翌朝。
戸郷灯里は、少しだけ遅れていた。
理由は分かっている。
昨夜、TOGⅡの仮搭乗員用に、役割分担表と安全確認メモを作っていたからだ。
砲手。
操縦手。
無線手。
装填手。
装填手。
船舶経営科・給食部専攻の五人に、いきなり戦車へ乗ってもらう。
それも、よりによってTOGⅡである。
普通に考えれば、無茶だ。
しかし、現実としてTOGⅡには乗員が必要だった。
火野まどか、小走すず、呼子かなえ、米倉ちとせ、早見りん。昨日の試食会と戦車掃除を見た限り、あの五人には車内作業へ変換できるだけの手際がある。
問題は、それをどう安全に始めるか。
灯里は歩きながら、鞄の中のメモを軽く押さえた。
「TOGⅡに関することなら、準備しないわけにはいきません」
そう呟いてから、ふと前方を見る。
登校路の先に、二人の姿があった。一人は西住みほ。そしてもう一人は、黒髪の少女だった。
小柄で、眠そうで、体に力が入っていない。
みほが、その子を支えるようにして歩いている。
灯里は足を速めた。
「西住さん」
呼びかけると、みほが振り向いた。
「あ、戸郷さん」
「大丈夫ですか?」
「うん。私は大丈夫なんだけど……冷泉さんが、少し貧血みたいで」
冷泉麻子。
ようやく出会った。
灯里は内心でそう思いながら、すぐに反対側へ回った。
「支えます」
「ありがとう」
麻子は薄く目を開けて、灯里を見た。
「……誰だ」
「戸郷灯里です。西住さんのクラスメイトです」
「そうか」
それだけ言うと、麻子はまた眠そうに目を細めた。
沙織が言っていた。
朝に弱い子がいる、と。
昨日のみほの部屋で聞いた話では、かなりの低血圧らしい。
灯里は麻子の歩幅に合わせながら、静かに言った。
「朝から大変ですね」
「朝は人類に厳しい」
「分かります」
「分かるのか」
「私は昨日、TOGⅡの安全確認メモを作っていて寝不足です」
「それは自業自得だ」
「否定できません」
みほが、少しだけ笑った。
その笑顔を見て、灯里は少し安心する。
昨日より、ほんの少しだけ空気が軽い。
戦車道は始まる。
不安は消えていない。
けれど、みほの隣には沙織がいて、華がいて、優花里がいて、そして今、麻子もいる。
それは大きい。
* * *
教習場には、すでに戦車道履修者たちが集まっていた。
六両の戦車が並んでいる。
Ⅳ号戦車D型、38(t)軽戦車、八九式中戦車甲型、III号突撃砲F型、M3リー中戦車。
そして、TOGⅡ。
長い。
今日も当然のように長い。
灯里はTOGⅡの前に立ち、一度深呼吸した。
その横には、五人が並んでいる。
火野まどかは、役割分担表を読んでいた。
小走すずは、TOGⅡの車体の長さを見て、かなり真剣な顔をしている。
呼子かなえは、無線機とメモ帳を確認していた。
米倉ちとせは、砲弾の積み込み位置を見ている。
早見りんは、装填手順の図を見ていた。
「改めて、今日はよろしくお願いします」
灯里が頭を下げると、五人もそれぞれ頷いた。
「火野まどかです。砲手、ですね」
「はい。照準と射撃をお願いします」
「火加減より難しそうです」
「たぶん難しいです」
まどかは冷静に頷いた。
「承知しました」
すずがTOGⅡの側面を見ながら言う。
「小走すずです。操縦手、ですよね」
「はい」
「曲がる時、かなり考えないと駄目そうです」
「その感覚は正しいです」
「配膳ワゴンの三倍くらいあります」
「もっとあります」
「ですよね」
かなえは無線機を持ち上げる。
「呼子かなえです。無線、注文整理みたいに聞き分ければいいですか?」
「かなり近いです。ただし、注文より切迫しています」
「了解しました。聞こえたことを整理します」
