銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第十一週 五日目 昼過ぎ
樽は木で出来ている。
当たり前だ。
だが木は真っ直ぐだ。
樽は丸い。
どうやって作るのか気になった。
職人に聞いた。
「気合いだ」
と言われた。
嘘だと思った。
半日後。
半分くらい本当だと理解した。
――ゴメス
「お前らか」
低い声だった。
割れた樽の前。
木屑まみれの職人が立っていた。
肩幅が広い。
腕も太い。
髭まで木屑が付いている。
樽職人だった。
間違いなく。
「俺達?」
俺。
「笑ってた連中だ」
職人。
少し気まずい。
確かに笑った。
かなり。
「面白かったので」
正直に言う。
ディエゴが顔を覆った。
職人は数秒黙る。
それから吹き出した。
「正直な馬鹿は嫌いじゃない」
助かったらしい。
「俺はミゲルだ」
樽職人。
親方らしい。
周囲の職人達が敬語を使っている。
たぶん偉い。
「ゴメス」
「知ってる」
「何で」
「港で有名だ」
嫌な予感しかしなかった。
「変な水兵だろ」
ミゲル。
周囲全員頷く。
非常に傷付いた。
少しだけ。
「樽が気になるなら来い」
ミゲル。
「いいのか」
「どうせ暇だろ」
「その通りだ」
即答だった。
職人達が笑う。
こうして。
俺達は樽工房へ向かった。
港の少し外れ。
造船所ほど大きくない。
だが。
独特の匂いがした。
木。
樹脂。
蒸気。
焦げた木。
酒。
全部混ざっている。
中へ入る。
暑い。
非常に暑い。
炉がある。
蒸気もある。
職人達は汗だくだ。
それでも働いている。
木板が並ぶ。
大量だった。
「樽になる」
ミゲル。
一本を持ち上げる。
細長い板。
少し湾曲している。
だが。
まだ樽には見えない。
「これが?」
俺。
「これが」
ミゲル。
職人達が板を並べる。
輪を置く。
締める。
叩く。
さらに締める。
少しずつ形になる。
丸い。
確かに丸い。
不思議だった。
「接着剤は?」
新入り。
「使わん」
ミゲル。
「漏れないのか」
「漏れる」
沈黙。
「漏れるのか」
「だから直す」
なるほど。
職人の世界だった。
非常に職人の世界だった。
その時。
別の職人達が作業を始める。
火。
小さな炉。
樽の内側へ熱を入れる。
煙が上がる。
木が鳴る。
ぱきっ。
ぱちっ。
少しずつ曲がる。
香りが変わる。
木の香り。
焦げる香り。
甘い匂い。
酒場みたいだった。
「何してる」
俺。
「曲げる」
ミゲル。
「無理だろ」
「曲がる」
本当に曲がった。
少し感動した。
かなり。
「面白いな」
思わず呟く。
ミゲルが笑う。
「そうだろ」
嬉しそうだった。
自分の仕事を褒められるのは良い事らしい。
昼飯。
職人達と一緒だった。
工房裏。
木陰。
樽をひっくり返した机。
実に樽職人らしい。
今日の飯。
白豆と塩豚の煮込み。
焼き玉葱。
黒パン。
山羊乳チーズ。
そして林檎酒。
働く男達の飯だった。
鍋の蓋が開く。
湯気。
肉の香り。
玉葱。
香草。
腹が鳴る。
毎回だ。
恥ではない。
料理が悪い。
非常に。
塩豚は柔らかい。
煮込まれている。
脂が溶ける。
豆が吸う。
玉葱が甘くなる。
一口。
旨い。
塩。
肉。
豆。
香草。
全部来る。
林檎酒を飲む。
少し甘い。
少し酸っぱい。
肉に合う。
最高だった。
ペペは三人前目だった。
職人達が見ている。
少し引いている。
正常な反応だった。
その時。
ミゲルが言う。
「樽はな」
葡萄酒ではなく林檎酒を飲む。
少し渋い顔。
「船より長生きする事もある」
「本当か」
「本当だ」
少し驚いた。
船は沈む。
壊れる。
燃える。
だが。
樽は残る事があるらしい。
「何を入れるかで価値が変わる」
魚。
酒。
塩。
水。
油。
全部違う。
「つまり中身が大事だ」
俺。
ミゲルが笑う。
「半分正解だ」
そして。
指を立てる。
「漏れない事も大事だ」
全員大笑いだった。
確かに。
非常に大事だった。
その時だった。
工房の表から怒鳴り声。
まただった。
港は本当に騒がしい。
若い職人が飛び込んでくる。
顔が青い。
息も切れている。
「親方!」
「何だ」
「酒樽が!」
沈黙。
職人達の顔色が変わる。
今度は本当にまずいらしい。
「どこのだ」
ミゲル。
若者が答える。
「王立海軍向けです」
さらに沈黙。
嫌な予感しかしなかった。
非常に。
他人物視点
樽職人見習い ハビエル
親方が怒る。
怖い。
非常に。
だが。
海軍の酒樽で問題が起きた時の方がもっと怖い。
なぜなら。
相手は親方ではない。
海軍だからだ。
後世の港湾史研究より
骨樽勢力は後年、補給用樽の品質検査制度を導入したことで知られる。
特に飲料水・保存食・酒類用樽の管理は厳格であった。
その背景には、この頃に経験した複数の「樽騒動」があったと考えられている。
そしてその中でも特に有名なのが、次に語られる海軍向け酒樽事件である。