クソボケ英雄と置いてけぼりの仲間たち   作:宇後筍

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以前書いていたもののリメイクです。
途中までは同じ内容になる予定です。


英雄ガリアンはいかに孤立を極めたか

「お前らはクビだ。二度と俺の前に顔を出すな」

 

 《厄介払い(グッド・リダンス)》の長、ガリアンは仲間たちを路傍の石くれでも眺めるようにしてそう言った。その蒼色の瞳の中で炎のように揺らめく魔力とは裏腹に、ただ決まりきったことを言うような落ち着いた口調だった。

 

「ガリアン……一党に関わる重要なことは我ら四人で話し合って決めル——そういう約束じゃなかったノか」

 

 魔術師の《掠れ声(ウィスパー)》ラージルが咎めるように言う。常日頃密かに詠唱をしているためか、呼吸の間を掴ませないような静かな口調だ。

 

 目深に被ったフードからはその表情は窺い知れない。例え他人がその下を覗き見たとしても、鱗に覆われた蜥蜴人の面相から感情を読み取れる者はそういまい。

 

 しかし、それでも余人がそうと理解できる程度には彼は激怒していた。しゅう、と細い擦過音が吐息に混じる。

 

 ラージルの生まれた蜥蜴人の里は既に(ほろ)びている。広がり続ける霧の中に沈み、最早住むことは適わない。ごく少数の生き残りが半ば迫害されながら必死でこの時代を生きている。

 

 故郷はなく、散り散りに逃げた同族の数は数えるほど。中には同じ人類種でありながらヒトとして扱われず見世物小屋に売り払われた者もいる。ラージルもまた、非合法の奴隷商に捕まって隷属を強いられていた。

 

 見世物として同族の尻尾が切り落とされるのを彼は何度も見てきた。それに対して抗うことのできない己の力の無さを悔い、そして一時はヒトという種全てを憎みもした。

 

 己の枷を壊し、蜥蜴人の境遇に憤ってくれるガリアンの存在が彼にとって振り上げた拳を収める理由になったことは間違いない。

 

 対等な仲間として受け入れられたことがどれほどの救いとなっただろうか。『ヒトモドキ』と蔑まされることなく背を預けられることがどれほどの奇跡の中に存在しているだろうか。

 

 鱗に覆われた同族にはない、その背の暖かさこそが彼にとって守るべきものだったはずだ。

 

 

「そうよ!!『契約は銀より重い』でしょうが!!」

 

 直情的な《溢し屋(スプリッツァー)》ルルノアも樽ジョッキを机に打ち付け、怒りを露わに立ち上がる。元はそれなりに大店の宝石商の娘だっただけに、故事を引用しての揶揄には知性を感じさせる。ただ惜しむらくは気に入らないからと許嫁を半殺しにしたほどの癇気持ち。今もお得意の膂力でジョッキを粉砕し、持ち手だけを振り回していることに気付いてすらいない。

 

 上流社会に憧れる野心家の父と夢見がちな母の間に生まれ育った彼女はそれなりに聡明で、己の役割というものをよく理解していた。庶民には不相応な教育や華美な装いが、いずれ来たる貴族との婚姻のために与えられたものであることを予期していたのだ。

 

 テーブルに載せられたカトラリーの中で前菜を食べるためのフォークがどれなのか決まっているように、己の人生に与えられた全て(盛り付け)は顔も知らぬ誰かとの結婚(主菜)のためにあると、聡い彼女は理解した上で育った。

 

 惜しむらくは胸の内にその従順さをはるかに上回る獣性を秘めていたことだろうか。

 

 一党に加わる前、彼女は《宝石嬢(プライズ)》と噂されていた。ガーネットのように輝く瞳と、それを引き立てる白磁と見紛うばかりの珠の肌。そして——それらを取り囲む鉄の檻。

 

 商品を守るよりも厳重に囲われたそれは娘『から』有象無象を守るためにあった。万一にも癇癪を起こしたルルノアがこれ以上誰かを縊り殺してしまわぬように。

 

 ルルノアを連れ出したのは他ならぬ『厄介払い』の一党だ。

 

 今の二人が聞けば鼻で笑うだろうが、ルルノアをそこから出したガリアンの様はまるで巷で流行る恋愛劇であった。

 

「己の内には獣が棲んでいる。もう誰の血も見たくないから近づくな」と拒絶するルルノアに、彼女を囲う鉄格子を紙切れのように破って「なら世界を救う旅に付いてこい。流れる血を止めるために俺たちは征くんだ」と言い放ったのである。

 

