帰還誘導兵 ― その列の先に、帰る場所   作:自給自足

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第三十三話 帰還誘導兵大会

 大会という言葉には、だいたい何かが足りない。

 賞品が足りない。

 準備が足りない。

 参加者のやる気が足りない。

 あるいは、そもそも競う意味が足りない。

 ハウンド七で開催された第一回帰還誘導兵大会は、その全部が少しずつ足りていなかった。

 それでも大会だった。

 なぜなら、ユウトがそう言ったからだ。

 春の昼前、食堂裏の空き地は、昨日の大掃除の成果で少しだけ広くなっていた。泥の上には古い板が敷かれ、危険地点札が端へ寄せられ、三号車のタイヤ跡はミナの強い主張によって「芸術的轍」として保存されている。

 保存の意味は分からない。

 踏むと滑るので、実用的には邪魔だった。

「では、第一回帰還誘導兵大会を開催します」

 ユウトは言った。

 首に赤い布を巻いている。

 本人は司会者のつもりらしい。

 赤い布はリゼの予備だった。

 リゼ本人は、食堂の窓際で腕を組んでいる。

「その布、似合わない」

「開会式で最初に言うことですか」

「大事」

「似合うと思って巻いたわけじゃないです」

「じゃあなぜ」

「権威です」

「布に負けてる」

 ユウトは少し傷ついた顔をした。

 でも外さない。

 権威は、時々似合わなくても必要らしい。

 カナタは大鍋を洗った時に余った木の棒を持っていた。

 審判用。

 これもユウトが渡してきた。

 棒を持つと、なぜか責任が増えた気がする。

 ただの棒なのに。

 不思議だ。

「大会って、何を競うんですか」

 マコトがメモ帳を持って訊いた。

「帰還誘導力です」

 ユウトが胸を張る。

「定義は」

「今から作ります」

「記録が難しいです」

「歴史はいつも後付けです」

「急に大きい話にするな」

 ミナが格納庫側から言った。

 手には工具。

 食堂に工具を持ち込むな、という張り紙は昨日の大掃除で新しく貼り直された。

 ミナはそれを見たうえで持ち込んでいる。

 戦争とは、規則と現実の戦いでもある。

 たぶん現実が勝つ。

 参加者は、カナタ、ユウト、タクト、リゼ、ミナ、マコト、ヒナセ、ハルク。

 セナは医療班代表として監視。

 ガレスは「くだらねぇ」と言いながら、食堂の入口で煙草を咥えて見ている。

 火はついていない。

 見ている時点で、参加しているようなものだった。

 第一種目は、豆数えだった。

 椀の中に豆を入れる。

 目視で数える。

 それだけ。

「それだけ?」

 ヒナセが訊く。

「それだけです」

 ユウトが答える。

「簡単すぎませんか」

「豆を侮る者は豆に泣きます」

「泣いたことあるんですか」

「あります」

「あるんですね」

 椀には水が入っている。

 豆は沈む。

 水面は揺れる。

 春の風が少し吹く。

 豆は思ったより見づらかった。

 カナタは真剣に覗き込む。

 一粒。

 二粒。

 三粒。

 四粒。

 いや、今のは気泡だった。

 豆と気泡を間違える日が来るとは思わなかった。

「三粒」

 カナタは言った。

「正解」

 ユウトが悔しそうに言う。

「なぜ悔しそうなんですか」

「俺より早かったので」

「司会者ですよね」

「魂は参加者です」

 タクトは二秒で答えた。

「三粒」

「早い」

 ユウトが叫ぶ。

「音、しなかったので」

「豆、音しませんよ」

「でも、椀の揺れが」

 タクトは言いかけて、少し恥ずかしそうに黙った。

 リゼが拍手する。

「中央の目」

「何ですかそれ」

「なんか地味に強いやつ」

「地味は余計です」

 第二種目は、荷物選別だった。

 机の上に物を並べる。

 薬箱。

 写真立て。

 靴下。

 水筒。

 壊れたラジカセ。

 缶詰。

 赤い手袋。

 新聞束。

 なぜか石。

「石?」

 ハルクが訊く。

「誰かの大事な石かもしれません」

 ユウトが言う。

「重い」

「そうですね」

「置く」

「即決」

「石は歩けない」

 ハルクは言った。

 強い。

