『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第7話「戦車道ショップと西住さんの部屋」

 夕方の倉庫前には、まだ少しだけ洗車の匂いが残っていた。

 

 水で濡れた地面。泥を落とされた戦車たち。夕日に照らされて、ようやく戦車らしく見え始めた六両。

 Ⅳ号戦車D型、八九式中戦車甲型、38(t)軽戦車、M3リー中戦車、III号突撃砲F型。

 そして、TOGⅡ。

 

 戸郷灯里は、長い車体を夕日に照らされているTOGⅡを見つめていた。

「今日も良い長さでした」

「一日の締めみたいに言うんだね、戸郷さん」

 

 武部沙織が苦笑する。

 五十鈴華は、手を拭きながら穏やかに微笑んだ。

「ですが、確かに夕日に映えますね」

「分かりますか、五十鈴さん」

「ええ。とても……長いです」

「最高の褒め言葉です」

「褒め言葉なんだ……」

 

 沙織が小さく呟いた。

 西住みほは、少し離れたところでⅣ号戦車を見ていた。昨日までより、表情は少しだけ落ち着いている。けれど、まだ不安が消えたわけではない。

 

 戦車道をやると言った。

 その言葉は、もう生徒会にも、みんなにも伝わっている。

 だが、それで心の整理がつくわけではなかった。

 

 灯里は、それを分かっていた。

 だから、無理に話しかけない。近くにいる。

 それくらいが、今はちょうどいい。

 

 そんな時だった。

「あ、あの……皆さん」

 

 秋山優花里が、少し遠慮がちに手を上げた。

 沙織が振り向く。

「どうしたの、秋山さん?」

「もしよろしければ、帰りに少し寄っていきたい場所があるのですが……」

「寄り道? どこどこ?」

 

 優花里の目が、きらりと光った。

「戦車道ショップであります!」

「戦車道ショップ? そんなのあるんだ」

「戦車道に関するお店、ということでしょうか」

 

 華も興味を示した。

 みほも、少し驚いたように顔を上げる。

「戦車道ショップ……」

「行きます」

 

 灯里は即答した。

 沙織が笑う。

「戸郷さん、返事早っ」

「戦車道ショップですので」

「理由になってるようで、なってるね」

 

 優花里は嬉しそうに頷いた。

「では、皆さんで参りましょう!」

 

 こうして、みほ、沙織、華、優花里、灯里の五人は、帰り道に戦車道ショップへ寄ることになった。

 

* * *

 

 戦車道ショップは、想像以上に戦車道ショップだった。

 

 店の外には、戦車のシルエットが描かれた看板。入口の横には、履帯風のマット。ショーウィンドウには、パンツァージャケット、ゴーグル、グローブ、教材、戦車模型、砲弾型のペンケースまで並んでいる。

 

 沙織は店に入った瞬間、目を輝かせた。

「うわ、思ってたより可愛いのもある!」

「戦車道用品というと、もっと無骨なものを想像していました」

 

 華が棚を見ながら言う。

 優花里は、すでに店内の空気だけで感動していた。

「素晴らしいです……戦車道用品が、これほど整然と……!」

「秋山さん、落ち着いてください。まだ入口です」

「はい! ですが、入口からすでに戦車道であります!」

 

 灯里も周囲を見回した。

 戦車道用ヘルメット。安全靴。整備用手袋。車内用メモ帳。地図ケース。車長用の双眼鏡。

 そして、紅茶用の携帯ポット。

 

「……英国面コーナーがあります」

「英国面コーナー?」

 

 沙織が首を傾げる。

 灯里は棚の札を見た。

 

『英国戦車道用品』

 

 間違いなかった。

「素晴らしい分類です」

「そうなの?」

「英国戦車には、紅茶が必要です」

「戦車に紅茶って必要なの?」

「士気に関わります」

 

 優花里が力強く頷いた。

「英国戦車道における紅茶文化は重要であります!」

「秋山さんまで……」

 

 みほは困ったように笑っていた。

 その笑顔は、倉庫前にいた時よりも少しだけ柔らかい。

 