 何物にも遮られず見る空の深さこそが、彼女にとって返すべき恩の証であった。

 

 

「『()()』『()()』……くだらねえ」

 

 しかし、そんな二人の激情を感じ取ったはずのガリアンの表情には何の感慨も浮かんではいなかった。変わらずその瞳には強大な魔力だけが炯々と灯り、一党の面々を見据えている。

 

「そんなもんは対等な関係でやるもんだろうが。もううんざりなんだよ、お前ら足手まといなんぞと一緒にやるのはな」

 

 吐き捨てるような口調にはかつてそこに確かにあった親愛の情はなく、嫌悪と蔑視に満ちた罵倒は続く。

 

「アンサドレアの大砂虫の胃袋からお前らを助け出してやったのは誰だ?モラン=シラードの領主が騎士団をけしかけてきたときは?飛竜の塔から飛び降りるハメになったとき、俺がいなかったら挽肉になってたことくらいは役立たずのお前らの頭でも分かるよな?」

 

 数年苦楽を共にし、ここまでやって来た仲間にこうまで馬鹿にされたのだ。ラージルとルルノアは最早言葉もなく、怒りに打ち震えている。事の次第を聞き出してからと静観していた《怖気祓い(チューナー)》タップも流石に口を開く。

 

「なあ、ガリアン。お前はそれでいいのか?」

 

「やっと俺の輝かしい未来が始まるんだと思うと清々しいくらいだ。《厄介払い》なんて辛気臭い名前ともおさらばさ」

 

「茶化すな。もう一度だけ聞く。俺たちと袂を分かつ最後がこれで本当にいいんだな?」

 

「——ああ。てめえの説教を聞くのも今日が最後だ、タップ」

 

 同じ村で厄介者同士つるんできた年下の幼馴染の言葉にタップは深く息を吐いた。弟のように後を付いてきたあのガリアンが、自分達を足手まといだ、不要だと切り捨てた。

 

 タップには村にいた頃のことを思い出すとき、いつも真っ先に思い浮かべる匂いがある。

 

「街へ行って冒険者になろう」「金持ちになって腹一杯肉を食ってやる」

 

 そんな空想をしながらすすった土の匂いのする泥水。木の根を煮ただけのスープとすら言えない何か。それがタップとガリアンの原風景だった。

 

 それがどうだ、今や成功者だ。あのころ思い描いていた肉などより上等な料理が目の前に広げられているではないか。

 

 だが、どうしてだろう。贅を凝らして調理された物よりも、あの苦々しくも懐かしい匂いを思い出すのは。

 

 貧民の小僧だったその頃のガリアンは瞳の中で揺らめくほどの魔力を持ってはいなかったが、それでも今のようにそこに翳りはなかった。いつも前を見据え、希望に輝いていた。

 

 最早これまで。道は別たれたのである。心胆が理解できるだけに、問答は無用。《厄介払い》の始まりから培われてきた以心伝心がタップに口をつぐませた。

 

 ガリアンは「餞別代わりにここは払ってやる。好きなだけ飲んでいけ」と言い残し、飲み代にしては随分と多い額の金貨を置いて出て行った。店を出て行った背中はこちらを一顧だにせず、夜の闇へ消えて行った。

 

 そうして一党《厄介払い》はあまりにも呆気なく解散した。

 

 

 

 

 ふた月が過ぎた。国を出立し、大渓谷を超え、アンサドレアの湿地と砂海を抜けたそのまた先。その魔境には瘴気を含んだ濃霧が満ちている。只人が即座に発狂し肉塊と成り果てるねじくれた木々の林立する鬱蒼とした中を、男がひとり進んでいた。

 

 男の側にかつて背を預けた一党の仲間は誰一人ない。それのみならず、旅に帯同していた騎士団や商会の姿も見当たらない。

 

 以前は百を超える戦士が陣形を組み、その後ろには商隊が列を成し——さながら軍隊のように進撃していたことが嘘のように静かである。

 

「これでよかった」

 

 そう一人呟くのは民衆の熱望する威風堂々とした英雄ガリアンではなく、まるでどこにでもいる十七歳の少年だった。

 

 ガリアンは自他共に認める当代最強である。個として傑出した強さを持ち、凡百の兵では幾人集めようがまるで相手にならない。彼の一党に与していたタップやラージル、ルルノアも同じように当代きっての猛者ではあるが、しかしガリアンの持つ武勇とは明らかに隔絶している。その三人が纏めてかかってきたとしても彼を打倒することはできないだろう。その残酷なまでの現実を、他の誰でもないガリアン自身が知っていた。

 

