背中合わせの正義―交わらない最適解 作:深見
ブルーステーションには、海軍とサイファーポールの人員が集められていた。
ホームへ続く通路の両脇には、多くの役人や海兵が立ち並んでいる。アクア・ラグナを前にした夜の駅は、普段の喧騒を押し殺したように静まり返っていた。
彼らはルッチ達の姿を認めると、素早く敬礼する。
「長期任務ご苦労様でした!!!」
一糸の乱れもなく、声が揃った。
若い役人や海兵達の間には、抑えきれないざわめきがあった。
緊張と好奇の混じった視線が、黒服の一団へ向けられている。
サイファーポールの一人が、ルッチの肩にコートをかけた。
「仰々しいな……やめさせろ」
ルッチは眉根を寄せて言う。
「遊びじゃねェんだ気を引き締めろ!! 全員列車に乗れ!!!」
その一言で、空気がさらに締まった。
駅の端の方で、ルッチ達が乗り込む様子を見ている男がいた。
金髪に洒落た服装という、どこか軽そうな見た目とは裏腹に、その目つきは浮ついていなかった。
何かを決意しているようだった。
*****
ルッチ達は二番目の車両に乗り込んだ。
ロビンは一番前の車両で、下級のサイファーポール達が見張っている。フランキーとウソップは、中央付近の貨物車両に放り込まれていた。
扉が閉まり、外のざわめきが一段遠くなる。
「私達の任務はほぼ完了ね」
久々に、カリファの表情が明るい。
口元には少し笑みが浮かんでいた。
「到着までそういう軽い発言は慎めバカヤロウ」
既に席についていたルッチは、目を閉じて腕を組んだまま言った。
怒鳴るというより、たしなめる声だった。
「……失礼」
各々、席に座った。
ブルーノは無言で後ろの方の席に着く。
カクは腰を下ろしても、まだ硬い表情をしていた。
「ルッチさん」
乗務員の男が、ルッチに声をかけた。
「少々早いですが出航します。何か不都合など……」
「ない……出せ」
ルッチは短く返した。
やがて、海列車がわずかに軋む。
鉄の車輪が動き出し、ブルーステーションの灯りが窓の外へ滑っていった。
「五年住んだが……こんな島にゃあ名残惜しむ情もわかねェ……」
ルッチが低く呟く。
リバーは、自身の前に座るルッチを見た。
本当に何も感じていなければ、わざわざそんな台詞を口にする必要もないだろうに。
そう思ったが、言葉にはしなかった。
ルッチは冷徹な男だ。
任務のためなら、繋がりを切ることに迷わない。
それでも、五年という時間が何も残さないわけではない。
残ったものを認めるかどうかは、また別の話だ。
リバーは窓の外へ視線を移した。
ウォーターセブンの灯りが、少しずつ遠ざかっていく。
*****
「侵入者か」
乗車からしばらくして、一人の役人が駆け込んできた。報告する声は明らかに乱れていた。
ルッチは腕を組んだまま、落ち着いた声で言う。
「途中乗車はできない。出航から乗っていたことになる。呆れたな……」
そして、少しだけ目を開けた。
「だが同時に“途中下船”も不可能だ」
「落ち着いて探せ」
報告は一度切れた。
しかし、事態は収束に向かわない。
次に駆け込んできた役人の顔は、先ほどよりさらに青かった。
「後部二車両切離された!? あなた達一体何をやっているの!?」
カリファが思わず立ち上がる。
役人は焦った様子で、現状を説明した。
現在の列車は全部で五車両。
兵士は全滅。
第四車両にワンゼ。
第三車両にネロ。
第二車両にルッチ達。
最前方の第一車両にロビン。
「敵もバカじゃなさそうだな……」
ルッチは淡々と言った。
「だが事実上こっちに不都合があるとすれば、フランキーが自由の身にあることだけだ。我々の任務はフランキーとニコ・ロビンをエニエス・ロビーに届けることのみ」
声に焦りはない。
「それ以外はこちらサイドの誰がくたばろうと任務に支障はない」
リバーはわずかに眉を動かした。
任務だけを見れば、ルッチの判断は正しい。
だが、切り離された車両には、海軍本部の大佐もいるはずだった。
あれを損耗に数えないのは、勘定が荒い。
そう思ったが、口には出さなかった。
この場の指揮はルッチにある。
「敵の姿は見たの?」
カリファが役人へ視線を戻す。
「ええ、まずは捕まっていた例の二人……」
「それと見たことのない金髪のスーツ男の計三人で……」
金髪のスーツ男。
リバーは、麦わらの一味の船にいた男を思い出した。
賞金首ではなかった。
だが、後部二車両を切り離し、拘束者を解放した。
少なくとも、ただの同行者ではない。
後部二車両の切り離し。
拘束者の解放。
進行方向を意識した突破。
