翌朝。
戸郷灯里は、少しだけ遅れていた。
理由は分かっている。
昨夜、TOGⅡの仮搭乗員用に、役割分担表と安全確認メモを作っていたからだ。
砲手。
操縦手。
無線手。
装填手。
装填手。
船舶経営科・給食部専攻の五人に、いきなり戦車へ乗ってもらう。
それも、よりによってTOGⅡである。
普通に考えれば、無茶だ。
しかし、現実としてTOGⅡには乗員が必要だった。
火野まどか。
小走すず。
呼子かなえ。
米倉ちとせ。
早見りん。
昨日の試食会と戦車掃除を見た限り、あの五人には車内作業へ変換できるだけの手際がある。
問題は、それをどう安全に始めるか。
灯里は歩きながら、鞄の中のメモを軽く押さえた。
「TOGⅡに関することなら、準備しないわけにはいきません」
そう呟いてから、ふと前方を見る。
登校路の先に、二人の姿があった。
一人は、西住みほ。
そしてもう一人は、黒髪の少女だった。
小柄で、眠そうで、体に力が入っていない。
みほが、その子を支えるようにして歩いている。
灯里は足を速めた。
「西住さん」
呼びかけると、みほが振り向いた。
「あ、戸郷さん」
「大丈夫ですか?」
「うん。私は大丈夫なんだけど……冷泉さんが、少し貧血みたいで」
冷泉麻子。
ようやく出会った。
灯里は内心でそう思いながら、すぐに反対側へ回った。
「手伝います」
「ありがとう」
灯里は麻子の反対側に腕を回し、みほと一緒に支える。
麻子は、半分眠っているような目で灯里を見た。
「……すまない」
「いえ。歩けますか?」
「朝は……なぜ来るのだろう」
第一声が哲学だった。
灯里は一瞬考えてから、真面目に答える。
「地球が自転しているからでしょうか」
「……そうか」
納得したのかしていないのか、麻子は小さく頷いた。
みほが困ったように笑う。
「冷泉さん、朝が苦手みたいで」
「見れば分かります」
灯里は麻子を支えながら、校門へ向かった。
もう完全に遅刻である。
だが、倒れそうな人を見かけて放置するわけにもいかない。
少なくとも灯里には、そういう選択はできなかった。
* * *
校門には、すでに待ち構えている人物がいた。
腕章を巻いた風紀委員。
園みどり子。
灯里の記憶では、冷泉麻子からは通称「そど子」と呼ばれる人である。
「冷泉さん!」
園みどり子は、麻子を見るなり声を上げた。
「これで二百四十五日の遅刻よ!」
麻子は薄く目を開ける。
「……数えているのか」
「当然です! 風紀委員として記録しています!」
「律儀だな」
「感心するところじゃありません!」
園みどり子は、今度はみほと灯里の方を見た。
「西住さん、戸郷さん。あなたたちまで遅刻です」
「す、すみません」
みほが頭を下げる。
灯里も軽く頭を下げた。
「すみません。冷泉さんが倒れそうだったので」
「事情は分かります。でも、今後は冷泉さんを見かけても、先に登校するようにしてください」
みほは困った顔をした。
「でも……」
灯里も少しだけ眉を下げる。
風紀委員の言うことは分かる。
遅刻は遅刻だ。
けれど、目の前で倒れそうな人を見捨てるのは、戦車道以前の問題だと思った。
ただ、それをここで強く言っても仕方がない。
すると、麻子がぽつりと言った。
「悪かった」
みほと灯里が麻子を見る。
「借りは、いつか返す」
その声は眠そうだったが、妙にしっかりしていた。
灯里は少しだけ考える。
貧血対策。
鉄分。
レバー。
レバニラ。
レバニラホットドッグ。
……いや、意外とありかもしれない。
長いパンにレバニラを挟む。
匂いの問題はある。
しかし栄養面では悪くない。
TOGドッグ健康シリーズ。
灯里は心の中でメモを取った。
「戸郷さん?」
みほが不思議そうに見る。
「いえ。冷泉さん向けのホットドッグ案を考えていました」
「ホットドッグ?」
「レバニラです」
みほは一瞬固まった。
