銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第七話 後編 一樽の価値

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十週 二日目

 

水が増えた。

 

航海士の機嫌が良い。

 

船長の機嫌も良い。

 

ペペは酒が増えたと勘違いしていた。

 

馬鹿は幸せそうだ。

 

――ゴメス

 

翌朝。

 

船の空気が違った。

 

少しだけ。

 

本当に少しだけ。

 

だが。

 

確かに違った。

 

皆余裕がある。

 

顔色も良い。

 

声も明るい。

 

理由は簡単だった。

 

水がある。

 

それだけだ。

 

昨日まで。

 

樽が割れた。

 

配給が減った。

 

皆嫌な顔をした。

 

今は違う。

 

補給できた。

 

次の港まで足りる。

 

それだけで安心する。

 

人間とは単純だった。

 

朝飯。

 

黒パン。

 

干し魚。

 

水。

 

内容は同じ。

 

だが。

 

文句が少ない。

 

水が足りるからだ。

 

「不思議だな」

 

俺。

 

「何が」

 

ディエゴ。

 

「飯は変わらん」

 

「うむ」

 

「水だけで機嫌が変わる」

 

ディエゴは笑った。

 

そして言う。

 

「死なないからだ」

 

納得した。

 

非常に納得した。

 

死なない。

 

重要だった。

 

何よりも。

 

昼。

 

風が落ちる。

 

帆がたるむ。

 

船足が遅くなる。

 

嫌な感じだった。

 

「凪か」

 

古参。

 

「嫌だな」

 

ペペ。

 

全員頷く。

 

凪。

 

風が吹かない。

 

つまり。

 

進まない。

 

港が遠くなる。

 

飯も遠くなる。

 

水も減る。

 

良い事が無い。

 

その時。

 

航海士が計算する。

 

紙。

 

羽ペン。

 

数字。

 

そして。

 

「問題無し」

 

全員少し安心する。

 

昨日の補給が効いていた。

 

一樽半。

 

たったそれだけ。

 

だが。

 

それで変わる。

 

四日。

 

五日。

 

六日。

 

船の運命が。

 

俺は海を見る。

 

青い。

 

広い。

 

綺麗だ。

 

だが。

 

飲めない。

 

大量にあるのに。

 

全く役に立たない。

 

妙な話だった。

 

その時。

 

ペペが横へ来る。

 

パンを齧っている。

 

どこから出した。

 

「なあ」

 

「何だ」

 

「昨日の船」

 

水売り船。

 

俺は頷く。

 

「儲かると思うか」

 

珍しく真面目だった。

 

少し考える。

 

そして答える。

 

「儲かる」

 

「だよな」

 

「だが」

 

ペペを見る。

 

「楽じゃない」

 

「だろうな」

 

水が要る。

 

樽も要る。

 

船も要る。

 

補給場所も要る。

 

港も要る。

 

結局。

 

全部繋がっている。

 

一つだけでは出来ない。

 

その時だった。

 

船首から声。

 

「鳥だ!」

 

見張り。

 

全員顔を上げる。

 

空。

 

白い鳥。

 

何羽も飛んでいる。

 

海鳥。

 

だが。

 

増えている。

 

かなり増えている。

 

「陸か」

 

誰かが言う。

 

航海士は頷く。

 

「近い」

 

歓声。

 

船員達の顔が明るくなる。

 

港。

 

飯。

 

酒。

 

風呂。

 

皆同じ事を考えていた。

 

俺もだ。

 

だが。

 

今回は少し違った。

 

俺は港を思い浮かべる。

 

市場。

 

倉庫。

 

塩。

 

魚。

 

船。

 

そして井戸。

 

水。

 

人。

 

全部だ。

 

以前なら。

 

飯。

 

それだけだった。

 

今は違う。

 

何があれば港になるのか。

 

少しだけ見えるようになった。

 

まだ分からない事だらけだ。

 

だが。

 

分からないなりに。

 

面白い。

 

そう思えるようになっていた。

 

夕暮れ。

 

鳥がさらに増える。

 

航海士が笑う。

 

「明日には着くぞ」

 

歓声。

 

拍手。

 

誰かが歌い始める。

 

ペペも歌う。

 

下手だった。

 

非常に下手だった。

 

だが。

 

皆機嫌が良い。

 

港が近いからだ。

 

俺は沈む夕日を見る。

 

そして。

 

次の港では何があるのだろうと考える。

 

それは単なる好奇心だった。

 

まだ。

 

ゴメス暴走記録の始まりに過ぎない。

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