銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第十三週 六日目 夜
排水溝から樽が出てきた。
正確には樽の半分だった。
何故そこにあったのかは誰も知らない。
港だからだと思う。
最近この説明で大体通る。
少し危険な気もする。
――ゴメス
悲鳴だった。
市場の方。
昼飯の最中。
魚の煮込み。
黒パン。
そして静かな時間。
全部終わった。
一瞬で。
「何だ!」
ラモンが立ち上がる。
掃除人達も続く。
匙を置く。
飯を置く。
全員走る。
慣れていた。
嫌な事に。
俺達も付いて行く。
興味があった。
非常に。
市場中央。
人だかり。
魚屋。
商人。
荷役人夫。
皆集まっている。
そして。
地面。
水だった。
大量に。
排水溝から溢れている。
先ほどまで流れていたはずなのに。
再び。
完全に。
「おいおい」
ディエゴ。
全員同意だった。
本当に。
ラモンが排水溝を見る。
顔が険しい。
珍しい。
かなり。
「奥だな」
短かった。
掃除人達も頷く。
どうやら。
本命が残っていたらしい。
嫌な話だった。
非常に。
作業再開。
蓋が外される。
縄が運ばれる。
長い棒も。
熊手も。
全部だ。
まるで船の修理だった。
違うのは。
臭いだけだった。
かなり。
その時。
見習いのトマスが叫ぶ。
「掛かった!」
今日三回目だった。
港ではよくあるらしい。
皆集まる。
縄を握る。
引く。
重い。
異常に。
「石か!」
「違う!」
「流木か!」
「もっと重い!」
少しずつ。
少しずつ。
泥が上がる。
水も濁る。
臭いも増える。
最悪だった。
そして。
現れた。
樽だった。
半分だけ。
砕けた。
腐った。
泥まみれ。
哀れだった。
非常に。
沈黙。
全員見る。
「何故だ」
俺。
ラモンが答える。
「俺が聞きたい」
正直だった。
周囲が笑う。
少しだけ。
どうやら。
かなり昔に流れ込んだ樽らしい。
割れた。
引っ掛かった。
そこへ。
魚網。
藻。
木片。
色々集まる。
結果。
詰まる。
なるほど。
川底の難破船と同じだった。
小さい問題。
だが放置すると大きい。
最近そんな話ばかりだ。
その時。
樽が取り除かれる。
水が動く。
最初は少し。
それから。
一気に。
ざあああああ。
流れる。
勢いよく。
排水溝が生き返る。
歓声。
拍手。
市場の人間も。
魚屋も。
商人も。
全員だ。
理由は簡単。
臭わなくなるからだ。
非常に重要だった。
ラモンは座り込む。
疲れたらしい。
当然だ。
朝からずっと働いている。
「終わったな」
俺。
「終わった」
ラモン。
短かった。
だが。
満足そうだった。
その時。
魚屋マルコが近付く。
珍しく機嫌が良い。
怖かった。
少し。
「助かった」
そう言って。
酒瓶を置く。
一本。
かなり良い物らしい。
ラモンは驚く。
周囲も驚く。
どうやら珍しいらしい。
非常に。
「市場からだ」
マルコ。
「臭いのは嫌だからな」
正直だった。
全員笑う。
理由は同じだった。
夜。
仕事は終わる。
市場も閉まる。
海風が吹く。
静かだった。
昼間が嘘みたいに。
掃除人達は帰る。
箒を担ぐ。
桶を運ぶ。
誰も見ていない。
昼間の市場は覚えていても。
朝の掃除は忘れる。
たぶん明日も。
だが。
それで良いのかもしれない。
綺麗なのが当たり前なら。
仕事は成功だ。
少し格好良いと思った。
本当に。
帰り道。
ディエゴが言う。
「最近変わったな」
「何が」
俺。
「魚だけ見なくなった」
少し考える。
確かに。
魚。
塩。
縄。
樽。
水。
川。
羊。
手紙。
掃除人。
色々見ている。
港そのものを。
見始めている気がした。
「面白いからな」
俺。
ディエゴは笑う。
「そのうち港ごと欲しがるぞ」
俺も笑った。
流石にそれは無い。
まだ。
たぶん。
他人物視点
清掃親方 ラモン
魚屋は魚を売る。
商人は荷を売る。
船長は船を動かす。
俺は汚れを消す。
地味だ。
非常に。
だが。
誰かがやらないと港は止まる。
それだけだ。
後世の港湾史研究より
骨樽勢力では後年、「見えない仕事ほど優先して守れ」という考え方が広く知られるようになる。
清掃、水源管理、灯台運営、補修職人などがその代表例であった。
第二十話で描かれた港湾清掃隊との交流は、ゴメスの思想形成における重要な転換点として評価されている。
この頃の彼はまだ一介の水兵であった。
しかし既に、「港を動かしているのは船だけではない」という考えへ辿り着き始めていたのである。