帰還誘導兵 ― その列の先に、帰る場所   作:自給自足

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第二十七話 吹雪の中央

 白線は、思ったより早く消え始めた。

 雪が強くなったからだ。

 ただ降るのではない。

 横から来る。

 下から巻き上がる。

 上から落ちる。

 世界中の白が、いっせいにこちらへ押し寄せてくるみたいだった。さっきまで灰色に見えていた誘導布は、雪をかぶり、風に叩かれ、何度も地面へ伏せそうになった。

 それでも、線だった。

 細い。

 頼りない。

 でも線だった。

 カナタは手袋の上から布を掴み、杭に固定し直した。

 金具が凍っている。

 指先が痛い。

 息を吐くと、白いのか雪なのか分からないものが目の前に広がった。

「これ、白線っていうより遭難しかけた洗濯物ですね!」

 ユウトが叫んだ。

 声が風に削られる。

「洗濯物でも人が帰ればいいです!」

 カナタも叫び返す。

「名言っぽい!」

「ガレス副長の受け売りです!」

「急に雑になった」

 ユウトの声はまだ軽かった。

 けれど、風に削られていた。

 

 第二避難列は、すでに白線の入口へ入っていた。

 人数は三十前後。

 小型車両一台。

 徒歩多数。

 先頭はまだ見えている。

 中央は雪に薄く消えかけている。

 最後尾は、ほとんど白の向こうだった。

 ノノの《シジュウカラ》が上空で低く旋回している。

 羽音は吹雪に混じってほとんど聞こえない。

 通信は乱れ始めていた。

『……第二列、中央……密度上昇……』

 ノノの声が途切れる。

『後方に小型熱源……三、いや五……』

 ハウラーの低い圧が、耳の奥へ入ってきた。

 声が遠くなる。

 さっきまで隣にいたはずの人間の声が、壁の向こうから聞こえるみたいになる。

 リゼが赤い布を結んだ白線を振っていた。

 喉を壊しかけているのに、声を出している。

「こっちー!赤いの見てー!白いのも見てー!両方見たら正解ー!」

 セナがすぐ横から怒る。

「声、使いすぎ」

「今だけ」

「その今だけが多い」

「分割払い」

「喉は分割できない」

 リゼは笑った。

 声はかすれていた。

 それでも、子供たちは赤い布を見た。

 大人も見た。

 白線が雪に溶けかけても、赤は残る。

 赤は強い。

 タクトは中央にいた。

 第二避難列の真ん中。

 子供と荷物と、疲れた大人が集まる場所。

 彼は腰のオレンジソーダ缶を押さえながら、何度も声を出していた。

「詰めないでください!荷物は胸の前!鳴るものは布!足元、見て!」

 ハウラーの音が来るたびに、声が削られる。

 届かなくなる。

 そのたびに、タクトは手で示した。

 手を下げる。

 止まらない。

 手を開く。

 間隔を空ける。

 缶を指す。

 音を消す。

 子供の一人が真似をした。

 また一人が真似をした。

 小さな手信号が、列の中で増えていく。

 カナタはそれを見た。

 声が死んでも、動きが残る。

 それは昨日までの彼らが拾ってきたものだった。

 赤い手袋。

 空き缶。

 矢印。

 ラジカセ。

 白線。

 どれも最初はただの物だった。

 今は、列を繋ぐ言葉になっている。

「第二列、中央通過!」

 ユウトが曲がり角で叫ぶ。

「先頭、旧橋へ!」

 ミナの三号車が小型車両を押し出すように誘導していた。

 タイヤが滑る。

