銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~   作:ヒツジ(ラム肉

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第十七話 中編 麦袋は泳がない

航海日誌

帝国暦一七三年 雨季 第十二週 六日目 昼

 

麦袋が川へ落ちた。

 

泳ぐかと思った。

 

泳がなかった。

 

沈んだ。

 

当たり前だった。

 

商人は泣きそうだった。

 

船頭はもっと泣きそうだった。

 

飯というものは水に弱いらしい。

 

――ゴメス

 

「落ちたぞ!」

 

誰かが叫ぶ。

 

既に見ていた。

 

全員見ていた。

 

麦袋だった。

 

大きい。

 

かなり大きい。

 

人一人では持てない。

 

それが川へ落ちた。

 

どぼん。

 

そして。

 

沈んだ。

 

実にあっさり。

 

「おい!」

 

商人。

 

真っ赤な顔。

 

「引き上げろ!」

 

船頭。

 

こちらも真っ赤。

 

「どうやってだ!」

 

正論だった。

 

周囲が少し笑う。

 

だが。

 

笑い事ではないらしい。

 

非常に。

 

川面を見る。

 

少しだけ袋の角が見える。

 

だが。

 

水を吸っている。

 

重そうだった。

 

本当に。

 

「終わりか」

 

俺。

 

近くの荷役人夫が首を振る。

 

「まだだ」

 

「引き上げるのか」

 

「引き上げる」

 

即答だった。

 

なるほど。

 

港の人間らしい。

 

諦めが悪い。

 

非常に。

 

その時。

 

縄が運ばれてくる。

 

また縄だった。

 

最近本当に多い。

 

だが。

 

必要らしい。

 

「船を寄せろ!」

 

「杭へ固定しろ!」

 

「流されるぞ!」

 

河岸が騒がしくなる。

 

職人。

 

船頭。

 

荷役人夫。

 

皆動く。

 

誰も暇そうではない。

 

俺達も手伝う。

 

桶を運ぶ。

 

縄を運ぶ。

 

言われるまま。

 

正直。

 

邪魔をしない方が役立つ気もした。

 

それくらい皆慣れている。

 

川船の船頭フランコが指示を飛ばす。

 

怒鳴る。

 

走る。

 

縄を引く。

 

海船の船長みたいだった。

 

川の男だが。

 

やはり船乗りらしい。

 

やがて。

 

鈎付きの長竿が投入される。

 

川へ。

 

沈んだ袋を探す。

 

何度も。

 

何度も。

 

何度も。

 

暑い。

 

汗が流れる。

 

川は静かだ。

 

だが。

 

河岸は戦場だった。

 

その時。

 

「掛かった!」

 

歓声。

 

全員が反応する。

 

縄が張る。

 

川面が揺れる。

 

泥が舞う。

 

少しずつ。

 

本当に少しずつ。

 

袋が現れる。

 

茶色い。

 

泥だらけ。

 

哀れだった。

 

非常に。

 

「上げろ!」

 

皆で引く。

 

重い。

 

異常に重い。

 

水を吸っている。

 

麦袋とは思えない。

 

ようやく岸へ。

 

どさり。

 

沈黙。

 

全員見る。

 

袋を見る。

 

商人も見る。

 

まるで医者だった。

 

患者を見る医者。

 

袋が開かれる。

 

中。

 

麦。

 

水浸し。

 

完全に。

 

商人が顔を覆う。

 

少し可哀想だった。

 

かなり。

 

「駄目か」

 

俺。

 

商人はため息。

 

深い。

 

非常に深い。

 

「パンには出来る」

 

少し希望があるらしい。

 

「本当か」

 

「急げばな」

 

なるほど。

 

全部終わりではない。

 

少し安心した。

 

昼。

 

作業終了。

 

当然。

 

腹が減る。

 

河岸の飯屋。

 

船頭達御用達。

 

安い。

 

量が多い。

 

騒がしい。

 

良い店だった。

 

今日の飯。

 

魚のスープ。

 

白豆。

 

黒パン。

 

塩漬け肉。

 

玉葱。

 

そして薄い葡萄酒。

 

働く男の飯だ。

 

大鍋が運ばれる。

 

魚の香り。

 

玉葱。

 

香草。

 

腹が鳴る。

 

当然だった。

 

木匙を入れる。

 

魚は崩れる。

 

柔らかい。

 

スープは濃い。

 

出汁が出ている。

 

玉葱も甘い。

 

一口。

 

旨い。

 

非常に。

 

魚。

 

塩。

 

野菜。

 

全部来る。

 

身体へ入る。

 

最高だった。

 

フランコも食っている。

 

凄い勢いだった。

 

「大変だな」

 

俺。

 

フランコは笑う。

 

少し疲れている。

 

「落ちるのは麦だけじゃない」

 

「他もか」

 

「人も落ちる」

 

沈黙。

 

それは困る。

 

非常に。

 

「だから縄が要る」

 

また縄だった。

 

魚。

 

塩。

 

樽。

 

水。

 

縄。

 

全部出てくる。

 

港とはそういう場所らしい。

 

その時。

 

外から鐘。

 

河岸の鐘だった。

 

一回。

 

二回。

 

三回。

 

船頭達の顔が変わる。

 

何かあったらしい。

 

良くない予感だった。

 

非常に。

 

他人物視点

商人 カルロス

 

麦は助かった。

 

全部ではない。

 

だが半分以上残った。

 

十分だ。

 

問題は別だった。

 

落ちた袋を引き上げた場所。

 

あそこに何か引っ掛かっていた。

 

古い。

 

大きな。

 

何かだ。

 

後世の物流史研究より

 

骨樽勢力の河川管理記録には「川底障害物調査」の文字が頻繁に登場する。

 

一見地味な業務であるが、物流効率向上へ大きく寄与したとされる。

 

研究者の中には、この麦袋落下事故がその発想の出発点だったと考える者もいる。

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