帰還誘導兵 ― その列の先に、帰る場所   作:自給自足

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第二十二話 重い車

 三号車は、朝から機嫌が悪かった。

 ミナがそう言った。

 車に機嫌があるのかとユウトが訊くと、ミナは工具箱を抱えたまま真顔で答えた。

「ある」

「あるんですか」

「ある。今日の三号車は、話しかけても返事が悪い」

「車って返事します?」

「する」

「どんな?」

「変な音」

「それ返事なんですか」

「人間も変な声出すでしょ」

「急に否定しにくい」

 ハウンド七の車両格納庫は、朝から油と雪と灯油の匂いが混ざっていた。

 格納庫と言っても、元は採掘基地の資材置き場だ。天井は高いが、隙間風が入る。床には古い泥と新しい雪解け水が広がり、金属のレールの間に凍った黒い水たまりが残っている。そこに、輸送車や軽装甲車や用途不明の牽引台車が押し込まれていた。

 全部、疲れている。

 人間も。

 車も。

 格納庫の奥では、三号車がボンネットを開けられたまま黙っていた。

 黙っているように見えた。

 ミナには何か喋っているのかもしれない。

「ほら、今も文句言ってる」

「聞こえないです」

 タクトが言う。

「修行が足りない」

「整備兵になる予定はまだないです」

「予定は増えるもの」

「怖い」

 タクトは工具箱の軽い方を運んでいた。

 最近、彼は自然に格納庫へ来るようになった。理由はよく分からない。本人は「何かしてた方が落ち着く」と言っている。ミナは「工具を落とさなければ存在を許す」と言っている。

 かなり高評価らしい。

 カナタは格納庫の入口に立って、外の雪を見ていた。

 雪は弱い。

 風も弱い。

 こういう日は、逆に嫌だった。

 吹雪なら危ないと分かる。

 静かな日は、危なさが見えにくい。

 レイスも、最近は静かに来る。

 声を奪う個体。

 回り込む個体。

 待つ個体。

 人間の列が壊れるのを、ただ待っている。

「カナタ」

 ガレスが入ってきた。

 火のつかない煙草。

 くたびれたコート。

 眠そうな目。

 ただし、今日は少しだけ面倒くさそうだった。

「仕事だ」

「はい」

「第九重防衛群《アイゼン・ウォール》の砲台を一基、南路まで移す」

 ミナの手が止まった。

「ベルグ?」

「ベルグ」

「重いやつ?」

「重いやつ」

「やだ」

 即答だった。

 ユウトが首を傾げる。

「ベルグって何ですか」

 ミナが振り返った。

「歩く砲台」

「歩くなら自分で行けばいいのでは」

「歩くけど遅い。あと、すぐ拗ねる」

「車両全般に人格付与しすぎでは」

「ベルグは人格あるよ。重いし」

「重いと人格が?」

「ある」

 ガレスはその会話を無視した。

「アイゼンの防衛線を畳む。砲台を置いていくと、次の避難路が開かん。だが単独移動は遅い。うちが列を作る」

 列。

 その言葉で、カナタは少しだけ背筋を伸ばした。

 人だけではない。

 食料だけでもない。

 今度は砲台だ。

 重いもの。

 遅いもの。

 止まりやすいもの。

 列に入ると、それだけで全体が変わる。

「敵は」

「小型散発。中型の可能性あり」

「ハウラーですか」

「違う。車両切断型の報告がある」

 ミナが小さく舌打ちした。

「スレッシャー」

 その名前だけで、格納庫の温度が少し下がった気がした。

 スレッシャー。

 車列を切る中大型レイス。

 鎌のような前腕で、防雪柵ごと車両の間を裂く。

 人を狙うというより、列の骨を折る個体。

 ミナは三号車のボンネットを閉じた。

「三号車、出す」

「機嫌悪いんじゃ?」

 ユウトが言う。

「だから出す。寝かせるともっと拗ねる」

「整備理論が感情論すぎる」

「機械は感情で動かないけど、整備兵は感情で動く」

 ミナは工具箱を持ち上げた。

「行くよ」

 

