背中合わせの正義―交わらない最適解   作:深見

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第九話 戻らない列車

 

 

 ブルーステーションには、海軍とサイファーポールの人員が集められていた。

 

 ホームへ続く通路の両脇には、多くの役人や海兵が立ち並んでいる。アクア・ラグナを前にした夜の駅は、普段の喧騒を押し殺したように静まり返っていた。

 

 彼らはルッチ達の姿を認めると、素早く敬礼する。

 

「長期任務ご苦労様でした!!!」

 

 一糸の乱れもなく、声が揃った。

 

 若い役人や海兵達の間には、抑えきれないざわめきがあった。

 緊張と好奇の混じった視線が、黒服の一団へ向けられている。

 

 サイファーポールの一人が、ルッチの肩にコートをかけた。

 

「仰々しいな……やめさせろ」

 

 ルッチは眉根を寄せて言う。

 

「遊びじゃねェんだ気を引き締めろ!! 全員列車に乗れ!!!」

 

 その一言で、空気がさらに締まった。

 

 駅の端の方で、ルッチ達が乗り込む様子を見ている男がいた。

 金髪に洒落た服装という、どこか軽そうな見た目とは裏腹に、その目つきは浮ついていなかった。

 

 何かを決意しているようだった。

 

 *****

 

 ルッチ達は二番目の車両に乗り込んだ。

 

 ロビンは一番前の車両で、下級のサイファーポール達が見張っている。フランキーとウソップは、中央付近の貨物車両に放り込まれていた。

 

 扉が閉まり、外のざわめきが一段遠くなる。

 

「私達の任務はほぼ完了ね」

 

 久々に、カリファの表情が明るい。

 口元には少し笑みが浮かんでいた。

 

「到着までそういう軽い発言は慎めバカヤロウ」

 

 既に席についていたルッチは、目を閉じて腕を組んだまま言った。

 怒鳴るというより、たしなめる声だった。

 

「……失礼」

 

 各々、席に座った。

 

 ブルーノは無言で後ろの方の席に着く。

 カクは腰を下ろしても、まだ硬い表情をしていた。

 

「ルッチさん」

 

 乗務員の男が、ルッチに声をかけた。

 

「少々早いですが出航します。何か不都合など……」

 

「ない……出せ」

 

 ルッチは短く返した。

 

 やがて、海列車がわずかに軋む。

 鉄の車輪が動き出し、ブルーステーションの灯りが窓の外へ滑っていった。

 

「五年住んだが……こんな島にゃあ名残惜しむ情もわかねェ……」

 

 ルッチが低く呟く。

 

 リバーは、自身の前に座るルッチを見た。

 

 本当に何も感じていなければ、わざわざそんな台詞を口にする必要もないだろうに。

 そう思ったが、言葉にはしなかった。

 

 ルッチは冷徹な男だ。

 任務のためなら、繋がりを切ることに迷わない。

 

 それでも、五年という時間が何も残さないわけではない。

 残ったものを認めるかどうかは、また別の話だ。

 

 リバーは窓の外へ視線を移した。

 

 ウォーターセブンの灯りが、少しずつ遠ざかっていく。

 

 *****

 

「侵入者か」

 

 乗車からしばらくして、一人の役人が駆け込んできた。報告する声は明らかに乱れていた。

 

 ルッチは腕を組んだまま、落ち着いた声で言う。

 

「途中乗車はできない。出航から乗っていたことになる。呆れたな……」

 

 そして、少しだけ目を開けた。

 

「だが同時に“途中下船”も不可能だ」

「落ち着いて探せ」

 

 報告は一度切れた。

 

 しかし、事態は収束に向かわない。

 

 次に駆け込んできた役人の顔は、先ほどよりさらに青かった。

 

「後部二車両切離された!? あなた達一体何をやっているの!?」

 

 カリファが思わず立ち上がる。

 

 役人は焦った様子で、現状を説明した。

 

 現在の列車は全部で五車両。

 兵士は全滅。

 

 第四車両にワンゼ。

 第三車両にネロ。

 第二車両にルッチ達。

 最前方の第一車両にロビン。

 