 人は死ぬ。死ぬのだ。誰も彼もが悪魔の前では風に舞う塵芥のように死ぬ。焼かれ、砕かれ、捥がれ、遊ばれ、嗤われ、そして殺される。

 

——たった一人、女神の祝福を施され不死の英雄として世界に記録されたガリアンを除いては。

 

「俺一人なら負けない」

 

 ふと、濃霧に影が差す。木々のへし折れる音とともに巨大なものが這いずる音が聞こえる。果たしてそれに気づいているのかガリアンはまるで意に介した様子もなく、思索を続ける賢者のように顎に手をやって歩いている。

 

 『それ』はしゅろろろ、と独特な擦過音を出し、霧の中を潜み近づいていた。

 

 エウポリト・メディヌリア。身の丈十メートルを超える恐怖の語源たる怪物。霧の影響で巨大化しているアンサドレアの生物の中でも特に長大な『それ』は牛や象すら丸呑みにする威容を誇る大蛇だった。その大きさたるや瞳の中に人ひとりが納まるほど。

 

 脆弱なヒトなどはそれと知らず轢き殺してしまうほどの大いなる蛇はガリアンを樹上から見下ろし、涎を垂らして捕食するその時を待っている。

 

「Shuuuu————……」

 

 感情などない爬虫類の瞳が待ちきれぬとでも言うように歪む。

 

 ふと、木漏れ日にでも気づいたかのようにガリアンが見上げる。その動きはいっそ呑気と言えるほどに緩慢である。

 

「冬ごもりの前でもないのに随分と気が立っているんだな」

 

 蒼い瞳。その閉じ込めきれぬ焔のごとく揺らめく魔力が蛇を見る。

 

 その瞬間、怪物は動いた。それが眼下で明らかな隙を晒す獲物を捕らえる絶好の機会であったからか、あるいはその全く逆の——生命の危機に瀕した本能であったのかはわからない。

 

 どちらにせよ大樹に等しい巨大な質量物が己を押し潰さんと降ってきたとき、只人にとってはその怪物の心積もりなど関係ない。ただ怯え、潰されるのを待つのみだ。

 

「何か嫌なことでもあったのか?」

 

——だが、只人にとっての事情などこの男には全くの見当違いである。

 

「奇遇だな」

 

 力んだ様子もなく。高速で、音速で、あるいは光速で。凄まじい速さで動き、そして“そっと”鼻先を受け止めた。

 

「俺もだよ」

 

 この男は英雄である。竜を斃し、悪魔を殺し、霧を晴らす。人類の保有する最強の矛にして最後の牙。

 

 瞳の魔力がいっそう燃え上がる。

 

「『聖レノ記(BIBLE)』“一章二節”行動開始(Wake up)

 

Roger(了解)

 

 祝詞(キーワード)と共にその右腕に輝きが纏わりつく。まるで世界に祝福されるが如く、それは肩ほどまでを包み、鎧を形取った。

 

 黄金を煮溶かしたような、見渡す限りの麦畑のような、あるいは夜闇を切り裂く稲妻のような——光。

 

「“其は灯すものなり、其は照らすものなり、不浄詳らかとなりただ一切を灰に帰すものなり”——『Sacred Order(ただ遍く世に):Light(光あれ) 』」

 

Hey, viper.(オイ、ヘビ公)You are no match for my arms.(あんま調子に乗ってんじゃねえぞ)

 

——じゅ、と濁った音がした。

 

 ガリアンの右腕、その手のひらから目も眩むほどの輝きが放出されるやいなや、それは神罰の雷にも等しい速度で大蛇の額を貫き、その断面を焼き尽くす。

 

 それのみならず、その光はガリアンの頭上に覆いかぶさるように茂る木々を貫通し、空の彼方へ消えていく。その威力の凄まじさたるや垂れ込む魔境の雲を吹き散らし、局所的とはいえ晴れ間を作ってしまうほどである。

 

「——終了」

 

 後に残るのは大蛇の横たわる地響きと、それによって舞い上がる砂埃に眉をひそめながら歩き去る一人の男の姿だった。

 

「……出力不足だな」

 

 雲の切れ間から射し込む光が砂埃に乱反射してきらきらと光り輝いた。

 

「さあ、こっからが本番だ——気合入れろよ、俺」

 

 途端に騒がしくなった森の中、ただ一人悠々と歩みを進めていたガリアン。その速度が徐々に速くなっていく。初めはのんびりとしていたところから早歩きになり、駆け足、常人の全速、そして超常のものへと加速していく。

 

