帰還誘導兵 ― その列の先に、帰る場所 作:自給自足
大会という言葉には、だいたい何かが足りない。
賞品が足りない。
準備が足りない。
参加者のやる気が足りない。
あるいは、そもそも競う意味が足りない。
ハウンド七で開催された第一回帰還誘導兵大会は、その全部が少しずつ足りていなかった。
それでも大会だった。
なぜなら、ユウトがそう言ったからだ。
春の昼前、食堂裏の空き地は、昨日の大掃除の成果で少しだけ広くなっていた。泥の上には古い板が敷かれ、危険地点札が端へ寄せられ、三号車のタイヤ跡はミナの強い主張によって「芸術的轍」として保存されている。
保存の意味は分からない。
踏むと滑るので、実用的には邪魔だった。
「では、第一回帰還誘導兵大会を開催します」
ユウトは言った。
首に赤い布を巻いている。
本人は司会者のつもりらしい。
赤い布はリゼの予備だった。
リゼ本人は、食堂の窓際で腕を組んでいる。
「その布、似合わない」
「開会式で最初に言うことですか」
「大事」
「似合うと思って巻いたわけじゃないです」
「じゃあなぜ」
「権威です」
「布に負けてる」
ユウトは少し傷ついた顔をした。
でも外さない。
権威は、時々似合わなくても必要らしい。
カナタは大鍋を洗った時に余った木の棒を持っていた。
審判用。
これもユウトが渡してきた。
棒を持つと、なぜか責任が増えた気がする。
ただの棒なのに。
不思議だ。
「大会って、何を競うんですか」
マコトがメモ帳を持って訊いた。
「帰還誘導力です」
ユウトが胸を張る。
「定義は」
「今から作ります」
「記録が難しいです」
「歴史はいつも後付けです」
「急に大きい話にするな」
ミナが格納庫側から言った。
手には工具。
食堂に工具を持ち込むな、という張り紙は昨日の大掃除で新しく貼り直された。
ミナはそれを見たうえで持ち込んでいる。
戦争とは、規則と現実の戦いでもある。
たぶん現実が勝つ。
参加者は、カナタ、ユウト、タクト、リゼ、ミナ、マコト、ヒナセ、ハルク。
セナは医療班代表として監視。
ガレスは「くだらねぇ」と言いながら、食堂の入口で煙草を咥えて見ている。
火はついていない。
見ている時点で、参加しているようなものだった。
第一種目は、豆数えだった。
椀の中に豆を入れる。
目視で数える。
それだけ。
「それだけ?」
ヒナセが訊く。
「それだけです」
ユウトが答える。
「簡単すぎませんか」
「豆を侮る者は豆に泣きます」
「泣いたことあるんですか」
「あります」
「あるんですね」
椀には水が入っている。
豆は沈む。
水面は揺れる。
春の風が少し吹く。
豆は思ったより見づらかった。
カナタは真剣に覗き込む。
一粒。
二粒。
三粒。
四粒。
いや、今のは気泡だった。
豆と気泡を間違える日が来るとは思わなかった。
「三粒」
カナタは言った。
「正解」
ユウトが悔しそうに言う。
「なぜ悔しそうなんですか」
「俺より早かったので」
「司会者ですよね」
「魂は参加者です」
タクトは二秒で答えた。
「三粒」
「早い」
ユウトが叫ぶ。
「音、しなかったので」
「豆、音しませんよ」
「でも、椀の揺れが」
タクトは言いかけて、少し恥ずかしそうに黙った。
リゼが拍手する。
「中央の目」
「何ですかそれ」
「なんか地味に強いやつ」
「地味は余計です」
第二種目は、荷物選別だった。
机の上に物を並べる。
薬箱。
写真立て。
靴下。
水筒。
壊れたラジカセ。
缶詰。
赤い手袋。
新聞束。
なぜか石。
「石?」
ハルクが訊く。
「誰かの大事な石かもしれません」
ユウトが言う。
「重い」
「そうですね」
「置く」
「即決」
「石は歩けない」
ハルクは言った。
強い。
あまりに強い判断だった。