麻子は薄目を開ける。
「……朝以外なら、考える」
「検討します」
「検討しなくていいです! 早く教室へ行ってください!」
そど子の声に押されるように、三人は校門をくぐった。
* * *
戦車道の授業が行われる広場には、すでに履修者たちが集まっていた。
昨日洗車した六両の戦車が並んでいる。
Ⅳ号戦車D型。
八九式中戦車甲型。
38(t)軽戦車。
M3リー中戦車。
III号突撃砲F型。
そしてTOGⅡ。
灯里は、TOGⅡの横に立っている五人を見つけた。
火野まどか。
小走すず。
呼子かなえ。
米倉ちとせ。
早見りん。
船舶経営科・給食部専攻の五人である。
今日はエプロンではない。
戦車道用の簡易装備を身につけている。
ただし、表情は少し複雑だった。
まどかが灯里を見る。
「戸郷さん。今日は車内導線確認と聞いていますが」
「はい。あと、仮搭乗です」
「仮搭乗」
すずがその言葉を繰り返した。
「それ、戦車に乗るって意味ですよね?」
かなえも確認する。
「出店手伝いの延長……ではないですよね?」
「戦車道です」
灯里は正直に言った。
りんが手元のメモを見る。
「私は装填手仮担当、と書いてあります」
ちとせも自分の紙を見る。
「私も装填手ですね。砲弾、重そうです」
「今日は安全確認が中心です。無理はさせません」
灯里は鞄から役割分担表を取り出した。
「改めて説明します。今日は正式加入ではなく、仮搭乗です。危険なことはさせません。まずは車内配置、通信、装填手順、周囲確認を覚えます」
まどかは落ち着いて頷いた。
「砲手仮担当、火野まどか」
「はい。焼き加減を見るように、照準を見る感じでお願いします」
「例えが分かりやすいようで、分かりません」
「そのうち分かります」
すずが手を上げる。
「操縦手仮担当、小走すず……本当にこの長いのを動かすんですか?」
「最初は私が補助します。低速でいきます」
「低速って、TOGⅡは基本ずっと低速では?」
「正しい認識です」
「正しいんだ……」
かなえが無線機のメモを見る。
「無線手仮担当、呼子かなえ。無線って、注文整理と似た感じで考えればいいですか?」
「かなり近いです。入ってくる声を整理して、必要な情報を拾ってください」
「それなら、少し分かります」
ちとせは砲弾の扱いについての項目を読んでいた。
「米袋よりは持ちやすいですか?」
「たぶん、持ちやすいと思います」
「なら大丈夫です」
その判断基準でいいのかと灯里は一瞬思ったが、給食部専攻としては自然なのかもしれない。
りんは装填手順の図を見ていた。
「装填は流れ作業ですね」
「はい。焦らず、確実に」
「了解です。盛り付けと同じで、手順を飛ばすと崩れますから」
「その感覚は大事です」
灯里は五人を見た。
まだ仮搭乗。
まだ正式な仲間ではない。
けれど、この五人がTOGⅡの前に立っているだけで、長い車体が少し違って見えた。
TOGⅡが初めて、灯里だけの戦車ではなくなり始めている。
そんな気がした。
そこへ杏がやって来た。
「おー、みんな揃ってるねー」
灯里は杏を見る。
「会長。仮搭乗、ですよね?」
「うん。今はね」
「今は」
「大丈夫大丈夫。まずは乗ってみないと分からないし」
灯里は少しだけ目を細めた。
やはり、正式加入への流れを作る気である。
でも、完全に否定できない。
TOGⅡには五人必要なのだから。
* * *
広場の中央では、桃が全員へ向けて声を張っていた。
「本日は、戦車道の特別講師がお見えになる!」
沙織がそわそわしている。
「イケメン教官……」
灯里はその言葉を聞いて、少しだけ首を傾げた。
会長の言い方からして、何かズレがありそうです。
そう思った時だった。
空から、低い音が響いてきた。
全員が見上げる。
青空の向こうから、一機の輸送機が近づいてきていた。
