銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第十四話 前編 樽の中の海

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十一週 五日目

 

港を歩いた。

 

魚を見た。

 

塩を見た。

 

縄を見た。

 

今日は樽を見た。

 

樽だった。

 

ただの木の樽だ。

 

そう思った。

 

昼飯を食う頃には考えを改めていた。

 

港は樽で出来ているのかもしれない。

 

――ゴメス

 

朝。

 

快晴だった。

 

空が高い。

 

海も青い。

 

風も穏やか。

 

船乗りが機嫌の良くなる天気だった。

 

「腹減った」

 

そしてペペも機嫌が良かった。

 

毎回同じである。

 

「朝起きて最初の言葉がそれなのは病気だと思う」

 

ディエゴ。

 

「違う」

 

ペペ。

 

「才能だ」

 

「どんな才能だ」

 

「食う才能」

 

周囲が笑う。

 

本人だけ真面目だった。

 

港は朝から忙しい。

 

魚市場。

 

造船所。

 

縄工房。

 

荷役場。

 

全部動いている。

 

まるで巨大な生き物だった。

 

最近よく思う。

 

港は生きている。

 

魚を食う。

 

塩を食う。

 

木も食う。

 

鉄も食う。

 

そして銀貨を吐き出す。

 

不思議な怪物だ。

 

岸壁を歩く。

 

荷揚げ作業が続いている。

 

樽。

 

また樽。

 

さらに樽。

 

どこを見ても樽だった。

 

小さい樽。

 

大きい樽。

 

人が抱える樽。

 

荷車に積まれる樽。

 

船倉へ運ばれる樽。

 

全部樽。

 

「樽ばっかりだな」

 

思わず呟く。

 

近くの荷役人夫が笑った。

 

「当たり前だ」

 

「そうなのか」

 

「港だぞ」

 

なるほど。

 

分からなかった。

 

全然。

 

その時。

 

人夫が近くの樽を叩く。

 

こんこん。

 

乾いた音。

 

「中身は何だと思う」

 

「酒」

 

ペペ。

 

即答。

 

当然だった。

 

人夫は笑う。

 

「違う」

 

蓋を開ける。

 

中には魚。

 

塩漬け魚。

 

ぎっしり。

 

本当にぎっしり。

 

魚。

 

魚。

 

また魚。

 

塩の匂いが立ち上る。

 

強い。

 

かなり強い。

 

だが嫌ではない。

 

保存食の匂いだ。

 

「これで半年持つ」

 

人夫。

 

「半年!?」

 

新入りが驚く。

 

俺も少し驚いた。

 

船の上なら宝だ。

 

「こっちは?」

 

別の樽。

 

開ける。

 

葡萄酒。

 

甘い香り。

 

少し酸味。

 

非常に良い匂いだった。

 

ペペが近付く。

 

追い払われた。

 

当然だった。

 

「こっちは水」

 

さらに別の樽。

 

「こっちは酢」

 

また別。

 

「こっちは油」

 

さらに別。

 

俺は少し黙る。

 

全部樽だった。

 

魚。

 

酒。

 

水。

 

油。

 

酢。

 

何でも入る。

 

「便利だな」

 

本音だった。

 

人夫は頷く。

 

「だから売れる」

 

簡単だった。

 

港らしい答えだった。

 

その時だった。

 

岸壁の向こう。

 

怒鳴り声。

 

最近本当に多い。

 

港とは怒鳴る場所なのかもしれない。

 

人が集まる。

 

荷役人夫。

 

商人。

 

船員。

 

皆同じ方向を見る。

 

俺達も行く。

 

興味があった。

 

非常に。

 

岸壁。

 

割れた樽。

 

中身が流れている。

 

魚でもない。

 

酒でもない。

 

真っ白だった。

 

小麦粉だ。

 

周囲は悲鳴だった。

 

「何やってる!」

 

商人。

 

真っ赤な顔。

 

「すまん!」

 

人夫。

 

こちらも真っ赤。

 

地面は白い。

 

粉まみれ。

 

鳩が集まる。

 

さらに悲鳴。

 

混沌だった。

 

「たかが樽一つで」

 

俺。

 

近くの老人が首を振る。

 

「樽一つじゃない」

 

そう言って地面を指差す。

 

小麦粉。

 

大量。

 

本当に大量。

 

パン何百個分か。

 

想像もつかない。

 

「一家が一月食える量だ」

 

老人。

 

沈黙。

 

少し見方が変わった。

 

ただの樽ではない。

 

飯だった。

 

港を動かす飯。

 

その時。

 

人混みの向こうから。

 

ゆっくり歩いてくる男がいた。

 

木屑まみれ。

 

革の前掛け。

 

太い腕。

 

職人だ。

 

そして。

 

割れた樽を見た瞬間。

 

顔が歪んだ。

 

非常に嫌そうだった。

 

「誰が作った樽だ」

 

低い声だった。

 

周囲が静かになる。

 

どうやら。

 

樽職人らしい。

 

そして。

 

かなり怖いらしい。

 

俺は少し笑う。

 

また面白そうなものを見つけた。

 

樽。

 

ただの木箱ではないらしい。

 

第十四話 前編

樽の中の海 続く

他人物視点

荷役人夫 アルバレス

 

魚も大事だ。

 

塩も大事だ。

 

だが樽も大事だ。

 

樽が割れれば。

 

魚が駄目になる。

 

酒も駄目になる。

 

水も駄目になる。

 

だから怖い。

 

本当に怖い。

 

今日割ったのが葡萄酒でなくて良かった。

 

たぶん親方に殴られていた。

 

後世の港湾史研究より

 

骨樽勢力の名称については諸説ある。

 

その一つに「補給樽を重視した港湾文化」が由来とする説が存在する。

 

真偽は不明である。

 

ただしゴメスが樽職人や補給品輸送へ強い関心を持っていたことは、多くの記録から確認されている。

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