 戦車道ショップ。

 みほにとっては、少し重い場所かもしれない。それでも、沙織が可愛いものを見つけ、華が静かに興味を示し、優花里が楽しそうに語り、灯里が英国面を真面目に見ている。

 その空気が、戦車道という言葉の重さを少しだけ薄めていた。

 

「みほ、これ見て! この手袋、色かわいい」

「ほんとだ」

「パンツァージャケットも、サイズいろいろあるんですね」

「西住殿! こちら、戦車道初級者向けの教本であります!」

「うん、ありがとう、秋山さん」

 

 灯里は別の棚の前で足を止めた。

 戦車グッズの棚。

 そこには、ティーガー、パンター、Ⅳ号、シャーマン、チャーチル、マチルダ、T-34などの模型やキーホルダーが並んでいる。

 

 灯里は端から端まで確認した。

 そして、静かに息を吸った。

「……TOGⅡがありません」

 

 沙織が振り向く。

「え?」

「TOGⅡがありません」

「まあ、珍しそうだし……」

「珍しいからこそ、あるべきです」

 

 灯里は真顔だった。

 優花里も深刻そうに棚を確認する。

「本当です……TOGⅡが見当たりません」

「由々しき事態です」

「はい。由々しき事態であります」

「二人とも、そこまで?」

 

 沙織が少し引いている。

 華は穏やかに言った。

「ないのであれば、作るという選択肢もあるのではないでしょうか」

 

 灯里は華を見た。

「五十鈴さん」

「はい」

「天才ですか」

「えっ」

「ないなら作る。TOGⅡグッズの基本です」

「基本なんだ……」

 

 みほが小さく笑った。

「戸郷さん、自分で作れるの?」

「はい。キーホルダー、ステッカー、アクリルスタンドなら作りました」

「アクリルスタンドまで……」

「長すぎて置き場所に困りました」

「そこまで再現したんだね」

「TOGⅡですので」

 

 みほは、少しだけ目を細めた。

 

 灯里がTOGⅡを語る時の迷いのなさ。

 その姿は、みほには不思議に見えているのかもしれない。

 

 怖さも、迷いもある戦車道。

 けれど、誰かが好きなものとして話す戦車道。

 その両方が、今のみほの前にあった。

 

* * *

 

 買い物は、それぞれの性格がよく出た。

 

 優花里は戦車道教本、車両資料、整備メモ帳、そして双眼鏡を真剣に選んでいる。沙織はパンツァージャケットのデザインや小物を見て、「これ、案外可愛いかも」と何度も言っていた。華は手袋や安全靴の作りを丁寧に確認し、みほは教本の基礎項目を静かに読んでいた。

 

 灯里は、英国戦車道用品コーナーで携帯ポットを手に取った。

「戸郷さん、それ買うの?」

「はい。TOGⅡの車内に紅茶文化を導入するためです」

「戦車内でお茶するの?」

「状況によります」

「どんな状況?」

「待機中、整備後、士気が下がった時、TOGⅡが褒められた時」

「最後はお祝いなんだ」

 

 沙織が笑う。

 みほも、少しだけ肩の力が抜けたように見えた。

 

 会計を終えたあと、店の外に出る頃には、空はだいぶ暗くなり始めていた。

 

 沙織は買った袋を手に、明るく言う。

「なんか、思ってたより楽しかったね」

「はい。戦車道にも、色々な道具や考え方があるのですね」

「西住殿のお話も、もっと聞きたいであります!」

 

 優花里がそう言って、はっと口を押さえた。

 みほは一瞬だけ目を伏せる。優花里も、何かを察したように黙った。

 

 沙織が、空気を変えるように明るく言った。

「ねえ、みほ」

「え?」

「このあと、みほの家行ってもいい?」

「私の家?」

「うん。せっかくだし、みんなでご飯作ろうよ」

「え、でも……」

「昨日からいろいろあったしさ。こういう時は、みんなで食べるのが一番だよ」

 

