銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第十一話 前編 塩の山

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十週 六日目

 

港には山がある。

 

岩の山ではない。

 

塩の山だ。

 

白い。

 

眩しい。

 

そして皆あれを欲しがる。

 

不思議な話だ。

 

銀貨の山なら分かる。

 

塩の山だ。

 

世の中は思ったより塩で出来ているのかもしれない。

 

――ゴメス

 

朝。

 

潮風が吹いていた。

 

少し冷たい。

 

昨夜降った雨の名残だろう。

 

港の石畳はまだ濡れていた。

 

荷車の車輪が泥を跳ねる。

 

馬が鼻を鳴らす。

 

遠くで鐘が鳴る。

 

どこかの商船が入港したらしい。

 

港は今日も忙しそうだった。

 

「腹減った」

 

ペペが言った。

 

朝一番だった。

 

まだ太陽も上り切っていない。

 

「お前は寝ながら腹減らしてるのか」

 

ディエゴが呆れる。

 

「寝るのは体力を使う」

 

「使わん」

 

「俺は使う」

 

「牛か」

 

「牛なら食えるな」

 

「お前は本当に何でも飯に繋げるな」

 

周囲が笑った。

 

俺も少し笑う。

 

だが。

 

正直。

 

少し腹は減っていた。

 

朝飯前だから当然だ。

 

港を歩く。

 

魚市場の方から魚を焼く匂いが流れてくる。

 

炭火。

 

魚の脂。

 

塩。

 

香草。

 

腹に悪い匂いだった。

 

良い意味で。

 

ペペの足がそちらへ向く。

 

非常に自然だった。

 

「待て」

 

俺。

 

「何故だ」

 

ペペ。

 

「金が無い」

 

「確かに」

 

即座に戻ってきた。

 

現実は強かった。

 

市場を抜ける。

 

魚屋。

 

干物屋。

 

樽屋。

 

縄屋。

 

鍛冶屋。

 

港には何でもある。

 

その時だった。

 

視界の向こう。

 

白いものが見える。

 

最初は霧かと思った。

 

違った。

 

巨大だった。

 

そして動かない。

 

近付く。

 

さらに近付く。

 

俺は思わず立ち止まった。

 

「でかいな」

 

新入りが呟く。

 

俺も同意だった。

 

本当に大きい。

 

倉庫ほど高くはない。

 

だが。

 

横幅がある。

 

いや。

 

山だった。

 

白い山。

 

塩の山。

 

朝日に照らされて輝いている。

 

まるで雪だった。

 

雪を見た事は無いが。

 

たぶんこんな感じだろう。

 

「塩だな」

 

ディエゴ。

 

「塩だな」

 

俺。

 

「舐めていいか」

 

ペペ。

 

「やめろ」

 

全員で止めた。

 

だが。

 

少し気持ちは分かる。

 

本当に塩なのか確認したくなる。

 

それくらい大量だった。

 

周囲では人夫達が働いている。

 

袋。

 

樽。

 

秤。

 

荷車。

 

絶え間なく動いていた。

 

男達は山を削る。

 

袋へ詰める。

 

秤に乗せる。

 

荷車へ積む。

 

そしてまた削る。

 

終わらない。

 

本当に終わらない。

 

「全部使うのか」

 

思わず呟く。

 

近くの男が聞いていた。

 

日に焼けている。

 

腕が太い。

 

髭にまで塩が付いている。

 

たぶん塩屋だ。

 

「足りん」

 

即答だった。

 

「足りん?」

 

俺。

 

「足りん」

 

もう一度。

 

「こんなにあるぞ」

 

男は鼻を鳴らした。

 

そして港を指差す。

 

「魚」

 

一本指。

 

魚市場。

 

朝から騒がしい。

 

「肉」

 

二本。

 

保存庫。

 

塩漬け肉が吊るされている。

 

「船」

 

三本。

 

長い航海。

 

保存食。

 

必須だ。

 

「革」

 

四本。

 

「漬物」

 

五本。

 

「薬」

 

六本。

 

俺は少し黙る。

 

思ったより多い。

 

魚だけじゃないらしい。

 

「塩が無くなったら?」

 

男は真顔になった。

 

本当に真顔だった。

 

「魚が腐る」

 

「うむ」

 

「肉も腐る」

 

「うむ」

 

「水兵が騒ぐ」

 

「それは間違いない」

 

ペペが頷く。

 

「商人も騒ぐ」

 

「なるほど」

 

「港が泣く」

 

少し笑った。

 

だが。

 

本気らしかった。

 

魚が無い。

 

肉が無い。

 

保存できない。

 

船が困る。

 

市場が困る。

 

港が困る。

 

全部繋がっている。

 

最近。

 

そういう話ばかりだ。

 

魚。

 

麦。

 

水。

 

船。

 

今度は塩。

 

どれも主役ではない。

 

だが。

 

どれも無ければ困る。

 

その時。

 

甲高い悲鳴が上がった。

 

「こらぁぁぁぁ!!」

 

振り向く。

 

子供がいた。

 

塩山を登っていた。

 

頂上付近。

 

実に楽しそうだった。

 

塩屋の顔が真っ赤になる。

 

「降りろ!!」

 

「いやだ!!」

 

「塩だぞ!!」

 

「知ってる!!」

 

周囲爆笑。

 

荷役人夫まで笑っている。

 

塩屋だけ笑っていない。

 

当然だった。

 

子供は頂上へ到達する。

 

両手を広げる。

 

誇らしげだった。

 

王様か何かだろうか。

 

次の瞬間。

 

足を滑らせた。

 

ざざざざざざっ!

 

白い塩煙を上げながら転がり落ちる。

 

下まで一直線だった。

 

沈黙。

 

そして。

 

泣き声。

 

無事だったらしい。

 

良かった。

 

塩屋は頭を抱えていた。

 

「毎週だ」

 

疲れた声だった。

 

「毎週なのか」

 

俺。

 

「毎週だ」

 

心底疲れていた。

 

港には港の苦労があるらしい。

 

俺は白い塩山を見る。

 

ただの塩。

 

魚みたいに派手じゃない。

 

麦みたいに目立たない。

 

酒みたいに人気もない。

 

だが。

 

皆が欲しがる。

 

皆が使う。

 

皆が困る。

 

不思議な存在だった。

 

そして。

 

俺は少し興味を持つ。

 

この塩。

 

どこから来るのだろう。

 

三日前に聞いた。

 

塩田。

 

そこから来るらしい。

 

だが。

 

どうやってこんな山になるのか。

 

少し見てみたくなった。

 

後に骨樽勢力の塩取引を支えることになる男は。

 

まだ知らない。

 

この好奇心が。

 

また一つ面倒事の始まりになることを。

 

第十一話 前編

塩の山 続く

後世の港湾史研究より

 

骨樽勢力は後年、塩の流通路と塩田保護に強い関心を示した。

 

多くの研究者は、その原点をこの時期に求めている。

 

当人は後年の回想で、

 

「魚が腐ると腹が減るからだ」

 

としか語っていない。

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