正直に言ってしまえば
あの人が、よく分からない
――水瀬明人
スクールアイドルクラブの顧問
それなのに、何も教えない人
◇
梢「もう一回、合わせましょう」
レッスンルームに響く、乙宗先輩の声
鏡越しに見えるのは、息を整える花帆さんと、少しだけ遅れて動きを確認する綴理先輩
花帆「はい!」
花帆さんの返事は相変わらず明るい
綴理「うん」
綴理先輩は短く頷く
乙宗先輩が曲を流す
扉がガチャリと開いた音がした気がした
◇
練習の合間
水を口に含みながら、ふと視線を外す
扉の近く
黙ってレッスンルームを見渡す人
――あの人だ
壁に寄りかかって、腕を組んで
ただ、見ているだけ
何も言わない。指示も出さない。表情すら、大きく変えない。思えば大きく表情が動いたのなんて、先輩方と話してる時だけな気がする
さやか「……」
視線に気づいたのか、ふと目が合う
そのまま、軽く顎で示された
続けろ、とでも言うように
反射的に視線を逸らす
さやか(……なんなんですか、あの人)
◇
花帆「ねえさやかちゃん!」
隣に座ってきた花帆さんが、タオルで汗を拭きながら笑う
花帆「センセイ、見てたね」
さやか「……見て、ましたね」
花帆「なんかちょっと緊張しない?」
さやか「……正直に言うと、します」
少しだけ声を落とす
さやか「でも、何も言ってきませんよね」
花帆「ね!」
即答だった。迷いが一切ない。乙宗先輩に何か教えてもらったのだろうか
さやか「それって、いいことなんですか?」
思わず聞いてしまう
花帆さんは少しだけ考えて――
花帆「うーん……分かんない!」
にこっと笑った
花帆「でもね」
そのまま、まっすぐこちらを見る。
花帆「見てくれてるって、分かるから。……ごめんね、うまく言えなくって」
さやか「……」
花帆「でもね、だからかな?もっとできる!って思っちゃうんだ。えへへっ」
あまりにも真っ直ぐな言葉
少しだけ、息が詰まる
花帆「それにねそれにね!沢山褒めてくれるの!」
さやか「なんなんですか、その理由」
花帆「えー!梢センパイはこれでいいって言ってくれたよ!」
頬を膨らませ、花帆さんらしい大きな動作が少し気分を和らげる
さやか「ふふっ」
単純な
本当に、単純な理由
◇
綴理「さや」
呼ばれて振り向く
綴理先輩が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた
さやか「綴理先輩。どうかされました?」
綴理「アキ、どう思う?」
さやか「……どう、とは」
綴理「変?」
考えてもいなかった問いかけに思わず言葉に詰まる
さやか「……正直に言うなら、はい」
綴理「そっか」
綴理先輩は、特に驚いた様子もなく頷く。それがまるで普通かのように
綴理「でもね」
一歩、こちらに近づいてくる
綴理「きっと、ちゃんと見てるよ」
さやか「……」
綴理「さやが、どこで迷うかも。どこで止まるかも。どこで、決めるかも」
淡々とした声
だけど、不思議と軽くは聞こえない
さやか「……なんで分かるんですか?」
綴理「アキだから。……たぶん。さや、わかる?」
それは即答だった
さやか「っ……わたしに分かるわけないじゃないですか」
理由になっていないのに。なぜか、それ以上聞けなかった
◇
その日の帰り道
昇降口で靴を履き替えていると――
明人「お疲れさん」
声が落ちてきた
思わず顔を上げる
そこにいるのは、やっぱりあの人
さやか「……お疲れ様です」
少しだけ間を置いて返す
明人「どうだった」
さやか「え?」
明人「今日の練習」
何気な問い
けれど
さやか「……まだ、わたしは足りないと思います。綴理先輩や乙宗先輩は勿論、同級生である花帆さんにも追いつけているかどうか……。でも……っ……」
答えは自然と口から出ていた
明人「へえ」
興味があるのかないのか分からない相槌
明人「でも、何だ?」
さやか「……動きの精度もそうですけど、それ以上に……」
一瞬、迷う
けれど
さやか「……まだ、揃っていない気がします。……すみません。それ以上は、わからないです」
