翌日。
倉庫前に集まった大洗女子学園の戦車道メンバーは、昨日とはまるで違う光景を目にしていた。
並んでいる戦車は、同じだった。
Ⅳ号戦車D型、八九式中戦車甲型、38(t)軽戦車、M3リー中戦車、III号突撃砲F型。
そして、TOGⅡ。
けれど、昨日とは色が違う。
雰囲気が違う。
昨日までは、ようやく泥を落とされ、埃を払われ、戦車としての形を取り戻したばかりだった。それが今日は、それぞれのチームの色をまとっていた。
「……大洗ですね」
戸郷灯里は、静かにそう呟いた。
まず目に入ったのは、Bチームの八九式中戦車甲型だった。
車体には、大きな文字が描かれている。
――バレー部復活!
力強い。
とても力強い。
さらに、バレーボールらしき丸や、気合いを表す線が勢いよく描き込まれている。戦車というより、動く横断幕に近い。
「やっぱり、戦車にも気合いが必要だからね!」
「バレー部復活のために!」
「根性!」
「根性!」
磯辺典子たちが拳を握る。
灯里は頷いた。
「目的が分かりやすいですね」
「褒めてる?」
武部沙織が聞く。
「はい。非常に分かりやすいです」
「それ、褒めてるのかな……」
次に目に入ったのは、CチームのIII号突撃砲F型だった。
赤い。
とても赤い。
しかも、幟が立っている。
新撰組、戦国、古代。いろいろ混ざっている。
「……移動式歴史展示ですね」
灯里が真顔で言う。
歴女チームは、むしろ誇らしげだった。
「我らが魂を表現した結果である!」
「時代を超えた浪漫!」
「突撃砲に幟、実に良い!」
沙織が少し引いた顔をする。
「戦車に幟って、ありなの?」
「大洗なので」
「便利な言葉だね、大洗なので」
華は楽しそうに見つめていた。
「皆さん、それぞれの好みが出ていますね」
「好みというより、もう主張です」
秋山優花里は目を輝かせる。
「ですが、戦車に乗る者の個性が車両に表れるのは素晴らしいであります!」
「秋山さん、肯定力が高いですね」
「戦車ですので!」
その次は、DチームのM3リーだった。
可愛い。
とても可愛い。
ピンク系の塗装に、小さな星やハートのような飾りが描かれている。昨日までの泥だらけの中戦車とは別物だった。
一年生チームが、少し照れながらも胸を張っている。
「かわいくしました!」
「怖いだけだと、乗るのも大変なので」
「これなら、ちょっと楽しいかなって」
沙織がぱっと笑った。
「これ可愛い! いいじゃん!」
「武部殿、反応が早いであります」
「だって可愛いもん」
みほも、M3リーを見て少しだけ表情を緩めた。
「うん。かわいいね」
その声は、昨日よりも少し自然だった。
灯里はそれを見て、少しだけ安心する。
戦車道。
その言葉はまだ、みほにとって軽くはない。けれど、大洗の戦車道は、黒森峰で見てきたものとは明らかに違う。
強さだけではない。
格式だけでもない。
変で、自由で、少し騒がしい。
それが、みほの肩の力を少しずつ抜いているように見えた。
* * *
そして、生徒会のEチーム。
38(t)軽戦車は、金色だった。
灯里は一瞬、言葉を失った。
金色。
本当に金色。
朝日に照らされて、妙にまぶしい。
「……金ですね」
「金だね」
沙織も同じ感想だった。
角谷杏は、38(t)の前で干し芋を持ちながら、にこにこしていた。
「目立つでしょー」
「会長、目立つことが目的だったんですか」
小山柚子が困ったように言う。
「戦車道は注目も大事だからねー」
「被弾率も上がりそうです」
灯里が静かに言うと、河嶋桃が胸を張った。
「撃たれる前に撃てばいい!」
「河嶋さんが?」
「何だその言い方は!」
「いえ。近づけば当たる方だと聞いています」
「誰から聞いた!?」
杏が笑った。
「まあまあ、桃ちゃん。金色の方が強そうじゃん」
「そうです! 会長の仰る通りです!」
「柚子ちゃんはどう思う?」
「私は、もう少し落ち着いた色でもよかったかなって……」
柚子は控えめに言った。
沙織が苦笑する。
「柚子先輩、苦労してるなあ」
「生徒会の塗装にも役割が出ていますね」
華が穏やかに言う。
灯里は頷いた。
「会長の発想、河嶋さんの勢い、小山さんの胃痛が見えます」
「そこまで見えるんだ」
* * *
AチームのⅣ号戦車D型は、外見だけなら比較的普通だった。
泥を落とされ、整備され、落ち着いた色に戻っている。だが、内部は少しずつ変わっていた。
沙織が車内から小さなクッションを取り出す。
「ほら、車内って硬いじゃん? 少しでも座り心地よくしようと思って」
「戦車の中にクッション……」
