帰還誘導兵 ― その列の先に、帰る場所   作:自給自足

54 / 69
第五十四話 夏祭り

 祭りは、夕方から始まるものだと思っていた。

 昼間の祭りは、どこか準備の途中みたいに見える。

 明るすぎるからだ。

 提灯の明かりは空に負けるし、屋台の影は短いし、誰かが笑っていても、その笑い声が逃げる場所がない。祭りには少し暗さがいる。顔が全部見えないくらいの暗さ。知らない人とすれ違っても、知っている人だったような気がするくらいの暗さ。夏の夕方の、青と橙が混ざって、どちらにも決めきれない時間。

 ハウンド七の夏祭りも、たぶんそうだった。

 昼間のうちは、ただの備品整理だった。

 缶詰の箱。

 空薬莢。

 木片。

 壊れた布。

 余った紐。

 曲がった杭。

 誰かがそれを並べ、誰かが札を書き、誰かが「これ本当に祭りか」と言い、誰かが「祭りって言えば祭りになる」と言った。

 言葉は便利だった。

 正式名称をつけると面倒になるものも、祭りと言えば少し許される。

 缶詰くじも、射的も、三号車展示も、豆数当て大会も、全部そうだった。よく見ると軍用物資と廃材と余り物だけでできている。でも、少し離れて見ると、なんとなく祭りに見えた。

 たぶん、誰かがそう見たがっていたからだ。

「祭りですね」

 ユウトが言った。

 食堂前の空き地で、空薬莢を的に並べている。本人は射的係を名乗っていたが、的の配置が雑だった。縦に並んだ薬莢が、ちょっとした墓標みたいに見える。

「もう少し楽しそうに置けませんか」

 カナタが言うと、ユウトは薬莢を一本横に倒した。

「どうです?」

「倒れた墓標です」

「評価が怖い」

「的にしましょう」

「はい」

 ユウトは真面目な顔で薬莢を並べ直した。

 その横でハルクが木の台を押さえている。押さえているだけなのに、そこだけ前線の仮設防壁みたいだった。

「壁が射的を守ってる」

 リゼが言った。

「人だ」

 ハルクが答える。

「今日は屋台番」

「人だ」

「頑固」

「事実だ」

 リゼは笑った。

 今日は赤布を髪に結んでいる。夕方の光を受けて、その赤が少し柔らかく見えた。吹雪の中の赤は生き残るための色だった。旧学校区の赤は戻るための色だった。今日の赤は、祭りの色に見えた。

 でも、風が吹くと、やっぱり目印だった。

 迷った子供が、まずリゼを見る。

 水場を探す兵士が、赤布を探す。

 ミナが三号車展示の位置を変えようとして、リゼの赤を見て「そこは人が通る」と言い、車両の向きを少しずらす。

 祭りになっても、赤布は仕事をしている。

 働き者だった。

「休ませてあげたいですね」

 カナタが言うと、リゼは自分の髪の結び目に触れた。

「赤布?」

「はい」

「今日、楽しそうだよ」

「布の感情が分かるんですか」

「カナタさんだって手袋の調子分かるじゃん」

「それは」

「同じ」

 同じではないと思った。

 でも、少しだけ同じかもしれなかった。

 ミナは本当に三号車展示を始めた。

 格納庫前に三号車を出し、車体の傷を拭き、側面に札を貼る。

 《さわるな》

 その下に小さく、

 《見るのは可》

 さらにその下。

 《感じるのも可》

「感じるって何をですか」

 マコトが訊いた。

「歴史」

 ミナは言った。

「記録します」

「しなくていい」

「しかし歴史と」

「今のは雰囲気」

「雰囲気の記録は」

「難しいからやめときな」

 マコトは少し悩んで、結局メモ帳を閉じた。

 成長だった。

 たぶん。

 タクトは静音チャレンジの係になっていた。

 木箱の中に金属片や缶や小石を入れ、布で巻いて、振って音がしなければ成功。意味があるのかないのか分からない催しだったが、子供には人気だった。

「鳴った」

「もう一回」

「鳴らない」

「合格です」

 タクトは真面目に判定している。

 腰のオレンジソーダ缶は当然のように鳴らない。

 それを見た子供が言った。

「お兄ちゃんの缶、すごい」

 タクトは少しだけ困った顔をした。

「缶がすごいわけじゃないです」

「じゃあ布?」

「たぶん」

「布すごい」

「はい」

 タクトは頷いた。

 それでいいのだと思った。

 缶がすごい。

 布がすごい。

 どちらでもいい。

 そこにあるものを、少し大事に扱えるなら。

 夕方が近づくにつれて、ハウンド七は本当に祭りになっていった。

 窓に紙片が貼られる。

 水を張った桶に缶が沈められる。

 冷えるというほどではない。

 ただ、ぬるさが少しだけ遅くなる。

 それを冷えたと呼ぶのが、ハウンド七の夏だった。

 食堂裏では、セナが救護席を作っていた。

 祭りに救護席があるのは普通だ。

 でも、その中身は普通ではなかった。

 包帯。

 水。

 塩。

 熱中症用の布。

 担架。

 止血帯。

 かなり本気だった。

「祭りですよね」

 ユウトが言った。

「祭りでも倒れる」

 セナは短く答えた。

「正論が強い」

「水飲め」

「飲みます」

「今」

「はい」

 セナの前では、冗談もあまり長生きしない。

 日が傾いた。

 空が赤くなった。

 真夏の夕方は、いつまでも終わらないふりをする。冬の夕方はすぐ夜になる。春の夕方は少し迷う。夏の夕方は違う。光が地面に張りついて、草の先や車体の傷や人の頬に、しつこく残る。