明人「そうか」
短い返事。それ以上、何も言ってない。評価も、否定もない
沈黙が落ちる
さやか(……何か、言ってください)
そう思った瞬間
明人「じゃあ」
先に口を開いたのは、あちらだった
明人「どうする」
さやか「……え」
明人「揃ってないなら」
少しだけ視線を向けられる
さやか「……」
明人「やり方は?」
試すようでも、教えるようでもない声
ただ、問いだけが投げられる
答えは、ない。自分で出せ、ということか
さやか「……考えます」
絞り出すように言葉を繋ぐ
明人「そうか」
それだけ言って、視線が外れる
会話は終わり
まるで、最初からそれだけでよかったみたいに
最後、最後の一瞬、先生の口角が上がったような気がした
◇
帰り道、一人で歩きながら、さっきのやり取りを反芻する
何も教えない
でも、見ている
問いだけを投げてくる
さやか(……不親切な人)
小さく息を吐く
さやか(……でも)
足を止める
ふと思い出す
さやか「……どうする」
あの一言
あれは丸投げだったのか
それとも
さやか「……」
少しだけ、考える
そしてまた小さく息を吐いて、また歩き出す
さやか(……もう少しだけ)
視線を上げる
さやか(見てみましょうか)
みんなが、あの人を信頼する理由を
◇ ◇ ◇ ◇
レッスンルームから少し漏れる重低音に揺らされながら扉を開く
明人「おーっす。っ……」
流れている曲を理解した瞬間、体が固まる。目の前で踊る梢と綴理から目を離せない
梢・綴理「We’re like rose madder
Just burning up my heart
色濃く染めるこのステージ
もう惜しみなく 全て解き放つ
序章に過ぎない
We’re like rose madder
Just believe in myself
君となら最高を迎えに行ける」
綴理「始めようか」
梢「わたしのReason to live」
綴理・梢「照らしてどこまでも
熱く Rose madder…」
凄いパフォーマンスなはずなのに、何か足りない
梢「……」
綴理「……」
花帆「も、もしかしてまだダメなパターン……?」
さやか「で、ですかね……」
花帆「不味いよ!また失敗だよ!」
さやか「早急に次の手を打たなくては……」
明人「梢、綴理、集中」
梢「っ先生……!」
明人「……集中」
梢・綴理「はい!」
明人「……その曲、やるんだな」
綴理「やるよ。さやとかほが、繋ごうとしてくれたんだ。だから、やる」
梢「水瀬先生が何を言おうと私たちはやります。後輩が私たちの為に頑張ってくれたんですから」
明人「止めねえよ」
綴理「そうっ……だね……。アキは、止めない」
梢「綴理、もう一度よ」
明人「休憩」
梢「……はい」
珍しい事をした自覚はある
……らしくないなとも思いはした
明人「……怪我だけは、せんといてや」
少し、場が凍った気がした
梢「……」
花帆「梢センパイ……?」
梢「っいえ、水瀬先生も言っていることだし休憩にしましょう」
休憩を取らせると日野下が梢と綴理の仲を深めようと、2人でお祭りの手伝いにいくよう話を進めていく。
そして2人はお祭りに行くことになる
◇
花帆「お、落ち着いた?さやかちゃん」
さやか「すみません……」
やってしまった……
綴理先輩を心配するあまり花帆さんに迷惑をかけてしまうなんて……
花帆「あ〜んもう、暗い雰囲気やめて〜!明るい話しよ!今日の練習の話とかさ!」
さやか「今日の練習……」
頭の中に今日の練習が流れていく
さやか「……水瀬先生は、何がしたいのでしょう」
花帆「センセイ?今日は何かしてたっけ?」
さやか「何も。……いえ、珍しく休憩の指示を入れてました」
花帆「あれって珍しいの?」
さやか「えっ……?」
思わず言葉が止まる
珍しいに決まっている。今までの全体練習でもユニット練習でも、あんな指示を出してきたことはない
花帆「あたしよく言われるよ?怪我するぞーって」
さやか「そう……なんですか……」
花帆「でも今日のセンセイはいつもより言い方が厳しかった気がする……」