ちとせは砲弾の模型を持ち上げた。
「米倉ちとせです。装填手、力仕事ですね」
「はい。無理をしないで、二人で安全にお願いします」
「米袋より持ち方が大事そうです」
「まさにそれです」
りんは手順表を見ていた。
「早見りんです。装填は流れ作業ですね」
「はい。焦らず、確実に」
「盛り付けと同じで、手順を飛ばすと崩れますから」
「その感覚は大事です」
灯里は五人を見た。
まだ仮搭乗。まだ正式な仲間ではない。
けれど、この五人がTOGⅡの前に立っているだけで、長い車体が少し違って見えた。
TOGⅡが初めて、灯里だけの戦車ではなくなり始めている。
そんな気がした。
そこへ、角谷杏がやって来た。
「おー、みんな揃ってるねー」
「会長。仮搭乗、ですよね?」
「うん。今はね」
「今は」
「大丈夫大丈夫。まずは乗ってみないと分からないし」
灯里は少しだけ目を細めた。
やはり、正式加入への流れを作る気である。
でも、完全に否定できない。
TOGⅡには五人必要なのだから。
* * *
広場の中央では、河嶋桃が全員へ向けて声を張っていた。
「本日は、戦車道の特別講師がお見えになる!」
沙織がそわそわしている。
「イケメン教官……」
灯里はその言葉を聞いて、少しだけ首を傾げた。
会長の言い方からして、何かズレがありそうです。
そう思った時だった。
空から、低い音が響いてきた。
全員が見上げる。青空の向こうから、一機の輸送機が近づいてきていた。
日本の国旗が描かれている。
そして、その下から。
何かが降ってきた。
戦車だった。
「親方! 空から戦車が!」
沙織が叫んだ。
灯里は思わず頷く。
「本当に空から戦車が来ましたね」
パラシュートを開きながら、10式戦車が降下してくる。
広場へ向かって、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
柚子が真っ青になった。
「学園長の車が!」
10式戦車は、着地と同時に学園長の車を踏んだ。
大きな音がした。
全員が固まる。
そして、位置を整えるように少し動いた。
もう一度踏んだ。
「二度轢いた!」
柚子の悲鳴が響く。
桃は唖然としていた。
「な、なんという登場だ……」
灯里はただ見上げていた。
「戦車道、登場演出が強すぎます」
10式戦車のハッチが開いた。
そこから、ひとりの女性が顔を出す。
「こんにちはー!」
明るい声。
綺麗な顔立ち。
制服姿の、いかにも頼れるお姉さん。
蝶野亜美一尉。
灯里はその名前を思い浮かべた瞬間、なぜか脳裏に別の映像がよぎった。
黒いサングラス。
いかつい男性。
そして、誰かに強烈なビンタをしている。
灯里は瞬きをした。
消えた。
何でしょう、今の幻覚は。
名前の響きが原因でしょうか。
たぶん気のせいです。
沙織が小声で呟いた。
「騙された……」
「イケメンではなく、美女でしたね」
「それはそうだけど!」
沙織は少し悔しそうだった。
* * *
全員が整列すると、桃が前に出た。
「本日より特別講師として指導していただく、戦車教導隊の蝶野亜美一尉だ!」
蝶野教官はにこやかに敬礼した。
「よろしくね。戦車道は初めての人が多いと思いますが、一緒に頑張りましょう」
声も表情も明るい。
しかし登場方法はかなり破壊的だった。
学園長の車は、もう車だったものになっている。
柚子が遠くを見ていた。
灯里は少しだけ同情した。
蝶野教官は、整列した生徒たちを一人ずつ見る。
そして、みほの前で目を止めた。
「あら?」
みほの肩が小さく跳ねた。
「あなた、西住師範のお嬢様ではありませんか?」
周囲がざわつく。
みほは気まずそうに頭を下げた。
「あ……はい」
蝶野教官は悪気なく笑う。