「敵もバカじゃなさそうだな……」

 

 ルッチは淡々と言った。

 

「だが事実上こっちに不都合があるとすれば、フランキーが自由の身にあることだけだ。我々の任務はフランキーとニコ・ロビンをエニエス・ロビーに届けることのみ」

 

 声に焦りはない。

 

「それ以外はこちらサイドの誰がくたばろうと任務に支障はない」

 

 リバーはわずかに眉を動かした。

 

 任務だけを見れば、ルッチの判断は正しい。

 だが、切り離された車両には、海軍本部の大佐もいるはずだった。

 

 あれを損耗に数えないのは、勘定が荒い。

 

 そう思ったが、口には出さなかった。

 この場の指揮はルッチにある。

 

「敵の姿は見たの?」

 

 カリファが役人へ視線を戻す。

 

「ええ、まずは捕まっていた例の二人……」

「それと見たことのない金髪のスーツ男の計三人で……」

 

 金髪のスーツ男。

 

 リバーは、麦わらの一味の船にいた男を思い出した。

 

 賞金首ではなかった。

 だが、後部二車両を切り離し、拘束者を解放した。

 

 少なくとも、ただの同行者ではない。

 

 後部二車両の切り離し。

 拘束者の解放。

 進行方向を意識した突破。

 

 やり方は荒いが、効いている。

 

 カクも同じ考えに思い至ったようだった。

 

「そいつは長鼻の男と同様、“麦わら”の仲間じゃろうな」

「目的は当然ニコ・ロビンの奪回。フランキーはその手伝いといったところか」

 

「ルッチ、おれがニコ・ロビンを見張っていようか」

 

 事態を重く見たブルーノが申し出る。

 

 ルッチは少しだけ沈黙し、すぐに切った。

 

「……必要ない。フランキーをもう一度捉えることだけ考えろ」

 

 それから、口元をわずかに歪める。

 

「ニコ・ロビンを取り返す事などあいつらには絶対にできない」

 

 車両の中に、短い沈黙が落ちた。

 

 リバーは窓の外の黒い海へ視線を向ける。

 

 絶対。

 

 その言葉ほど、現場で当てにならないものも少ない。

 けれど今、それを口に出す必要はない。

 

 海列車は、荒れ始めた海の上を進んでいた。

 

 *****

 

 突如、後方の扉ごと何かが飛んできた。

 

 金属が軋み、木片が散る。

 車両の床を転がったそれは、すでに完全に伸びていた。

 

 ワンゼだった。

 

 扉のなくなった向こう側に、金髪の男が立っている。

 

 黒いスーツ。

 煙草の紫煙。

 負傷の跡が見える。

 

 だが、目はまだ死んでいない。

 

 車両内の視線が、一斉にそちらへ向いた。

 

 その少し後、上部から軋むような音がする。

 直後、屋根を突き破るようにして、フランキーとスキンヘッドの若い男──ネロが落ちてきた。

 

「お前な……一体どこから」

 

 金髪の男──サンジが、呆れたようにフランキーへ声をかける。

 

「アウ!! おめェ、ラーメン野郎は片付いたのか?」

 

「丁度今な」

 

 フランキーは足元に転がっていたネロを、ルッチ達の方へ蹴り飛ばした。

 

「急に騒がしくなったわね」

 

 カリファは、足元の男へ一瞥もくれずに言う。

 

「護送のための兵士は結局全滅か……」

 

 ブルーノが低く呟く。

 

「別に期待もしておらんがのう……」

 

 カクも、サンジ達へ視線を向けたまま返した。

 

 金髪の男は、真正面から来たわけではない。

 後方を削り、拘束者を拾い、列車の構造を利用して前へ詰めてきた。

 

 賞金首ではない。

 だから安全、というほど現場は親切にできていない。

 

 リバーは彼に対する評価を一段引き上げた。

 

「ウ……」

 

 ルッチの足元で、呻くような声がした。

 

 リバーは視線を落とす。

 

 派手な装いの若い男が、床に転がっていた。

 

 誰だこいつは。

 服の主張が強すぎる。

 だが、ベルトは少し悪くない。

 

「コイツは何だ」

 

