『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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2026年6月16日 追記:構成の文章全体を微調整しました。


第9.5話「お風呂と、それぞれの席」

 初めての模擬戦が終わったあと、大洗女子学園の戦車道メンバーは、しばらく倉庫前から動けずにいた。

 

 勝ったチームも、負けたチームも、どこか放心している。

 

 初めて戦車を動かした。

 初めて砲撃した。

 初めて撃たれた。

 初めて白旗を見た。

 

 それは、授業というにはあまりに濃く、遊びというにはあまりに本格的だった。

 

 西住みほは、Ⅳ号戦車の前で小さく息を吐いた。

「……終わったね」

 

 武部沙織が、ぐったりした顔で頷く。

「終わったぁ……。もう、何が何だか分かんなかったよ」

「でも、沙織さん、車長席からちゃんと周りを見てくれてたよ」

「いやいやいや! みほが横から教えてくれなかったら無理だったって!」

 

 五十鈴華も、少し疲れた様子でⅣ号を見上げていた。

「操縦も、思っていたよりずっと難しいものなのですね。手元も足元も、まだ感覚が追いつきませんでした」

「でも華、最初ちゃんと動かしてたよ」

「五十鈴殿の初期操縦、見事でありました! そして西住殿の装填補助と判断、武部殿の車長、冷泉殿の操縦……!」

「ゆかりん、息継ぎして」

 

 秋山優花里は、興奮と疲労が混ざった顔で拳を握っていた。

 冷泉麻子は、Ⅳ号の横に座り込んでいる。

「……眠い」

「麻子、さっきまで戦車をあんなに動かしてたのに!?」

「操縦はできる。朝はできない」

「基準が分かんないよ!」

 

 沙織の声に、みほは少しだけ笑った。

 

 模擬戦は大変だった。

 怖かった。

 混乱した。

 

 けれど、終わったあとに残っているのは、ただの恐怖だけではなかった。

 みんながいてくれた。それだけで、みほの中にあった戦車道の重さが、ほんの少しだけ別の形になっていた。

 

 そこへ、沙織が腕を組んだ。

「で、さ。決めよっか」

「何を?」

「私たちの席」

 

 みほが首を傾げる。

「席?」

「うん。戦車の中の役割。今日、かなり無茶な配置だったでしょ?」

 

 それは全員が思っていた。

 

 車長席に沙織。

 操縦手席に華。

 砲手席に優花里。

 装填手位置にみほ。

 途中から操縦手に麻子。

 

 初めての模擬戦だから仕方ないとはいえ、そのまま続けるには無理がある。

 

 沙織は、あっさり言った。

「みほは車長」

「私?」

「ほかに誰がいるの?」

「でも……」

「私、今日だけ車長っぽい席にいたけど、正直ほとんどみほに聞いてたし」

「でも、沙織さんは周りを見てくれてたよ」

「それは通信手でもできる! むしろ、そっちの方が向いてる気がする!」

 

 華も穏やかに頷いた。

「私も、西住さんが車長に向いていらっしゃると思います」

「異議なしであります!」

「私もそれでいい」

 

 麻子も目を閉じたまま言った。

 みほは戸惑った。

 

 車長。

 

 それは、自分が逃げてきたものの中心にある席だった。

 誰かに指示を出す。誰かを動かす。判断する。その重さを、みほは知っている。

 

 けれど、沙織たちは責めるためではなく、信じるためにそう言っている。

 

 みほは、ゆっくり頷いた。

「……分かった。私、車長やってみる」

「決まり!」

 

 沙織が笑う。

 華も嬉しそうに微笑んだ。

「では、私は……操縦手でしょうか?」

「華は、今日すごく頑張ってたけど……途中、かなりつらそうだったよね」

「はい。揺れと判断が同時に来ると、少し目が回ってしまって」

「五十鈴殿は、むしろ砲手向きかもしれません」

「砲手、ですか?」

「はい! 五十鈴殿の落ち着きと集中力なら、照準に向いていると思うのであります!」

 

 みほも頷いた。

「華さんなら、きっと大丈夫」

「西住さんがそうおっしゃるなら……やってみます」

 

 沙織が嬉しそうに頷く。

「じゃあ華は砲手!」

「では、秋山さんは……」

 

 華が優花里を見る。

 優花里は一瞬、砲手席への未練がありそうな顔をした。だが、すぐに背筋を伸ばす。

「私は装填手であります! 砲弾の種類、車両の特徴、敵戦車の弱点、すべてを西住殿へお伝えするには、その位置が良いかと!」

「ゆかりん、装填しながら解説する気?」

「もちろんであります!」

「砲弾落とさないでね?」

「細心の注意を払います!」

 

