銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第八話 中編 麦一袋の戦争

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十週 三日目 昼過ぎ

 

市場で喧嘩を見た。

 

原因は麦だった。

 

金ではない。

 

女でもない。

 

麦だった。

 

人間は思ったより麦で動くらしい。

 

――ゴメス

 

「俺が先だ!」

 

「違う!」

 

「契約した!」

 

「払った!」

 

市場中へ響く怒鳴り声。

 

大人が五人。

 

麦袋一山。

 

実に情けない光景だった。

 

だが。

 

誰も笑わない。

 

周囲も真面目だった。

 

飯だからだ。

 

「何だあれ」

 

俺。

 

近くの八百屋が鼻を鳴らす。

 

「麦だ」

 

「見れば分かる」

 

「なら聞くな」

 

最近よく言われる。

 

少し悲しかった。

 

「足りないんだよ」

 

八百屋。

 

「そんなにか」

 

「そんなにだ」

 

即答だった。

 

麦。

 

パンになる。

 

粥になる。

 

酒にもなる。

 

つまり。

 

飯だ。

 

重要だった。

 

非常に重要だった。

 

その時。

 

衛兵が来る。

 

槍。

 

鎧。

 

怖い顔。

 

いつもの組み合わせだった。

 

喧嘩は終わる。

 

文句は出る。

 

だが終わる。

 

便利だった。

 

「衛兵欲しいな」

 

ペペ。

 

いつの間にかいた。

 

「酒場は」

 

「追い出された」

 

全員納得した。

 

予想通りだった。

 

市場を歩く。

 

人が多い。

 

本当に多い。

 

荷車も多い。

 

船も多い。

 

飯も多い。

 

だが。

 

足りない。

 

それが不思議だった。

 

こんなにあるのに。

 

まだ足りない。

 

「増えるからだ」

 

声。

 

振り向く。

 

さっきの老人商人だった。

 

何故か付いて来ている。

 

少し怖い。

 

「何がだ」

 

俺。

 

老人は市場を指差す。

 

人。

 

また人。

 

やっぱり人。

 

「儲かると増える」

 

「うむ」

 

「増えると食う」

 

「うむ」

 

「だから足りなくなる」

 

なるほど。

 

分かりやすい。

 

非常に分かりやすい。

 

港が大きくなる。

 

人が増える。

 

飯が足りなくなる。

 

だから運ぶ。

 

だからまた港が大きくなる。

 

何だこれ。

 

終わらない。

 

「面白いだろ」

 

老人。

 

「少し」

 

本当だった。

 

少しどころではない。

 

かなり面白い。

 

その時。

 

港の奥。

 

倉庫街。

 

巨大な建物が見える。

 

石造り。

 

頑丈そうだ。

 

人も出入りしている。

 

「何だあれ」

 

俺。

 

老人は笑った。

 

「穀物倉庫」

 

「麦か」

 

「麦だ」

 

なるほど。

 

港の腹か。

 

そんな気がした。

 

あそこに麦がある。

 

だから人が食える。

 

だから港が動く。

 

だから船が来る。

 

全部繋がっている。

 

本当に。

 

「船一隻より価値あるな」

 

思わず呟く。

 

老人が笑った。

 

「賢いな」

 

「そうか」

 

「船は一回運ぶ」

 

一本指。

 

「倉庫は何度も運ぶ」

 

二本。

 

意味が分からない。

 

だが。

 

少し考える。

 

麦。

 

入る。

 

出る。

 

また入る。

 

また出る。

 

なるほど。

 

確かに。

 

何度も働いている。

 

倉庫なのに。

 

「面白いな」

 

俺。

 

「だろう」

 

老人。

 

本当に面白かった。

 

その時だった。

 

港の外。

 

鐘が鳴る。

 

一回。

 

二回。

 

三回。

 

市場の空気が変わる。

 

商人達が顔を上げる。

 

荷役達も止まる。

 

何だ。

 

と思った瞬間。

 

誰かが叫んだ。

 

「北方船団だ!」

 

歓声。

 

市場が沸いた。

 

麦だ。

 

誰も言わない。

 

だが。

 

全員分かっていた。

 

飯が来た。

 

そういう歓声だった。

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