 ミナが怒鳴る。

「右!いや車の右!人間の右と同じ!もう左右を疑うな!」

 運転手が必死に頷く。

 三号車のライトが白線を照らす。

 雪が光を反射して、視界が逆に白くなる。

「ライト強すぎませんか!」

 ユウトが叫ぶ。

「見えないよりマシ!」

「見えすぎて見えない!」

「哲学言ってる暇あったら誘導!」

 第二避難列が旧橋を抜けた。

 全員ではない。

 まだ最後尾が残っている。

 だが、大きな詰まりはない。

 カナタは一瞬だけ息を吐いた。

 その瞬間、ノノの通信が割れた。

『第三列……南西……予定より逸脱……』

 ノイズ。

『白線外。中央、消えます』

「中央が?」

 カナタが訊く。

 返事はなかった。

 代わりに、シジュウカラが甲高い警告音を鳴らした。

 ハウラーの音が重なる。

 通信が、ほとんど潰れる。

 耳の奥が重い。

 頭の内側で雪が降っているみたいだった。

 ガレスの声が途切れ途切れに届く。

『第三……列……見失……旧農道……南……』

 カナタは地図を開いた。

 紙が風に煽られる。

 白線作戦の予定路。

 南西から来る第三避難列。

 旧農道へ合流するはずだった。

 だが、吹雪で白線の外へ逸れた。

 中央が消える。

 つまり、列の真ん中が見えなくなっている。

 先頭だけが進んで、最後尾だけが残り、中央が白に飲まれた。

 最悪だった。

「ユウト、第二列を最後まで通してください!」

「はい!」

「タクト、中央から離れない!」

「はい!」

「ミナ、車両を旧橋へ!」

「分かってる!」

 カナタはリゼを見た。

 リゼは赤い布を握っている。

 顔色は悪い。

 声ももう限界に近い。

 それでも目が合うと、彼女は少しだけ顎を上げた。

 行く、という顔だった。

 セナが先に言う。

「だめ」

「まだ何も」

「顔」

「顔で止めないで」

「喉、限界」

「じゃあ手だけ」

「吹雪の中で?」

「赤いから見える」

 セナは一瞬だけ黙った。

 そして医療袋から太い包帯を取り出した。

 リゼの首に巻く。

「喉を冷やさない」

「許可?」

「監視付き」

「やった」

「喜ぶな」

 カナタはリゼへ白線の予備布を渡した。

「第三列の中央を探します」

 声に出してから、自分でも無茶だと思った。

 吹雪。

 ハウラー。

 通信不良。

 白線外。

 中央消失。

 それでも探す。

 列の中央は、放っておくと本当に消える。

 人がいるのに、列から消える。

 それが一番まずい。

 ノノがシジュウカラの予備バッテリーを交換していた。

 手が震えている。

「上、荒れてます。でも熱源、拾えます。たぶん」

「たぶんで十分です」

「たぶん、言っちゃだめな仕事なんですけど」

「今日は言ってください」

 ノノは頷いた。

 シジュウカラが再び浮かぶ。

 すぐに白へ消えた。

 カナタ、リゼ、セナ、ガレスの車両一台が南へ出た。

 第二列の声が後ろへ遠ざかる。

 白線も後ろへ消える。

 前には、何もない。

 雪。

 風。

 低いハウラーの音。

 白の中で、方向感覚が少しずつ死んでいく。

 リゼが布を握る。

 赤い布が風に暴れる。

「これ、見えてる?」

 リゼが訊く。

 声は小さい。

 でも近いから聞こえる。

「近くなら」

 カナタは答えた。

「じゃあ近くまで行けばいい」

「簡単に言いますね」

「難しく言うと怖いから」

 それは、たぶん本音だった。

 

