『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第9.5話「お風呂と、それぞれの席」

 初めての模擬戦が終わったあと、大洗女子学園の戦車道メンバーは、しばらく倉庫前から動けずにいた。勝ったチームも、負けたチームも、どこか放心している。

 

 初めて戦車を動かした。

 初めて砲撃した。

 初めて撃たれた。

 初めて白旗を見た。

 

 それは、授業というにはあまりに濃く、遊びというにはあまりに本格的だった。

 

 西住みほは、Ⅳ号戦車の前で小さく息を吐いた。

 

「……終わったね」

 

 武部沙織が、ぐったりした顔で頷く。

 

「終わったぁ……。もう、何が何だか分かんなかったよ」

「でも、沙織さん、車長席からちゃんと周りを見てくれてたよ」

「いやいやいや! みほが横から教えてくれなかったら無理だったって!」

「操縦も、思っていたよりずっと難しいものなのですね。手元も足元も、まだ感覚が追いつきませんでした」

「でも華、最初ちゃんと動かしてたよ」

「五十鈴殿の初期操縦、見事でありました! そして西住殿の装填補助と判断、武部殿の車長、冷泉殿の操縦……!」

「秋山さん、自分の砲撃も入れていいんだよ」

「はっ! この秋山優花里、砲手として初撃破に貢献できたこと、誠に光栄であります!」

「秋山さん、元気だね……」

 

 沙織が苦笑する。その隣で、冷泉麻子は眠そうに立っていた。

 

「帰って寝たい」

「麻子、さっきも言ってたでしょ」

「今も言う」

 

 みほは、そんな麻子を見て、少し申し訳なさそうに言った。

 

「冷泉さん、今日は本当にありがとう。急に乗ってもらって……」

「朝の借りを返しただけだ」

「でも、すごく助かった」

「そうか」

 

 短い返事。けれど、麻子は少しだけ目を逸らした。

 沙織が、にやっと笑う。

 

「それで、麻子。これからも乗るんでしょ?」

「……なぜそうなる」

「だって操縦うまかったし」

「冷泉殿の操縦は天才的であります! あの橋の上での安定感、あの回避機動、まさに逸材です!」

「買いかぶりだ」

 

 麻子は眠そうに言う。沙織は腕を組んだ。

 

「でもさ、麻子。戦車道って単位もらえるんだよ?」

「単位」

「それに、成績優秀なら遅刻見逃しもあるかもって言ってたよ?」

「遅刻見逃し」

「まだ正式に決まったわけじゃないと思うけど……」

 

 みほが苦笑する。

 麻子は少し考え、静かに言った。

 

「……借りは、まだ完全には返していない」

「素直じゃないなあ」

「単位と遅刻のためではない」

「今、絶対ちょっと考えたでしょ」

「否定はしない」

 

 華がくすりと笑った。

 

「では、冷泉さんもご一緒してくださるのですね」

「朝が来なければ、考える」

「来るよ、朝は」

「なぜ来るのだろう」

「またそれ!?」

 

 そんなやり取りに、みほは少しだけ笑った。さっきまでの緊張が、ゆっくりほどけていく。

 すると沙織が、ぱんと手を叩いた。

 

「よし! こういう時は、お風呂!」

「お風呂?」

「うん。汗もかいたし、いろいろ考えるのはお風呂に入ってから!」

「賛成です。体を温めれば、気持ちも落ち着くかもしれません」

「皆さんとお風呂……でありますか」

「寝られるなら行く」

「お風呂で寝ないでね!?」

 

* * *

 

 湯気の向こうで、沙織が大きく息を吐いた。

 

「はぁー……生き返るー……」

 

 広い浴場には、柔らかな湯気が満ちていた。模擬戦のあとの疲れが、温かい湯の中へ少しずつ溶けていく。

 みほは湯船の端で肩まで浸かりながら、ぽつりと言った。

 

「今日は……ありがとう。みんな」

「何が?」

「試合中、支えてくれて」

「それはこっちの台詞だよ。みほが見てくれたから、勝てたんだし」

「西住さんのご判断があったから、私も最初の操縦をなんとかできました」

「西住殿の判断は、やはり素晴らしかったであります!」

「分かりやすかった」

 

 麻子は目を閉じたまま、短く言った。

 みほは少し照れたように目を伏せる。

 

「冷泉さんまで……」

 

 沙織が指を立てる。

 

