帰還誘導兵 ― その列の先に、帰る場所   作:自給自足

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第十八話 列を作る

 帰り道は、行きより重かった。

 人が増えた。

 食料が増えた。

 車両が増えた。

 それだけなら、喜んでいいはずだった。助けに行って、持って帰れるものが増えた。明日のスープに豆が一粒増えるかもしれない。医療棟で薬を飲ませる水が少し残るかもしれない。子供が空腹で泣く時間が、ほんの少しだけ短くなるかもしれない。

 でも、増えたものは全部、列を重くする。

 雪道は静かだった。

 静かすぎて、車両ごとの音の違いが分かった。先頭車は乾いた音で走る。補給班の食料車は、低く、腹の底から唸る。ミナの輸送車はときどき変な咳をした。

 車にも咳がある。

 ミナが前にそう言っていた。

 今の列は、全部が咳をしているようだった。

 人も。

 車も。

 食料も。

 道も。

 カナタは荷台の後ろに座っていた。

 膝の上に小銃。

 手袋はまだ湿っている。

 指先の感覚は少し鈍い。息を吐くと白くなる。その白さがすぐ後ろへ流れて、食料車の排気と混ざって消える。

 後ろには、置いてきた食料車がある。

 もう見えない。

 でも、音だけはしばらく耳に残っていた。

 誰も乗っていない車のエンジン音。

 レイスを引きつけるために、熱と音だけを残された車。

 あれは、たぶん車の鳴き声だった。

 そう考えてしまって、カナタは少しだけ嫌になった。

「名前、つけます?」

 ユウトが言った。

 隣で、タクトが缶詰箱に布をかけている。箱同士がぶつかって音を立てないようにするためだ。空のオレンジソーダ缶に布を巻いた時と同じ手つきだった。

「何の名前ですか」

「この列」

「列に名前を?」

「だって、人と食料と補給班と学徒と患者服の密航者が混ざってますし」

 通信からリゼの声が入った。

『密航者じゃない。備蓄』

「その設定まだ続けるんですか」

『継続は力』

「セナさんに聞かれたら終わりますよ」

『今は通信圏外ということにして』

「無理がある」

 ほんの少し笑いが起きた。

 笑いは弱い。

 でも、あった。

 カナタは思った。

 列には、こういうものも必要なのだ。

 銃。

 燃料。

 食料。

 医療品。

 それだけでは足りない。

 誰かの冗談。

 患者服で食料車に隠れるリゼ。

 豆の数。

 車に謝れと言うミナ。

 空のオレンジソーダ缶。

 そういう役に立たないものが、役に立つ時がある。

 名前はない。

 でも確かに、列を少しだけ前へ動かしている。

「豆スープ防衛隊」

 タクトがぼそっと言った。

 ユウトが吹き出した。

「採用したい」

「却下です」

 カナタは言った。

「なんでですか。親しみやすいのに」

「真面目な報告書に書けません」

 ミナの声が入る。

『報告書に“豆スープ防衛隊、帰還しました”って書いたら、ちょっと見たい』

 ガレスが低く言った。

『くだらねぇ名前つける暇があるなら後ろ見ろ』

「見てます」

 カナタは答えた。

 見ている。

 後ろ。

 横。

 前。

 中央。

 以前は最後尾ばかり見ていた。

 後ろから黒いものが来る。

 だから後ろを守る。

 それだけだと思っていた。

 でも、違った。

 列は後ろからだけ壊れるわけではない。

 中央から壊れる。

 荷物から壊れる。

 声から壊れる。

 誰かが「自分は大丈夫」と言った瞬間に壊れる。

 誰かが「これは必要だ」と言って荷物を手放さなかった時にも壊れる。

 だから、見る場所が増えた。

 目は二つしかないのに。

 その時、アイラの通信が入った。

『後方熱源、減少』

 ガレスが答える。

「囮車か」

『一部は。ただし』

 短いノイズ。