 南へ進むほど、足跡が見えてきた。

 乱れている。

 第三避難列の跡。

 先頭の轍は東へ流れている。

 最後尾の足跡は西へ残っている。

 中央の跡が薄い。

 吹雪で埋まりかけている。

 その中に、止まった跡がいくつもあった。

 声が届かなくなったのだ。

 白線が見えなくなった。

 先頭についていく声も、後ろを待てという声も消えた。

 人は、進む理由と止まる理由を同時に失うと、そこに立ち尽くす。

 カナタには、それが足跡で分かった。

「いました!」

 ノノの通信。

 途切れ途切れ。

『南南西……小集団……十数名……動きなし……周辺に小型……あとハウラー二』

 二。

 ハウラー二体。

 カナタの喉が乾いた。

 声が消える。

 通信も消える。

 列の中央が、本当に消される。

 雪の向こうに、人影が見えた。

 十数人。

 固まっている。

 動いていない。

 子供もいる。

 老人もいる。

 誰かが何かを叫んでいるが、声は聞こえない。

 ハウラーの低い圧がすべてを削っている。

 カナタは大きく手を振った。

 見えない。

 距離がある。

 リゼが前へ出た。

 セナが腕を掴む。

「走るな」

「走らない」

 リゼは歩いた。

 雪に足を取られながら。

 赤い布を高く上げる。

 白い布を引きずる。

 声を出す。

「こっち――!」

 声は掠れた。

 すぐ風に飛ばされた。

 でも、人影の一つが顔を上げた。

 赤を見た。

 リゼはもう一度手を振る。

「赤いの、見て――!」

 咳が混じる。

 セナが隣で支える。

 カナタは雪の上に矢印を描いた。

 深く。

 何度も。

 ガレスの車両がライトを点滅させる。

 ノノのシジュウカラが上空で小さな赤灯を点ける。

 点。

 線。

 光。

 声。

 残っているものを全部使う。

 人影が動いた。

 一人。

 また一人。

 中央だったものが、もう一度列になろうとする。

 だが、背後で黒い影が動いた。

 小型レイス。

 その奥に、細長い影が二つ。

 ハウラー。

 裂けた首が震える。

 音がさらに低くなる。

 リゼの声が消えた。

 完全に。

 口は動いている。

 でも、声は聞こえない。

 カナタは一瞬、何をすればいいのか分からなくなった。

 声がない。

 白線もない。

 通信も死にかけている。

 中央が見つかった。

 でも、どうやって戻す。

 頭の中が白くなった。

 雪と同じ色になった。

 その時、リゼが赤い布をカナタの胸へ押しつけた。

 目が合う。

 彼女は声を出さずに、口だけで言った。

 見える場所を。

 分けて。

 カナタは息を吸った。

 そうだ。

 一人で全部見なくていい。

 一人で全部呼ばなくていい。

「ガレス副長、車両ライトを右へ!ノノさん、赤灯を中央上へ!セナさん、動けない人を抜いてください!リゼさんは布を振るだけでいい!」

 声が届くかどうかは分からない。

 でも、近くには届いた。

 ガレスの車両が右へ振る。

 ライトが雪を切る。

 ノノのシジュウカラが赤灯を揺らす。

 セナが動けない老人を支える。

 リゼが赤い手袋を振る。

 カナタは白布を雪に敷いた。

 新しい白線。

 短い。

 曲がっている。

 でも、線だ。

 中央の人々が動き出す。

 子供が泣いている。

 大人が口を開けて何か叫んでいる。

 聞こえない。

 でも歩いている。

 小型レイスが迫る。

 ガレスが撃つ。

 雪が跳ねる。

 ハウラーは倒せない。

 でも、列は動いた。

 戻る。

 白線へ。

 見える場所へ。

 帰るための細い線へ。

 その時、通信が一瞬だけ回復した。

 ユウトの声が割り込む。

『カナタさん!第二列、収容完了!第三の先頭、こっち来てます!でも最後尾が――』

 そこで切れた。

 最後尾。

 今度はそこか。

 カナタは振り返った。

 白い。

 どこまでも白い。

 第三列の中央は動き出した。

 でも、最後尾が見えない。

 前には戻る人々。

 後ろには消えた最後尾。

 ハウラー二体。

 吹雪。

 白線は短い。

 リゼが膝をついた。

 セナが支える。

 カナタの心臓が嫌な音を立てた。

 ここで終わりではない。

 むしろ、ここからだった。

 ガレスが通信機を叩く。

「第七全車へ。第三列、中央回収。だが最後尾を見失った」

 ノイズ。

 返事はない。

 雪が強くなる。

 白線が埋まる。

 リゼの持つ赤い布だけが、まだ見えている。

 カナタはそれを見た。

 そして、白の向こうを見た。

 最後尾は、まだ帰ってきていない。

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