銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第十三週 六日目
港は汚れる。
魚が落ちる。
野菜が落ちる。
酒もこぼれる。
羊は糞をする。
人間も大体似たようなものだ。
だが朝になると港は綺麗になっている。
今日。
誰が掃除しているのか見に行った。
思った。
港は箒でも出来ている。
――ゴメス
夜明け前。
まだ暗い。
空は青黒い。
海も静か。
波の音だけが聞こえる。
港も珍しく眠っていた。
魚市場も。
酒場も。
河岸も。
静かだった。
そのはずだった。
「何だあれ」
新入りが呟く。
港の通り。
人がいる。
かなりいる。
しかも働いている。
箒。
桶。
荷車。
そして大きな熊手。
掃除だった。
本格的な。
「こんな時間からか」
俺。
近くの老婆が笑う。
「今だからだよ」
なるほど。
人が少ない。
荷車も少ない。
船員も寝ている。
だから掃除できる。
理屈だった。
非常に。
魚市場へ向かう。
昨日の残骸。
魚の鱗。
内臓。
折れた籠。
腐った野菜。
色々ある。
昼間は気付かなかった。
人が多いからだ。
だが。
こうして見ると。
結構汚い。
かなり。
「臭ぇ……」
新入り。
全員頷く。
魚市場だからだ。
当然だった。
掃除人達は慣れている。
魚の残骸を集める。
桶へ。
荷車へ。
運ぶ。
無駄が無い。
見事だった。
その時。
一人の男が現れる。
背が高い。
肩幅も広い。
熊手を担いでいる。
武器みたいだった。
少し怖い。
「親方」
誰かが呼ぶ。
なるほど。
掃除人の親方らしい。
名前はラモン。
港では有名らしい。
俺は知らなかった。
最近そういう人が増えている。
「魚屋はまだか」
ラモン。
「もう来ます」
部下。
親方は頷く。
そして。
市場を見る。
真剣だった。
船長みたいだった。
少し意外だ。
掃除人なのに。
「何見てる」
俺。
ラモンが振り向く。
少し驚く。
「変な水兵か」
嫌な呼ばれ方だった。
最近定着している。
非常に。
「何見てるんだ」
もう一度聞く。
ラモンは市場を指差す。
「詰まる場所」
短かった。
意味は分からない。
「何が」
「全部だ」
なるほど。
全然分からなかった。
その時。
魚市場の排水溝。
細い水路。
そこを指差す。
魚の鱗。
野菜屑。
泥。
色々溜まっている。
「放置すると?」
俺。
「臭う」
頷く。
分かる。
「虫が湧く」
それも分かる。
「病気も来る」
少し静かになる。
なるほど。
掃除とは見た目だけではないらしい。
面白い。
本当に。
朝日が昇る。
空が赤くなる。
市場も目覚める。
魚屋達が来る。
商人も来る。
荷役人夫も来る。
皆働き始める。
そして。
綺麗になった市場を見る。
当たり前の顔をする。
少しだけ笑った。
誰も掃除人を見ていない。
当然だからだ。
水が出るのと同じ。
灯台が光るのと同じ。
綺麗なのが普通。
だから誰も気付かない。
その時だった。
市場の奥。
排水溝から。
ごぼっ。
変な音。
全員止まる。
もう一度。
ごぼっ。
嫌な予感だった。
非常に。
ラモンが顔をしかめる。
「……まずいな」
短かった。
だが。
本当にまずそうだった。
第二十話 前編
港を掃く者たち 続く
他人物視点
清掃親方 ラモン
港の連中は魚を見る。
船を見る。
銀貨を見る。
だが。
排水溝は見ない。
詰まるまで。
だから毎回こうなる。
そして毎回。
俺達の仕事になる。
後世の港湾史研究より
骨樽勢力は後年、港湾衛生局を設置したことで知られる。
排水管理、廃棄物処理、公衆衛生を一括管理した先進的な制度であった。
研究者の多くは、この清掃人達との出会いがゴメスの「見えない仕事への理解」を深めた重要な契機だったと考えている。