 ルッチも同じ疑問を口にした。

 

「コーギーの言っとったCP9の新入りじゃろな。ネロとかいう四式使い」

 

 カクの説明で、ようやく記憶と繋がった。

 先ほど報告に来た役人も言っていた。

 

 ナリは派手だが、印象はどうも薄い。

 

「ハァ……もう許さねェっしょ……!!」

「俺は戦闘の天才と言われてきた男だぞ!!」

「もう構わねェ……殺してやる」

 

 最後の一言を見逃すほど、ルッチは甘くない。

 

「……おい新入り」

 

 声が冷える。

 

「フランキーは生け捕りだ。感情に任せて任務を見失うとは……」

 

 ネロは何かを言い返していた。

 

 自尊心と怒りと焦りが混ざった、聞く価値の薄い言葉だった。

 

 ルッチは途中で切った。

 

「……イヤもういい。三秒やるから、さっさと逃げろ」

 

 ネロは困惑する。

 ルッチはゆっくりと構え、数を数え始めた。

 

「やめろ、バカなマネを!!」

 

 ようやく危機を悟り、ネロが剃でその場を離れようとする。

 だが、ルッチを撒くことはできなかった。

 

「何もかも半端なお前に、CP9は務まらん」

「六式揃ってこその超人だ。坊や……」

 

 ネロは走る列車から落とされた。

 

 リバーは、ネロが消えた窓の外を一度だけ見た。

 

 彼が欠いている二式が何かまでは知らない。

 だが、六式をすべて同じ水準で使えないこと自体は、リバーにとって大きな問題ではなかった。

 

 リバー自身、鉄塊は得意ではない。

 自分のスタイルにも噛み合わないので、ほとんど使わない。

 

 だが、任務の本質を見失うのは違う。

 

 半端者にも、半端者なりの分別は要る。

 なかったら落ちる。

 

 実際、落ちた。

 

「カリファ」

 

「はい」

 

「後で長官に一報を」

「新入りは弱すぎて使い物になりませんでした、と」

 

「了解」

 

 一連の流れを見ていたサンジが、低く呟く。

 

「こいつらが正義の機関か……?」

 

「どっちが悪だかな……」

 

 フランキーも顔を歪めた。

 おかしなポーズを取る元気は残っているらしい。

 

 ルッチはサンジに向き直る。

 

「お前らの用は……聞くまでもねェか、侵入者」

「ニコ・ロビンのことなら諦めろ」

 

 それから、ロビンの生い立ちを語った。

 

 生まれた時から背負わされた罪。

 生きているだけで周囲を不幸にする女。

 本来なら二十年前に死んでいるはずだった女。

 

 その言葉が重なるたびに、サンジの顔から余裕が消えていく。

 

「手遅れになる前に、あの女が死ぬことになって本当によかった」

 

 その一言で、サンジが踏み込んだ。

 

「いい加減にしろ、てめェ!!!」

 

 蹴りが飛ぶ。

 

 ルッチは難なく受け止めた。

 

 サンジの蹴りは鋭い。

 だが、怒りが乗った分だけ、軌道は素直だった。

 

 その時、前方車両からロビンが姿を現した。

 

「ロビンちゃん!!!」

 

 サンジの声が跳ねる。

 

「よかった、無事なのか、ケガは!? 何もされてねェか!!?」

「コイツらすぐブチのめすからよ!! 今度こそ一緒に皆のとこ帰ろう!!」

 

 ロビンは無言で聞いていた。

 

 不意に能力を発動させ、後ろで騒いでいたウソップを転ばせる。驚きを隠せないサンジに、ロビンは冷たい声で返した。

 

「口で言っても分からないでしょ……?」

 

 車両内の空気が、わずかに変わった。

 

 ルッチは、傑作だとでも言いたげに口元を歪めた。

 

 ロビンが自分で仲間を遠ざける。

 その構図が、ルッチには都合よく、面白いらしい。

 

 リバーは視線だけを外した。

 

 俺はこいつの、こういうところが少し嫌いだ。

 

 ロビンは、仲間を遠ざけるために政府に自分を売った。

 自分を切れば、彼らは傷つかない。

 