「師範にはお世話になっているんです。お姉さんもお元気?」
「……はい」
みほの表情が、さらに固くなった。
沙織と華がみほを見る。優花里も少し驚いた顔をしていた。
蝶野教官は、周囲へ説明するように言った。
「西住流は、戦車道の中でも由緒ある流派のひとつです。厳格で、実戦的で、とても有名なんですよ」
ざわめきが広がる。
「西住さんって、そんなすごい人だったの?」
「家元の娘?」
「経験者どころじゃないじゃん」
「すごい……」
みほは、少し小さくなったように見えた。
灯里は、その横顔を見て胸が重くなる。
これは、西住さんにはきつい。
悪意はない。
蝶野教官は、ただ事実を言っているだけだ。
でも、みほにとっては、戦車道から逃げてきた理由そのものを周囲に知られていくようなものだった。
灯里は一歩前に出そうになって、止まった。
沙織がみほの近くにいる。
華もいる。
今は、みほの隣を空けないことが大事だ。
空気を変えるように、優花里が手を上げた。
「質問よろしいでしょうか!」
「はい、どうぞ」
「本日は、どのような練習を行うのでありますか?」
蝶野教官は、にっこり笑った。
「さっそく乗ってみましょう」
一瞬、全員が固まった。
桃が慌てて声を上げる。
「教官、操作説明や座学は……」
「細かいことは、動かしながら覚えれば大丈夫です!」
明るい。
とても明るい。
だが内容は、かなり無茶だった。
沙織が小声で言う。
「え、いきなり?」
「いきなりのようです」
華は少し驚きつつも、静かに頷く。
「実践的ですね」
「実践的すぎない?」
麻子は眠そうに言った。
「朝から重い」
蝶野教官は、次に灯里の方を見た。
「あら。あなたが戸郷さん?」
「はい。戸郷灯里です」
「これが噂のTOGⅡね」
蝶野教官はTOGⅡを見上げた。
長い車体を、端から端まで眺める。
そして、満面の笑みで言った。
「長いわね!」
灯里は胸を張った。
「はい。長いことは良いことです」
「グッジョブ!」
蝶野教官は親指を立てた。
灯里は一瞬、感動した。
長さを肯定された。
それだけで、この教官への信頼度が少し上がった。
「でも、長い分だけ扱いは難しそうね」
「はい。長さは強みであり、弱点でもあります」
「いいですね。分かってるじゃない」
蝶野教官は楽しそうに笑う。
「ルール上の車両確認は?」
「登録書類と安全装置は確認済みです。戦車道用の安全調整もされています」
「じゃあ、オーケー! 動かしてみましょう!」
「えっ、説明は」
「説明は動かしながらでオーケー!」
灯里は固まった。
この人、想像以上に豪快です。
蝶野教官は全員を見渡した。
「各チーム、搭乗準備! 安全確認をして、まずは動かすところから始めます!」
ざわめきが広がる。
大洗女子学園の初教習は、座学ではなかった。
いきなり実車だった。
* * *
Aチーム、Ⅳ号戦車D型。
車長席には武部沙織。
操縦手席には五十鈴華。
砲手席には秋山優花里。
装填手位置には西住みほ。
そして、途中から冷泉麻子も乗ることになった。
「冷泉さん、操縦できるの?」
「マニュアルは読んだ」
麻子は眠そうに答える。
沙織が驚く。
「読んだだけで!?」
「たぶん動く」
「たぶん!?」
みほは心配そうにしながらも、どこか少しだけ安心していた。
麻子の落ち着きが、Aチームの車内に不思議な安定感を与えている。
一方。
Fチーム、TOGⅡ。
車長兼通信手、戸郷灯里。
砲手、火野まどか。
操縦手、小走すず。
無線手、呼子かなえ。
装填手、米倉ちとせ。
装填手、早見りん。
灯里は車内で全員を確認した。
「まず、安全確認です。焦らず、手順を守りましょう」
「了解しました」
