銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第十二週 三日目
港には灯台がある。
夜になると光る。
それくらいしか知らなかった。
今日。
灯台守と飯を食った。
思った。
あの光は油で燃えている。
油は樽で運ばれる。
樽は職人が作る。
職人は飯を食う。
つまり灯台は飯で光る。
世の中は大体そんな感じらしい。
――ゴメス
朝。
港は少し静かだった。
珍しい。
本当に珍しい。
魚市場も落ち着いている。
荷役場も穏やかだ。
造船所もいつもより怒鳴り声が少ない。
平和だった。
だからだろう。
ペペは暇そうだった。
非常に。
「腹減った」
言った。
当然だった。
「さっき食っただろ」
ディエゴ。
「二時間前だ」
「十分だ」
「人間は食う生き物だ」
「お前ほどではない」
周囲が笑う。
いつもの朝だった。
露店で朝飯を買う。
焼いた鰯。
白パン。
山羊乳の柔らかいチーズ。
少量のオリーブ。
そして薄い葡萄酒。
海辺らしい飯だった。
炭火で焼かれた鰯。
皮はぱりぱり。
脂が浮く。
塩が振られている。
香ばしい匂い。
腹が鳴る。
毎回だ。
もう諦めた。
パンを割る。
外は硬い。
中は柔らかい。
湯気が出る。
小麦の香り。
そこへ鰯。
チーズ。
一緒に食う。
旨い。
非常に。
塩気。
脂。
乳の香り。
全部合う。
港の朝だった。
その時。
魚屋マルコが現れる。
桶を抱えている。
魚臭い。
いつも通りだ。
「暇か」
第一声だった。
「少し」
俺。
「なら届け物を頼まれてくれ」
嫌な予感。
非常に。
「何を」
「魚」
安心した。
少しだけ。
爆発物ではないらしい。
「どこへ」
「灯台」
少し意外だった。
灯台。
港の外れ。
岬の先。
白い塔。
夜になると光る。
それくらいしか知らない。
「魚食うのか」
俺。
マルコが呆れる。
「人間だぞ」
なるほど。
その通りだった。
少し反省した。
桶を受け取る。
重い。
かなり。
中を見る。
鰯。
鯖。
小さな鯛。
氷は無い。
代わりに塩。
ぎっしり詰まっている。
魚の匂い。
潮の匂い。
朝の海そのものだった。
「行くか」
ディエゴ。
「行こう」
俺。
ペペも付いてくる。
理由は簡単だった。
「昼飯あるかもしれん」
正直だった。
実にペペだった。
港を離れる。
道は岬へ続く。
海が見える。
青い。
波が光る。
船も見える。
小さい。
港が遠ざかる。
少し不思議だった。
あれだけ騒がしかった港。
離れると静かだ。
聞こえるのは。
風。
波。
鳥。
それだけ。
一時間ほど歩く。
やがて。
灯台が見えた。
高い。
白い。
石造り。
岬の先端。
海を見下ろしている。
近くで見ると大きかった。
想像以上に。
「でけぇな」
新入り。
全員同意だった。
本当に。
入口の前。
老人が座っている。
椅子。
煙草。
海。
実に似合っていた。
「魚だ」
俺。
老人はゆっくりこちらを見る。
目は細い。
顔は皺だらけ。
日に焼けている。
海の人間だった。
間違いなく。
「遅い」
第一声だった。
「すまん」
俺。
「まあいい」
老人。
そして桶を見る。
顔が少し緩む。
「今日は当たりだな」
魚の事らしい。
「毎日違うのか」
俺。
「海次第だ」
老人。
なるほど。
港と同じだった。
少し話していると。
灯台の中から香りが漂ってくる。
良い匂いだった。
非常に。
魚。
玉葱。
にんにく。
香草。
そして油。
腹が鳴る。
全員だった。
老人は笑う。
「まだ昼だぞ」
「腹は時計を見ない」
ペペ。
名言っぽかった。
実際はいつも通りだった。
老人は立ち上がる。
桶を持つ。
そして言った。
「飯の時間になったら食っていけ」
沈黙。
ペペの顔が輝く。
新入りも輝く。
俺も少し嬉しい。
ディエゴだけ頭を抱えていた。
どうやら。
今日の昼飯は期待できそうだった。
そして。
灯台がどうやって光るのかも。
少し見られるかもしれない。
第十六話 前編
灯台守の晩飯 続く
他人物視点
灯台守 エンリケ
港から変な水兵が来た。
魚を届けに。
妙な目をしていた。
船を見る目ではない。
灯台を見る目だった。
珍しい。
普通は景色を見る。
あいつは仕組みを見ている。
少し面白そうだった。
後世の港湾史研究より
骨樽勢力が後に整備する沿岸監視所・灯台網は、交易路保護の重要な柱となった。
研究者の間では、この灯台訪問がゴメスの海上監視思想へ与えた影響は小さくないと考えられている。
ただし当日の本人の関心は、記録を見る限り灯台より昼飯の方が大きかった可能性が高い。