だが、リゼが石を手に取った。
「でも、子供が“これだけは”って言ったら?」
ハルクは少し考えた。
「小さいならポケット」
「大きいなら?」
「割る」
「石を?」
「小さくする」
リゼは目を丸くした。
それから笑う。
「物理で解決する人だ」
「有効なら使う」
マコトが真面目にメモする。
石は割る。
「それ、書いていいんですか」
カナタが訊く。
「状況による、と補足します」
「補足で済みますか」
ヒナセはラジカセを手に取った。
「これは音が出るなら使えます」
「壊れてます」
「壊れていても、中の部品が使えるかも」
ミナがすぐ反応した。
「見せて」
「競技中です」
「部品に競技は関係ない」
「あります」
ヒナセはラジカセを抱え込んだ。
ミナとヒナセが無言で見合う。
工具と通信機材の間に、妙な緊張が走った。
「この二人、機械を挟むと怖いですね」
ユウトが小声で言った。
「記録しますか」
マコトが訊く。
「やめておきましょう」
第三種目は、白線早巻きだった。
これは去年からある競技ではない。
昨日まで存在しなかった競技だ。
だが、帰還誘導班ではなぜか伝統種目みたいな顔をしている。
泥のついた白布を広げ、決められた長さを巻く。
速さ。
きれいさ。
再使用可能性。
この三つで採点する。
「再使用可能性って言葉、急に正式ですね」
リゼが言った。
「マコト案です」
「硬い」
「必要です」
マコトは真面目だった。
白布は、広げるとかなり長い。
泥の跡、擦れた跡、引きずった跡が残っている。
布には記憶がある。
と言うと格好つけすぎだが、実際、どの汚れがどの任務のものか、カナタは少し分かってしまう。
吹雪。
旧橋。
白線作戦。
腰に結んだ動く線。
思い出すと、手袋の内側が冷える。
タクトが布を持った。
黙って巻き始める。
速い。
静か。
音が少ない。
リゼが小声で言った。
「やっぱり中央強い」
「中央は地味ですが、強いです」
カナタは答えた。
「地味って言った」
「すみません」
タクトは優勝した。
本人は困ったように笑った。
賞品は豆一粒。
食べられない。
板に貼る予定らしい。
「また名誉豆が増える」
リゼが言う。
「名誉は食べられません」
マコトが言った。
「子供に学んだ」
第四種目は、危険地点札設置だった。
黄色は泥。
青は水。
赤は段差。
黒はなんか嫌。
春の食堂裏に、札を立てていく。
ただし、避難民役のユウトがわざと札のない場所へ行こうとする。
「そっちは黒札です」
マコトが言う。
「黒札、立ってませんよ」
「自分がなんか嫌だと思いました」
「主観黒札!」
リゼが笑う。
「採用」
「いいんですか」
カナタが訊く。
「人間の“なんか嫌”は意外と当たる」
セナが横から言った。
全員が少し黙った。
確かにそうだ。
説明できないけれど嫌な場所。
足が止まる場所。
音が変わる場所。
匂いが違う場所。
そういう場所は、たいてい何かある。
戦場でも、学校でも。
第五種目は、車両謝罪だった。
ミナ主催。
競技として成立するかは不明。
三号車の前に立ち、日頃の酷使について謝る。
採点はミナ。
基準もミナ。
異議申し立て不可。
「完全に独裁では」
ユウトが言った。
「車両に民主主義はありません」
ミナは断言した。
「強い」
カナタは三号車の前に立った。
三号車は春の泥で汚れている。
傷も増えた。
ライトの片方にひびがある。
それでも、昨日も今日も動いた。
「いつも、ありがとうございます」
カナタは言った。
「無理をさせて、すみません」
少し恥ずかしい。
でも、少し本気だった。
ミナは腕を組む。
「七点」
「低い」
「謝罪に照れが残ってる」
「ありますよ」
「車には見抜かれる」
「厳しい」
ハルクは三号車の前に立った。