まどかが落ち着いて返す。
すずは操縦席から前を見ている。
「前が遠いです」
「TOGⅡですので」
「分かってきました」
かなえは無線を調整している。
「各チームの声、入ります。情報量が多いですね」
「必要なものだけ拾ってください」
「注文整理より少し怖いです」
「砲撃が来ますから」
「分かりやすく怖いですね」
ちとせとりんは装填位置を確認していた。
「砲弾、重いですね」
「小麦粉の袋とは違います」
「渡し方を間違えると危ないです」
「流れ作業だけど、安全確認ありですね」
灯里は頷いた。
「はい。焼き上がりではなく、装填完了でお願いします」
「言い間違えないようにします」
りんは真剣だった。
その時、通信機から蝶野教官の声が響いた。
『全車、準備はいいですか?』
灯里は無線を取る。
「Fチーム、準備中です」
『TOGⅡチーム、オーケー?』
「TOGⅡは車輌名です。チーム名はFチームです」
『伝わればオーケー!』
灯里は一瞬黙った。
「……伝わってはいます」
「教官、ざっくりですね」
まどかが冷静に言った。
かなえが無線メモに書く。
「蝶野教官、伝達は大雑把。要点はこちらで整理します」
「お願いします」
蝶野教官の声が続く。
『まずは軽く走って、止まって、撃ってみましょう! 難しく考えなくて大丈夫! ガンガン前進して、ガンガン撃てば大丈夫!』
まどかが静かに言った。
「かなり大雑把ですね」
「注文内容が“全部おまかせ”みたいな雑さです」
「もう少し細かい手順書が欲しいです」
かなえが困ったように言い、りんも手順表を見ながら呟いた。
灯里は真面目に頷く。
「あの人は感覚派のようです」
「つまり、動けなくすればいいんですね」
ちとせが砲弾の置き場を確認しながら言う。
「はい。ですが、まずは自分たちが動けなくならないことを優先します」
「TOGⅡが動けなくなると、大きい障害物になりますね」
「それはそれで役に立つ可能性があります」
「前向きですね」
「TOGⅡは前向きに進む戦車です」
そこへ、蝶野教官の声がまた響いた。
『それと、戦車道は礼に始まり、礼に終わります! 試合前に、まずは挨拶です!』
各車両の通信から、少しざわめきが聞こえた。
灯里は背筋を伸ばす。
「Fチーム、礼をします」
給食部専攻の五人も、少し戸惑いながら姿勢を正した。
通信機越しに、全チームの声が揃う。
『よろしくお願いします!』
灯里も、車内で頭を下げた。
「よろしくお願いします」
TOGⅡの車内にも、五人の声が重なった。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「お願いします」
「よろしくお願いします」
その一瞬だけ、車内の音が少し遠くなった気がした。
そして。
『それでは――試合開始!』
* * *
いきなり始まった模擬戦は、当然のように混乱した。
最初に動いたのは、AチームのⅣ号だった。
華の操縦は丁寧だったが、初めての戦車は思った以上に扱いづらい。
「え、これどうやって曲がるの!?」
「沙織さん、落ち着いて」
「落ち着いてるけど揺れる!」
「華さん、少し右です」
「はい」
優花里は砲手席で目を輝かせていた。
「本物の砲手席……!」
「秋山さん、前を見て」
「はい、西住殿!」
みほは装填位置から、状況を見ていた。
怖さはある。
けれど、車内に入った瞬間、身体が覚えているものがあった。
見るべき場所。
伝えるべきこと。
危ない角度。
みほは迷いながらも、声を出した。
「武部さん、前方に障害物。五十鈴さん、少し左へ」
「了解!」
「はい」
Aチームは、危なっかしくも前へ進んでいく。
一方、Fチーム。