灯里は少し考えた。
「ありです」
「ありなんだ」
「乗員の疲労軽減は大事です」
華も小物を丁寧に並べていた。
「必要最低限ですが、整理しやすいようにしてみました」
「さすが華。車内まで上品」
優花里は戦車道用の小さなメモ帳や資料を配置している。
「装填手位置からでも資料を確認できるようにしたであります!」
「装填しながら読む気か」
麻子が眠そうに言う。
「もちろん、安全第一であります!」
「ならいい」
みほは少し恥ずかしそうに、小さなボコのマスコットを手に持っていた。
沙織がそれに気づく。
「あ、ボコ! みほ、それ置くの?」
「うん……邪魔にならないところに、少しだけ」
「いいじゃん! みほらしいよ」
みほは照れたように笑った。
灯里はⅣ号の中を見て思う。
昨日までは、ただの戦車だった。けれど今は、Aチームの席になり始めている。
車長席にみほ。
通信手に沙織。
砲手に華。
装填手に優花里。
操縦手に麻子。
それぞれの居場所が、少しずつ戦車の中に形を作っていた。
「……良いですね」
灯里が呟く。
みほが振り返った。
「戸郷さん?」
「いえ。Aチームらしくなってきたと思いました」
「そうかな」
「はい。昨日より、ずっと」
みほは少しだけ目を伏せた。
「……うん。私も、少しそう思う」
その声は小さかったが、悪くない響きだった。
* * *
最後に、TOGⅡ。
Fチームの車両。
いや、まだ正式にはFチームである。
いぬさんチームという名前は、会長が雑に口にした候補名でしかない。
少なくとも、建前上は。
しかし、TOGⅡの側面には、すでに大きなエンブレムが描かれていた。
長い胴のダックスフンド。
その身体は、ホットドッグのようにパンに挟まっている。
上には小さな白旗。
砲塔風の飾り。
長い。
可愛い。
そして、少し間が抜けている。
灯里は満足そうに見上げた。
「良いですね」
火野まどかが隣で腕を組む。
「戸郷さん、昨日から何度も言っています」
「良いものは何度見ても良いので」
「それは分かります」
小走すずは、TOGⅡの長さとエンブレムの長さを見比べていた。
「長い戦車に長い犬。迷わないですね」
「そうでしょう」
「曲がる時は迷います」
「そこは練習しましょう」
呼子かなえは、エンブレムを見ながら頷いた。
「呼び込みやすいです。いぬさんチーム」
「まだ仮名です」
「仮名にしては、完成度が高いです」
米倉ちとせは、塗料の乾き具合を確認している。
「触っても大丈夫そうですね」
「はい。塗料は乾いています」
早見りんは白旗部分を見て、少し笑った。
「この小さい白旗、可愛いです。でも昨日の白旗は悔しかったです」
「そこは分けて考えましょう」
「分けます」
そこへ、沙織たちがやって来た。
「うわ、やっぱり大きい!」
「犬がパンに挟まってる?」
「可愛らしいですね」
「Fチームの……いぬさんチーム候補のエンブレムであります!」
「長い犬だな」
華が微笑み、優花里は感動し、麻子は眠そうに言った。
みほは少しだけ笑った。
その笑顔は、戦車を怖がっているだけのものではなかった。
大洗の戦車道は、黒森峰とも、聖グロリアーナとも、きっと違う。
厳格で、整然として、勝つためだけの戦車道ではない。
失敗して、白旗を上げて、笑って、悔しがって。
それでも、次はと言える場所。
みほは、ぽつりと呟いた。
「……少し、楽しそう」
その声は小さかった。
けれど、確かにそこにあった。
灯里はその言葉を聞いて、胸の奥が少し温かくなる。
西住さんが、戦車道を楽しいと言い切ったわけではない。
それでも。
少し、楽しそう。
その一歩は、とても大きい。
* * *
倉庫前のにぎやかさを少し離れた場所から見ていた生徒会は、別の話を進めていた。
角谷杏は干し芋をかじりながら、並んだ戦車たちを見ている。
「いい感じになってきたねー」
「見た目だけは、かなり個性的になりました」
柚子が書類を確認しながら言う。
桃は腕を組んでいた。
「だが、見た目だけでは勝てない。実戦経験が必要だ」
「というわけで」
杏がにこっと笑う。
「練習試合、申し込もっか」
「相手は、やはり……」
「うん」
杏の視線が、一瞬だけ灯里の方へ向く。
TOGⅡの前で、みほと話している戸郷灯里。その横には、ダックスフンドのエンブレム。
そして、灯里の過去所属校。
聖グロリアーナ女学院。
桃は受話器を取った。
「では、連絡します」
呼び出し音が鳴る。
数回のあと、相手が出た。
『はい。聖グロリアーナ女学院です』
桃は背筋を伸ばす。