 沙織が少し不安そうに笑う。

 麻子は眠そうに片手を上げた。

「操縦は私でいい」

「麻子、やってくれるの?」

「借りは返すと言った」

 

 沙織がにやりとした。

「でもさ、麻子。戦車道って単位もらえるんだよ?」

「単位」

「それに、成績優秀なら遅刻見逃しもあるかもって言ってたよ?」

「遅刻見逃し」

「まだ正式に決まったわけじゃないと思うけど……」

 

 みほが苦笑する。

 麻子は少し考え、静かに言った。

「……借りは、まだ完全には返していない」

「素直じゃないなあ」

「単位と遅刻のためではない」

「今、絶対ちょっと考えたでしょ」

「否定はしない」

 

 華がくすりと笑った。

「では、冷泉さんもご一緒してくださるのですね」

「朝が来なければ、考える」

「来るよ、朝は」

「なぜ来るのだろう」

「またそれ!」

 

 そんなやり取りに、みほは少しだけ笑った。

 さっきまでの緊張が、ゆっくりほどけていく。

 

 すると沙織が、ぱんと手を叩いた。

「よし! こういう時は、お風呂!」

「お風呂?」

「うん。汗もかいたし、いろいろ考えるのはお風呂に入ってから!」

「賛成です。体を温めれば、気持ちも落ち着くかもしれません」

「皆さんとお風呂……でありますか」

「寝られるなら行く」

「お風呂で寝ないでね!」

 

* * *

 

 湯気の向こうで、沙織が大きく息を吐いた。

「はぁー……生き返るー……」

 

 広い浴場には、柔らかな湯気が満ちていた。

 模擬戦のあとの疲れが、温かい湯の中へ少しずつ溶けていく。

 

 みほは湯船の端で肩まで浸かりながら、ぽつりと言った。

「今日は……ありがとう。みんな」

「何が?」

「試合中、支えてくれて」

「それはこっちの台詞だよ。みほが見てくれたから、勝てたんだし」

「西住さんのご判断があったから、私も最初の操縦をなんとかできました」

「西住殿の判断は、やはり素晴らしかったであります!」

「分かりやすかった」

 

 麻子は目を閉じたまま、短く言った。

 みほは少し照れたように目を伏せる。

「冷泉さんまで……」

 

 沙織が指を立てる。

「で、改めて確認ね。みほが車長。私が通信手。華が砲手。ゆかりんが装填手。麻子が操縦手」

「こうして並べると、かなり形になりましたね」

「はい! 役割が決まると、戦車の中で何を見るべきかも分かりやすくなります!」

「私は通信手かあ……」

 

 沙織は少し考える。

「無線って、ちゃんとできるかな」

「沙織さんなら大丈夫だと思う」

「ほんと?」

「沙織さんの声は明るいから。きっとみんなに届くよ」

 

 みほがそう言うと、沙織は一瞬固まった。

 それから、少し照れたように笑う。

「……じゃあ、頑張る」

 

 華は静かに湯面を見つめた。

「私は砲手……花を活ける時の集中とは違いますが、静かに狙いを定めるという点では、少し似ているのかもしれません」

「華なら当てそう」

「努力します」

 

 優花里は嬉しそうに頷いた。

「五十鈴殿の砲撃、楽しみであります! 私は装填手として全力で支えます!」

「秋山さん、解説もいいけど、装填もよろしくね」

「もちろんです! 砲弾を込め、情報を添えて、西住殿へお届けします!」

「お届けって言い方、ちょっと面白いね」

 

 麻子は湯船の縁に頭を預けた。

「操縦はする。だが朝は無理だ」

「そこは変わらないんだ」

「朝が悪い」

「朝のせいにしないの!」

 

 沙織が笑う。

 みほも、つられて笑った。

 

 戦車道は、まだ怖い。

 でも、この席なら。

 この人たちとなら。

 

 もう少しだけ、前を向けるかもしれない。

 

「……私、ちゃんと車長できるかな」

 

 みほが小さく言う。

 沙織は即答した。

「できるよ」

「早いね」

「だって今日できてたもん」

「私たちも、できるように支えます」

「西住殿には、この秋山優花里がついております!」

「操縦は任せろ」

 

 麻子の声は眠そうだったが、不思議と頼もしかった。

 みほは、ゆっくり頷いた。

「……ありがとう」

 