TOGⅡは、動き出すまでが長かった。
「発進します」
すずが慎重に操作する。
車体が震える。
重い履帯が、ゆっくりと地面を噛む。
「動きました」
「動きましたね」
「思ったより、重いです」
「TOGⅡですので」
灯里は車長席で周囲を見る。
視界が高い。
車体が長い。
そして、やはり目立つ。
他のチームの視線が、こちらに向いているのが分かる。
頭の奥で、かすかに何かが灯ったような感覚があった。
見られている。
灯里は思わず呟いた。
「見られました」
「何にですか?」
まどかが即座に聞く。
「たぶん、全員に」
「でしょうね」
かなえが無線を聞きながら言った。
「Bチーム、Cチーム、Eチーム、全部こちらを見ています。Aチームも進路上です」
「TOGⅡは注目されます」
「情報整理が追いつかないほど注目されています」
「そこは誇りましょう」
「誇っていいんですか?」
「はい」
すずが前方を確認する。
「このまま進むと、Aチームの進路に入ります」
「止めます」
「止めるんですね」
「はい。自分で止まるのは可です」
「昨日のメモにありました」
すずは慎重に車体を進めた。
TOGⅡが、ゆっくりと進路へ入る。
長い車体が、通路を塞ぐ。
それだけで、Aチームは動きを変えざるを得なかった。
沙織の声が通信に混ざる。
『長いのがいる!』
灯里は静かに頷いた。
「長いのがいます」
「返事しなくていいです」
かなえが即座に整理した。
「Aチーム、こちらを迂回する動きです」
「まどかさん、照準」
「合わせます」
まどかが砲を動かす。
重い砲塔が、ゆっくり回る。
遅い。
だが、狙いは丁寧だった。
「撃てます」
「撃ってください」
「発射」
TOGⅡの主砲が火を吹いた。
大きな音。
車内が震える。
「撃てた……」
りんが目を丸くする。
ちとせが砲弾の置き場を確認した。
「次、準備します」
「はい、次……装填、します」
「今、焼き上がりって言いかけましたね」
「我慢しました」
灯里は少しだけ頷いた。
「素晴らしい自制です」
砲弾はAチームの近くに着弾したが、命中はしなかった。
それでも、威圧にはなった。
Aチームの動きが一瞬止まる。
「撃ってきたー!」
『TOGⅡの主砲、やはり迫力があります!』
『感心している場合か』
優花里の声も混ざり、麻子が淡々と言った。
みほの声が鋭くなる。
『冷泉さん、このまま右へ。足回りを狙える位置に!』
『了解』
TOGⅡは砲塔を追わせようとする。
まどかが冷静に照準を合わせ直す。
「追います」
すずは必死に車体を動かす。
「長い! 曲がるのが遅い!」
「TOGⅡですので」
「分かってきました!」
かなえが通信を整理する。
「後方よりB、Cチーム接近。Aチームは右側面へ移動。D、Eチームも橋方面に近づいています」
情報が多い。
初戦にしては、多すぎる。
灯里は一瞬で判断する。
「Aチームを止めます。もう一発、撃てるなら」
ちとせとりんが動く。
「砲弾、渡します」
「装填、急ぎます」
だが、Ⅳ号の方が早かった。
麻子の操縦で、Ⅳ号がTOGⅡの側面に入り込む。
みほの声。
『秋山さん、起動輪付近を!』
『了解であります!』
みほが装填位置で動き、優花里が照準を合わせる。
華は揺れる車内で砲弾の位置を押さえ、沙織は車長席から叫んだ。
『優花里、いける!』
『撃ちます!』
Ⅳ号が発砲した。
砲弾はTOGⅡの足回り、履帯基部に近い弱点へ命中した。
車内が大きく揺れる。
りんが壁に手をついた。
「っ……!」
「大丈夫?」
「大丈夫です」
ちとせがりんを支える。
直後、判定装置が作動した。
TOGⅡの上に、白旗が上がる。
監視塔から蝶野教官の声が響いた。