 そのしつこさが、少しだけ悲しい。

 終わるくせに。

 終わらない顔をしている。

 缶詰くじの列ができた。

 避難民。

 兵士。

 整備兵。

 通信兵。

 子供。

 誰もが少しだけ浮ついていた。

 木箱に手を入れる時、人はなぜか真剣になる。

 当たりが肉だとしても、外れが謎の魚だとしても、未来が缶詰一個分しか変わらないとしても。

 カナタは列を見た。

 自然に。

 入口。

 出口。

 子供が詰まりやすい場所。

 木箱の前。

 水桶の横。

 でも今日は、リゼが先に動いた。

「こっち出口。引いた人は右。外れた人も右。泣く人も右」

「外れ前提ですか」

 ユウトが言う。

「謎魚があるから」

「確かに」

 列が少し流れた。

 カナタは何も言わなかった。

 言わなくても動いた。

 それが少し嬉しかった。

 少し寂しくもあった。

 自分がいなくても回るものが増える。

 それは正しい。

 正しいことは、時々小さく寂しい。

 カナタの番が来た。

 箱に手を入れる。

 昨日と同じ冷たい金属。

 違うのは、周りに夜の匂いが混じっていることだった。

 蝉の声が少し弱くなり、代わりに草むらから別の虫の声が出てきている。食堂の中から鍋の音がする。三号車のエンジンが一度だけ咳をした。遠くで砲声が鳴った。

 遠く。

 でも、昨日より近い。

 カナタは缶を掴んだ。

 出す。

 ラベルあり。

 肉だった。

 ユウトが叫んだ。

「王権!」

「豆じゃないです」

「肉は王権を越えます!」

「制度が壊れましたね」

「革命です」

 笑い声が上がった。

 今度はちゃんと広がった。

 空へ。

 夜へ。

 その笑い声の上に、砲声が重なった。

 ずん、と。

 空の遠くが赤く光った。

 一瞬だけ、誰かが花火と言いそうになった。

 誰も言わなかった。

 赤い光は、花火より低かった。

 花火は上へ開く。

 あれは、地面で咲く。

 地面に叩きつけられて、土と火と鉄を少しだけ空へ押し上げる。

 祭りの明かりではない。

 前線の明かりだった。

 子供が空を見た。

 誰かがその肩に手を置いた。

 セナが救護席から顔を上げる。

 ミナが三号車を見る。

 ハルクが何も言わず、音のした方を見た。

 ヒナセは通信機を抱えた。

 リゼは赤布に触れた。

 カナタは肉の缶を持ったまま、動けなかった。

 肉は重かった。

 缶詰一つが、こんなに重いわけがない。

 でも重かった。

 遠くでもう一度、光った。

 遅れて音。

 蝉が一瞬、鳴き止んだような気がした。

 気のせいかもしれない。

 ヒナセの通信機が鳴った。

 短い。

 祭りの音の中では、頼りない音だった。

 でも全員が聞いた。

 ヒナセが耳を押さえる。

「第三方面、夜間砲撃継続。異常拡大なし」

 異常拡大なし。

 便利な言葉だった。

 異常はある。

 でも、まだこちらへは来ていない。

 だから祭りは続けていい。

 そういう意味に聞こえた。

 ガレスが食堂の入口に立っていた。

 火のつかない煙草。

 夏の夕方。

 くたびれたコート。

「続けろ」

 昨日と同じことを言った。

 たぶん、昨日より少しだけ重かった。

 ユウトが缶詰を見た。

「肉、開けます?」

「開けろ」

 ガレスが言う。

「祭りだ」

 その言葉で、何かが戻った。

 完全には戻らない。

 砲声はある。

 赤い光もある。

 通信もある。

 でも、鍋の火が強くなった。

 誰かが木箱へ手を入れた。

 子供が射的へ戻った。

 リゼが赤布を少し高い位置に結び直した。

 カナタは肉の缶を調理台へ運んだ。

 肉は、少し脂の匂いがした。

 夏の油の匂いとは違う。

 食べ物の油。

 それだけで、食堂の周りに人が集まった。

 人間は、こういう匂いに弱い。

 戦争より弱いのかもしれない。

 鍋に肉が入る。

 豆も入る。

 乾パンの砕いたものも入る。

 謎の祭り汁ができた。

 ユウトが覗き込む。

「これは」

「名前をつけないでください」

 カナタは先に言った。

「夏祭り汁」

「遅かった」

「正式名称です」

「やめてください」

 リゼが笑う。

「でも、ちょっと好き」

「味は保証しません」

「祭りっぽいから勝ち」

 祭りっぽい。

 それでいいのかもしれなかった。

 完全な祭りではない。

 安全でもない。

 明日も続く保証はない。

 でも、今この場所には鍋があり、赤布があり、缶詰くじがあり、射的があり、三号車展示があり、静音チャレンジがあり、夏の虫が鳴いている。

