銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第十六話 後編 最初に船を見る者

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十二週 三日目 夜

 

灯台守は最初に船を見る。

 

港は後から見る。

 

つまり灯台守は港より先に未来を見る。

 

本人に言った。

 

「大袈裟だ」

 

と言われた。

 

たぶん照れていた。

 

――ゴメス

 

「妙だな」

 

エンリケの声は小さかった。

 

だが。

 

昼飯の余韻は消えた。

 

完全に。

 

魚の煮込み。

 

トマト。

 

香草。

 

旨かった。

 

非常に。

 

だが今は違う。

 

皆窓へ集まる。

 

海を見る。

 

青い海。

 

白い波。

 

遠く。

 

小さな帆船。

 

本当に小さい。

 

だが。

 

エンリケは見ている。

 

真剣な顔で。

 

望遠鏡越しに。

 

「何が妙なんだ」

 

俺。

 

エンリケは答えない。

 

しばらく海を見る。

 

風を見る。

 

帆を見る。

 

そして。

 

「商船じゃない」

 

短かった。

 

「軍船か」

 

ディエゴ。

 

「違う」

 

さらに短い。

 

少し嫌な予感がする。

 

「なら何だ」

 

エンリケは望遠鏡を下ろす。

 

海を指差す。

 

「あの辺り」

 

水平線近く。

 

小さな影。

 

見えるような。

 

見えないような。

 

微妙な距離。

 

「船が一隻なら普通だ」

 

「うむ」

 

「だが二隻いる」

 

俺は目を細める。

 

確かに。

 

いる。

 

小さい。

 

だがいる。

 

「もう一隻は見えないように動いてる」

 

少し沈黙。

 

「何故だ」

 

俺。

 

エンリケが肩を竦める。

 

「知らん」

 

正直だった。

 

「だが」

 

海を見る。

 

長年見てきた人間の目だった。

 

「嫌な動きだ」

 

その時。

 

鐘が鳴る。

 

灯台の鐘。

 

低い音。

 

海へ響く。

 

一回。

 

二回。

 

三回。

 

「何だ」

 

新入り。

 

「連絡だ」

 

エンリケ。

 

灯台には旗がある。

 

鐘もある。

 

昼は旗。

 

夜は灯火。

 

霧なら鐘。

 

船へ。

 

港へ。

 

知らせる。

 

それが仕事らしい。

 

「港へ知らせるのか」

 

俺。

 

「知らせる」

 

即答だった。

 

「まだ何も起きてないぞ」

 

エンリケは笑った。

 

少しだけ。

 

「だから知らせる」

 

なるほど。

 

少し分かった。

 

魚屋は魚が腐る前に塩を使う。

 

樽職人は漏れる前に締める。

 

縄職人は切れる前に替える。

 

灯台守も同じだった。

 

何か起きる前に知らせる。

 

それが仕事。

 

下へ降りる。

 

石階段。

 

ぐるぐる。

 

長い。

 

非常に。

 

ペペが文句を言う。

 

「飯の後に登るもんじゃない」

 

「誰も登ってない」

 

ディエゴ。

 

正論だった。

 

灯台の外。

 

夕方。

 

海は赤かった。

 

太陽が沈む。

 

波が光る。

 

美しかった。

 

本当に。

 

その時。

 

港側から馬が来る。

 

役人だった。

 

息が上がっている。

 

かなり急いだらしい。

 

「エンリケ!」

 

「見たか」

 

第一声だった。

 

灯台守は頷く。

 

「見た」

 

「二隻だ」

 

役人も頷く。

 

どうやら。

 

港でも気付いたらしい。

 

少し安心した。

 

情報が繋がっている。

 

良い事だ。

 

「商船だと思うか」

 

役人。

 

エンリケは考える。

 

少しだけ。

 

「分からん」

 

正直だった。

 

「だが」

 

海を見る。

 

赤い海。

 

黒い船影。

 

遠く。

 

本当に遠く。

 

「念のため見張りを増やせ」

 

役人は頷く。

 

すぐ馬へ戻る。

 

そして走る。

 

港へ。

 

その背中を見ながら。

 

俺は少し感心する。

 

港は面白い。

 

魚だけではない。

 

塩だけでもない。

 

縄でもない。

 

樽でもない。

 

情報も運んでいる。

 

しかも。

 

急いで。

 

夜。

 

灯火が灯る。

 

巨大な炎。

 

油が燃える。

 

ガラスが輝く。

 

海へ光が伸びる。

 

遠くまで。

 

本当に遠くまで。

 

俺は見上げる。

 

灯台。

 

ただの塔ではない。

 

船を見る。

 

危険を見る。

 

港へ知らせる。

 

そういう場所だった。

 

「毎晩やるのか」

 

俺。

 

エンリケが笑う。

 

「毎晩だ」

 

「大変だな」

 

「飯を食う方が大変だろ」

 

ペペを見る。

 

全員納得した。

 

本人だけ不満そうだった。

 

「失礼だぞ」

 

その夜。

 

見慣れない船は何も起こさなかった。

 

ただ通り過ぎた。

 

商船だったらしい。

 

港の警戒も解除された。

 

だが。

 

俺は覚えていた。

 

灯台守の言葉を。

 

何か起きる前に知らせる。

 

それは。

 

魚より。

 

塩より。

 

少しだけ難しい仕事に思えた。

 

他人物視点

港役人 サンチェス

 

灯台があるから助かる。

 

港は忙しい。

 

市場を見る。

 

船を見る。

 

倉庫を見る。

 

全部は見られない。

 

だから。

 

岬の上で見ている男が必要になる。

 

港は海を見る。

 

灯台はそのさらに先を見る。

 

後世の港湾史研究より

 

骨樽勢力の沿岸監視網は、後年「見つけてから動くな。見つかる前に動け」という思想で知られる。

 

海賊対策、遭難船救助、暴風警戒など多くの制度の基礎となった。

 

研究者の多くは、この灯台訪問がゴメスへ与えた影響は極めて大きかったと考えている。

 

なお当人の記録には、

 

「魚の煮込みがうまかった」

 

という感想も同じくらいの熱量で残されている。

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