背中合わせの正義―交わらない最適解 作:深見
これに伴い、【原作沿い】タグを【原作改変あり】に変更します。
ブルーノが戻らない。
それは明確な違和感だった。
扉を作れる男は、退路を失わない。
正面から潰すこともできるが、どこにでも扉を作り、逃げ道を断つ。相手を別の角度から急襲できるのがあの男の持ち味だ。
そのブルーノが、戻らない。
リバーは窓の外へ視線を向けた。
司法の塔の外壁から、裁判所側を見下ろす。
遠くで、何かが砕ける音がした。
兵士達の怒号。
続いて、壁を割るような衝撃音。
裁判所の屋上近く、崩れた壁のそばに、二つの人影が見えた。
「……様子を見てくる」
リバーが言うと、カクがちらりとこちらを見た。
「珍しく気が早いのう」
「入口と出口を作れる奴が戻らない方が変だろ」
「それもそうじゃな」
ルッチは何も言わなかった。
ただ、目だけで行けと告げる。
リバーは軽く肩を回し、窓枠へ足をかけた。
「面倒なことになってなければいいが」
「そういう時ほど、なっておるもんじゃ」
「言うな」
次の瞬間、リバーは窓の外へ身を投げた。
月歩。
空気を踏み、塔の外壁に沿って斜めに落ちる。
風が頬を叩く。
下へ近づくほど、戦闘音ははっきりしていった。
崩れた壁。
割れた床。
その中央で、ブルーノが膝をついている。
まだ倒れてはいない。
だが、次を受ければ落ちる。
向かいに立っていたのは、麦わらのルフィだった。
全身から湯気のようなものが立っている。
呼吸が浅く、速い。
肌が熱を帯び、血の巡りまで変わっているように見えた。
速くなった、というだけではない。
呼吸の拍も、体温の上がり方も、さっきまでと違う。
身体の内側から、無理やり動きを変えているように見えた。
ウォーターセブンで見ていた動きとはまるで違う。
リバーは、着地と同時に床を蹴った。
ルフィの拳が、ブルーノへ伸びる。
その踏み込みの前へ、リバーが滑り込んだ。
嵐脚。
至近から放った斬撃が床を裂き、ルフィの足元を一歩ずらす。
拳はブルーノの頬をかすめ、壁へ突き刺さった。
ブルーノがリバーを見る。
「……リバー」
「行け、ブルーノ。状況を伝えろ」
「まだ──」
「行け」
リバーはルフィから目を離さずに言った。
ブルーノは一瞬だけ黙った。
それから、空気へ手をかける。
扉が開く。
「任せた」
短く残し、傷ついた巨体が扉の向こうへ消えた。
「逃がすか!」
ルフィが踏み込む。
速い。
リバーは紙絵で拳を流し、身体を薄く傾けた。
風圧が肩をかすめる。
避けたはずの拳が、伸びて戻る。
戻る軌道で、また殴りに来る。
「面倒だな」
リバーは剃で懐へ入った。
指銃。
狙いは肋の下。
普通の人間なら、呼吸が止まる場所だ。
だが、指先に返ってきた感触は、予想よりも深く沈み、弾んだ。
効いていないわけではない。
けれど、止まらない。
「邪魔すんな!」
ルフィの膝が上がる。
リバーは腕で受けず、身を沈めた。
紙絵。
続けて剃。
背後へ回り、踵を跳ね上げる。
打撃は入った。
面で叩き、体勢を崩す。
だが、麦わらは倒れなかった。
ゴムの身体が衝撃を逃がし、反動で前へ戻ってくる。
なら、戻る前に向きを変える。
リバーは指を引いた。
刺して止まらないなら、叩く。
叩いて倒れないなら、弾む方向をずらす。
剃。
ルフィの視界から一瞬消え、膝の外側へ入る。
足裏で押し込むように蹴った。
関節を壊すためではない。
体重の向きを変えるための蹴りだ。
「おっ……!」
ルフィの身体が横へ流れる。
流れた先へ、リバーはもう入っていた。
肘。
掌底。
膝。
点ではなく、面で打つ。
沈んで弾む身体を、弾む前に別の方向へ押し込む。
ルフィの足が、初めて床を滑った。
「こいつ……!」
ルフィの目が鋭くなる。
伸びる拳。
リバーは紙絵で肩一枚分だけ外し、拳の戻る軌道へ足を置いた。
嵐脚。
戻ってくる腕の通り道へ、斬撃を差し込む。
「うおっ!」
ルフィが腕を引いた。
避けた。
リバーは目を細める。
ただ突っ込むだけじゃない。
危ないものは、ちゃんと避ける。
なら、押せる。
読める。
向かってくる場所も、狙いも、直線的だ。
だが、身体の戻り方が読めない。
関節の止まり方が違う。
痛みに対する戻り方が違う。
普通なら止まる角度で、止まらない。
リバーは床を蹴る。
普段なら、ここまで深く踏み込まない。
相手の呼吸を奪い、足を削り、選択肢を減らす。
だが、麦わらは削っている間に前へ出る。
なら、今だけは押し返す。
剃。
距離を潰し、踏み込みの勢いを、そのまま脚へ乗せる。
至近の嵐脚。
普段のように、足場や進路を切るための細い斬撃ではない。剃の加速を乗せ、面で叩きつける。
リバーにしては珍しい、正面から押し通すための嵐脚だった。
