背中合わせの正義―交わらない最適解 作:深見
裏町へ回っていく麦わらの一味を視界の端に残したまま、リバーは水路沿いの通りを折れた。
急ぐ必要はない。
あの騒がしさなら、どうせ街の方が先に噂を運ぶ。
五年近く、水面の下に沈んでいたものがある。
それが今日動くとは限らない。
だが、何かが入ってきたことだけは確かだった。
朝の仕事はまだ終わらない。
港寄りで受けた荷のうち一つは、ガレーラカンパニーの秘書室宛てだった。
もっとも、届け先がそこである時点で、ついでに落とす話も決まっている。
一番ドックへ続く道は、朝のうちから人の出入りが多い。
職人、使い走り、帳簿を抱えた事務方。
その流れの中を抜けて、リバーは慣れた顔で建物へ入った。
受付で名を告げると、顔見知りの職員が「ああ、いつもの」と気安く通す。
もう止められることも、怪しまれることもない。
ここまで来れば、潜伏は生活そのものだった。
*****
秘書室の扉は半分だけ開いていた。
中ではカリファが、すでにその日の流れを整理しきった様子で立っている。
リバーは扉を軽く叩いてから、細長い包みを持ち上げて見せた。
「秘書殿。お届け物だ」
カリファが顔を上げる。
「朝から調子が良いわね」
「愛想の一つもないと、仕事にならないだろ」
「あなたの場合、それで誤魔化してることの方が多いんじゃないかしら」
「心外だな」
そう言いながら包みを机の端へ置くと、カリファは中身を確かめもせず脇へ寄せた。
机の上には、その日の予定表と来客記録が整然と並んでいた。
どれも社長秘書の仕事に見える。
だが、どの紙の余白にも、別の意味で使える情報が落ちている。
カリファはその中に、リバーの置いた包みを当然のように混ぜた。必要な物が、必要な順で届いていることを疑っていない手つきだった。
「それで?」
視線だけで先を促される。
リバーは声の温度を一段落とした。
「ニコ・ロビンが入った。麦わらの一味といる。情報通りだ」
「船は裏町側。ブルーノにももう落としてある」
カリファの目がわずかに細くなる。
驚きではない。
受け取った情報を、頭の中で並べ替えているだけだ。
「確認は?」
「麦わら、海賊狩り、ロビンは確実。他は一味の面子と見ていい」
「分かったわ。2人にも共有しておく」
「任せた。俺は先に一番ドックを見てくる」
「麦わら達が来るのね」
「連中の目的は船の修理だろう。帆を動かした時に、マストが折れていた」
カリファは短く頷いた。
その返事に、余計な感想はなかった。
任務上必要な材料を受け取り、必要な先へ流す。
それだけで十分だった。
長く一緒にいれば分かる。
カリファもまた、止まっていた歯車が一つ噛んだことを理解している。
リバーは踵を返しかけて、ふと思い出したように肩越しに言った。
「今日はやけに余裕ありそうだな」
「失礼ね」
カリファは机に手をついたまま、涼しい顔で返す。
「必要なことは、もう全部終わってるの」
「素晴らしいことだ」
それだけ言って、リバーは扉の外へ出た。
リバーは振り返らなかった。
どちらへ先に情報を流すか。その後どのように動くか。
それを決めるのはカリファだ。
背後で、カリファが誰かを呼ぶ気配がする。
声は低く、無駄がない。
もう情報は流れ始めていた。
廊下を抜け、一番ドック側へ続く通路へ出る。
空は高く、水路の光は朝より少しだけ強くなっている。
*****
朝よりも光は強くなっていた。
水路の反射が白く壁を照らし、遠くからは鉄を打つ音が聞こえる。
街はもう、完全に動いていた。
リバーは建物の外壁沿いに歩きながら、ドック全体を見渡せる場所を選んだ。
荷を届け終えた運送屋が、少しだけ足を止めている。
外から見れば、それだけだ。