さやか「普段は?」
花帆「いつもはね、タオルとお水持って、お話しよーって言って休憩取らせてくれるの。でね、いっつも話してるよ。怪我しないでほしいって」
にこにこと話していた花帆さんの表情が少し硬くなる
花帆「何かさ、そこだけ凄く真剣なんだよね。先月あたしを庇って梢センパイが怪我した話の時も、すごく。ちょっと……怖かったな……」
さやか「……怪我………」
その言葉で何かがひっかかる
ーー怪我
そうだ、先輩だ。この間乙宗先輩が話していた、活動を休止している先輩
さやか「そういえば、クラブの先輩にもいましたよね?」
花帆「え?……あ、うん。言ってた」
さやか「だからあんな言い方を……?」
花帆「……」
少しだけ、花帆さんの表情が揺れる
花帆「……さやかちゃんってさ、もしかしてセンセイのこと、信用してない?」
さやか「えっ……いやっそんなことは……」
花帆「いやいや、責めてる訳じゃなくてね?梢センパイも言ってたし、最初は信じきれなかったって」
さやか「そう、ですか……」
乙宗先輩も、綴理先輩と同じ……
さやか「……やっぱり、分からない」
花帆「さやかちゃん?」
さやか「いえ、取り合えず今はいいです。それより振り付けを考えましょうよ。先輩達に早く見せられるように」
花帆「うん!あっそうだ!決めたよさやかちゃん!あたしたちのライブでセンセイを笑顔にしよう!」
さやか「また急な……」
花帆「センセイあんまり笑ってくれないんだもん!あたしたちがセンセイに笑顔の花を咲かせるの!」
さやか「ふふっ、なら頑張らないとですね」
花帆「うん!」
花帆さんの笑顔が、また気分を和らげてくれる
まだ……
だけど
綴理先輩が信用してると言うならーー
……今はそれでいい
いつか
綴理先輩のようになれたのなら
わかるのだろうか
◇ ◇ ◇ ◇
明人「ふっ……揃ってんじゃん」
2人が手伝いから帰ってきた翌日、屋上での練習を陰から眺める。結果から言えば完璧。思わず笑いが溢れるほどだ
沙知『あー、二年の乙宗梢。乙宗梢。生徒会室まで来てください。いじょー』
明人「沙知……?」
放送のままに流され、生徒会室の前まで来る
沙知「梢、君にスカウトが来てるんだ」
明人「っ!」
スカウト
……いつも間が悪い。いつも、いつも。嫌なタイミングでしか来ない
梢「そうですか」
沙知「分かってたって顔だねぃ」
梢「ええ、まあ……少し」
沙知「そうか。受けるも断るも君次第だ。ただ、その学校はラブライブ!決勝の常連校。優勝を目指すなら……」
梢「沙知先輩」
沙知「そうか、そうだね。分かった。そう返しておくよ」
梢「ありがとうございます」
扉の影に身を隠し、生徒会室から出てくる梢の目から逃れる
そのまま、窓から見える景色をじっと眺めてしまう
明人「……日野下、村野、頼むぞ」
沙知「せーんっせ」
突然話しかけてきた沙知に、少しだけ体が浮く
明人「……なんや、気づいとったんか」
沙知「まあ。……大丈夫ですかね、梢」
明人「大丈夫だ。今は、2人じゃない」
沙知「そうだと……嬉しいなぁ」
明人「戻ってきた以上、もう失わない」
沙知「明人先生がそんなこと言うなんて、珍しいねぃ。いつもはーー」
明人「変わってないよ」
沙知「……なら良かったです」
屋上に向かって足を動かす
沙知「先生」
明人「……どうした?」
沙知「顔。綴理が怖がりますよ」
明人「っ……ああ」
沙知「……」
笑顔を見せ、今度こそ屋上に向かう
ちゃんと、笑えただろうか
◇
明人「……揃ってない」
生徒会室から戻ってきた梢と綴理のパフォーマンス、それは全くの別物になっていた。
揃っていたはずの呼吸が、外れる
合っていたはずの目線が、逸れる
最初より……いやもっと悪くなっている
綴理「ごめんね。もう少しでうまくできるようにする……」
明人「梢、綴理」
梢「先生……」
綴理「アキ、来てたんだ」
明人「さっきの、見てたぞ」
梢「……酷いものを、見せてしまいましたね」
梢の視線が揺れる
なにかを隠すように