やり方は荒いが、効いている。
カクも同じ考えに思い至ったようだった。
「そいつは長鼻の男と同様、“麦わら”の仲間じゃろうな」
「目的は当然ニコ・ロビンの奪回。フランキーはその手伝いといったところか」
「ルッチ、おれがニコ・ロビンを見張っていようか」
事態を重く見たブルーノが申し出る。
ルッチは少しだけ沈黙し、すぐに切った。
「……必要ない。フランキーをもう一度捉えることだけ考えろ」
それから、口元をわずかに歪める。
「ニコ・ロビンを取り返す事などあいつらには絶対にできない」
車両の中に、短い沈黙が落ちた。
リバーは窓の外の黒い海へ視線を向ける。
絶対。
その言葉ほど、現場で当てにならないものも少ない。
けれど今、それを口に出す必要はない。
海列車は、荒れ始めた海の上を進んでいた。
*****
突如、後方の扉ごと何かが飛んできた。
金属が軋み、木片が散る。
車両の床を転がったそれは、すでに完全に伸びていた。
ワンゼだった。
扉のなくなった向こう側に、金髪の男が立っている。
黒いスーツ。
煙草の紫煙。
負傷の跡が見える。
だが、目はまだ死んでいない。
車両内の視線が、一斉にそちらへ向いた。
その少し後、上部から軋むような音がする。
直後、屋根を突き破るようにして、フランキーとスキンヘッドの若い男──ネロが落ちてきた。
「お前な……一体どこから」
金髪の男──サンジが、呆れたようにフランキーへ声をかける。
「アウ!! おめェ、ラーメン野郎は片付いたのか?」
「丁度今な」
フランキーは足元に転がっていたネロを、ルッチ達の方へ蹴り飛ばした。
「急に騒がしくなったわね」
カリファは、足元の男へ一瞥もくれずに言う。
「護送のための兵士は結局全滅か……」
ブルーノが低く呟く。
「別に期待もしておらんがのう……」
カクも、サンジ達へ視線を向けたまま返した。
金髪の男は、真正面から来たわけではない。
後方を削り、拘束者を拾い、列車の構造を利用して前へ詰めてきた。
賞金首ではない。
だから安全、というほど現場は親切にできていない。
リバーは彼に対する評価を一段引き上げた。
「ウ……」
ルッチの足元で、呻くような声がした。
リバーは視線を落とす。
派手な装いの若い男が、床に転がっていた。
誰だこいつは。
服の主張が強すぎる。
だが、ベルトは少し悪くない。
「コイツは何だ」
ルッチも同じ疑問を口にした。
「コーギーの言っとったCP9の新入りじゃろな。ネロとかいう四式使い」
カクの説明で、ようやく記憶と繋がった。
先ほど報告に来た役人も言っていた。
ナリは派手だが、印象はどうも薄い。
「ハァ……もう許さねェっしょ……!!」
「俺は戦闘の天才と言われてきた男だぞ!!」
「もう構わねェ……殺してやる」
最後の一言を見逃すほど、ルッチは甘くない。
「……おい新入り」
声が冷える。
「フランキーは生け捕りだ。感情に任せて任務を見失うとは……」
ネロは何かを言い返していた。
自尊心と怒りと焦りが混ざった、聞く価値の薄い言葉だった。
ルッチは途中で切った。
「……イヤもういい。三秒やるから、さっさと逃げろ」
ネロは困惑する。
ルッチはゆっくりと構え、数を数え始めた。
「やめろ、バカなマネを!!」
ようやく危機を悟り、ネロが剃でその場を離れようとする。
だが、ルッチを撒くことはできなかった。
「何もかも半端なお前に、CP9は務まらん」
「六式揃ってこその超人だ。坊や……」
ネロは走る列車から落とされた。
リバーは、ネロが消えた窓の外を一度だけ見た。
彼が欠いている二式が何かまでは知らない。
だが、六式をすべて同じ水準で使えないこと自体は、リバーにとって大きな問題ではなかった。
リバー自身、鉄塊は得意ではない。
自分のスタイルにも噛み合わないので、ほとんど使わない。
だが、任務の本質を見失うのは違う。
半端者にも、半端者なりの分別は要る。
なかったら落ちる。
実際、落ちた。
「カリファ」
「はい」
「後で長官に一報を」
「新入りは弱すぎて使い物になりませんでした、と」
「了解」
一連の流れを見ていたサンジが、低く呟く。
「こいつらが正義の機関か……?」
「どっちが悪だかな……」
フランキーも顔を歪めた。
おかしなポーズを取る元気は残っているらしい。
ルッチはサンジに向き直る。
「お前らの用は……聞くまでもねェか、侵入者」
「ニコ・ロビンのことなら諦めろ」
それから、ロビンの生い立ちを語った。
生まれた時から背負わされた罪。
生きているだけで周囲を不幸にする女。
本来なら二十年前に死んでいるはずだった女。
