銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第十二週 三日目 昼
灯台の中へ入った。
石だった。
階段だった。
油臭かった。
そして腹が減った。
灯台は船を導くらしい。
俺は昼飯に導かれた。
どちらが立派かは意見が分かれると思う。
――ゴメス
昼。
海風が吹いていた。
岬の上。
港より涼しい。
波が砕ける音。
鳥の鳴き声。
遠くを行く帆船。
静かだった。
港とは別世界だった。
「暇そうだな」
ペペ。
灯台守エンリケが笑う。
「そう見えるか」
「見える」
即答だった。
エンリケは煙草を咥える。
火を付ける。
ゆっくり吸う。
それから海を見る。
「嵐の日に来い」
短かった。
だが。
妙に重かった。
「忙しいのか」
俺。
「死ぬほどな」
少しだけ笑う。
本気らしかった。
灯台の扉が開く。
中は石造りだった。
ひんやりしている。
外より涼しい。
湿った石の匂い。
油の匂い。
煤。
古い木材。
独特だった。
階段が続く。
上へ。
ひたすら上へ。
ぐるぐる回る。
終わらない。
本当に終わらない。
「まだか」
新入り。
「まだだ」
エンリケ。
「まだか」
ペペ。
「まだだ」
「腹減った」
「黙れ」
全員一致だった。
ようやく最上階。
景色が開ける。
海。
海。
そして海。
水平線まで見える。
遠く。
小さな帆船。
さらに遠く。
白い波。
風が強い。
帽子が飛びそうだった。
「おお……」
新入りが呟く。
俺も同じだった。
高い。
そして広い。
港が小さく見える。
魚市場も。
造船所も。
倉庫も。
全部だ。
まるで玩具だった。
エンリケは窓辺へ立つ。
慣れた動きだった。
「ここから船を見る」
「毎日か」
「毎日だ」
「飽きないか」
少し考える。
そして笑う。
「船は毎日違う」
なるほど。
少し分かる気がした。
港もそうだ。
魚も違う。
人も違う。
だから面白い。
部屋の中央。
巨大な灯火装置。
金属。
ガラス。
反射板。
見たことがない形だった。
「これで光るのか」
俺。
「光る」
エンリケ。
「何で」
「油」
また油だった。
樽の中身だ。
最近よく出会う。
「どれくらい使う」
「一晩で樽半分」
沈黙。
思ったより多い。
かなり。
「そんなに」
「海は広い」
簡単だった。
だが納得した。
灯りは遠くまで届かなければ意味がない。
だから燃やす。
大量に。
その時だった。
下から香り。
良い匂い。
非常に。
魚。
にんにく。
玉葱。
トマト。
香草。
そして油。
腹が鳴る。
全員だった。
恥ではない。
料理が悪い。
非常に。
「飯だ」
エンリケ。
ペペが最速で動いた。
本当に速かった。
海賊船でも襲えそうだった。
食堂。
というほど立派ではない。
石壁。
木机。
鍋。
それだけ。
だが。
旨そうだった。
非常に。
今日の主役は魚の煮込み。
鯖。
鰯。
玉葱。
トマト。
にんにく。
香草。
鍋の中で煮込まれている。
赤い。
鮮やかだった。
湯気が立つ。
魚の脂。
トマトの酸味。
香草。
全部混ざる。
腹が鳴る。
匙を入れる。
魚は崩れる。
柔らかい。
骨までほろほろだった。
一口。
熱い。
そして旨い。
最初に魚。
次にトマト。
玉葱の甘味。
にんにく。
最後に油の香り。
全部来る。
パンを浸す。
赤い煮汁を吸う。
さらに旨い。
危険だった。
非常に。
「うまい」
本音だった。
エンリケは満足そうに頷く。
「魚は新鮮だからな」
港から届いた魚だった。
なるほど。
だから旨い。
その時。
外から鐘の音。
一回。
二回。
三回。
エンリケの顔が変わる。
職人の顔だった。
「船だ」
短かった。
だが。
少し様子がおかしい。
彼は立ち上がる。
窓へ向かう。
望遠鏡を掴む。
海を見る。
そして。
ゆっくり呟いた。
「妙だな」
その言葉で。
部屋の空気が変わった。
他人物視点
灯台守 エンリケ
帆船が見えた。
それだけなら普通だ。
だが。
旗が違う。
見慣れない。
そして。
風向きも妙だった。
嫌な予感がする。
海で長く生きると。
そういう勘は当たる。
大抵。
嫌な方へ。
後世の港湾史研究より
骨樽勢力の沿岸監視網は、後に海賊や密輸船の早期発見で高い成果を上げる。
その思想の原点は、灯台や監視所が持つ「遠くを見る力」にあった。
そしてゴメスが初めてその重要性を実感したのが、この見慣れぬ船との遭遇であったと考えられている。