明人「梢、この曲を完成させたいか?」
梢「っそれは勿論です!」
明人「綴理、足りないものはわかってるな」
綴理「……うん」
明人「ならいい。杞憂だったみたいだな」
綴理は分かってる。なら、それでいい
梢「っ……」
綴理「そう、だね……」
後ろを振り返り、階段に向かって足を進める
さやか「っ待ってください!」
明人「!」
思わず足を止めてしまう
予想外だった
村野が止めてくるとは思っていなかった
明人「……何か?」
さやか「っ先生は、この状況を見て何も思わないんですか!?綴理先輩に!乙宗先輩に!」
少し後ろを振り返る
そこには少し目の潤んだ村野の姿があった
さやか「こうしろって……ああしろってっ……言わないんですか……!?助けようと思わないんですか!?っそれが教師じゃないんですか……!!」
花帆「さ、さやかちゃん……!」
明人「そんなん、俺に言われんなま……!っ……!!」
言葉が数珠つなぎになって溢れそうになるのを、下唇を噛んで、噛み殺す
小さな声は誰の耳にも入ることなく、中庭の静けさに吸われていく
気がつけばミサンガを強く握っていた
明人「っ……言えないんだよ」
思わず返しが適当になってしまう
それを聞いた村野の目にはまた怒りが浮かぶ
さやか「何かっ……何か言わないんですか……!!」
今度は村野の目が少し潤んでいる。答えを欲しているのは分かった
明人「ないと言ったら嘘になる」
さやか「ならっ……!!」
一瞬顔に希望が戻る
明人「……少しだけだ」
さやか「っ!」
明人「いいか、村野。俺じゃない。あいつらが見るべきなのは、俺じゃないんだ」
さやか「えっ……」
次は振り返らない
綴理「アキも言ったもんね。うん、わかった。やっぱり……はっきりさせる」
明人「強いな、綴理は」
振り返らず、4人の耳に入らないよう呟く
梢と綴理の言い合い。……その気配を背に階段へと歩き出す
◇
明人「梢、まだ残ってたのか」
梢「水瀬先生……」
あれからすっかり日も落ち、ほとんどの生徒は寮へと戻っていった。4人を除いて
明人「綴理も残ってるんだろうな。……2人もか。はぁ……」
梢「先生、迷いは……晴れました」
明人「!!」
梢の目はまっすぐとしていた
迷いのない、まっすぐとした目
梢「大丈夫です。ちゃんと、ぶつけてきます」
明人「そう、か。行ってこい」
梢「はい!」
もう、壊れない……
大丈夫と言う梢の言葉がどうしても耳に残る
明人「ははっ……日野下花帆、村野さやか。そうか。お前らか……」
◇
梢と綴理の本音をぶつけ合い。俺は……遠くから見守ることしか出来なかった。あと一歩、近づけたような気もする。でも
ーー足が動かない
失わないと誓った2人に近づけない
近づいて傷ついてしまうのが嫌だった
慈の大好きなスクールアイドルクラブで
梢「……ふふっ」
明人「!!」
梢がこちらを見て、ドヤ顔をしたような気がした
機械音痴のクセに……不器用なクセに……
明人「梢、お前も……強くなったんだな」
右手首のミサンガを、少し強く握る
◇ ◇ ◇ ◇
さやか「……」
先輩たちの問題は解決した
なのに、わたしには妙な引っかかりが残る
さやか(あれが……答え……)
胸の奥がざわつく
教師なのに、なにも教えなかった
知っているはずのに、答えなんて言っていなかった
それでもーー
さやか(……進んでいる)
事実だけが、そこにある
さやか(本当に、不親切な人)
小さく息を吐く
さやか(でも)
ゆっくりと視線を上げる。そうすると、先生が居たあの場所が思い浮かぶ
先生はひとり、先輩方を見つめていた
でも少し、恐怖に震えていたような気もした
なのに、安心したような……嬉しそうな顔をしていた
あの瞬間だけ、先生の中の傷が見えた気がした
さやか(……今は、怖いな)
あの人のやり方も
あの表情の理由も
あの人の中にある、数え切れないほどの傷も
さやか(やっぱり、苦手かも)
綴理先輩は、いつかわかると言っていた
綴理先輩が信頼する理由
少し気になってしまう
さやか(綴理先輩のようになれた、わかるのかな)