 北西の旧防衛線には、低い雪雲がかかっていた。

 そこだけ世界が少し重く見えた。

 アイゼン・ウォールの陣地は、名前の通り壁だった。雪の中に半分埋まった防壁。土嚢。鉄板。固定砲座。焼け焦げた雪。動かないものを動かないまま置き続けた場所。

 その中央に、《ベルグ》がいた。

 多脚固定砲台。

 巨大な胴体に、太い砲身。

 四本の機械脚。

 歩ける砲台というより、歩かされている小さな建物に近かった。

 脚部には雪が詰まり、胴体には砲撃の煤がこびりついている。側面には古い白線と、誰かが指で描いた小さな犬の絵があった。

「犬」

 タクトが言った。

「犬ですね」

 ユウトも見る。

「ベルグさん、犬派?」

 ミナが睨む。

「さん付けはよし」

「そこはいいんだ」

 アイゼン・ウォールの兵士たちは、ハウンド七を見て少しだけ困った顔をした。

 悪意はない。

 ただ、どう扱えばいいのか分からない顔だった。

 重防衛群は、動かないための部隊だ。

 陣地を作り、時間を稼ぎ、敵を止める。

 ハウンド七は、動かすための部隊だ。

 人を、車を、食料を、列を。

 似ていない。

 でも、今日は一緒に動かなければならない。

 アイゼンの隊長は、広い肩の男だった。

 名前はロウ。

 顔に深い傷がある。

 声は低い。

「第七混成機動群か」

「はい」

 カナタが答える。

「砲台を帰す部隊と聞いた」

「人も帰します」

「それは助かる」

 ロウは淡々と言った。

 皮肉ではなかった。

 本当にそう思っている声だった。

「ベルグは遅い。だが置いていけば次の路が潰れる。頼む」

 カナタはベルグを見る。

 巨大な砲台。

 重い。

 遅い。

 でも、必要。

 食料車と同じだ。

 人と同じだ。

 帰す必要があるものは、だいたい重い。

「列を組みます」

 カナタは雪の上に棒で線を引いた。

 先頭にアイゼンの軽車両。

 中央にベルグ。

 両側にハウンド七の輸送車。

 後方にガレスの車両。

 徒歩組はなし。

 人員は車内か砲台周辺。

「ベルグを中央に?」

 ロウが訊く。

「はい。重いものは中央です。前に置くと全体が詰まります。後ろに置くと切られます」

「中央は狙われる」

「だから守ります」

 ミナがベルグの脚部を見ながら言う。

「脚、二番と四番が渋い。これで急停止したら死ぬよ」

 ロウが眉を動かす。

「直せるか」

「直す。今すぐ」

「どれくらいかかる」

「文句言われなければ早い」

 ロウは少しだけ笑った。

「誰に」

「ベルグに」

「……そうか」

 アイゼン兵が何人か困惑していた。

 ミナは気にしない。

 タクトに工具を渡す。

「これ持って」

「はい」

「落としたらベルグに謝って」

「ベルグさんに」

「さん付けよし」

 ユウトが小声で言った。

「やっぱり基準が分からない」

 移動はゆっくり始まった。

 ベルグの脚が雪を踏む。

 ぎしり。

 金属が軋む。

 低い振動が足元から伝わる。

 砲台というより、建物が歩いているみたいだった。

 車列は遅い。

 非常に遅い。

 歩くよりは速い。

 でも、戦場ではほとんど止まっているように感じる速度だった。

 カナタは三号車の荷台から、列全体を見ていた。

 ベルグが中央。

 その両側に車両。

 前と後ろ。

 間隔。

 雪の硬さ。

 アイゼン兵の足取り。

 すべてが重い。

 重い列は、急に曲がれない。

 急に止まれない。

 急に戻れない。

 だから、崩れる前に気づくしかない。

「カナタさん」

 ユウトが隣に来た。

「こういう列、初めてですね」

「はい」

「人じゃなくて砲台」

「でも、同じです」

「同じ?」

「止まると、周りが止まります」

 ユウトはベルグを見た。

「説得力が大きい」

「物理的に」

 その時、通信が鳴った。

 アイラの声。

『右前方、熱源高速接近』

 ロウの声が重なる。

『小型か』

『違います。中大型反応』

 ミナが舌打ちした。

「来た」

 雪原の右側。

 防雪柵の切れ目。

 黒い影が走っていた。

 低い。

 四足。

 前腕が異様に長い。

 その先が、鎌のように曲がっている。

 スレッシャー。

 速い。

 まっすぐではない。

 斜めに入ってくる。

 狙いはベルグではない。

 ベルグと前方車両の間。

 車間だ。

「前、詰めない!」

 カナタが叫ぶ。

「ベルグ、速度維持!」

 ロウが即座に命令を飛ばす。

『前方車、右へ寄せろ!切らせるな!』

 ガレスの車両が後方から機銃を撃つ。