「助かった」
一言。
それだけ。
ミナは少し黙った。
「九点」
「甘い!」
ユウトが叫ぶ。
「盾の人、車との距離感がいい」
「謎評価」
最後にリゼが立った。
三号車のボンネットにそっと手を置く。
「帰ってきたら、だいたいいるよね」
それだけ言った。
ミナは顔をそらした。
「十点」
「身内びいきだ!」
「うるさい。車も泣いてる」
「車泣くんですか」
マコトが真面目に訊いた。
「春は泣く」
「季節性」
笑いが起きた。
その笑いの中で、三号車は黙って泥を乾かしていた。
午後になると、空が少し暗くなった。
大会は最後の種目へ進む。
帰還誘導しりとり。
言葉だけで帰還誘導に関係するものをつなげる。
カナタは、なぜこれが最終種目なのか分からなかった。
でも、全員がなぜか真剣だった。
「白線」
カナタ。
「線路」
ユウト。
「路地」
タクト。
「地図」
ヒナセ。
「図上演習」
マコト。
「う……運転」
ミナ。
「転倒」
セナ。
急に現実が来た。
「う……後ろ」
ハルク。
「ろ……ロープ」
リゼ。
「ぷ……」
ユウトが悩む。
「ぷ、ですか」
「ぷ」
「プール」
リゼが言った。
全員が彼女を見る。
「学校の?」
ユウトが訊く。
「うん。夏に開くやつ」
「帰還誘導に関係あります?」
「あるよ」
リゼは少し笑った。
「帰りたい場所だから」
そこで、しりとりは少し止まった。
プール。
夏。
水。
学校。
雪でも泥でもない季節。
カナタは、旧学校区の看板を思い出した。
夏季開放プール。
雪原の中で見た、ひどく遠い文字。
春編の先に、夏がある。
そのことが、急に目の前に置かれた気がした。
ユウトが小さく言った。
「る……留守番」
「急に寂しい」
タクトが言う。
「ん、で終わりじゃないですか?」
マコトが急に指摘した。
ユウトが固まる。
「え?」
「終了です」
リゼが宣言した。
「最後が留守番で終わった」
「嫌な終わり方」
「でも大会っぽい」
大会は終わった。
優勝者は決まらなかった。
部門ごとの優勝豆が増えただけだった。
帰ってきたもの置き場の机に、豆が三粒追加される。
子供が見たら、また食べられるか訊くだろう。
食べられない豆。
でも、見ると思い出す豆。
夕方、通信塔のスピーカーが鳴った。
全員が顔を上げる。
笑っていても、競技中でも、豆を数えていても、その反応だけは早い。
アイラの声が流れる。
『定時連絡。各避難列、異常なし』
食堂裏に、ほっとした息が広がった。
大会の日が、大会の日のまま終わる。
それだけで、今日は勝ちだった。
リゼが帰ってきたもの置き場の机に、赤い布を置き直した。
「今日の大会、何が残ったと思う?」
「豆ですか」
カナタは言った。
「それも」
「変な伝統」
「それも」
「では」
リゼは少し考えた。
「みんなの場所」
軽い言い方だった。
でも、カナタには分かった。
タクトは白線を巻く。
ミナは車に謝らせる。
ヒナセは音を見る。
マコトは記録する。
ハルクは右に立つ。
ユウトは豆を変な階級にする。
リゼは赤い布を振る。
カナタは、それを見る。
全部ではない。
分けて。
「そうですね」
カナタは言った。
「場所が少し増えました」
「先生っぽい」
「先生ではありません」
「湿った手袋先生」
「やめてください」
春の夕方、食堂裏には泥と笑い声と、食べられない豆が残った。
大会はくだらなかった。
本当にくだらなかった。
でも、くだらないことを一緒にやった人間は、次に列が崩れそうになった時、少しだけ互いの場所を思い出せる。
たぶん、それでいい。
カナタは手袋を見た。
また湿っている。
息を吹きかける。
温かくはならない。
ただ、少しだけ豆の匂いがした気がした。
気のせいだった。
たぶん。