その言葉が重なるたびに、サンジの顔から余裕が消えていく。
「手遅れになる前に、あの女が死ぬことになって本当によかった」
その一言で、サンジが踏み込んだ。
「いい加減にしろ、てめェ!!!」
蹴りが飛ぶ。
ルッチは難なく受け止めた。
サンジの蹴りは鋭い。
だが、怒りが乗った分だけ、軌道は素直だった。
その時、前方車両からロビンが姿を現した。
「ロビンちゃん!!!」
サンジの声が跳ねる。
「よかった、無事なのか、ケガは!? 何もされてねェか!!?」
「コイツらすぐブチのめすからよ!! 今度こそ一緒に皆のとこ帰ろう!!」
ロビンは無言で聞いていた。
不意に能力を発動させ、後ろで騒いでいたウソップを転ばせる。驚きを隠せないサンジに、ロビンは冷たい声で返した。
「口で言っても分からないでしょ……?」
車両内の空気が、わずかに変わった。
ルッチは、傑作だとでも言いたげに口元を歪めた。
ロビンが自分で仲間を遠ざける。
その構図が、ルッチには都合よく、面白いらしい。
リバーは視線だけを外した。
俺はこいつの、こういうところが少し嫌いだ。
ロビンは、仲間を遠ざけるために政府に自分を売った。
自分を切れば、彼らは傷つかない。
嫌な正しさだ。
リバーには少し理解できた。
だが、理解できることと、見逃すことは違う。
政府の意思は、すでに決まっている。
ロビンが言葉で拒否しても、ウソップは騒ぎ、サンジはロビンを諦めない。
ウソップが何かを地面に叩きつけた。
その直後、煙幕が広がり、視界がピンク色に濁った。
ピンク色の煙が、天井へぶつかって跳ね返る。
窓も通路も、輪郭だけが曖昧に溶けた。
煙の勢いは早く、視界と呼吸が奪われる。
やり口はくだらない。
だが、この狭い空間では非常に効果的だった。
煙の向こうで、車両の切り離される音がする。
こちらが前。
サンジ達が後ろ。
切り離されれば、荒れる海の上で距離だけが開いていく。
奴らは後方車両へ移動した。
そのまま切り離すつもりだ。
手際は悪くない。
だが、まだカリファのムチが届く距離だった。
カリファのムチが伸び、切り離された車両を繋ぐ。
綱引きは、ブルーノが引き受けた。
無理やり離れていく車両を、腕力で引き戻す。
先頭に立つブルーノへ、サンジが応戦する。
ブルーノは鉄塊で受け止めたが、わずかに体勢が崩れた。
「ブルーノ!! ナメてかかるな」
「賞金は懸かっておらんが、恐らくそいつも主力の一人じゃ!!」
カクの声が飛ぶ。
評価の更新が早い。
さすがだ。
サンジの背後で、ロビンが再びウソップに能力をかける。
「何度言わせるの!? 私のことは放っといて!」
サンジの注意が、わずかにロビンへ逸れる。
その隙を、カクは見逃さなかった。
蹴りが叩き込まれ、サンジの身体が揺らぐ。
「全くお前らも、どいつもコイツも」
「何でそう仲間同士で意地を張るのか!!」
「せっかく逃げられるチャンスだろうがァ!!!」
フランキーが吠えた。
次の瞬間、壁ごとブルーノを押しやり、ロビン達を乗せた車両を引き離す。
「余計なことを……」
カクが低く言う。
「うははは、ザマァ見やがれ!」
フランキーは笑った。
「……だいたい、お前がなぜあいつらの肩を持つ」
「見てられねェのよ!!」
「希望したって、もう二度と元には戻らねェチームもあんのによ……!!」
その言葉を、リバーは聞き流した。
元には戻らないチーム。
今の自分達には関係のない言葉だ。
少なくとも、今夜の予定表には載っていない。
そう処理しかけて、できなかった。
なぜか、耳に残った。
フランキーはサンジ達へ、街へ引き返すように叫んでいる。
サンジはロビンを説得しようとする。
ロビンは、それを拒む。
その背後から、ブルーノが現れた。
空気に手をかける。
そこにあるはずのない扉が開いた。
ドアドアの実の真骨頂。
空気開扉。
そこからは早かった。
ブルーノは危なげなくロビンの背後へ回り、そのまま連れ戻した。
サンジとウソップを乗せた車両は、少しずつ離れていく。
結果として、フランキーとロビン、両名の確保は維持された。
カリファが上へ連絡を入れる。
エニエス・ロビーは、もう前方に見え始めていた。
「懐かしいな。流石に五年も出ていると」
ルッチが呟いた。
リバーは窓の外へ視線を向ける。
ウォーターセブンには名残惜しむ情もわかないと言った男が、エニエス・ロビーには懐かしさを口にする。
この男には、案外こういうところがある。
ともかく、長い潜伏期間はようやく終わった。
海列車は、政府の島へ向かって進んでいく。
荒れる海の上を、まっすぐに。