『有効! Fチーム、戦闘継続不能判定! 白旗!』
灯里は、静かに息を吐いた。
「……履帯基部」
昨日のノートに書いた文字が、頭をよぎる。
履帯切り注意。
エンジン周り注意。
側面を不用意に見せない。
分かっていた。
分かっていたが、実際にやられると重い。
TOGⅡは、長い。
だからこそ、横を取られた時の弱さも長い。
すずが操縦席で肩を落とす。
「曲がりきれませんでした」
「私の位置取りも甘かったです」
まどかが砲手席から言う。
「撃つのが少し遅れました」
「装填も、もっと早くできます」
「手順は分かってきました」
ちとせとりんが続ける。
かなえは無線メモを見ながら言った。
「情報量を整理しきれませんでした。次は優先順位をつけます」
灯里は五人を見た。
初搭乗。
初戦闘。
初白旗。
それでも、五人は逃げ出していない。
次を口にしている。
灯里は、静かに頷いた。
「次は、自分で止まります」
そして、TOGⅡの白旗を見上げた。
「敵に止められる前に」
* * *
その後、模擬戦は続いた。
Fチームが白旗となっても、他チームはまだ動いている。
Aチームは、TOGⅡを撃破した勢いのまま、さらに動いた。
麻子の操縦は、最初のふらつきが嘘のように安定していた。
沙織は車長席で慌てながらも周囲を見ている。
優花里は砲手として生き生きしていた。
華は初めての車内作業に戸惑いながらも、必要なところを押さえている。
みほは、自分が前に出すぎないようにしながら、要所で判断を補っていた。
Bチーム、バレー部の八九式は根性で突っ込む。
Cチーム、歴女の三突は妙に勇ましい。
Dチーム、生徒会の38(t)は杏が楽しそうに動かしている。
Eチーム、一年生のM3リーは混乱しながらも、砲の多さに驚いていた。
教習というより、ほとんど実戦だった。
蝶野教官は監視塔で明るく声を飛ばしている。
『いいですよ! もっと周りを見て!』
『止まるだけじゃなく、次に動く場所を考えて!』
『撃たないと当たらないわよ!』
『安全確認も忘れずに!』
豪快だ。
だが、ただ雑なわけではない。
危ない動きはきちんと止める。白旗判定も明確に取る。各車両の動きも見ている。
灯里は白旗を上げたTOGⅡの車内で、その声を聞いていた。
「すごい人ですね」
かなえがぽつりと言う。
「指示は大雑把ですが、見ているところは細かいです」
「戦車道界の大人ですね」
灯里は答えた。
蝶野教官。
豪快で、アバウトで、空から来て学園長の車を二度踏んだ人。
けれど、戦車道の人だ。
それは確かだった。
* * *
模擬戦は、Aチームの勝利で終わった。
最後に残ったⅣ号が、他チームの隙を突いてフラッグ車を撃破した。
戦いが終わると、生徒たちは全員、ぐったりしていた。
沙織はⅣ号の横に座り込み、息を切らしている。
「つ、疲れた……戦車って、座ってるだけじゃないんだね……」
華は上品に息を整えていた。
「ですが、とても濃い時間でした」
優花里は疲れているのに、目だけは輝いている。
「この疲労感……まさに戦車道であります!」
麻子はほぼ眠りかけていた。
「朝からこれは重罪だ……」
Fチームも、TOGⅡの横で同じように疲れていた。
すずは操縦席から降りるなり、膝に手をつく。
「TOGⅡ、重い……」
かなえは無線記録を抱えたまま、壁にもたれた。
「情報量が多すぎます……」
ちとせとりんも、装填練習の疲れで腕をさすっている。
「砲弾、重かったです」
「盛り付けより、腕に来ます」
まどかは砲塔を見上げて、静かに言った。
「でも、次はもう少し早く合わせられます」
灯里はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
