銀では腹は膨らまない ~ゴメス暴走記録~ 作:ヒツジ(ラム肉
航海日誌
帝国暦一七三年 雨季 第八週 三日目 夜
倉庫が燃えた。
人が走った。
衛兵も走った。
ペペも走った。
一番怪しいのはペペだと思う。
本人は否定した。
だから多分違う。
――ゴメス
「火事だぁぁぁ!!」
港中へ響く叫び。
鐘が鳴る。
一度。
二度。
三度。
嫌な音だった。
港に慣れた人間ほど顔色が変わる。
倉庫は金だ。
船も金だ。
積荷も金だ。
つまり火事は金が燃えている。
誰だって慌てる。
「走れ!」
ペペが叫ぶ。
「何でお前が指揮してる」
俺。
「雰囲気だ!」
意味は分からない。
だが足は動いた。
人混み。
怒鳴り声。
荷車。
犬。
子供。
全部避けながら進む。
倉庫街。
煙。
火。
熱。
燃えていた。
見事に。
大きな倉庫が一つ。
屋根まで真っ赤だった。
「うわぁ……」
新入りが呟く。
同感だった。
近付くだけで熱い。
顔が痛い。
眉毛が焦げそうだ。
「水だ!」
「樽持て!」
「早くしろ!」
港の男達が走り回る。
衛兵もいる。
商人もいる。
船員もいる。
全員で消火だ。
燃え広がれば港が終わる。
それは誰も望まない。
「おいゴメス!」
ペペ。
「何だ」
「運ぶぞ!」
「何を」
「水だ!」
正論だった。
俺達も樽を運ぶ。
重い。
非常に重い。
だが。
船で鍛えられた。
この程度ならどうという事はない。
何往復もする。
汗が流れる。
熱い。
煙い。
喉が痛い。
それでも運ぶ。
やがて。
火勢が弱くなる。
歓声。
拍手。
誰かが座り込む。
誰かが水を飲む。
誰かがそのまま寝た。
限界だったのだろう。
俺も座る。
疲れた。
非常に疲れた。
その時。
倉庫主らしい男が現れる。
太っている。
良い服。
良い靴。
良い指輪。
つまり金持ちだ。
男は倉庫を見て。
膝をついた。
「終わった……」
本気で終わった顔だった。
「全部だ……」
周囲が静かになる。
積荷。
商品。
契約。
全部燃えたのだろう。
金持ちにも不幸はあるらしい。
少し安心した。
「何が入ってたんだ」
ペペが聞く。
近くの荷役人夫が答える。
「羊毛だ」
「あー」
全員納得。
よく燃える。
実によく燃える。
「それだけじゃねぇ」
男は続ける。
「銀もだ……」
静かになった。
本当に静かになった。
風の音まで聞こえる。
「銀?」
誰かが呟く。
男は頷く。
「給料用だ……」
港全体が沈黙した。
給料。
つまり。
人の金だ。
燃えた。
全部。
「うわぁ……」
新入り。
また同じ反応だった。
俺も同意見だ。
酷い。
非常に酷い。
その時だった。
「待て」
ペペが言った。
珍しく真面目な声だった。
皆が見る。
ペペは燃え跡を指差した。
「銀って燃えるのか?」
沈黙。
全員沈黙。
確かに。
銀貨だ。
木じゃない。
紙でもない。
銀だ。
燃えるのか?
「……燃えねぇな」
ディエゴ。
「燃えねぇな」
俺。
「燃えないな」
荷役人夫。
全員。
燃えない事に気付いた。
倉庫主だけが固まる。
そして。
顔色が変わった。
「掘れぇぇぇぇ!!」
怒鳴った。
港中へ響く大声だった。
一瞬静まり返る。
そして。
全員が燃え跡へ向かった。
銀貨は燃えない。
つまり。
まだそこにある。
「掘れ!」
「掘れぇ!」
「銀だぁ!」
人間は分かりやすい生き物だった。
さっきまで消火していた男達が。
今度は宝探しを始めている。
ペペもいる。
当然いる。
「お前も行くのか」
俺が聞く。
ペペは真顔だった。
「給料だからな」
「お前のじゃない」
「未来の俺のだ」
「違う」
だが。
その時。
俺はふと思った。
銀貨。
皆必死だ。
必死に掘る。
必死に探す。
必死に奪い合う。
だが。
数日前まで。
全員。
腐ったスープを飲んでいた。
銀は食えない。
だが皆欲しがる。
何故だろうな。
そんな事を考えながら。
俺も瓦礫をどかし始めた。
タダ働きは嫌いだ。