「で、決めよっか。私たちの役割」

「役割?」

「うん。今日やってみて分かったじゃん。みほは車長」

「私?」

「ほかに誰がいるの?」

 

 沙織は、あっさり言った。

 

「私、今日だけ車長っぽい席にいたけど、正直ほとんどみほに聞いてたし」

「でも、沙織さんは周りを見てくれてたよ」

「それは通信手でもできる! むしろ、そっちの方が向いてる気がする!」

「私も、西住さんが車長に向いていらっしゃると思います」

「異議なしであります!」

「私もそれでいい」

 

 みほは戸惑った。

 

 車長。

 それは、自分が逃げてきたものの中心にある席だった。

 

 誰かに指示を出す。誰かを動かす。判断する。

 その重さを、みほは知っている。

 

 けれど、沙織たちは責めるためではなく、信じるためにそう言っている。

 みほは、ゆっくり頷いた。

 

「……分かった。私、車長やってみる」

「決まり!」

 

 沙織が笑う。華も嬉しそうに微笑んだ。

 

「では、私は……操縦手でしょうか?」

「華は、今日すごく頑張ってたけど……途中、かなりつらそうだったよね」

「はい。揺れと判断が同時に来ると、少し目が回ってしまって」

「五十鈴殿は、むしろ砲手向きかもしれません」

「砲手、ですか?」

「はい! 五十鈴殿の落ち着きと集中力なら、照準に向いていると思うのであります!」

「私が砲手をしても、よろしいのでしょうか」

「華さんなら、きっと大丈夫」

「西住さんがそうおっしゃるなら……やってみます」

 

 沙織が嬉しそうに頷く。

 

「華、上品に撃ちそう」

「上品に撃つ、という表現が正しいのかは分かりませんが……」

「でも似合う」

「ありがとうございます……?」

 

 優花里が勢いよく手を挙げた。

 

「では、私は装填手を希望します!」

「秋山さん、今日砲手すごかったのに?」

「もちろん砲手も光栄でした! ですが、砲弾の種類、装填手順、戦況に応じた弾種選択……装填手は非常に奥深い役割であります!」

「秋山さん、目が輝いてる」

「砲弾を間近で扱えるのであります!」

「理由が秋山さんらしいね」

「それに、装填手が弾種を理解していれば、西住殿の指示をより早く反映できます!」

「うん。秋山さんがいてくれたら、すごく助かる」

「光栄であります!」

 

 麻子は目を閉じたまま言う。

 

「私は操縦手か」

「麻子、今日すごかったもん」

「眠かった」

「眠いのにあれなら、起きてたらもっとすごいんじゃない?」

「起きている時間が短い」

「そこは頑張って!」

 

 沙織が言うと、麻子は小さくため息をついた。

 

「単位と遅刻見逃しのために、少しは努力する」

「やっぱりそれ目当てじゃん!」

「借りもある」

「ついでみたいに言った!」

 

 みほが思わず笑う。それを見て、沙織は満足げに頷いた。

 

「で、私は通信手かな」

「武部さんが?」

「私、おしゃべり好きだし。無線で話すの向いてる気がする」

「通信手は非常に重要な役割であります! 味方との連絡、状況把握、指示の伝達。武部殿の明るさと声の通りは、きっと武器になります!」

「えへへ、そう言われると照れるなあ」

 

 みほは沙織を見た。

 

「沙織さん、通信手、お願いしてもいい?」

「もちろん!」

 

 沙織は胸を張った。

 

「みほの声、ちゃんとみんなに届けるから」

 

 その言葉に、みほは少しだけ目を見開いた。そして、柔らかく笑った。

 

「ありがとう」

 

 湯気の中で、五人の役割が決まっていく。

 

 車長、西住みほ。

 通信手、武部沙織。

 砲手、五十鈴華。

 装填手、秋山優花里。

 操縦手、冷泉麻子。

 

 それはまだ、始まったばかりのチームだった。

 けれど、確かに席が埋まった瞬間だった。

 

* * *

 

 その頃、戸郷灯里は風呂には行かず、倉庫前に戻っていた。

 理由はひとつ。

 

 TOGⅡが気になったからである。

 

 夕方の倉庫前では、自動車部がまだ作業を続けていた。

 各車両の点検。足回りの確認。安全装置の調整。白旗判定装置の確認。

 

 灯里は、TOGⅡの前で深く頭を下げた。

 

「自動車部の皆さん、本当にありがとうございます」

「いいっていいって。戸郷さん、何回目?」

「感謝は何度しても足りません」

「真面目だなあ」

 