次。
その言葉が出た。
蝶野教官が、全員の前に立つ。
「お疲れ様でした!」
明るい声だった。
「初戦でこれだけ動ければ大丈夫です! あとは訓練あるのみですね!」
生徒たちの間に、少しだけ安堵が広がる。
蝶野教官は、まずAチームを見た。
「特にAチームは良かったです。最初の配置は少し大変そうでしたが、途中から役割が噛み合っていきました」
みほは少し恐縮したように頭を下げる。
「ありがとうございます」
「武部さんは車長として周囲をよく見ていました。冷泉さんの操縦、秋山さんの砲撃、西住さんの判断と装填補助も良かったです。五十鈴さんも、最初の操縦でよく踏ん張りましたね」
華は静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
蝶野教官はみほを見る。
「西住さん、やはり経験者ですね」
その言葉に、みほは少しだけ表情を固くした。
けれど、沙織が横で小さく笑う。
「すごかったよ、みほ」
「はい。とても頼もしかったです」
「西住殿はやはりすごいであります!」
「指示は分かりやすかった」
華、優花里、麻子も続く。
みほは、少しだけ目を伏せた。
「……ありがとう」
蝶野教官は、次にFチームを見る。
「Fチームも良かったですよ」
灯里は少し驚いて顔を上げた。
「撃破されましたが」
「初搭乗のメンバーで、TOGⅡを戦場の要所まで動かし、Aチームの進路を一度止めました。それだけでも十分です」
蝶野教官は続ける。
「ただし、TOGⅡは遅い分、位置取りと先読みがとても大切です。次は“そこにいるだけ”で終わらないようにしましょう」
灯里は頭を下げた。
「はい。TOGⅡは、次はもっと長く戦場にいます」
「長くって、そういう意味?」
「両方です」
沙織が小さく突っ込む。
灯里は真顔で答えた。
蝶野教官は楽しそうに笑う。
「いいですね。その意気です」
その後も、各チームに短い講評が続いた。
Bチームは勢いは良いが、周囲を見ること。
Cチームは、位置取りを考えること。
Dチームは、落ち着くこと。
Eチームは、連携を整えること。
それぞれに課題があり、それぞれに可能性がある。
講評が終わる頃には、夕方の光が戦車たちを照らしていた。
初めての模擬戦。
勝ったのはAチームだった。
武部沙織の車長としての声。
五十鈴華の初動。
秋山優花里の砲撃。
西住みほの判断。
冷泉麻子の操縦。
その力は、確かに大洗の戦車道を動かし始めていた。
そして、行動不能判定を受けたTOGⅡの隣で。
火野まどかが、ぽつりと言った。
「次は、もう少し早く撃てます」
小走すずが続ける。
「次は、もう少し早く曲げます」
呼子かなえが、無線機を見ながら言った。
「次は、情報を優先順で分けます」
米倉ちとせが腕をさすりながら頷く。
「次は、砲弾をもっと安定して渡します」
早見りんも、少し悔しそうに笑った。
「次は、焼き上がりって言いません」
灯里は、五人を見た。
仮搭乗。
仮のFチーム。
まだ、正式にTOGⅡの仲間になったわけではない。
けれど。
今の「次」は、かなり大きかった。
灯里は、TOGⅡの白旗を見上げる。
撃たれた。
止められた。
負けた。
でも、TOGⅡはここにいる。
長く、重く、遅く。
そして、次へ向かうために。
「では」
灯里は静かに言った。
「次は、もっと良い止まり方をしましょう」
五人が、それぞれ頷いた。
夕方の教習場に、長すぎる戦車の影が伸びていた。
大洗女子学園の戦車道は、空から来た教官によって、かなり強引に始まった。
そして戸郷灯里は、TOGⅡの長い弱点と、長い可能性を、同じ日に思い知った。