 あまりに強い判断だった。

 だが、リゼが石を手に取った。

「でも、子供が“これだけは”って言ったら?」

 ハルクは少し考えた。

「小さいならポケット」

「大きいなら?」

「割る」

「石を?」

「小さくする」

 リゼは目を丸くした。

 それから笑う。

「物理で解決する人だ」

「有効なら使う」

 マコトが真面目にメモする。

 石は割る。

「それ、書いていいんですか」

 カナタが訊く。

「状況による、と補足します」

「補足で済みますか」

 ヒナセはラジカセを手に取った。

「これは音が出るなら使えます」

「壊れてます」

「壊れていても、中の部品が使えるかも」

 ミナがすぐ反応した。

「見せて」

「競技中です」

「部品に競技は関係ない」

「あります」

 ヒナセはラジカセを抱え込んだ。

 ミナとヒナセが無言で見合う。

 工具と通信機材の間に、妙な緊張が走った。

「この二人、機械を挟むと怖いですね」

 ユウトが小声で言った。

「記録しますか」

 マコトが訊く。

「やめておきましょう」

 第三種目は、白線早巻きだった。

 これは去年からある競技ではない。

 昨日まで存在しなかった競技だ。

 だが、帰還誘導班ではなぜか伝統種目みたいな顔をしている。

 泥のついた白布を広げ、決められた長さを巻く。

 速さ。

 きれいさ。

 再使用可能性。

 この三つで採点する。

「再使用可能性って言葉、急に正式ですね」

 リゼが言った。

「マコト案です」

「硬い」

「必要です」

 マコトは真面目だった。

 白布は、広げるとかなり長い。

 泥の跡、擦れた跡、引きずった跡が残っている。

 布には記憶がある。

 と言うと格好つけすぎだが、実際、どの汚れがどの任務のものか、カナタは少し分かってしまう。

 吹雪。

 旧橋。

 白線作戦。

 腰に結んだ動く線。

 思い出すと、手袋の内側が冷える。

 タクトが布を持った。

 黙って巻き始める。

 速い。

 静か。

 音が少ない。

 リゼが小声で言った。

「やっぱり中央強い」

「中央は地味ですが、強いです」

 カナタは答えた。

「地味って言った」

「すみません」

 タクトは優勝した。

 本人は困ったように笑った。

 賞品は豆一粒。

 食べられない。

 板に貼る予定らしい。

「また名誉豆が増える」

 リゼが言う。

「名誉は食べられません」

 マコトが言った。

「子供に学んだ」

 第四種目は、危険地点札設置だった。

 黄色は泥。

 青は水。

 赤は段差。

 黒はなんか嫌。

 春の食堂裏に、札を立てていく。

 ただし、避難民役のユウトがわざと札のない場所へ行こうとする。

「そっちは黒札です」

 マコトが言う。

「黒札、立ってませんよ」

「自分がなんか嫌だと思いました」

「主観黒札!」

 リゼが笑う。

「採用」

「いいんですか」

 カナタが訊く。

「人間の“なんか嫌”は意外と当たる」

 セナが横から言った。

 全員が少し黙った。

 確かにそうだ。

 説明できないけれど嫌な場所。

 足が止まる場所。

 音が変わる場所。

 匂いが違う場所。

 そういう場所は、たいてい何かある。

 戦場でも、学校でも。

 第五種目は、車両謝罪だった。

 ミナ主催。

 競技として成立するかは不明。

 三号車の前に立ち、日頃の酷使について謝る。

 採点はミナ。

 基準もミナ。

 異議申し立て不可。

「完全に独裁では」

 ユウトが言った。

「車両に民主主義はありません」

 ミナは断言した。

「強い」

 カナタは三号車の前に立った。

 三号車は春の泥で汚れている。

 傷も増えた。

 ライトの片方にひびがある。

 それでも、昨日も今日も動いた。

「いつも、ありがとうございます」

 カナタは言った。

「無理をさせて、すみません」

 少し恥ずかしい。

 でも、少し本気だった。

 ミナは腕を組む。

「七点」

「低い」

「謝罪に照れが残ってる」

「ありますよ」

「車には見抜かれる」

「厳しい」

 ハルクは三号車の前に立った。

「助かった」

 一言。

 それだけ。

