銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第八週 一日目
肉を食った。
本当に肉だった。
魚ではない。
靴でもない。
革袋でもない。
肉だった。
人生は捨てたものではない。
――ゴメス
港は良い。
本当に良い。
船が止まる。
地面が動かない。
まずそれが素晴らしい。
七週間。
ずっと揺れていた。
寝ても揺れる。
食っても揺れる。
吐いても揺れる。
だから地面が動かないだけで感動する。
「陸だぁぁぁ!!」
ペペが飛び降りた。
着地。
転んだ。
全員爆笑。
「陸に負けてるぞ!」
「足が海のままなんだよ!!」
「情けねぇ!!」
ペペは立ち上がる。
真顔。
「大地が悪い」
「違う」
全員即答だった。
港は活気に溢れていた。
荷車。
漁師。
商人。
船員。
叫び声。
笑い声。
犬。
子供。
全てが動いている。
海の上とは違う。
生きている匂いがした。
そして。
飯の匂い。
それが一番強かった。
焼いた肉。
煮込み。
パン。
魚。
玉葱。
香草。
酒。
全て混ざっている。
「うわぁ……」
新入りが呆然とした。
気持ちは分かる。
俺も同じ顔をしていたと思う。
七週間だ。
まともな飯の匂いなど忘れていた。
「まず酒場だ」
ペペ。
「飯だろ」
俺。
「酒場には飯がある」
ペペ。
「それはそうだ」
妙に説得力があった。
全員頷く。
そして酒場へ向かった。
港の酒場。
《海猫亭》。
看板の猫が妙にふてぶてしい。
中へ入る。
満席だった。
船員。
漁師。
商人。
海はどこも同じらしい。
店主がこちらを見る。
そして笑う。
「おや」
「死に損ない共だな」
「生きてるぞ」
ペペ。
「今のところはな」
店主。
「肉あるか」
俺。
「ある」
「パンは」
「ある」
「酒は」
「当然ある」
ペペが立ち上がる。
「結婚しよう」
「座れ」
ディエゴが引き倒した。
しばらくして。
料理が運ばれてくる。
全員黙った。
目の前。
白パン。
肉の煮込み。
玉葱。
豆。
そして葡萄酒。
湯気が立っている。
ちゃんとした湯気だ。
腐敗臭じゃない。
食欲を誘う匂いだ。
誰も動かない。
信じられないのだ。
本当に食べていいのか。
夢じゃないのか。
「冷めるぞ」
店主。
その一言で全員動いた。
戦争だった。
パンが消える。
肉が消える。
豆が消える。
皿が空になる。
店主が笑う。
「いい食いっぷりだ」
「七週間海だった」
ディエゴ。
「ああ」
店主が頷く。
全て理解した顔だった。
海の男同士。
説明はいらない。
腹が減る。
それだけだ。
俺は煮込みを口へ運ぶ。
柔らかい。
塩気もちょうどいい。
玉葱は甘い。
豆も崩れている。
そして。
温かい。
ちゃんと温かい。
焼玉で無理やり沸かした腐ったスープとは違う。
まともな飯だった。
「生き返る……」
新入りが泣いていた。
少し分かる。
俺も泣きそうだった。
その時。
隣の席。
船員達の会話が耳に入る。
「また沈んだらしいぞ」
「どこだ」
「南の航路」
「海賊か?」
「たぶんな」
海賊。
その言葉に。
酒場の空気が少し変わった。
誰も驚かない。
誰も騒がない。
珍しい話ではないのだ。
この海では。
「最近増えてるな」
「景気が悪いからだろ」
「食えなくなれば海賊になる」
「違いねぇ」
全員笑う。
だが。
俺は聞いていた。
海賊。
沈んだ船。
消えた積荷。
そして。
港の外に積まれた大量の木材。
石材。
縄。
樽。
この港。
妙に景気が良かった。
何かある。
そんな気がした。
俺は葡萄酒を飲む。
久々のまともな酒だった。
そして。
少しだけ考える。
もし。
港を持てたら。
水があれば。
畑があれば。
飯があれば。
こんな思いはしなくて済むのではないか。
我ながら馬鹿な考えだった。
だが。
その馬鹿な考えは。
まだ静かに。
ゴメスの頭の中で育ち始めていた。