ルフィは腕を交差させて受ける。
床が割れ、壁が鳴った。
「いってェな!」
「それで済むのかよ」
リバーは舌打ちした。
速度はぎりぎり対応できる。
リバーはルフィの右へ抜けた。
拳は正面へ流れている。
背後を取った。
そのはずだった。
伸びた腕が、壁に突き刺さる。
ゴムの反動で、ルフィの身体が無理やり向きを変えた。
振り返るより早く、次の拳が来る。
「っ……!」
紙絵で流す。
流したはずの拳が、伸びきった先でしなり、鞭のように戻ってくる。
攻撃が終わらない。
普通なら一撃ごとに切れるはずの拍が、繋がっている。
拳も、膝も、腕の戻りも、全部が次の攻撃になっていた。
リバーは息を吐いた。
測るだけでは足りない。
このままでは、押し切られる。
なら、一度止める。
リバーの足音が消えた。
剃。
紙絵。
指銃。
一つではない。
ルフィの肩、肘、脇腹、膝、足首。
動き出すために必要な点だけを、続けざまに撃ち抜く。
同時に、嵐脚が床に細い裂け目を刻んだ。
踏み込む場所を奪う。
伸びる腕の戻り道をずらす。
呼吸の拍を外す。
床に刻まれた細い裂け目が、光を拾って白く走る。
その線の内側へ、ルフィの足が閉じ込められた。
細い線が、見えない糸のようにルフィの周囲を縫う。
六式複合技──蜘蛛糸。
ルフィの身体が止まった。
ほんの一瞬。
だが、止まった。
「……っ!」
ルフィの目が見開かれる。
リバーは次の一撃へ移った。
普通なら、それで終わる。
動けない一瞬を作れれば、あとは首でも喉でも心臓でもいい。
だが、ルフィの腕が弾けた。
止めたはずの肩が、ゴムの反動で跳ねる。
縫い止めたはずの線が、伸びて戻る。
拳が来た。
「っ……!」
リバーは紙絵で逃がした。
完全には避けきれない。
拳が頬をかすめ、皮膚の表面に熱が走る。
止めた。
確かに止めた。
なのに、まだ前へ出る。
ルフィは一度、足を止めた。
止められたからではない。
見直すために。
「お前、強ェな……」
その目はリバーを見ている。
だが、目的はリバーではない。
「でもそこをどけ! ロビンのとこに行くんだ!」
腹立たしいほど、まっすぐな目だ。
その時、司法の塔の上階に黒い影が並んだ。
ジャブラが真っ先に笑う。
「ぎゃははは。何だァ? 押されてんのか、リバー」
「チャパパパ、リバーのやつ苛々してる」
「あの野郎、手間取っているな……」
「珍しく手こずっとるのう」
「よよい、追い込まれるほど敵が強ェってェことだろォ」
「相性も悪そうね」
全部がはっきり聞こえたわけではない。
だが、好き勝手言われていることだけは分かった。
「うるせェぞ!! 聞こえてんだよ!! 好き勝手言いやがって!!」
リバーが怒鳴る。
ルフィの拳が伸びる。
リバーは紙絵で流し、壁を蹴った。
月歩。
空気を踏み、上階へ跳ぶ。
着地した瞬間、カクが横から覗き込んできた。
「出したのう、蜘蛛糸」
「出させられたんだよ」
「お前さんの巣にかかって、まだ前に出る奴は珍しいのう」
「かかってるのに止まらないから面倒なんだよ」
リバーは頬を拭った。
指先に薄く血がつく。
ルッチが一歩前へ出た。
「鈍ったか」
「バカ言うな。屋敷で見たのとは別人だと思え」
リバーは乱れた息を一度だけ整え、口元だけで笑った。
「あれはお前用だ」
ルッチは眼下のルフィを見た。
「分かっている」
その一言で、場の重心が変わった。
リバーはルフィから目を離さなかった。
だが、麦わらの視線はルッチではなく、その奥──ロビンへ向いている。ロビンのそばでは、フランキーがいつの間にか拘束を解き、ルフィ達の方を見ている。
CP9が揃った。
ブルーノを退け、自分の奥の手まで食った。
それでも、あいつの目的は一度も変わっていない。
「おーーーーっ!!! ロビーーーン!!」
「よかった!! まだそこにいたのかァ!!」
ルフィの声が、塔の上へ突き抜けた。
ロビンの肩が、わずかに揺れる。
スパンダムが何か喚いた。
だが、その声はもう場を支配していなかった。
ルフィの声だけが、まっすぐロビンへ届いている。
上へ来ようとするルフィを、彼女は拒絶の言葉で突き放した。続けて、叫ぶように言う。
「……私は、もう死にたいのよ!!!!」
その言葉は、諦めの色を帯びていた。
だが、リバーには本心には聞こえなかった。
自分を選ばせないための言葉。
ここまで来た者達を、これ以上進ませないための刃。
自分が拒めば、彼らは諦めるかもしれない。
自分を切れば、彼らだけはまだ戻れるかもしれない。
そんな、願いにも似た切り離しだった。
彼女はまだ、自分を勘定から外そうとしている。
リバーには、そう見えた。
少なくとも、ただ死を望む者の声ではなかった。