 走る、走る、走る。道などない森の中、木の根を踏み、草叢を越え、時として木の上に跳び上がりすらする。矢のように後ろへ飛んでいく景色の中、ガリアンの瞳の炎が蒼い流線を描く。速度は既に人のそれを越え、飛竜にも等しい。

 

『英雄』『女神の戦士』『傷なし(スカーレス)』『古今無双』『厄災を(ドラゴン)滅ぼすもの(スレイヤー)』『輝きの再来』——そして『勇者』。

 

 ガリアンを形容するそれらの大仰な謳い文句はけして誇大広告ではない。

 

 かつてあった人類世界の炎は陰り、世界には常人が一息で死に至る『悪夢の霧』が満ちた。

 

 霧の出ないほんの小さな空白地帯に人は追いやられ、人の生存圏であったはずの場所で悪魔が闊歩するようになり幾星霜。幾人もの英雄が斃れ、幾つもの国が亡びた。黄金に輝く人の世は終わりを告げ、悪魔の支配する暗黒の時代がすぐそこまで来ていた。

 

 ガリアンはそんな崖っぷちに現れた希望であった。これまで斃した悪魔は数知れず。陥落寸前の国を救ったことや、霧を晴らして悪魔に占拠された領地を奪還したことが何度もある。人類が生きていける領域が辛うじて残っているのは、このガリアンの功績と言っても全く過言ではない。

 

 そんな彼の率いる一党ははじめ、寒村の鼻つまみ者の集まりだった。

 

 村人はみんな自分の食う飯にも困るくせに何人も子どもをこさえる。自分が老いた時に家を継ぎ働く若者がいなければ今よりも酷い目に遭うことがわかっているからだ。

 

 ではろくに蓄えもない小作人の五人目六人目の子どもがどうなるかと言えば、仕事も出来ないのに飯を食う穀潰し扱いが常である。

 

 ガリアンは四男。上から数えて六番目の子どもだった。

 

 『厄介払い(グッド・リダンス)』という一党の名前も、そんな事情から酔った勢いでつけた自虐だった。それがいつの間にか事情を抱えた日陰者の集まりとなったが、英雄とまで呼ばれることになろうとは当時の本人たちを含めて誰も思っていなかったに違いない。

 

 ガリアンは凄まじい速度でいくつもの木々の合間をすり抜けながら自問する。

 

 ラージルは亡びた蜥蜴人の一族と同じくらい一党を大切に思っているが、知っていてそれを解散させたのか?

 

——知っている。彼は一党のためになら命を投げ出すことも厭わない。だが、俺はそれが彼らの命よりも重いとは思えなかった。

 

 ルルノアを無理矢理連れ出したくせに放り出して、あの厳格な実家を出奔した彼女が行く宛のない身だと理解しているのか?

 

——解っている。あいつが外へ行けるように、檻を壊した。だから次は霧を晴らすんだ。あの力でどんなところにでも踏み出せるように。

 

 タップはどうせこちらの魂胆などお見通しだ。血の繋がりはなくとも兄と慕ったのだから頼れば良かったのではないか?

 

——もう十分頼った。頼りすぎたからこうなったんだ。俺は一人でいるべきなんだ。ただの餓鬼を『英雄』にまで育てた時点で兄貴を解放するべきだった。

 

 あの日から何十回と繰り返した思考だったが、しかしと言うべきか、故にと言うべきか、結論は変わらなかった。

 

 例え彼らの誇りを踏み躙ったとしても、ガリアンは彼らに生きていてほしかった。

 

 彼らのことを信頼していた。尊敬していた。好きだったのだ。一党の仲間だけでない、今や解散させてしまった旅の仲間たちも一人残らずそうだった。

 

 泉の聖騎士団。お堅い連中で、選民思想に塗れている上に作法だ何だと口煩かった。特に団長とは顔を合わせる度に口論になった。一度、モラン=シラード領の衛兵と致し方なく戦った時など剣を抜いて敵対さえした。

 

 普段は情などないような振る舞いだが、誰よりも民のために命を懸ける。己の信じる信仰のために、隣人を愛しこれを護る。あの舌鋒の鋭さは、それこそが使命と定めた自尊心の発露だった。

 

 いくら不死に等しい加護があろうと、死ぬかもしれないと内心怯えたことは何度もあった。口にこそ出さなかったが、あの銀色の鎧を着た仏頂面どもが後ろに並んでいたから、ガリアンは安心して先頭を走っていられたのだ。

 