日本の国旗が描かれている。
そして、その下から。
何かが降ってきた。
戦車だった。
「親方! 空から戦車が!」
沙織が叫んだ。
灯里は思わず頷く。
「本当に空から戦車が来ましたね」
パラシュートを開きながら、10式戦車が降下してくる。
広場へ向かって、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
柚子が真っ青になった。
「学園長の車が!」
10式戦車は、着地と同時に学園長の車を踏んだ。
大きな音がした。
全員が固まる。
そして、位置を整えるように少し動いた。
もう一度踏んだ。
「二度轢いた!?」
柚子の悲鳴が響く。
桃は唖然としていた。
「な、なんという登場だ……」
灯里はただ見上げていた。
「戦車道、登場演出が強すぎます」
10式戦車のハッチが開いた。
そこから、ひとりの女性が顔を出す。
「こんにちはー!」
明るい声。
綺麗な顔立ち。
制服姿の、いかにも頼れるお姉さん。
蝶野亜美一尉。
灯里はその名前を思い浮かべた瞬間、なぜか脳裏に別の映像がよぎった。
黒いサングラス。
いかつい男性。
そして、誰かに強烈なビンタをしている。
灯里は瞬きをした。
消えた。
何でしょう、今の幻覚は。
名前の響きが原因でしょうか。
たぶん気のせいです。
沙織が小声で呟いた。
「騙された……」
灯里は横を見る。
「イケメンではなく、美女でしたね」
「それはそうだけど!」
沙織は少し悔しそうだった。
* * *
全員が整列すると、桃が前に出た。
「本日より特別講師として指導していただく、戦車教導隊の蝶野亜美一尉だ!」
蝶野教官はにこやかに敬礼した。
「よろしくね。戦車道は初めての人が多いと思いますが、一緒に頑張りましょう」
声も表情も明るい。
しかし登場方法はかなり破壊的だった。
学園長の車は、もう車だったものになっている。
柚子が遠くを見ていた。
灯里は少しだけ同情した。
蝶野教官は、整列した生徒たちを一人ずつ見る。
そして、みほの前で目を止めた。
「あら?」
みほの肩が小さく跳ねた。
「あなた、西住師範のお嬢様ではありませんか?」
周囲がざわつく。
みほは気まずそうに頭を下げた。
「あ……はい」
蝶野教官は悪気なく笑う。
「師範にはお世話になっているんです。お姉さんもお元気?」
みほの表情が、さらに固くなった。
「……はい」
沙織と華がみほを見る。
優花里も少し驚いた顔をしていた。
蝶野教官は、周囲へ説明するように言った。
「西住流は、戦車道の中でも由緒ある流派のひとつです。厳格で、実戦的で、とても有名なんですよ」
ざわめきが広がる。
「西住さんって、そんなすごい人だったの?」
「家元の娘?」
「経験者どころじゃないじゃん」
「すごい……」
みほは、少し小さくなったように見えた。
灯里は、その横顔を見て胸が重くなる。
これは、西住さんにはきつい。
悪意はない。
蝶野教官は、ただ事実を言っているだけだ。
でも、みほにとっては、戦車道から逃げてきた理由そのものを周囲に知られていくようなものだった。
灯里は一歩前に出そうになって、止まった。
沙織がみほの近くにいる。
華もいる。
今は、みほの隣を空けないことが大事だ。
* * *
空気を変えるように、優花里が手を上げた。
「質問よろしいでしょうか!」
「はい、どうぞ」
「本日は、どのような練習を行うのでありますか?」
蝶野教官は、にっこり笑った。
「さっそく実践試合を始めましょう!」
全員が固まった。
「いきなり!?」
沙織の声が裏返る。
華も少し目を丸くしていた。
桃ですら驚いている。
「初日からですか?」
「戦車は動かして覚えるのが一番です」
蝶野教官は明るく言う。
「難しく考えすぎなくて大丈夫。バッと動かして、バーンと撃つ。まずはそこからです」
灯里は心の中で呟いた。
大胆すぎる。
