背中合わせの正義―交わらない最適解   作:深見

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第四話 潮目が変わる

 

 裏町へ回っていく麦わらの一味を視界の端に残したまま、リバーは水路沿いの通りを折れた。

 

 急ぐ必要はない。

 あの騒がしさなら、どうせ街の方が先に噂を運ぶ。

 

 五年近く、水面の下に沈んでいたものがある。

 それが今日動くとは限らない。

 だが、何かが入ってきたことだけは確かだった。

 

 朝の仕事はまだ終わらない。

 港寄りで受けた荷のうち一つは、ガレーラカンパニーの秘書室宛てだった。

 

 もっとも、届け先がそこである時点で、ついでに落とす話も決まっている。

 

 一番ドックへ続く道は、朝のうちから人の出入りが多い。

 職人、使い走り、帳簿を抱えた事務方。

 その流れの中を抜けて、リバーは慣れた顔で建物へ入った。

 

 受付で名を告げると、顔見知りの職員が「ああ、いつもの」と気安く通す。

 もう止められることも、怪しまれることもない。

 

 ここまで来れば、潜伏は生活そのものだった。

 

 *****

 

 秘書室の扉は半分だけ開いていた。

 

 中ではカリファが、すでにその日の流れを整理しきった様子で立っている。

 

 リバーは扉を軽く叩いてから、細長い包みを持ち上げて見せた。

 

「秘書殿。お届け物だ」

 

 カリファが顔を上げる。

 

「朝から調子が良いわね」

 

「愛想の一つもないと、仕事にならないだろ」

 

「あなたの場合、それで誤魔化してることの方が多いんじゃないかしら」

 

「心外だな」

 

 そう言いながら包みを机の端へ置くと、カリファは中身を確かめもせず脇へ寄せた。

 

 机の上には、その日の予定表と来客記録が整然と並んでいた。

 どれも社長秘書の仕事に見える。

 だが、どの紙の余白にも、別の意味で使える情報が落ちている。

 

 カリファはその中に、リバーの置いた包みを当然のように混ぜた。必要な物が、必要な順で届いていることを疑っていない手つきだった。

 

「それで?」

 

 視線だけで先を促される。

 

 リバーは声の温度を一段落とした。

 

「ニコ・ロビンが入った。麦わらの一味といる。情報通りだ」

「船は裏町側。ブルーノにももう落としてある」

 

 カリファの目がわずかに細くなる。

 

 驚きではない。

 受け取った情報を、頭の中で並べ替えているだけだ。

 

「確認は?」

 

「麦わら、海賊狩り、ロビンは確実。他は一味の面子と見ていい」

 

「分かったわ。2人にも共有しておく」

 

「任せた。俺は先に一番ドックを見てくる」

 

「麦わら達が来るのね」

 

「連中の目的は船の修理だろう。帆を動かした時に、マストが折れていた」

 

 カリファは短く頷いた。

 

 その返事に、余計な感想はなかった。

 任務上必要な材料を受け取り、必要な先へ流す。

 

 それだけで十分だった。

 

 長く一緒にいれば分かる。

 カリファもまた、止まっていた歯車が一つ噛んだことを理解している。

 

 リバーは踵を返しかけて、ふと思い出したように肩越しに言った。

 

「今日はやけに余裕ありそうだな」

 

「失礼ね」

 

 カリファは机に手をついたまま、涼しい顔で返す。

 

「必要なことは、もう全部終わってるの」

 

「素晴らしいことだ」

 

 それだけ言って、リバーは扉の外へ出た。

 

 リバーは振り返らなかった。

 

 どちらへ先に情報を流すか。その後どのように動くか。

 それを決めるのはカリファだ。

 

 背後で、カリファが誰かを呼ぶ気配がする。

 声は低く、無駄がない。

 もう情報は流れ始めていた。

 

 廊下を抜け、一番ドック側へ続く通路へ出る。

 空は高く、水路の光は朝より少しだけ強くなっている。

 

 *****

 

 朝よりも光は強くなっていた。

 水路の反射が白く壁を照らし、遠くからは鉄を打つ音が聞こえる。

 

 街はもう、完全に動いていた。

 

 リバーは建物の外壁沿いに歩きながら、ドック全体を見渡せる場所を選んだ。

 

 荷を届け終えた運送屋が、少しだけ足を止めている。

 外から見れば、それだけだ。

 