 だから、祭りだった。

 夜が来た。

 提灯の代わりに、携行灯が吊られた。

 黄色い光。

 少し頼りない。

 でも、頼りない光ほど、人は近づく。

 食堂前の空き地に、小さな円ができた。

 その真ん中で、リゼが赤布を持って立った。

「迷子案内しまーす」

 声は軽い。

 でも、よく通った。

「迷った人、赤いの見てくださーい。迷ってない人も、たまに見てくださーい」

「それ案内ですか」

 ユウトが言う。

「確認」

「何の」

「帰る場所」

 リゼはそう言って、赤布を振った。

 子供が真似をした。

 タクトが小さく笑った。

 ハルクが射的台を直した。

 ミナが三号車の傷を撫でた。

 セナが水を配った。

 ガレスが煙草を咥えていた。

 カナタは、祭りの外側に立っていた。

 外側から見ると、よく分かる。

 ハウンド七は小さい。

 本当に小さい。

 前線の光に比べれば、携行灯の円など、すぐ消える。

 レイスの大攻勢が来れば、こんな祭りは簡単に踏み潰される。

 食堂も、格納庫も、帰ってきたもの置き場も、三号車展示も、缶詰くじも、全部。

 そう思った。

 思ってしまった。

 でも、だから意味がないとは思わなかった。

 小さいから、意味があるのかもしれない。

 すぐ消えるから、今見ておく必要があるのかもしれない。

 リゼがこちらを見た。

「カナタさん」

「はい」

「そこ、祭りの外」

「見てました」

「中から見て」

 カナタは少し迷った。

 迷ってから、歩いた。

 携行灯の黄色い円の中へ入る。

 暑い。

 人の熱。

 鍋の熱。

 夏の夜の熱。

 そして、少しだけ肉の匂い。

 リゼが椀を渡した。

「夏祭り汁」

「その名前、定着したんですか」

「した」

「してないと思います」

「今した」

 椀を受け取る。

 湯気はほとんど見えない。

 でも、温かかった。

 飲む。

 薄い。

 豆。

 乾パン。

 肉。

 よく分からない味。

 でも、ちゃんと味がした。

 遠くで、また赤い光。

 今度は誰も立ち止まらなかった。

 完全に無視したわけではない。

 全員、少しだけそれを見た。

 見てから、椀へ戻った。

 それでよかった。

 たぶん。

 祭りは、夜の半分くらいまで続いた。

 射的の景品は尽きた。

 缶詰くじの木箱は空になった。

 三号車展示は、ミナが「もう寝る」と言って終了した。

 静音チャレンジは、最後にユウトが自分の装備を鳴らして失格した。

 リゼの赤布は、少し汗と夜露を吸って重くなっていた。

 終わりの時間になっても、誰もはっきり終わりと言わなかった。

 祭りは、そういうものかもしれない。

 始まりは雑で、終わりはもっと雑。

 気づいたら人が減り、火が小さくなり、片付けるものだけが残る。

 カナタは空き地の端で、最後の携行灯を外した。

 暗くなる。

 星は見えなかった。

 雲が薄くかかっている。

 その向こうで、前線の赤い光が一度だけ滲んだ。

 花火には見えなかった。

 もう。

 リゼが隣に来た。

「終わったね」

「はい」

「祭り、ちゃんと祭りだった?」

「たぶん」

「たぶんで十分」

 リゼは赤布をほどいた。

 結ばれていた柱には、布の跡が残っている。

 少しだけ赤い粉のようなものがついていた。

「明日もやる?」

 カナタは答えなかった。

 答えられなかった。

 明日。

 その言葉が、今日は少し遠い。

 リゼは別に返事を待っていなかった。

 赤布を畳む。

「じゃあ、また今度」

 軽く言った。

 また今度。

 便利な言葉だった。

 次があるか分からない時ほど、人はそう言う。

 カナタは手袋を見た。

 汗で少し湿っている。

 息を吹きかけた。

 温かくはならない。

 夏だからだ。

「悪化した」

 小さく言う。

 リゼが笑った。

「祭りのせい?」

「夏のせいです」

「じゃあ夏が悪い」

「はい」

 遠くで砲声が鳴った。

 夏の夜に、低く。

 ハウンド七の夏祭りは終わった。

 でも、終わった後の匂いはしばらく残った。

 肉。

 油。

 汗。

 草。

 火薬。

 赤布。

 それらが混ざった匂いを、カナタは覚えてしまう。

 たぶん、ずっと。

 夏の終わりに思い出す匂いは、きっとこういう匂いなのだと思った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。