 黒樽商会。金に目のない業突く張り。悪辣なる商人にして武装戦団。場合によっては笑顔で裏切る金の亡者だ。商会長自ら旅に着いてきたが、世界の命運などどうでもいいと平気で抜かし、最悪ガリアンの首を売って逃げると公言して憚らない。

 

 だが、契約は守る。ガリアンの名を使いあらゆる手を使って金を集め、それを旅の中で増やし、費やし、一団を大きく強くした。ガリアンの名が傷付けば価値が落ちるとして、裏方や汚れ仕事は全て自分たちで引き受けた。

 

 世界を救う旅と言っても、綺麗事ばかりではなかった。救おうとしている人間に拒絶され、石を投げられることもあった。それでも心折れず人を憎まずにいられたのは、この碌でなしの商人たちのおかげだった。

 

 自然、ガリアンは笑んでいた。原生生物は巨大化し、毒の霧が満ち、悪魔が住まうこの場所を駆け抜けながら、彼の胸にあったのは望郷の想いと罪悪感——そして決意だけだった。

 

「俺がやる」

 

 いつの間にか足は止まっていた。走り続けて一刻ほどであろうか、ガリアンの速さで移動していたのだから馬で二、三日駆けた程度には進んだはずだ。

 

「あいつらが死ぬくらいなら、あの覚悟を汚してでも俺が」

 

 霧深い中、狡猾な人喰い猿の群れが潜んでいた。毒の沼の中から粘体の怪物が姿を現した。心を壊したのか、彷徨う狂人が驚くほどに流麗な剣技で襲い掛かってきた。森が、動物が、怪物が、人間が、ガリアンに牙を剥いた。

 

 奇襲には慣れている。商人どもの策略に比べればたわいもない。

 怪物には慣れている。銀の鎧に臆病者と嗤われてはかなわない。

 達人には慣れている。この程度では仲間たちの足元にも及ばない。

 

 故に、敵にあらず。

 

「そこをどけ雑兵が——ッ!!」

 

 後に吟遊詩人がこう謳い、市井の子どもがこぞって真似をしたという。

 

 深い深い霧の中

 只人あらざる毒の霧

 光るは黄金、鎧を纏い

 そこのけそこのけ、ガリアン通る。

 

* *

 

 森を拓き、獣が逃げ、怪物を倒し、悼みながらも人を討つ。凡人が万に一つも生き残れない危険を鎧袖一触とばかりに蹴散らし、直線距離を突き進んでここまで来た。

 

 人の住めないはずの森の中、ねじくれた木々のみが生い茂る魔の領域であるはずのそこに、それはある。

 

 御伽噺の中にだけ語られる悪魔の故郷。《宮殿》。

 

 それはあらゆる灯りを吸い込んだ夜で造られたように暗かった。であるのに、美しい。そこには確かに技術と文化と積み重ねられた歴史が実在する建造物としての重みを纏って存在していた。

 

「ここか——ここに悪魔の王がいるんだな」

 

「何用か」

 

 ガリアンに声をかける者がいる。

 

 悪魔——で間違いではないだろう。こんな毒霧の奥に住まう人などいないだろうし、その身から噴き出す瘴気たるやこれまで相対してきた大悪魔と比べても遜色ない。

 

「再度問う。何者だ」

 

「てめえは何だ」

 

「我は門兵。王より門を護る栄誉を賜った唯一人の兵よ」

 

 黒色の鎧。黒色の斧槍。背後の王城に溶け込むような衣裳。人間の中では大柄なガリアンが見上げるほどの巨躯が全身鎧を纏い、屹立している。

 

「名は」

 

「ない。我はただ門を守る。故に門兵と呼ぶが良い。して貴様、何用か。これなる宮殿は王の寝所ぞ。何人たりともに眠りを妨げること、罷りならん」

 

 

 問う。答える。

 

 

「王というのは悪魔の王か」

 

「然り、我らが従うのは絶対唯一かのお方であるがゆえに」

 

 

 問う。答える。

 

 

「そいつを殺せば全ての悪魔は消えると聞いたが、本当か」

 

「然り、かのお方は我らの主人であり父祖であるがゆえに」

 

 

 問う。答える。

 

 

「そいつを殺せば霧は晴れるか」

 

「然り。この霧は王の眠りを深くするためのものであるがゆえに」

 

 

 問う。答える————。

 

 

「そうか、よく分かった——」

「俺は今から中へ入る。どけ」

 

 

「否。我がここに立つ限り、けして許さん」

 

 騎士が静かに構える。擦れる音ひとつ鳴らさずにゆっくりと。

 

「そうか、ならてめえはここで死ね」

 

 英雄が犬歯を剥き出しにして右腕に黄金を纏う。

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