銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第十二話 前編 帰らない船

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十一週 一日目

 

港には毎日船が来る。

 

毎日出ていく。

 

当たり前だと思っていた。

 

だが今日は一隻足りなかった。

 

一隻くらいと思った。

 

港の人間はそう思わなかった。

 

後で理由が分かった。

 

一隻には飯が積まれている。

 

人も積まれている。

 

金も積まれている。

 

一隻くらいではないらしい。

 

――ゴメス

 

朝。

 

雨だった。

 

細かい雨。

 

霧みたいな雨。

 

港全体が灰色に見える。

 

空も灰色。

 

海も灰色。

 

石畳も灰色。

 

唯一元気なのはカモメだった。

 

奴らは何故か雨の日ほど騒がしい。

 

「腹減った」

 

そしてペペも元気だった。

 

「お前は年中だろ」

 

ディエゴ。

 

「雨の日は余計に減る」

 

「何故だ」

 

「知らん」

 

正直だった。

 

朝飯。

 

港近くの食堂。

 

木の扉。

 

煤けた天井。

 

長机。

 

労働者向けの店だ。

 

値段は安い。

 

量は多い。

 

味は当たり外れがある。

 

今日は当たりだった。

 

大鍋から注がれた魚介粥。

 

白く濁ったスープ。

 

貝。

 

白身魚。

 

刻まれた玉葱。

 

香草。

 

上には黒胡椒。

 

湯気が立つ。

 

潮の香り。

 

魚の旨味。

 

少しだけ酸味。

 

眠気が吹き飛ぶ匂いだった。

 

「おお……」

 

新入りが感動している。

 

気持ちは分かる。

 

船の上なら祝祭日だ。

 

木匙で掬う。

 

熱い。

 

非常に熱い。

 

だが旨い。

 

最初に魚の出汁。

 

その後から貝の旨味。

 

柔らかく煮えた玉葱。

 

香草。

 

最後に胡椒。

 

身体が温まる。

 

雨の日にぴったりだった。

 

ペペは既に二杯目へ突入している。

 

「待て」

 

俺。

 

「何だ」

 

「まだ食い始めて五分だぞ」

 

「だから二杯目だ」

 

意味が分からない。

 

食堂の女将が笑っていた。

 

完全に慣れている。

 

「お前さん面白いねぇ」

 

「褒められた」

 

「違うと思うぞ」

 

ディエゴ。

 

飯を食い終える。

 

外へ出る。

 

まだ雨。

 

港もいつもより静かだ。

 

魚市場も少し元気がない。

 

荷車も少ない。

 

漁船も少ない。

 

「嵐でも来るのか」

 

俺。

 

近くの魚屋が首を振る。

 

「違う」

 

「なら何だ」

 

魚屋は海を見る。

 

少し嫌そうな顔だった。

 

「帰ってない」

 

「何が」

 

「船が」

 

短かった。

 

だが。

 

妙に重かった。

 

俺は沖を見る。

 

灰色の海。

 

小雨。

 

遠くは霞んでいる。

 

何も見えない。

 

「漁船か」

 

魚屋は頷く。

 

「三日前に出た」

 

「まだ帰らん」

 

「珍しいのか」

 

「少しな」

 

少し。

 

だが。

 

周囲の顔を見る。

 

皆気にしている。

 

魚屋。

 

荷役人夫。

 

商人。

 

市場の連中。

 

皆同じ方向を見ている。

 

海だ。

 

その時。

 

市場の奥から声。

 

「まだ来ないのか!?」

 

商人だった。

 

焦っている。

 

かなり。

 

「知らん!」

 

魚屋。

 

「魚が無いと困る!」

 

「俺も困る!」

 

周囲が笑う。

 

だが。

 

少し無理に笑っている感じだった。

 

本当に困るらしい。

 

魚が来ない。

 

市場が困る。

 

食堂が困る。

 

商人が困る。

 

港が困る。

 

また繋がっていた。

 

魚は市場へ並ぶだけではない。

 

帰ってくる船が必要なのだ。

 

その時。

 

鐘が鳴った。

 

一回。

 

二回。

 

三回。

 

市場が動く。

 

人が走る。

 

皆海を見る。

 

俺も見る。

 

沖。

 

霧の向こう。

 

帆が見えた。

 

一枚。

 

二枚。

 

三枚。

 

帰ってきた。

 

誰かがそう叫んだ。

 

だが。

 

魚屋達の顔は晴れなかった。

 

「違う」

 

誰かが呟く。

 

「違う船だ」

 

沈黙。

 

雨が降る。

 

灰色の港。

 

帰るはずの船は。

 

まだ見えなかった。

 

他人物視点

魚屋マルコ

 

三日。

 

三日帰らない。

 

別に初めてじゃない。

 

海だ。

 

遅れる事もある。

 

だが。

 

嫌な感じがした。

 

あの船の船長は真面目だった。

 

魚も獲る。

 

帰る時間も守る。

 

だから遅れる。

 

それだけで嫌な予感がする。

 

港で長く生きると分かる。

 

嵐の匂い。

 

腐った魚の匂い。

 

そして。

 

帰らない船の匂い。

 

どれも似ている。

 

後世の港湾史研究より

 

ゴメスの記録において初めて「帰還しない船」が登場する回である。

 

後年の骨樽勢力は遭難船救助や沿岸監視網に莫大な投資を行うが、その思想の萌芽はこの頃から見られる。

 

当時のゴメスはまだ知らない。

 

港にとって最も高価な積荷は銀ではなく、人であることを。

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