 ミナは少し黙った。

「九点」

「甘い!」

 ユウトが叫ぶ。

「盾の人、車との距離感がいい」

「謎評価」

 最後にリゼが立った。

 三号車のボンネットにそっと手を置く。

「帰ってきたら、だいたいいるよね」

 それだけ言った。

 ミナは顔をそらした。

「十点」

「身内びいきだ!」

「うるさい。車も泣いてる」

「車泣くんですか」

 マコトが真面目に訊いた。

「春は泣く」

「季節性」

 笑いが起きた。

 その笑いの中で、三号車は黙って泥を乾かしていた。

 午後になると、空が少し暗くなった。

 大会は最後の種目へ進む。

 帰還誘導しりとり。

 言葉だけで帰還誘導に関係するものをつなげる。

 カナタは、なぜこれが最終種目なのか分からなかった。

 でも、全員がなぜか真剣だった。

「白線」

 カナタ。

「線路」

 ユウト。

「路地」

 タクト。

「地図」

 ヒナセ。

「図上演習」

 マコト。

「う……運転」

 ミナ。

「転倒」

 セナ。

 急に現実が来た。

「う……後ろ」

 ハルク。

「ろ……ロープ」

 リゼ。

「ぷ……」

 ユウトが悩む。

「ぷ、ですか」

「ぷ」

「プール」

 リゼが言った。

 全員が彼女を見る。

「学校の?」

 ユウトが訊く。

「うん。夏に開くやつ」

「帰還誘導に関係あります?」

「あるよ」

 リゼは少し笑った。

「帰りたい場所だから」

 そこで、しりとりは少し止まった。

 プール。

 夏。

 水。

 学校。

 雪でも泥でもない季節。

 カナタは、旧学校区の看板を思い出した。

 夏季開放プール。

 雪原の中で見た、ひどく遠い文字。

 春編の先に、夏がある。

 そのことが、急に目の前に置かれた気がした。

 ユウトが小さく言った。

「る……留守番」

「急に寂しい」

 タクトが言う。

「ん、で終わりじゃないですか?」

 マコトが急に指摘した。

 ユウトが固まる。

「え?」

「終了です」

 リゼが宣言した。

「最後が留守番で終わった」

「嫌な終わり方」

「でも大会っぽい」

 大会は終わった。

 優勝者は決まらなかった。

 部門ごとの優勝豆が増えただけだった。

 帰ってきたもの置き場の机に、豆が三粒追加される。

 子供が見たら、また食べられるか訊くだろう。

 食べられない豆。

 でも、見ると思い出す豆。

 夕方、通信塔のスピーカーが鳴った。

 全員が顔を上げる。

 笑っていても、競技中でも、豆を数えていても、その反応だけは早い。

 アイラの声が流れる。

『定時連絡。各避難列、異常なし』

 食堂裏に、ほっとした息が広がった。

 大会の日が、大会の日のまま終わる。

 それだけで、今日は勝ちだった。

 リゼが帰ってきたもの置き場の机に、赤い布を置き直した。

「今日の大会、何が残ったと思う?」

「豆ですか」

 カナタは言った。

「それも」

「変な伝統」

「それも」

「では」

 リゼは少し考えた。

「みんなの場所」

 軽い言い方だった。

 でも、カナタには分かった。

 タクトは白線を巻く。

 ミナは車に謝らせる。

 ヒナセは音を見る。

 マコトは記録する。

 ハルクは右に立つ。

 ユウトは豆を変な階級にする。

 リゼは赤い布を振る。

 カナタは、それを見る。

 全部ではない。

 分けて。

「そうですね」

 カナタは言った。

「場所が少し増えました」

「先生っぽい」

「先生ではありません」

「湿った手袋先生」

「やめてください」

 春の夕方、食堂裏には泥と笑い声と、食べられない豆が残った。

 大会はくだらなかった。

 本当にくだらなかった。

 でも、くだらないことを一緒にやった人間は、次に列が崩れそうになった時、少しだけ互いの場所を思い出せる。

 たぶん、それでいい。

 カナタは手袋を見た。

 また湿っている。

 息を吹きかける。

 温かくはならない。

 ただ、少しだけ豆の匂いがした気がした。

 気のせいだった。

 たぶん。

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