オメガ』
ゼロ様の低い声が、スピーカー越しに響いた。その名前を聞いた瞬間、室内の空気が凍りつく。
(あれが……オメガ)
かつて世界を破滅へ導いた存在。その威圧感は、画面越しですら伝わってくる。
『クックック……よく来たな、ゼロ』
『……シグマ』
次いで響く声。耳障りな、嘲笑を含んだ声音。
『どうだ? 自分の手で、何体ものレプリロイドを壊した気分は? 気持ちいいか?』
ざわめきが広がる。それは、この場にいる誰もが恐れている問いだった。自分たちも、いつかそうなるのではないかという恐怖。
だが――
『……俺は悩まない』
ゼロ様の声は、揺るがなかった。
『目の前に敵がいるなら、斬る。そしてオメガとお前は俺の敵。それだけだ』
一切の迷いも、躊躇もない断言。それを聞いた瞬間、ミランの胸の奥で何かが灯った。
『ハハハッ! いいぞ、それでこそお前だ!』
シグマの笑いが響く。
『さあ、見せてみろ! 本物と戦う気分をな!』
本物――。
その言葉に、何人かが息を呑む。
(本物って、どういう意味だ……?)
疑問は浮かぶ。だが、それを考える余裕はすぐに奪われた。
オメガが動いた。
閃光。
三連のレーザーがゼロ様へと放たれる。
「……っ!」
誰かが声を上げる。
だがゼロ様は、まるで予測していたかのように動いた。ジグザグに踏み込み、光の軌道をかすめながら一気に距離を詰める。
(速い……!)
ミランの目には、残像しか見えない。
次の瞬間、巨大な拳が振り下ろされる。
だが――
ゼロ様は逃げなかった。
真正面から拳を合わせる。
「なっ……!?」
衝突の瞬間、体勢を流し、そのまま懐へ潜り込む。
そして、セイバーが閃いた。
火花が散る。
確実にダメージを与えている。
「すげえ……」
思わず、声が漏れる。
同じ動きができるかと問われれば――答えは否だ。
ミュートスレプリロイドたちでさえ、無言で見入っている。彼らの高性能な演算能力をもってしても、あの動きは再現困難だと理解しているのだろう。
ふと視線を横にやる。
ファーブニル様は、口元に笑みを浮かべていた。楽しそうに、まるで自分が戦っているかのように。
レヴィアタン様は両手を組み、静かに祈るように目を閉じている。
そして――
ハルピュイア様。
その表情は、険しかった。
「お前たち!!」
鋭い声が響く。
全員が振り向く。
「ゼロ様の戦いに何を見入っている! これはシグマが見せている戦いだ! 罠である可能性が高い、警戒を怠るな!!」
その一喝で、空気が引き締まる。確かにそうだ。これはただの中継ではない。
――見せつけられているのだ。
その時だった。
『クックック……安心したまえ』
再び、シグマの声が割り込む。
全員の動きが止まる。
『エックスの四天王よ。私はゼロが息絶えるまで、お前たちに手を出すつもりはない』
ざわめきが走る。
『なぜなら――その瞬間を見せたいからだ』
愉悦に満ちた声。
ミランの背筋に寒気が走る。
「……ちっ」
ハルピュイア様が舌打ちした。
「貴様が割り込めるということは……いつでもシグマウイルスを撒けるということか」
その言葉に、周囲のレプリロイドたちが一斉に動揺する。イレギュラーになる恐怖。それは死よりも重い。
『ふん……シグマウイルス、か』
シグマは鼻で笑った。
『そんなものより、もっと良いものを用意している。絶望という名のな』
沈黙。
『さて……耐えられるかな?』
そこで、通信は途切れた。
静寂。
誰もが言葉を失う。
だが――
「……見ろ」
ミランが呟く。
再び、視線がモニターへ戻る。
そこでは――
ゼロ様が、戦っていた。
オメガの攻撃はことごとく空を切る。
巨大な剣、拳、レーザー。そのすべてを紙一重でかわし、確実にダメージを与えている。ヒットアンドアウェイ。だがその動きには、一切の無駄がない。
(勝てる……)
自然と、そう思えた。
いや、そう信じたかった。
この場にいる全員が、同じ思いだっただろう。
シエルの隣に立つ。
彼女は静かに手を組み、画面を見つめている。
「……勝てるよな」
思わず、口に出た。
シエルは一瞬だけこちらを見て、そして小さく頷いた。
「ええ……彼なら」
その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
ミランは再びモニターを見る。
紅い閃光が、巨大な影を切り裂いていく。
(ゼロ様……)
祈る。
ただ、祈るしかない。
それでも――
(今度は、間違えない)
エックス様の時とは違う。
ただ任せるだけじゃない。
自分たちも戦う。
守る。