『前方、熱源あり』

 前方。

 カナタは荷台から身を乗り出した。

 雪の向こう。

 白い道。

 防雪柵。

 その先、黒い点。

 一つ。

 二つ。

 増える。

 息が冷たくなる。

「待ち伏せです」

 すぐ分かった。

 嫌になるくらい、すぐ。

 レイスは追ってこなかったのではない。

 回り込んでいた。

 しかも、先頭の正面ではない。

 道が細くなる場所。

 右に防雪柵。

 左に凍った用水路。

 前が詰まれば、中央が止まる。

 中央が止まれば、食料車が詰まる。

 食料車が止まれば、人が焦る。

 焦った人間が横へ逃げる。

 用水路へ落ちる。

 防雪柵へ寄る。

 そこで列が折れる。

 そこまで見えた。

 見たくなかった。

 でも見えた。

「中央も見てください」

 カナタは言った。

『中央?』

 ガレスの声。

「前が止まると、中央が詰まります。敵はそこを見ています」

 少し沈黙。

 ミナが言った。

『最悪』

 補給班の男も通信に入る。

『食料車は急には止まれない』

「止めません」

『どうする』

 どうする。

 カナタは道を見た。

 防雪柵。

 用水路。

 雪の硬さ。

 車両の間隔。

 徒歩組の位置。

 リゼが乗っている食料車二号。

 ユウトとタクト。

 ミナの車。

 ガレスの先頭車。

 すべてが線になる。

 絡まりかけた糸。

 切れそうな場所。

 それを切らないために、逆に分ける。

「列を三つに分けます」

 カナタは言った。

 通信が静かになった。

「先頭は速度を落とさず右へ寄せて敵を引く。中央の食料車は車間を開ける。徒歩組と軽車両は防雪柵沿いに抜ける。最後尾は止まらない。止まったら詰まります」

『簡単に言うな』

 ガレスが言った。

「難しく言う時間がありません」

『それもそうだ』

 ガレスは少し笑った。

 それから、声を低くする。

『各車、聞いたな。列を三つに割る。ただし壊すな。戻すために割る』

 その言葉が、カナタの胸に残った。

 割る。

 でも壊さない。

 戻すために割る。

 矛盾している。

 でも、たぶん正しい。

 リゼの声が入る。

『先生』

「先生じゃないです」

『こういう時、授業なら何点?』

「赤点です」

『厳しい』

「実地なので」

『じゃあ補習で生き残る』

 ユウトが小さく笑った。

 タクトも笑った。

 笑いながら、二人は缶詰箱を固定し直す。

 手が震えている。

 でも動いている。

 それでいい。

 ミナが速度を上げる。

 ガレスの車両が先頭へ出る。

 補給班が食料車へ合図を送る。

 列が少しずつ形を変え始めた。

 前へ出る車。

 間隔を開ける車。

 徒歩組を守る車。

 声を出す人。

 数える人。

 荷物を押さえる人。

 それぞれが、自分の場所を持つ。

 名前のない役割が、雪の上で生まれていく。

 レイスが前方から動いた。

 黒い影が低く走る。

 ガレスの車両が機銃を撃つ。

 雪が跳ねる。

 レイスが散る。

 だが何体かは横へ流れた。

 中央へ。

 予想通り。

 予想通りという言葉が嫌だった。

「中央!」

 カナタが叫ぶ。

 ユウトが動く。

「タクト、右!」

「はい!」

 二人は食料車の横へ走る。

 銃を撃つためではない。

 人を動かすために。

「詰めない!箱押さえて!車間空けて!そこ走らない!」

「子供は車の陰!缶詰箱、落ちたら拾わない!後で泣く!」

「後で泣くって何!?」

「今泣くと走れないので!」

 少しだけ笑いが起きた。

 笑いながら、人が動いた。

 笑いはすぐ消える。

 でも、足を一歩前に出すには十分だった。

 ミナの車両が食料車と徒歩組の間へ入る。

 防雪柵ぎりぎり。

 鉄板が柵を擦る。

 嫌な音。