 やがて、人の流れの向こうに見慣れない一団が混ざる。

 

 来たな、とリバーは思う。

 

 一番ドックの空気は、いつも通り騒がしい。

 木材の匂い、鉄を打つ音、水路を渡る声。

 職人たちは朝から手を止めず、使い走りがその間を縫うように駆け回っている。

 

 その中へ、麦わらの一味が入ってきた。

 

 遠慮がない。

 警戒していないわけではないのだろうが、街に合わせて身を低くする気がない。

 

「おじゃまします!」

 

 麦わらは柵を越えて、ドック内に入ろうとした。

 

 その前へ、カクが何気ない様子で現れる。

 

 不自然な素振りはなく、たまたまそこにいた職人が話しかけたようにしか見えなかった。

 

 麦わら達が反応する。

 オレンジ色の髪の女が話を引き取り、紹介状を見せるとアイスバーグについて尋ねた。

 

 船大工の街へ来た目的ははっきりしている。

 隠すことでもない。

 

 カクは話を聞き終えると、少しだけ顎を上げた。

 

「船を停めた場所は?」

 

 ルフィ達が答える。

 

「ワシがひとっ走りして船の具合をみてこよう」

 

 カクはその場で軽く屈伸し、肩を回す。

 準備運動というには妙に短く、だが本人にとってはそれで十分なのだろう。

 

「ひとっ走りって、ヤガラブルで?」

 

 鼻の長い男が尋ねる。

 

 カクは笑って、ヤガラブルなど使えば待ちくたびれると言った。

 

「まァ、10分待っとれ」

 

 次の瞬間、カクが地を蹴った。

 

「速ェっ!!!」

 

 長鼻の驚いた声が響く。

 

 カクはそのまま、ドック脇の絶壁を垂直に駆け上がっていく。

 迷いも減速もない。

 石壁の上を走るというより、平地の延長みたいに足が出ていた。

 

 そのまま壁の向こうへ跳び越え、姿が消える。

 

 リバーは少しだけ目を細めた。

 

 相変わらずだな、と思う。

 

 目立つ。

 潜伏中の人間がやる動きではない。

 

 だが、この街の職人なら、妙な説得力があった。

 あれで押し切れてしまうのがカクだった。

 

 案の定、麦わらの一味は完全に呆気に取られている。

 特に長鼻は、今見たものをどう理解すればいいのか分からない顔をしていた。

 

 その空気へ、別の声が滑り込む。

 

「ンマー!!! 心配するな」

 

 振り向けば、アイスバーグがいた。

 その隣に、カリファがぴたりと付いている。

 

 アイスバーグはいつものように気負いなく歩いてくる。

 この街の長であり、ガレーラカンパニーの社長でもある男なのに、妙な気安さが先に立つ。

 

 そこから先は、いつもの調子だった。

 

 アイスバーグが気まぐれに言い、カリファが涼しい顔で受ける。時々、受け方を微妙に間違える。

 女と長鼻が律儀に反応し、麦わらは面白そうに笑っている。

 

 仕事の話をしているはずなのに、ほとんど漫才に近い。

 

 だが、この街ではそれで通る。

 アイスバーグという男は、そういうものとして受け入れられている。

 

 リバーは壁際からそのやり取りを眺めながら、口の中で小さく呟いた。

 

「……よく成立してるな、あれで」

 

 声に出したつもりは、ほとんどなかった。

 

 カリファの視線が一瞬だけこちらを向いた気がした。

 気のせいかもしれない。

 

 そういうことにしておく。

 

 やがてアイスバーグが一番ドックの方を見やる。

 

「どうせ今日は退屈な日だ」

「工場を案内しようか」

 

 自分のわがままで、その日の予定をいくつか消し飛ばした後の声だった。

 

 女が何か返しかける。

 麦わらは相変わらず遠慮がない。

 長鼻はまだ落ち着かない様子のままだが、それでも目の前の展開に引かれていた。

 

 ドックの喧騒は続いている。

 朝の光はもう十分高く、職人たちの手も止まらない。

 

 その表向きの賑わいの中へ、麦わらの一味がさらに深く入っていく。

 

 リバーはその流れを見ながら、少しだけ立つ位置を変えた。

 

 目立つ場所ではない。

 けれど、波の向きは見える場所。

 

 ここから先は、また別の波が来る。

 

 まだ街は、その音を聞いていない。

 

 

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