* * *

 

 一方その頃。

 

 戸郷灯里は、浴場にはいなかった。

 

 誘われなかったわけではない。

 ただ、模擬戦後のTOGⅡが気になりすぎて、先に倉庫へ戻っていた。

 

 白旗判定を受けた足回り。

 側面の被弾位置。

 履帯基部。

 砲塔の動き。

 車内の配置。

 

 確認したいことが多すぎた。

 

「お風呂よりTOGⅡ」

 

 灯里は真顔で呟いた。

 

 倉庫前では、自動車部が整備作業をしていた。ライトに照らされた戦車たちの中で、TOGⅡは相変わらず長い車体を横たえている。

 

 自動車部の一人が顔を上げた。

「あれ、戸郷さん。お風呂行かなかったの?」

「TOGⅡの状態確認が先です」

「ブレないねー」

「TOGⅡですので」

 

 灯里は足回りを確認し、白旗判定が出た位置をノートへ書き込んだ。

 

 履帯基部。

 側面。

 旋回遅れ。

 

 弱点は分かった。

 だが、それだけでは終わらせない。

 

 灯里は、TOGⅡの長い側面を見た。

 そこは弱点でもある。

 同時に、広い余白でもある。

 

 広い余白。

 長い車体。

 そして、前に杏会長が雑に決めた仮チーム名。

 

 いぬさんチーム。

 

 灯里は、ふと思った。

「せっかくなので、塗装しましょう」

「今から?」

「今からです」

「何を描くの?」

 

 灯里は、鞄からスケッチを取り出した。

 長い胴のダックスフンドが、ホットドッグのようにパンに挟まっているデザイン。小さな白旗。簡略化した砲塔風の飾り。

 

 TOGⅡの長さと、ホットドッグと、いぬさんチームらしさを詰め込んだエンブレム。

 

 自動車部の生徒たちは、それを見て目を丸くした。

「え、戸郷さん、普通に上手いじゃん」

「長い戦車に長い犬、いいねー」

「これ、大洗っぽい!」

 

 灯里は静かに頷いた。

「TOGⅡとダックスフンドは、長さで通じ合えます」

「通じ合えるんだ」

「はい」

 

 否定はなかった。

 少なくとも、灯里の中では真理だった。

 

 自動車部が塗料や刷毛を用意してくれる。

 灯里は下描きをして、慎重に線を引いた。

 

 TOGⅡの側面に、少しずつ長い犬が現れていく。

 

 長い。

 可愛い。

 どこか間の抜けた愛嬌がある。

 

 灯里は筆を動かしながら、少しだけ満足した。

「……良いですね」

 

 自動車部の生徒たちも拍手する。

「いいじゃん!」

「大洗っぽい!」

「これ、反対側にも描く?」

「描きます」

「即答」

「左右対称は大事です」

 

* * *

 

 反対側の塗装に取りかかろうとした頃、倉庫前に五人の姿が現れた。

 

 火野まどか。

 小走すず。

 呼子かなえ。

 米倉ちとせ。

 早見りん。

 

 給食部専攻の五人だった。

 

 灯里は筆を止める。

「皆さん」

 

 まどかが一歩前に出た。

「あの、戸郷さん。少しお話が」

「はい」

 

 灯里は少し身構えた。

 今日の仮搭乗は、決して楽なものではなかった。初めて戦車に乗った。初めて砲撃した。初めて撃たれた。白旗まで上がった。

 

 怖かったと言われても仕方ない。

 もう乗りたくないと言われても当然だ。

 

 灯里は静かに待った。

 

 まどかは、少しだけ言葉を選んでから言った。

「今日の仮搭乗ですが」

「はい」

「次は、もう少し手順を詰めたいです」

 

 灯里は目を瞬かせた。

「……次?」

 

 すずがTOGⅡを見上げる。

「あの長いの、もう少し上手く曲げたいです。曲がり始めるタイミングが遅かったので」

 

 かなえが無線機の方を見る。

「無線、全然拾いきれませんでした。注文整理とは似てるけど、もっと速いですね。悔しいです」

 

 ちとせは自分の腕を軽く回した。

「砲弾の受け渡し、動きが大きすぎました。米袋よりは持ちやすかったけど、流れが悪かったです」

 

 りんも頷く。

「装填の手順、もっと短くできます。今日のは厨房なら詰まってます」

 

 灯里は、五人の顔を順番に見た。

 誰も、嫌そうな顔をしていない。

 疲れてはいる。戸惑いもある。

 

