銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第十一週 三日目 昼
縄屋へ行った。
縄を見た。
たくさんあった。
足りないらしい。
世の中には「たくさんあるのに足りない」ものが多すぎる。
魚もそうだった。
塩もそうだった。
麦もそうだった。
今度は縄だった。
港とは巨大な食いしん坊なのかもしれない。
――ゴメス
縄屋は暑かった。
非常に。
外は海風が吹いている。
だが中は違った。
麻。
油。
汗。
木材。
それらの匂いが混ざる。
空気まで少し重い。
職人達が働いている。
腕を動かす。
縄を捻る。
束ねる。
引っ張る。
また捻る。
終わらない。
本当に終わらない。
「思ったより地味だな」
ペペ。
正直な感想だった。
だが。
親方ロドリゴが聞いていた。
「地味で結構」
低い声。
腕が太い。
首も太い。
たぶん熊と喧嘩しても勝つ。
そんな顔だった。
「船は派手だ」
ロドリゴ。
「大砲も派手だ」
「うむ」
「沈む時も派手だ」
全員納得した。
それはそうだ。
「だが縄は派手じゃない」
一本のロープを持ち上げる。
太い。
腕ほどある。
重そうだ。
非常に。
「だから忘れられる」
少しだけ。
寂しそうな顔だった。
俺は縄を見る。
ただの縄。
茶色い。
長い。
それだけ。
だが。
船を動かす。
港を動かす。
妙な存在だった。
「どうやって作るんだ」
俺。
ロドリゴが頷く。
案内してくれるらしい。
工房の奥。
大量の麻。
山積みだった。
乾燥している。
触ると少し硬い。
だが軽い。
「これが始まりだ」
ロドリゴ。
「縄になるのか」
「なる」
職人が麻をほぐす。
繊維になる。
細くなる。
さらに束ねる。
捻る。
長くなる。
また束ねる。
また捻る。
どんどん太くなる。
不思議だった。
魚とは違う。
塩とも違う。
船とも違う。
ただの草みたいな物が。
船を動かす縄になる。
魔法みたいだった。
「切れないのか」
新入り。
職人が笑う。
「切れる」
即答だった。
少し不安になる。
「だから作る」
なるほど。
実に分かりやすい。
その時。
工房の奥から怒声。
「違う!」
全員振り向く。
若い職人。
怒られている。
かなり。
「捻りが逆だ!」
「すみません!」
「船が沈むぞ!」
「そこまで!?」
思わず声が出た。
ロドリゴが真顔で頷く。
「そこまでだ」
沈黙。
怖い。
縄が急に怖くなった。
「一本で?」
俺。
「一本で」
ロドリゴ。
なるほど。
縄は地味だ。
だが。
重要らしい。
非常に。
昼飯。
職人達と一緒だった。
長机。
木皿。
大鍋。
働く男達の飯だった。
今日の主役は塩豚だった。
大きな塊。
豆と一緒に煮込まれている。
玉葱。
にんにく。
人参。
香草。
全部入っている。
湯気が立つ。
脂が光る。
香りが広がる。
腹が鳴る。
当然だった。
木匙を入れる。
肉が崩れる。
繊維が解ける。
柔らかい。
口へ運ぶ。
塩。
肉。
脂。
豆の甘味。
玉葱。
旨い。
非常に旨い。
職人達は無言だった。
理由は簡単。
食うのに忙しい。
ペペも同じだった。
珍しく職人達へ馴染んでいる。
飯だけで。
才能だった。
「旨いな」
ペペ。
「働いたからだ」
職人。
なるほど。
少し納得した。
その時。
ロドリゴが葡萄酒を飲みながら言う。
「お前」
俺を見る。
「何だ」
「妙な水兵だな」
最近よく言われる。
非常に。
「そうか」
「他の連中は船を見る」
「うむ」
「お前は縄を見る」
少し考える。
そして答える。
「船が動くから」
ロドリゴは笑った。
職人の笑い方だった。
豪快だった。
「面白い奴だ」
俺は工房を見る。
麻。
縄。
職人。
汗。
全部繋がっている。
魚と同じだ。
塩と同じだ。
港を支えるものは。
思ったより地味だった。
だが。
だからこそ重要なのかもしれない。
他人物視点
若い縄職人 エミリオ
変な水兵だった。
普通の船乗りは完成した船を見る。
完成した帆を見る。
だが。
あの男は縄の束を見ていた。
しかも真面目な顔で。
少し怖かった。
後世の港湾史研究より
骨樽勢力では後年、「港を支える職人を飢えさせるな」という規則が存在した。
船大工、縄職人、帆職人、鍛冶職人は優先保護対象であった。
研究者の多くは、その思想の原点をこの縄工房見学に求めている。