 雪が跳ねる。

 だがスレッシャーは止まらない。

 銃弾を受けながら、低く滑るように走る。

 ミナが運転席で叫んだ。

「三号車、無理するよ!」

「車に言ってます?」

 タクトが訊く。

「全員に言ってる!」

 三号車がベルグの右側へ寄る。

 防雪柵ぎりぎり。

 スレッシャーの進路を塞ぐ。

 金属音。

 鎌状の前腕が車体をかすめた。

 火花。

 ミナが悲鳴を上げる。

「こすった!今、こすった!」

「生きてます!」

 ユウトが叫ぶ。

「車も人も!」

「ならよし!」

 スレッシャーが跳ぶ。

 ベルグの脚へ向かう。

 カナタには、その先が見えた。

 ここで脚を切られたら、ベルグが止まる。

 ベルグが止まれば、列が詰まる。

 列が詰まれば、スレッシャーはもう一度回り込む。

 終わる。

「二番脚!」

 カナタが叫ぶ。

 ミナが反応した。

「タクト、固定具!」

「はい!」

 タクトが工具箱から金属固定具を取り出す。

 走る。

 雪に足を取られながら、ベルグの脚部へ。

「危ない!」

 ユウトが叫び、タクトの前へ出る。

 銃を撃つ。

 スレッシャーの進路が一瞬ずれる。

 その一瞬で、ミナがベルグの脚部へ飛びついた。

「動かすな!でも止めるな!」

 ロウが怒鳴る。

「どっちだ!」

「脚だけ優しく!本体は歩け!」

「無茶を言う!」

「機械は無茶が嫌いだけど、たまに聞く!」

 意味が分からない。

 でも、なぜか伝わった。

 ベルグの歩調が少しだけ変わる。

 完全には止まらない。

 ミナが固定具を噛ませる。

 タクトが押さえる。

 手が震えている。

 でも離さない。

 スレッシャーが再び突っ込む。

 ガレスの機銃。

 アイゼン兵の砲撃。

 ベルグの副砲が低く唸る。

 雪原が爆ぜた。

 スレッシャーの体が横へ吹き飛ぶ。

 倒れたわけではない。

 でも、列から剥がれた。

「進め!」

 カナタが叫ぶ。

「止まらないでください!」

 列が動く。

 遅い。

 重い。

 でも動く。

 ベルグが軋みながら歩く。

 三号車が側面につく。

 ガレスが後方を撃つ。

 ロウが前方を開ける。

 ミナはベルグの脚にしがみついたまま、何かを言っている。

 たぶん謝れとか、我慢しろとか、そういうことだった。

 

 南路の安全圏に入った時、全員がほとんど同時に息を吐いた。

 ベルグは止まった。

 今度は、安全に止まった。

 ミナは雪の上に座り込んだ。

 手袋が油と雪で黒くなっている。

「重い」

「お疲れさまです」

 カナタが言う。

「車も砲も、人も、重い」

「はい」

「でも置いてくると、もっと重い」

 ミナはベルグを見上げた。

 側面の小さな犬の絵は、まだ残っていた。

「よし。謝って」

 ユウトが困る。

「誰が」

「全員」

「なぜ」

「ベルグに無理させた」

 ロウが近づいてきた。

 顔の傷に雪がついている。

 彼はしばらくベルグを見て、それから小さく頭を下げた。

「すまなかった」

 アイゼン兵たちが固まる。

 ミナも少し固まった。

 それから満足そうに頷いた。

「よし」

 ユウトが小声で言った。

「重防衛群の隊長が砲台に謝った」

 タクトも小声で返す。

「歴史的瞬間ですか」

「たぶん」

 ロウはカナタを見た。

「前を守るだけでは、帰れないのだな」

「はい」

「重いものを中央に置く理由が分かった」

 彼はベルグの脚部を見た。

「帰還誘導、というのはこういうことか」

 カナタは少しだけ言葉に詰まった。

 帰還誘導。

 誰かがまた、その言葉に近いものを口にした。

 人を帰す。

 食料を帰す。

 声を帰す。

 そして今日は、砲台を帰した。

 帰すものは、増えていく。

 カナタはベルグの側面の犬を見た。

 誰が描いたのか分からない。

 たぶん、暇な兵士が描いたのだろう。

 役に立たない落書き。

 でも、今日それも帰ってきた。

 そう思うと、少しだけ良かった。

 ミナが立ち上がる。

「帰ったら三号車にも謝ってね」

「まだ謝罪先が」

 ユウトが言う。

「ある。今日は車両受難の日」

 ミナは工具箱を持ち上げた。

 タクトが軽い方を持つ。

 格納庫へ帰る列ができる。

 人と、車と、砲台と、小さな犬の落書きを乗せた列。

 カナタはその後ろ姿を見た。

 重いものを帰すには、軽い冗談が必要なのかもしれない。

 そんなことを思った。

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