「大洗女子学園生徒会の河嶋桃です。戦車道の練習試合について、ご相談がありまして」
電話の向こうで、少し間があった。
そして、穏やかな声が返ってくる。
『練習試合、ですか。大洗女子学園が戦車道を再開されたと伺っていましたわ』
その声に、桃は少しだけ緊張する。
ダージリン。
聖グロリアーナ女学院の隊長。
桃は言葉を選びながら続けた。
「はい。まだ再開したばかりではありますが、実戦経験を積みたいと考えております」
『よろしいですわ。こちらとしても、興味があります』
桃はほっと息を吐きかけた。
しかし、ダージリンは続けた。
『それと、ひとつ確認してもよろしいかしら』
「はい」
『大洗には、戸郷灯里さんがいらっしゃるのかしら』
桃の手が止まった。
「戸郷を、ご存じなのですか?」
電話の向こうで、ティーカップが置かれるような小さな音がした。
『ええ。少し懐かしい名前ですわ』
ダージリンの声は、いつも通り優雅だった。
けれど、その中には、ほんの少しだけ懐かしむような響きがあった。
『聖グロにいた頃は、ルイボスと呼ばれていました』
「ルイボス……?」
桃は聞き慣れない単語を繰り返す。
杏が横で、少しだけ目を細めた。柚子も書類から顔を上げる。
『TOGⅡに乗れないから、と言っていたそうですけれど』
ダージリンは、少しだけ楽しそうに言う。
『……本気だったのでしょうか』
「本気、だと思います」
桃は即答しかけて、少し詰まった。
戸郷灯里。
TOGⅡを見ている時の、あの真顔。
長さへのこだわり。
戦車道ショップでTOGⅡがないことを由々しき事態と言ったらしい話。
そして、TOGⅡの側面に描かれた長いダックスフンド。
おそらく、本気だ。
かなり本気だ。
「……少なくとも、こちらでは本気です」
電話の向こうで、ダージリンが小さく笑った気配がした。
『本気だったのでしょうね』
その声には、呆れではなく、どこか納得するような響きがあった。
『もし大洗で本当にTOGⅡに乗っているのだとしたら』
少し間が空く。
『あの子らしい、随分と遠回りな選択ですわ』
桃は言葉に迷った。
戸郷灯里は、大洗にとってはまだ新しい戦力だ。
だが、聖グロにとっては、別の意味を持つ生徒らしい。
ルイボス。
その名を、桃は書類の端へ小さく書き留めた。
「では、練習試合の件は」
『ええ。お受けいたしますわ』
桃は姿勢を正した。
「ありがとうございます」
『楽しみにしています。大洗の皆さんと……ルイボスに会えることを』
電話は静かに切れた。
* * *
受話器を置いた桃は、しばらくそれを見つめていた。
「……受けてくださいました」
「じゃ、決まりだね」
杏は干し芋をかじりながら、にっと笑う。
「本当に、大丈夫でしょうか」
柚子が不安そうに呟く。
「大丈夫にするんだよー」
杏は軽く言う。
けれど、その視線は窓の外を見ていた。
倉庫前。
それぞれの色をまとった戦車たち。
赤。
ピンク。
金色。
バレー部復活の文字。
ボコのぬいぐるみが置かれたⅣ号。
そして、長いダックスフンドを描いたTOGⅡ。
まだ誰も知らない。
その戦車たちが次に向かう相手が、全国大会準優勝経験を持つ聖グロリアーナ女学院だということを。
そして。
戸郷灯里がかつて置いてきた赤い制服の記憶が、もうすぐ彼女の前に戻ってくることを。
* * *
その頃、灯里はTOGⅡの前で、エンブレムの端を軽く拭いていた。
塗料はもう乾いている。
ダックスフンドは、今日も長い。
TOGⅡも、今日も長い。
「良いですね」
灯里は満足そうに頷いた。
そこへ、みほが近づいてきた。
「戸郷さん」
「はい、西住さん」
「このエンブレム、戸郷さんが描いたんだよね?」
「はい」
「すごく可愛いと思う」
灯里は少しだけ目を見開いた。
「ありがとうございます」
みほは、TOGⅡの側面を見上げた。
「昨日のボコの話じゃないけど……TOGⅡも、なんだか愛されてる感じがする」
灯里は、少しだけ黙った。
それから、静かに答える。
「はい。愛していますので」
みほは小さく笑った。
「うん。分かる気がする」
その笑顔を見て、灯里も少しだけ微笑んだ。
大洗の戦車道は、まだ始まったばかり。
自由で、派手で、少し変で、まだ未熟。
けれど、それぞれの戦車は、それぞれの色をまとった。
そしてその色は、少しずつ、乗る者たちの居場所になっていく。
灯里は、TOGⅡの長い車体に手を置いた。
「次は、もっと良い動きをしましょう」
TOGⅡは答えない。
けれど、側面のダックスフンドが、少しだけ誇らしげに見えた。