 華も静かに微笑む。

「よろしければ、私もお手伝いします」

「わ、私もご迷惑でなければ……!」

 

 優花里は少し緊張しながらも、背筋を伸ばした。

 沙織が灯里を見る。

「戸郷さんも来るよね?」

 

 灯里は少しだけ迷った。

 みほの家。

 そこは、かなり個人的な場所だ。自分まで行っていいのか。

 

 けれど、みほは灯里を見て、小さく頷いた。

「戸郷さんも、よかったら」

 

 灯里は静かに頭を下げた。

「では、お邪魔します」

 

 みほは、少しだけ笑った。

 

* * *

 

 みほの部屋は、想像していたよりも柔らかい空気だった。

 

 そして、ボコだらけだった。

 

 棚にボコ。

 ベッドにボコ。

 机の上にも、小さなボコ。

 

 傷だらけで、どこか不器用で、それでも立ち上がろうとしているようなキャラクターのぬいぐるみが、部屋のあちこちに置かれている。

 

 沙織が目を丸くした。

「みほ、こういうの好きなんだ?」

「うん……ボコっていうんだけど」

「西住さんらしい、優しいお部屋ですね」

「可愛いボコたちですね」

 

 みほが、ぱっと灯里を見る。

「分かる?」

「はい。TOGⅡとは違った可愛さがあります」

「TOGⅡとは違った……?」

「ボコは、傷ついても立ち上がる可愛さです。TOGⅡは、撃たれても前に進む可愛さです」

 

 みほは少しだけ目を丸くした。

 それから、ふっと笑う。

「そういう見方もあるんだ」

「あります」

 

 沙織が苦笑した。

「戸郷さん、結局TOGⅡに戻るね」

「私の中心にありますので」

「中心なんだ……」

 

 優花里は、ボコとTOGⅡの共通点を真剣に考え始めていた。

「傷ついても立ち上がるボコ、撃たれても前に進むTOGⅡ……なるほど、精神性に共通項が……」

「秋山さんも真面目に考え始めた」

 

 沙織が少し呆れたように笑った。

 みほは、自分の好きなものを否定されなかったことが嬉しいのか、さっきより表情が柔らかくなっていた。

 

 灯里はそれを見て、少しだけ安心した。

 

* * *

 

 夕食作りは、思っていたよりも本格的になった。

 

 沙織が腕まくりをする。

「よし、今日は私が料理する!」

「お手伝いします」

「では、私は飯盒でご飯を炊きます!」

「飯盒?」

「はい! 野外炊飯ならお任せください!」

「ここ、みほの家だけど」

「炊飯に場所は関係ありません!」

 

 灯里は食器棚の方を見た。

「私は配膳を手伝います」

「戸郷さん、料理は?」

「TOGドッグなら少し」

「今日は普通のご飯でお願いします」

「了解しました」

 

 華が包丁を手に、野菜を丁寧に切り始める。その所作は、料理というより花を活けるように静かだった。

 沙織は鍋の前で張り切っている。

「今日は肉じゃがにしよう!」

「家庭的ですね」

「モテる料理って言ったら、やっぱり肉じゃがでしょ」

「武部さんは、そこに戻るのですね」

「大事なことだから!」

 

 みほは、そんな沙織を見て少し笑った。

「沙織さん、料理できるんだね」

「もちろん! 女子力は大事だからね」

「すごいなあ」

「みほも一緒にやろ?」

「うん」

 

 みほが台所に立つ。

 華が横で静かに補助し、沙織が明るく指示を出す。優花里は飯盒を真剣に準備し、灯里は皿を並べた。

 

 それは、戦車道とは関係のない時間だった。少なくとも、表面上は。

 けれど灯里には、少しだけ似ているようにも見えた。

 

 役割を分ける。

 声をかける。

 手順を確認する。

 誰かの動きに合わせる。

 

 台所の中にも、チームワークはある。

 給食部専攻の五人がTOGⅡと合いそうだと思ったのも、きっとこういうことなのだろう。

 

「戸郷さん?」

 