でも、この世界の戦車道は、本当にそれで始まってしまうことがあるから怖い。
沙織は不安そうにみほを見る。
「みほ、本当に大丈夫なの?」
みほは少し緊張しながらも、戦車の方を見た。
「うん……たぶん。まずは、動かしてみないと」
その声には不安がある。
けれど、昨日までとは違う芯も少しだけあった。
戦車を前にした時のみほは、やはり違う。
灯里はTOGⅡを見上げた。
「初実践……来ましたね」
優花里は興奮している。
「実践試合! いよいよであります!」
給食部専攻の五人は、少し固まっていた。
かなえが小さく言う。
「仮搭乗って、実践も含まれるんですか?」
灯里は真顔で答えた。
「今、含まれることになりました」
「今」
まどかが落ち着こうとするように息を吐く。
「分かりました。安全第一ですね」
「はい。今日は勝つより、生きて帰ってTOGⅡを壊さないことを優先します」
すずが小さく頷いた。
「それなら、少し安心しました」
「TOGⅡは急ぎません」
「急げないのでは?」
「急がないのです」
りんが小さく笑った。
「それ、さっきから大事なんですね」
「大事です」
* * *
各チームは、それぞれの戦車へ向かった。
Ⅳ号には、みほ、沙織、華、優花里が乗り込んでいく。
麻子は、まだこの場にはいない。
今日の朝は出会ったが、戦車道授業の正式参加はまだ先なのだろう。
みほは一度だけ灯里の方を見た。
灯里は小さく頷く。
みほも、少しだけ頷き返した。
生徒会チームは38(t)へ。
そこで、少しだけ問題が起きていた。
杏が車体へ乗ろうとして、届かない。
「桃ちゃん、ちょっと」
「はい?」
杏は当然のように桃の肩を使った。
「よいしょ」
「会長! 私は踏み台ではありません!」
「ありがとー」
柚子が苦笑する。
「桃ちゃん、頑張って……」
灯里はそれを見て、心の中で思った。
可愛い。
桃は大変そうだが、会長は少し可愛い。
そして灯里は、TOGⅡの前に立った。
火野まどか。
小走すず。
呼子かなえ。
米倉ちとせ。
早見りん。
五人がこちらを見る。
灯里は、改めて言った。
「皆さん、今日は仮搭乗です。無理はしません。ですが、戦車に乗る以上、安全確認は徹底します」
五人が頷く。
「火野さんは砲手席。今日は照準器の見方と、砲塔周りの確認だけで大丈夫です」
「分かりました」
「小走さんは操縦手席。最初は私が隣で補助します。TOGⅡの挙動をゆっくり確認してください」
「遅いのは分かっています」
「良い理解です」
「褒められてる気がしないです」
「褒めています」
灯里は続ける。
「呼子さんは無線手席。各チームの声と、私の指示を整理してください」
「注文整理の応用ですね」
「はい」
「任せてください」
「米倉さんと早見さんは装填手席。今日は実弾の扱いより、受け渡しと動線確認を優先します」
ちとせが頷く。
「重さと置き場所を覚えます」
りんも頷いた。
「手順ですね」
「そうです。焦らず、確実に」
灯里はTOGⅡのハッチへ手をかけた。
「では、乗り込みます」
長い車体の中に、ひとり、またひとりと入っていく。
今までは、灯里一人の空間だった。
TOGⅡの車内。
広いようで、実際に役割を持った人が入ると急に狭くなる。
鉄の匂い。
機械の音。
座席の硬さ。
通信機のざらついた音。
そこに、六人分の呼吸が重なった。
まどかが砲手席に座り、照準器を覗く。
「思ったより、視界が狭いですね」
「その狭さの中で見ます」
すずが操縦席に座り、少し緊張した顔をする。
「これを動かすんですね」
「はい。長いので、急に曲げようとしないでください」
「配膳ワゴンとは違いますね」
「かなり違います」
かなえが無線機を確認する。
「声、入りますか?」
「入ります」
「了解です。いぬさんチーム、通信確認完了……でいいですか?」
「完璧です」