やがて、人の流れの向こうに見慣れない一団が混ざる。
来たな、とリバーは思う。
一番ドックの空気は、いつも通り騒がしい。
木材の匂い、鉄を打つ音、水路を渡る声。
職人たちは朝から手を止めず、使い走りがその間を縫うように駆け回っている。
その中へ、麦わらの一味が入ってきた。
遠慮がない。
警戒していないわけではないのだろうが、街に合わせて身を低くする気がない。
「おじゃまします!」
麦わらは柵を越えて、ドック内に入ろうとした。
その前へ、カクが何気ない様子で現れる。
不自然な素振りはなく、たまたまそこにいた職人が話しかけたようにしか見えなかった。
麦わら達が反応する。
オレンジ色の髪の女が話を引き取り、紹介状を見せるとアイスバーグについて尋ねた。
船大工の街へ来た目的ははっきりしている。
隠すことでもない。
カクは話を聞き終えると、少しだけ顎を上げた。
「船を停めた場所は?」
ルフィ達が答える。
「ワシがひとっ走りして船の具合をみてこよう」
カクはその場で軽く屈伸し、肩を回す。
準備運動というには妙に短く、だが本人にとってはそれで十分なのだろう。
「ひとっ走りって、ヤガラブルで?」
鼻の長い男が尋ねる。
カクは笑って、ヤガラブルなど使えば待ちくたびれると言った。
「まァ、10分待っとれ」
次の瞬間、カクが地を蹴った。
「速ェっ!!!」
長鼻の驚いた声が響く。
カクはそのまま、ドック脇の絶壁を垂直に駆け上がっていく。
迷いも減速もない。
石壁の上を走るというより、平地の延長みたいに足が出ていた。
そのまま壁の向こうへ跳び越え、姿が消える。
リバーは少しだけ目を細めた。
相変わらずだな、と思う。
目立つ。
潜伏中の人間がやる動きではない。
だが、この街の職人なら、妙な説得力があった。
あれで押し切れてしまうのがカクだった。
案の定、麦わらの一味は完全に呆気に取られている。
特に長鼻は、今見たものをどう理解すればいいのか分からない顔をしていた。
その空気へ、別の声が滑り込む。
「ンマー!!! 心配するな」
振り向けば、アイスバーグがいた。
その隣に、カリファがぴたりと付いている。
アイスバーグはいつものように気負いなく歩いてくる。
この街の長であり、ガレーラカンパニーの社長でもある男なのに、妙な気安さが先に立つ。
そこから先は、いつもの調子だった。
アイスバーグが気まぐれに言い、カリファが涼しい顔で受ける。時々、受け方を微妙に間違える。
女と長鼻が律儀に反応し、麦わらは面白そうに笑っている。
仕事の話をしているはずなのに、ほとんど漫才に近い。
だが、この街ではそれで通る。
アイスバーグという男は、そういうものとして受け入れられている。
リバーは壁際からそのやり取りを眺めながら、口の中で小さく呟いた。
「……よく成立してるな、あれで」
声に出したつもりは、ほとんどなかった。
カリファの視線が一瞬だけこちらを向いた気がした。
気のせいかもしれない。
そういうことにしておく。
やがてアイスバーグが一番ドックの方を見やる。
「どうせ今日は退屈な日だ」
「工場を案内しようか」
自分のわがままで、その日の予定をいくつか消し飛ばした後の声だった。
女が何か返しかける。
麦わらは相変わらず遠慮がない。
長鼻はまだ落ち着かない様子のままだが、それでも目の前の展開に引かれていた。
ドックの喧騒は続いている。
朝の光はもう十分高く、職人たちの手も止まらない。
その表向きの賑わいの中へ、麦わらの一味がさらに深く入っていく。
リバーはその流れを見ながら、少しだけ立つ位置を変えた。
目立つ場所ではない。
けれど、波の向きは見える場所。
ここから先は、また別の波が来る。
まだ街は、その音を聞いていない。