 自動車部の一人が笑う。

 

「TOGⅡ、見れば見るほど長いよね」

「はい。長いです」

 

 灯里は誇らしげに答えた。

 

「長さは魅力です」

「そういうことにしておこう」

 

 TOGⅡは、試合で白旗を上げたものの、実際に大きく壊れたわけではなかった。足回りへの致命判定が入っただけで、整備すれば問題なく動ける。

 灯里はその装甲をそっと撫でた。

 

「初戦、お疲れ様でした」

 

 戦車は答えない。

 けれど、灯里には少しだけ誇らしげに見えた。

 

 そこで、ふと思った。

 

「……せっかくなので」

 

 灯里はTOGⅡの長い側面を見る。

 

 広い。

 とても広い。

 

 まるでキャンバスのようだった。

 

「塗装してみましょう」

「え、今から?」

「はい」

「何描くの?」

「ダックスフンドがパンに挟まっているエンブレムです」

「情報量が多い」

「Fチーム、仮称いぬさんチームですので」

「なるほど?」

 

 自動車部の生徒は、分かったような分かっていないような顔をした。

 灯里は用意していた簡易スケッチを取り出した。

 

 長い胴のダックスフンド。

 その胴体が、ホットドッグのパンに挟まっている。

 顔は丸く、少し間の抜けた可愛さ。

 背中には小さな白旗。

 

 どこかTOGⅡの長さと愛嬌を思わせるデザインだった。

 自動車部の生徒たちが覗き込む。

 

「可愛いじゃん」

「長い戦車に長い犬かー」

「いいね、分かりやすい」

 

 灯里は真剣に頷いた。

 

「TOGⅡとダックスフンドは、長さで通じ合えます」

「そこなんだ」

「そこです」

 

 灯里は塗料を準備した。

 最初は小さく描くつもりだった。

 だが、TOGⅡの側面を見ると、どうしても小さくまとめることができなかった。

 

 長い車体。

 長い犬。

 長いパン。

 

 これは、大きく描くべきだ。

 

 灯里は筆を取った。

 

 線を引く。

 

 意外と、手が迷わない。

 

 TOGⅡに関係することなら、なぜかできる。

 

 エンブレム制作。

 ステッカー作り。

 グッズ制作。

 絆創膏。

 そして、車体塗装。

 

 それが常識的かどうかは分からない。

 ただ、灯里の手は確かだった。

 

 自動車部が感心する。

 

「戸郷さん、普通に上手いじゃん」

「愛です」

「便利な言葉だね」

「はい」

 

 灯里は集中して描き続けた。

 ダックスフンドの長い体。

 ふわっとしたパン。

 ちょこんとした顔。

 白旗。

 

 そして下に、小さく文字を入れる。

 

『いぬさんチーム(仮)』

 

 TOGⅡの側面に、大きなエンブレムが完成した。

 夕日に照らされるその絵は、どこか間の抜けた可愛さと、妙な存在感を放っていた。

 

「……良いですね」

 

 灯里は満足した。

 自動車部の生徒たちも拍手する。

 

「いいじゃん!」

「大洗っぽい!」

「これ、反対側にも描く?」

「描きます」

「即答」

「左右対称は大事です」

 

* * *

 

 反対側の塗装に取りかかろうとした頃、倉庫前に五人の姿が現れた。

 

 火野まどか。

 小走すず。

 呼子かなえ。

 米倉ちとせ。

 早見りん。

 

 給食部専攻の五人だった。

 

 灯里は筆を止める。

 

「皆さん」

 

 まどかが一歩前に出た。

 

「あの、戸郷さん。少しお話が」

「はい」

 

 灯里は少し身構えた。

 

 今日の仮搭乗は、決して楽なものではなかった。

 

 初めて戦車に乗った。

 初めて砲撃した。

 初めて撃たれた。

 白旗まで上がった。

 

 怖かったと言われても仕方ない。

 もう乗りたくないと言われても当然だ。

 

 灯里は静かに待った。

 まどかは、少しだけ言葉を選んでから言った。

 

「今日の仮搭乗ですが」

「はい」

「次は、もう少し手順を詰めたいです」

 

 灯里は目を瞬かせた。

 

「……次?」

「あの長いの、もう少し上手く曲げたいです。曲がり始めるタイミングが遅かったので」

「無線、全然拾いきれませんでした。注文整理とは似てるけど、もっと速いですね。悔しいです」

「砲弾の受け渡し、動きが大きすぎました。米袋よりは持ちやすかったけど、流れが悪かったです」

「装填の手順、もっと短くできます。今日のは厨房なら詰まってます」

 

