銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第十五話 中編 水を運ぶ人々

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十二週 一日目 昼過ぎ

 

水が減った。

 

港中が騒いだ。

 

魚が減った時と同じだった。

 

塩が足りない時とも同じだった。

 

人間は案外正直だ。

 

本当に困る物が減ると顔に出る。

 

今日の主役は水だった。

 

そして思った。

 

水は重い。

 

非常に重い。

 

――ゴメス

 

井戸の周囲は騒がしかった。

 

朝より人が増えている。

 

主婦。

 

魚屋。

 

食堂の親父。

 

船員。

 

荷役人夫。

 

誰もが桶を持っていた。

 

そして。

 

皆少し機嫌が悪い。

 

理由は簡単だ。

 

待たされるからだ。

 

井戸の水面は低い。

 

いつもより深い場所まで桶を下ろさねばならない。

 

時間が掛かる。

 

人が並ぶ。

 

文句が出る。

 

港らしい。

 

非常に。

 

「水はまだか!」

 

「順番だ!」

 

「俺は急いでる!」

 

「皆急いでる!」

 

周囲が笑う。

 

本人達は真面目だった。

 

水だからだ。

 

飯と同じくらい真面目になる。

 

その時。

 

荷車がやって来る。

 

大きい。

 

樽を積んでいる。

 

しかも大量だ。

 

水運びだった。

 

役人が呼んだらしい。

 

「来たぞ!」

 

誰かが叫ぶ。

 

周囲が少し明るくなる。

 

俺は荷車を見る。

 

樽。

 

また樽だ。

 

最近本当に樽ばかり見ている。

 

だが。

 

今回は酒ではない。

 

水だ。

 

港を生かす水。

 

荷車が止まる。

 

樽の栓が抜かれる。

 

桶へ注ぐ。

 

透明。

 

綺麗だった。

 

少なくとも港の泥水よりは。

 

「どこから持ってきた」

 

俺。

 

近くの女が振り向く。

 

日に焼けている。

 

腕も太い。

 

肩も広い。

 

桶を二つ持っていた。

 

普通ではない。

 

「北の泉」

 

女。

 

「遠いのか」

 

「歩いて一時間」

 

遠かった。

 

非常に。

 

「毎日か」

 

「毎日だ」

 

即答だった。

 

俺は少し黙る。

 

大変だ。

 

本当に。

 

女は笑う。

 

「慣れる」

 

そういう問題だろうか。

 

少し疑問だった。

 

その時。

 

ペペが桶を持ち上げる。

 

片手。

 

当然のように。

 

女が驚く。

 

「馬鹿力だな」

 

「飯食うからな」

 

ペペ。

 

何の説明にもなっていなかった。

 

だが。

 

妙に説得力はあった。

 

女は笑う。

 

「良いなそれ」

 

「食うか」

 

「仕事中だ」

 

「残念」

 

本気で残念そうだった。

 

昼。

 

暑さは増していた。

 

太陽が真上。

 

石畳が熱い。

 

風も弱い。

 

喉が渇く。

 

非常に。

 

だからだろう。

 

今日の昼飯は水が旨かった。

 

市場裏の食堂。

 

木陰。

 

長机。

 

労働者達が並ぶ。

 

皆疲れている。

 

そして腹も減っている。

 

今日の飯。

 

白豆と野菜の煮込み。

 

塩豚。

 

黒パン。

 

そして冷たい水。

 

豪華ではない。

 

だが。

 

十分だった。

 

鍋の蓋が開く。

 

湯気。

 

肉の香り。

 

玉葱。

 

人参。

 

香草。

 

豆。

 

腹が鳴る。

 

毎回だ。

 

もう諦めた。

 

匙を入れる。

 

豆は柔らかい。

 

塩豚は崩れる。

 

脂が煮汁へ溶けている。

 

一口。

 

旨い。

 

塩。

 

肉。

 

豆。

 

玉葱の甘味。

 

全部来る。

 

働く人間の飯だった。

 

だが。

 

今日は少し違う。

 

水だ。

 

木の杯を持つ。

 

冷たい。

 

井戸水。

 

少しだけ土の香り。

 

だが清々しい。

 

喉へ流れる。

 

身体が喜ぶ。

 

本当に。

 

「水が旨い」

 

思わず言う。

 

周囲が笑う。

 

「暑いからだ」

 

食堂の親父。

 

「違う」

 

俺。

 

「運んでる人間を見たからだ」

 

少し静かになる。

 

親父が頷く。

 

「それもあるな」

 

短かった。

 

だが。

 

少し嬉しそうだった。

 

その時だった。

 

外から怒鳴り声。

 

まただった。

 

港は本当に騒がしい。

 

誰かが走ってくる。

 

顔が青い。

 

汗だく。

 

「まずい!」

 

食堂の空気が変わる。

 

「何だ!」

 

親父。

 

男は息を整える。

 

そして叫ぶ。

 

「北の泉の水車が壊れた!」

 

沈黙。

 

皆の顔色が変わる。

 

水を運ぶ女も。

 

魚屋も。

 

食堂の親父も。

 

全員だ。

 

俺は少し考える。

 

そして理解する。

 

あの泉。

 

今日運ばれていた水。

 

港の命綱だったらしい。

 

他人物視点

水運び エステル

 

嫌な予感はしていた。

 

暑い年だった。

 

雨も少ない。

 

井戸も減る。

 

泉の水量も減る。

 

そして今。

 

水車まで壊れた。

 

こういう時は忙しくなる。

 

そして大抵。

 

面倒事は続く。

 

後世の港湾史研究より

 

後の骨樽港では、水源設備の保守点検が義務化されている。

 

井戸・泉・貯水池・水車は軍施設と同等に扱われた。

 

その背景には、この時期に経験した複数の給水危機があったと考えられる。

 

そして最初の大きな試練が、次に語られる「北の泉水車騒動」である。

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