ちとせとりんは装填位置で周囲を確認していた。
「ここから取って、こっちへ渡すんですね」
「はい、次、みたいな感じでいけそうです」
灯里は、その声を聞きながら車長席へ入った。
まだ仮搭乗。
まだぎこちない。
けれど、確かにTOGⅡの中にチームが生まれ始めていた。
灯里は通信機に手を伸ばす。
外では、蝶野教官の明るい声が響いていた。
『それでは、各車、まずは指定位置についてください! そこから模擬戦を開始します!』
模擬戦開始。
ではなく、その前の移動。
それを聞いた瞬間、灯里は即座に判断した。
「いぬさんチーム、発進準備」
かなえが復唱する。
「いぬさんチーム、発進準備」
すずが操縦席で緊張した声を出す。
「もう動くんですか?」
「はい」
灯里は真顔で答えた。
「TOGⅡは、他の車両と同じタイミングで出ると置いていかれます」
「それを自分で言うんですね」
「事実ですので」
まどかが砲手席で静かに言った。
「つまり、早めに仕込みを始めるようなものですね」
「その通りです」
灯里は頷いた。
「仕込みが遅れれば、提供も遅れます」
かなえが無線機の前で小さく笑う。
「戦車の話なのに、急に分かりやすくなりました」
「皆さん向けに翻訳しました」
ちとせとりんも、それぞれ装填位置で周囲を確認している。
「動くんですね」
「はい、次……じゃなくて、発進ですね」
灯里は前方を見る。
長い車体。
重い履帯。
遅い加速。
それでも、TOGⅡは動く。
「いぬさんチーム、仮発進します」
すずが慎重に操作する。
灯里が横から手順を補助する。
巨大な車体が、ゆっくりと震えた。
履帯が地面を噛む。
鉄の塊が、ほんの少しずつ前へ進み始める。
「動いた……」
すずが呟いた。
その声には、少しだけ驚きが混ざっていた。
「はい。TOGⅡは動きます」
灯里は静かに答える。
「遅いですが」
りんがぽつりと言った。
「本当に遅いですね」
「はい」
灯里は否定しない。
「ですが、止まりません」
TOGⅡは、他の車両より早く発進した。
最初だけは、広場の中で少し前に出ていた。
だが、すぐに後ろからⅣ号戦車D型が近づいてくる。
みほたちのⅣ号が、慎重ながらもTOGⅡの横を抜けていった。
沙織の声が外から聞こえる。
「戸郷さーん! 先に行くねー!」
灯里はハッチ越しに答えた。
「はい。TOGⅡは急ぎません」
続いて、38(t)が軽快に走っていく。
上から顔を出した杏が手を振る。
「お先ー」
「会長、落ちないでください!」
桃の声も一緒に遠ざかる。
次に、八九式が根性の掛け声とともに進んでいく。
「根性ー!」
「ファイトー!」
さらに、M3リーがぎこちなくも前へ進み、III号突撃砲も重々しく移動していく。
一両、また一両。
TOGⅡより後に動き出した戦車たちが、少しずつ前へ出ていく。
かなえが無線席から報告した。
「各車、前方へ移動中。いぬさんチーム、現在最後尾です」
すずが小さく言う。
「最初に動いたのに……」
まどかが冷静に返す。
「仕込みが早くても、オーブンの火力が弱いと焼き上がりは遅いです」
「例えがちょっと悲しいです」
ちとせが後ろから言った。
「でも、安定していますね」
りんも頷く。
「揺れ方は思ったより読めます」
灯里は、少しだけ口元を緩めた。
「良い感覚です」
TOGⅡは遅い。
誰よりも早く動き出しても、誰よりも後ろになる。
それでも、長い車体は確かに進んでいた。
灯里は前方を見据える。
「TOGⅡは急ぎません」
もう一度、静かに言った。
「ですが、止まりません」
六人分の呼吸が、長すぎる車体の中で重なっていく。
指定位置までは、まだ少し距離がある。
模擬戦は、まだ始まっていない。
けれど――。
戸郷灯里と、仮搭乗員五人を乗せたTOGⅡは、大洗女子学園の戦車道へ、ゆっくりと、確かに進み始めていた。