支える。
その決意を胸に、ミランは画面を見続けた。
英雄の戦いを。
そして、その先にある未来を。
☆ ☆ ☆
「この程度か、シグマ?」
吐き捨てるように言いながら、ゼロはセイバーを振り下ろした。眼前では両腕を斬り落とされたオメガが、なおも不気味に佇んでいる。巨体の奥から漏れ出す光は、まだ消えていない。終わっていない――直感が告げていた。
『さすがだ、さすがだ、ゼロ!! よく戦って見せた!』
頭上から響く嘲笑。シグマの声だ。どこにいるか分からない、だが確実に見ている。
『おかわりの時間だ!! 第二形態に勝てるかな?』
次の瞬間、地鳴りが走った。
いや――違う。地面そのものがうねり、歪み、崩れ始めている。オメガを拘束していた装甲が軋みを上げ、ひとつ、またひとつと外れていく。
赤黒い光が溢れ出す。
そして――現れた。
先ほどとは比較にならない巨体。人型の輪郭を辛うじて保ちながらも、もはや兵器というよりは災厄そのものだ。無数の発射口、巨大化した刃、そして異様なまでのエネルギー反応。
(……第二形態か)
ゼロは構え直す。だが、恐怖はない。
むしろ――冷静に分析する。
(大きすぎる)
距離が近い。この空間でこの巨体は、明らかに不利だ。動きは鈍る。攻撃の軌道は読みやすくなる。
対多数殲滅用。広域破壊用。
だが――対個体戦では。
「……鈍いな」
呟き、踏み込む。
その瞬間、無数のレーザーが放たれた。近距離にも関わらず拡散する光線。しかも軌道修正――ホーミング機能付き。
普通なら逃げ場はない。
だがゼロは違う。
走る。跳ぶ。踏み切る。軌道の兆しを読み取り、最短距離で抜ける。光がかすめる。装甲が焼ける。だが止まらない。
セイバーが唸る。
オメガの腕部をかいくぐり、胴体へ斬撃を叩き込む。重い手応え。だが効いている。
『いいぞ、いいぞ!! その身で感じろ!! 絶望を!!』
「黙れ」
短く返す。
床が崩れる。足場が消える。だが問題ない。落下しながら壁を蹴り、再び跳ぶ。空間を利用し、死角へ回る。
オメガが巨大な刃を振り下ろす。遅い。
その内側へ滑り込み、さらに一撃。
閃光。
爆音。
巨体が揺らぐ。
(やはりだ)
確信する。この形態は脅威ではない。出力は高い。だが制御が粗い。機動性が死んでいる。
ならば――削るだけだ。
時間をかけてでも。
確実に。
『クックック……冷静だな、ゼロ。自分の体がどれほど脆いか、理解していないのか?』
シグマの声が粘つく。
『その体で、よくそこまで動けるものだ。本来なら一撃で終わるというのに』
ゼロは応じない。
ただ走る。
ただ斬る。
ただ避ける。
それだけでいい。崩落する足場を飛び越え、壁面を蹴り、オメガの顔の一つへと到達する。
そして――
「終わりだ」
三連撃。
ほぼ同時に叩き込まれた斬撃が、装甲を貫き、内部へと到達する。
一瞬の静止。
次いで――爆発。
光が弾け、巨体が崩壊していく。支えを失った構造体が連鎖的に崩れ落ち、ゼロはその中を抜けるようにして地表を離脱した。
落下。
そして――着地。
地下空間。瓦礫の上に立ち、ゼロはゆっくりと息を吐いた。
静寂。
だが――終わっていない。
空気が、重い。
残滓が脈打っている。
(……まだ奥がある)
感じる。これは外角だ。外側に過ぎない。
核は――さらに深くにある。そう、百年前エックスとともに戦った、敵の真の姿が目の前に現れる。
『見事だ』
シグマの声が、先ほどとは違う響きを帯びて降りてくる。
『実に見事だ、ゼロ』
嘲笑ではない。明確な評価。
『第二形態をこうもあっさり攻略するとはな。やはり経験か、それとも――』
わずかに間を置き、声が歪む。
『その偽物の体で、ここまでやる執念か』
ゼロは目を細めた。
だが何も言わない。
『クックック……分かっているのだろう? 今のお前がどれほど歪な存在かを』
低く、囁くように。
『本来の力を持たぬ体。人間に奪われ、削ぎ落とされ、それでもなお戦う』
嘲りのはずの言葉が、奇妙に熱を帯びていく。
『称賛しよう、ゼロ』
はっきりと。
『その劣化した偽物の体で、ここまで戦い抜くとは……お前は滑稽で、そして――見事だ』
ゼロはセイバーを構え直す。
「……まだ終わりじゃないんだろう」
『ああ、当然だ』
シグマは笑った。
『本番はこれからだ。次は逃げ場もないぞ、ゼロ』
空間の奥で、何かが蠢く。
重く、深く、禍々しい気配。
まるで――心臓の鼓動のように。
(……来るか)
ゼロは一歩、踏み出した。
偽物の体でも構わない。
この剣が振るえる限り――
すべてを斬るだけだ。
次回、VSオメガ2