 ミナが悲鳴みたいな声を上げる。

『こすった!今こすった!』

「人が通れます!」

『車が泣いてる!』

「人も泣きます!」

『じゃあ全員泣け!』

 文句を言いながら、彼女は車を寄せ続けた。

 その隙間を徒歩組が抜ける。

 補給班の男が食料車の上から叫ぶ。

「箱を押さえろ!落とすな!でも人を先に通せ!」

 その声は、さっきまでの声と違った。

 食料だけを守る声ではない。

 食料と人を、同じ列に乗せようとしている声だった。

 レイスが中央へ飛び込む。

 カナタが撃つ。

 外れる。

 ガレスが撃つ。

 一体が倒れる。

 もう一体が食料車二号の荷台へ跳ぶ。

 リゼの声。

『こっち来た』

「伏せてください!」

『患者服で伏せるの嫌なんだけど』

「服の問題じゃないです!」

 銃声。

 リゼではない。

 補給班の男が撃った。

 レイスが荷台から落ちる。

 少し遅れて、リゼの声。

『今の人、豆一粒追加で』

 補給班の男が怒鳴る。

『勝手に配給を増やすな!』

『命の恩人割』

『そんな制度はない!』

 カナタは笑いそうになった。

 笑っている場合ではない。

 でも、笑いそうになった。

 その瞬間、前方の黒い影が崩れた。

 ガレスの車両が右へ寄せる。

 レイスが先頭へ集中する。

 中央が抜ける。

 徒歩組も抜ける。

 最後尾が止まらない。

 列が、一度三つに分かれて、また一本へ戻っていく。

 雪の上に三本の轍ができる。

 それが、少しずつ近づいて、一つになる。

 綺麗ではなかった。

 歪んでいる。

 遅い。

 誰かが転びかける。

 誰かが怒鳴る。

 缶詰箱が一つ落ちる。

 誰も拾わない。

 後で泣く。

 でも今は進む。

 最後の食料車が狭路を抜けた時、歓声はなかった。

 ただ、みんなが息を吐いた。

 白い息がいくつも重なって、夕方前の雪の中に消えた。

 カナタは荷台の後ろから、今通ってきた道を見た。

 防雪柵の傷。

 落ちた缶詰箱。

 黒い影。

 三本の轍。

 それが一本へ戻るところ。

 列は壊れなかった。

 違う。

 一度、壊れかけた。

 それを、みんなで作り直した。

 ガレスが先頭を開けた。

 ミナが車を寄せた。

 ユウトが人を動かした。

 タクトが声を出した。

 リゼが余計なことを言った。

 補給班が食料を守った。

 歩ける人が歩いた。

 歩けない人が乗った。

 誰かが缶詰箱を諦めた。

 その全部で、列は帰る。

 カナタは初めて、少しだけ息が吸えた。

 自分一人が見ればいいわけではない。

 見える場所を、分ければいい。

 役割を、渡せばいい。

 それが、列を作るということなのかもしれなかった。

 通信にリゼの声が入る。

『先生』

「先生じゃないです」

『じゃあ、今日の授業名は?』

 カナタは雪の上の轍を見た。

 別れて、戻る線。

「……列を作る授業です」

『まんま』

「分かりやすい方がいいので」

『じゃあ合格?』

 カナタは少し考えた。

 後ろにはまだ敵がいる。

 前にはまだ道がある。

 拠点までは遠い。

 帰れていない。

 でも、線は戻った。

「補習です」

『厳しいなぁ』

 リゼが笑った。

 ユウトも笑った。

 タクトも、たぶん笑った。

 車列は南へ進む。

 人と、食料と、壊れかけの車と、名前のない役割を乗せて。

 まだ誰も、それを制度とは呼ばない。

 専門の兵科でもない。

 教本にも載っていない。

 けれどこの日、雪の上に一本の列ができた。

 帰るための列。

 それを作る人間たちが、確かにそこにいた。

 そしてその先に、明日の湯気がある。

 豆が一粒増えるかもしれない、薄いスープの湯気が。

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