 すず、かなえ、ちとせ、りんが続けて言う。

 灯里は、五人の顔を順番に見た。

 

 誰も、嫌そうな顔をしていない。

 

 疲れてはいる。

 戸惑いもある。

 

 でも、それ以上に、悔しさがある。

 

 灯里は、ゆっくり聞いた。

 

「それは、次も乗ってくれるという意味ですか?」

 

 五人は顔を見合わせた。

 少し沈黙。

 

 それから、まどかが静かに答えた。

 

「出店手伝いの延長……では、もうないですよね」

「はい。戦車道です」

 

 灯里は頷いた。

 すずがTOGⅡを見上げる。

 

「正直、最初は長すぎるし遅すぎるし、どうしようかと思いました」

「事実です」

「でも、動かしたら少し分かりました。遅いけど、読める気がします」

「白旗が上がった時、ちょっと悔しかったです」

「途中で終わった感じがしました」

「次は、もう少し流れよくできます」

 

 かなえ、ちとせ、りんも続く。

 灯里は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。

 

 TOGⅡは負けた。

 

 けれど、白旗は終わりではなかった。

 次へ向かう理由になっていた。

 

 灯里は、TOGⅡの側面に描いたエンブレムを見る。

 

 パンに挟まったダックスフンド。

 いぬさんチーム、仮。

 

 まだ候補名だったはずのそれが、少しずつ現実に近づいていく。

 

「皆さん」

 

 灯里は姿勢を正した。

 

「改めてお願いします。TOGⅡに、乗ってください」

 

 五人は少し驚いたように灯里を見る。

 灯里は続ける。

 

「TOGⅡは長くて、遅くて、扱いづらいです。一人では動かせません。皆さんの手際と連携が必要です」

 

 まどかが静かに微笑んだ。

 

「販売スペースとしても魅力的でしたが」

「戦車としても魅力的です」

「そこは、これから勉強します」

 

 すずが笑う。

 

「操縦、やってみます」

「無線、整理します」

「装填、運びます」

「流れ、作ります」

 

 かなえ、ちとせ、りんも頷いた。

 灯里は、深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 その時、自動車部の一人が横から声をかけた。

 

「じゃあ、Fチーム、いぬさんチーム候補ってことだね」

 

 五人がTOGⅡの側面を見る。

 そこには、できたばかりのエンブレムが大きく描かれていた。

 

 かなえが思わず笑う。

 

「可愛い」

「長いですね」

 

 すずも頷く。

 灯里は満足げに言った。

 

「最高の褒め言葉です」

 

 まどかは少し考えてから言った。

 

「では、次の出店では、このエンブレムの焼き印をパンに入れましょう」

 

 灯里の目が輝いた。

 

「天才ですか」

「給食部専攻ですので」

「頼もしいです」

 

 夕暮れの倉庫前で、TOGⅡの長い車体に描かれた犬が、どこか誇らしげに見えた。

 

* * *

 

 その夜。

 

 風呂上がりのAチーム五人が帰路につく頃、みほは少しだけ立ち止まって、倉庫の方を見た。

 遠くに、TOGⅡの長い車体が見える。

 その側面には、夕方までなかった大きなエンブレムが描かれていた。

 

「……あれ、戸郷さんが描いたのかな」

 

 沙織が目を凝らす。

 

「犬がパンに挟まってる?」

「可愛らしいですね」

「Fチームの……いぬさんチーム候補のエンブレムであります!」

「長い犬だな」

 

 華が微笑み、優花里は感動し、麻子は眠そうに言った。

 みほは少しだけ笑った。

 

 その笑顔は、戦車を怖がっているだけのものではなかった。

 

 大洗の戦車道は、黒森峰とも、聖グロリアーナとも、きっと違う。

 

 厳格で、整然として、勝つためだけの戦車道ではない。

 

 失敗して、白旗を上げて、笑って、悔しがって。

 

 それでも、次はと言える場所。

 

 みほは、ぽつりと呟いた。

 

「……少し、楽しそう」

 

 その声は小さかった。

 けれど、確かにそこにあった。

 

 そしてその頃、TOGⅡの前では。

 

 灯里と給食部専攻の五人が、反対側のエンブレムを描く準備を始めていた。

 

 長すぎる戦車の席は、もう空席ではなくなりつつあった。

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