 嫌な正しさだ。

 

 リバーには少し理解できた。

 

 だが、理解できることと、見逃すことは違う。

 政府の意思は、すでに決まっている。

 

 ロビンが言葉で拒否しても、ウソップは騒ぎ、サンジはロビンを諦めない。

 

 ウソップが何かを地面に叩きつけた。

 

 その直後、煙幕が広がり、視界がピンク色に濁った。

 

 ピンク色の煙が、天井へぶつかって跳ね返る。

 窓も通路も、輪郭だけが曖昧に溶けた。

 

 煙の勢いは早く、視界と呼吸が奪われる。

 やり口はくだらない。

 

 だが、この狭い空間では非常に効果的だった。

 

 煙の向こうで、車両の切り離される音がする。

 

 こちらが前。

 サンジ達が後ろ。

 

 切り離されれば、荒れる海の上で距離だけが開いていく。

 

 奴らは後方車両へ移動した。

 そのまま切り離すつもりだ。

 

 手際は悪くない。

 

 だが、まだカリファのムチが届く距離だった。

 

 カリファのムチが伸び、切り離された車両を繋ぐ。

 綱引きは、ブルーノが引き受けた。

 

 無理やり離れていく車両を、腕力で引き戻す。

 

 先頭に立つブルーノへ、サンジが応戦する。

 

 ブルーノは鉄塊で受け止めたが、わずかに体勢が崩れた。

 

「ブルーノ!! ナメてかかるな」

「賞金は懸かっておらんが、恐らくそいつも主力の一人じゃ!!」

 

 カクの声が飛ぶ。

 

 評価の更新が早い。

 さすがだ。

 

 サンジの背後で、ロビンが再びウソップに能力をかける。

 

「何度言わせるの!? 私のことは放っといて!」

 

 サンジの注意が、わずかにロビンへ逸れる。

 その隙を、カクは見逃さなかった。

 

 蹴りが叩き込まれ、サンジの身体が揺らぐ。

 

「全くお前らも、どいつもコイツも」

「何でそう仲間同士で意地を張るのか!!」

「せっかく逃げられるチャンスだろうがァ!!!」

 

 フランキーが吠えた。

 

 次の瞬間、壁ごとブルーノを押しやり、ロビン達を乗せた車両を引き離す。

 

「余計なことを……」

 

 カクが低く言う。

 

「うははは、ザマァ見やがれ!」

 

 フランキーは笑った。

 

「……だいたい、お前がなぜあいつらの肩を持つ」

 

「見てられねェのよ!!」

「希望したって、もう二度と元には戻らねェチームもあんのによ……!!」

 

 その言葉を、リバーは聞き流した。

 

 元には戻らないチーム。

 

 今の自分達には関係のない言葉だ。

 少なくとも、今夜の予定表には載っていない。

 

 そう処理しかけて、できなかった。

 

 なぜか、耳に残った。

 

 フランキーはサンジ達へ、街へ引き返すように叫んでいる。

 サンジはロビンを説得しようとする。

 ロビンは、それを拒む。

 

 その背後から、ブルーノが現れた。

 

 空気に手をかける。

 そこにあるはずのない扉が開いた。

 

 ドアドアの実の真骨頂。

 空気開扉。

 

 そこからは早かった。

 

 ブルーノは危なげなくロビンの背後へ回り、そのまま連れ戻した。

 

 サンジとウソップを乗せた車両は、少しずつ離れていく。

 

 結果として、フランキーとロビン、両名の確保は維持された。

 

 カリファが上へ連絡を入れる。

 

 エニエス・ロビーは、もう前方に見え始めていた。

 

「懐かしいな。流石に五年も出ていると」

 

 ルッチが呟いた。

 

 リバーは窓の外へ視線を向ける。

 

 ウォーターセブンには名残惜しむ情もわかないと言った男が、エニエス・ロビーには懐かしさを口にする。

 

 この男には、案外こういうところがある。

 

 ともかく、長い潜伏期間はようやく終わった。

 

 海列車は、政府の島へ向かって進んでいく。

 荒れる海の上を、まっすぐに。

 

 

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