 みほに声をかけられ、灯里は顔を上げた。

「どうかした?」

「いえ」

 

 灯里は首を横に振った。

「肉じゃがが美味しそうだと思っていました」

「ほんと? よかった」

 

 沙織が嬉しそうに笑う。

 それでよかった。

 今は、それくらいでいい。

 

* * *

 

 夕食は、とても賑やかだった。

 

 沙織の肉じゃが。華が整えた小鉢。優花里が炊いた飯盒ご飯。みほが淹れたお茶。灯里が並べた食器。

 決して特別な料理ではない。けれど、みんなで作った食事だった。

 

「おいしい!」

 

 沙織が自分で作った肉じゃがを食べながら言う。

「自分で言うんだね」

「だっておいしいもん」

 

 みほが笑う。

「うん。おいしい」

「ほんと?」

「うん」

 

 沙織の顔がぱっと明るくなる。

 華も静かに頷いた。

「味がよく染みていますね」

「ありがとうございます!」

 

 優花里はご飯を前に、なぜか感慨深そうだった。

「室内で飯盒炊飯をする日が来るとは……」

「秋山さん、そこに感動するんだ」

「経験は財産であります」

 

 灯里は肉じゃがを口に運んだ。

 温かい。

 少し甘い。

 落ち着く味だった。

 

 みほは戦車道から逃げてきた。

 でも、そのおかげで沙織と出会い、華と出会い、優花里と出会い、自分とも同じ場所にいる。

 

 そのことまで、否定される必要はない。

 

「戸郷さん?」

 

 みほに声をかけられ、灯里は顔を上げた。

「どうかした?」

「いえ」

 

 灯里は首を横に振った。

「肉じゃがが美味しいと思っていました」

「ほんと? よかった」

 

 沙織が嬉しそうに笑う。

 

 それでよかった。

 

 今は、それくらいでいい。

 

* * *

 

 食事のあとは、みんなで片付けをした。

 

 沙織は手際よく食器をまとめ、華は花を崩さないように片付け、優花里は飯盒を丁寧に洗った。灯里は食器を拭き、みほはそれを棚へ戻していく。

 外はすっかり暗くなっていた。

 

 帰る時間になると、みほは玄関まで見送ってくれた。

「今日はありがとう」

「また来るね、みほ!」

「うん」

「ごちそうさまでした、西住さん」

「こちらこそ。手伝ってくれてありがとう、五十鈴さん」

「大変勉強になりました!」

「何が?」

「飯盒炊飯と、ボコと、肉じゃがであります!」

「戦車じゃないんだ」

「今日は戦車以外も学びました!」

 

 灯里は最後に言った。

「ボコ、可愛かったです」

 

 みほの顔が少し明るくなる。

「本当?」

「はい。TOGⅡとは違う方向性ですが、かなり良いです」

「またTOGⅡと比べてる」

 

 沙織が笑う。

 みほも笑った。

「でも、ありがとう」

 

 灯里は小さく頷いた。

 五人は手を振って別れた。

 

 帰り道。

 少し歩いたところで、灯里はふと足を止めかけた。

 遠くから、小さな声が聞こえた気がした。

 

「……やっぱり、転校してきてよかった」

 

 みほの声だったのか。

 聞き間違いだったのか。

 はっきりとは分からない。

 

 でも、灯里には聞こえた気がした。

 

 灯里は振り返らなかった。

 ただ、少しだけ微笑んだ。

 

 西住さんは、まだ戦車道を好きになったわけじゃない。

 怖さも、不安も、きっと消えていない。

 でも、少なくともこの学校には、あの子がそう思える時間がある。

 

 それだけで、今日の寄り道には意味があった。

 

 灯里は夜の道を歩きながら、明日のことを思い出した。

 

 明日は、教官が来る。

 

 大洗女子学園の戦車道が、いよいよ本格的に動き出す。

 

 その時の灯里たちは、まだ知らなかった。

 

 翌日、砲弾よりも強烈な教官が、大洗にやって来ることを。

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