 でも、それ以上に、悔しさがある。

 

 灯里は、ゆっくり聞いた。

「それは、次も乗ってくれるという意味ですか?」

 

 五人は少し顔を見合わせた。

 まどかが小さく息を吐く。

「出店手伝いの延長……では、もうないですよね」

「はい」

「でも、途中で白旗が上がったの、少し悔しかったです」

 

 すずが続ける。

「TOGⅡは遅いです。でも、動かし方を覚えたら、もう少し何とかできそうです」

 

 かなえも頷いた。

「無線は怖かったです。でも、聞き取れなかったのが悔しいです」

 

 ちとせが穏やかに言う。

「砲弾は重かったです。でも、持てないわけではありません」

 

 りんが少し笑った。

「流れ作業としては、改善の余地があります。厨房なら、まだやり直せます」

 

 灯里は、しばらく何も言えなかった。

 

 TOGⅡの前に、六人目までの席が埋まっていく感覚。

 

 それは、地下ガレージで一人だけ車長席を見上げていた時には、想像できなかったものだった。

 

「……ありがとうございます」

 

 灯里は深く頭を下げた。

 まどかが少し慌てる。

「まだ正式に決めたわけでは……」

「分かっています。仮、です」

「はい。仮です」

 

 すずがTOGⅡの側面を見る。

「それ、何を描いているんですか?」

「いぬさんチーム仮エンブレムです」

「仮なんですね」

「仮です」

 

 かなえが少し笑う。

「でも、もうだいぶ正式っぽいです」

「会長が聞いたら、そのまま通しそうですね」

 

 りんが言うと、全員が少し黙った。

 

 あり得る。

 とてもあり得る。

 

 灯里は咳払いをした。

「今は仮です」

 

 まどかが静かに言った。

「では、仮のうちに、反対側も手伝います」

 

 灯里は顔を上げた。

「いいのですか?」

「この絵が、私たちの戦車につくかもしれないなら」

 

 その一言に、灯里は目を見開いた。

 

 私たちの戦車。

 

 まだ仮。

 まだ決定ではない。

 

 けれど、その言葉は確かにそこにあった。

 

 灯里は、ゆっくり頷いた。

「お願いします」

 

 五人が、それぞれ道具を手に取る。

 まどかは線を整え、すずは全体の位置を見て、かなえは必要な道具を呼び、ちとせは塗料缶を支え、りんは細かい部分を塗った。

 

 それは、戦車というより、厨房の作業に少し似ていた。

 

 役割を分ける。

 声をかける。

 手順を回す。

 

 そして、ひとつのものを仕上げる。

 

 TOGⅡの長い側面に、二匹目のダックスフンドホットドッグが少しずつ形になっていく。

 

* * *

 

 夜の倉庫前に、塗料の匂いと、少しだけ湿った風が流れていた。

 

 遠くでは、風呂上がりのあんこうチームが楽しそうに歩いてくる声が聞こえる。

 

 灯里は、完成したエンブレムを見上げた。

 長い車体。長い犬。パンに挟まった、少し間の抜けた可愛い姿。

 

 TOGⅡは、今日白旗を上げた。

 けれど、その側面には、新しい印が描かれた。

 

 弱点だった長さに、名前が与えられたような気がした。

 

 まどかが静かに言う。

「……悪くないですね」

「はい。とても良いです」

 

 すずが横から見る。

「長い戦車に長い犬。分かりやすいです」

 

 かなえが頷く。

「呼び込みやすい名前です。いぬさんチーム」

 

 ちとせは少し笑った。

「覚えやすいです」

 

 りんも明るく言う。

「白旗も可愛いです」

 

 灯里は、五人を見た。

 それぞれの席は、まだ正式に決まっていない。

 けれど、今日の模擬戦で、確かに何かが生まれた。

 

 あんこうチームは、戦車の中の席を決めた。

 

 そしてTOGⅡの前でも、別の席が埋まり始めていた。

 

 車長席に、戸郷灯里。

 砲手席に、火野まどか。

 操縦手席に、小走すず。

 無線手席に、呼子かなえ。

 装填手席に、米倉ちとせ。

 もう一つの装填手席に、早見りん。

 

 まだ、仮。

 

 でも、もう空席ではない。

 

 灯里はTOGⅡの長い車体に手を触れた。

 その鋼は、昼間より少しだけ温かい気がした。

 

 いぬさんチームは、ようやく六人になろうとしていた。

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