『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第12話「朝六時の戦車道」

 日曜日の朝。

 

 空はまだ、夜の色を少しだけ残していた。

 

 大洗の町は静かで、いつもなら人通りも少ない時間帯。

 そんな住宅街の一角に、早朝とは思えないほど重い空気が漂っていた。

 

「麻子ー! 起きてー!」

 

 武部沙織が、布団の端を両手で掴んで引っ張っている。

 しかし、布団の中の冷泉麻子は動かなかった。

 

「朝は……まだ来ていない……」

「来てる! もう来てるから!」

 

 沙織がさらに引っ張る。

 だが麻子は、布団と一体化したかのように抵抗していた。

 

 西住みほは、部屋の入口で困ったように立っている。

 

「冷泉さん、今日は聖グロリアーナとの練習試合だから……」

「練習試合は昼にすればいい」

「それは、もう決まってるから……」

 

 五十鈴華は心配そうに見守っていた。

 

「冷泉さん、本当にお目覚めになりませんね」

 

 秋山優花里は、どこから持ってきたのか、小さなラッパを構えている。

 

「ここは、起床ラッパであります!」

 

 そして、思いきり吹いた。

 

 ぱぱらぱっぱぱー。

 

 早朝の部屋に、妙に元気な音が響いた。

 

「秋山さん、すごい音!」

「とても力強い音色ですね」

「冷泉さん……?」

 

 みほは麻子を見る。

 麻子は、布団の中で少しだけ眉を動かした。

 

 そして、また眠った。

 

「効果なしであります……!」

 

 優花里が愕然とする。

 沙織は肩で息をしながら言った。

 

「こうなったら、最後の手段……!」

 

* * *

 

 家の外。

 

 Ⅳ号戦車D型が、住宅街の道に慎重に停まっていた。

 

 近所迷惑。

 

 どう考えても近所迷惑。

 

 けれど、すでに朝六時集合の危機は迫っている。

 

 みほは申し訳なさそうに周囲を見回した。

 

「本当に、やるの……?」

「これで起きなかったら、もうどうしようもないよ!」

 

 沙織が真剣な顔で頷く。

 優花里は少し緊張しながらも、Ⅳ号の砲塔を確認している。

 

「訓練用空砲とはいえ、音はかなり響くであります」

「冷泉さんが驚きすぎないとよいのですが」

 

 華が心配そうに家の窓を見る。

 みほは深呼吸した。

 

「じゃあ……空砲、撃ちます」

 

 Ⅳ号の主砲が、ゆっくりと空へ向けられる。

 

 次の瞬間。

 

 どん、と大きな音が響いた。

 

 住宅街に音が反響する。

 あちこちの家の窓が開き、近所の人たちが顔を出した。

 

「何だ何だ!?」

「戦車!?」

「朝から!?」

 

 みほは慌てて頭を下げた。

 

「す、すみません! 空砲です!」

「すみませーん! 起こしたい人がいて!」

「いや、もう起きたよ!」

 

 近所のおじさんがそう返す。

 

 しかし、肝心の麻子は。

 

 起きなかった。

 

 窓の中から、沙織の悲鳴が聞こえる。

 

「麻子ー! 何で起きないのー!?」

 

 戸郷灯里は、その様子をTOGⅡの横で見ていた。

 TOGⅡは住宅街の少し広い場所に停まっている。

 

 長い。

 

 朝から見ると、さらに長い。

 

 灯里はしばらく考えた。

 

 Ⅳ号の空砲で起きない。

 ラッパでも起きない。

 毛布を引いても起きない。

 

 ならば。

 

「……うちも、やりますか」

「本当にやるんですか」

 

 火野まどかが隣で冷静に聞き返す。

 

「はい」

「音、大きそうですね」

「TOGⅡですので」

「苦情が来ませんか?」

「謝ります」

 

 呼子かなえが近所を見回す。

 米倉ちとせが言った。

 

「ガラス、大丈夫でしょうか」

「振動が強そうです」

 

 早見りんも頷く。

 灯里は少しだけ考えた。

 

「できるだけ上に向けます」

 

 そして、TOGⅡの主砲がゆっくりと空へ向く。

 朝の住宅街に、長い車体が静かに構える。

 

 灯里は深く息を吸った。

 

「空砲、撃ちます」

 

 次の瞬間。

 

 どごん、と重い音が響いた。

 

 Ⅳ号より、さらに低く、腹に響く音。

 近くの窓ガラスが、かすかに震えた。

 

 どこかで、ぴし、と嫌な音がした気がした。

 

 灯里は即座に頭を下げた。

 

「すみません! 空砲です!」

 

 給食部専攻の五人も慌てて頭を下げる。

 

「すみません!」

「朝からすみません!」

「安全です!」

「たぶん安全です!」

「たぶんって言わない方がいいです!」

 

 近所の人たちが次々と顔を出す。

 灯里は、ガラスにヒビが入っていないか本気で心配した。

 

 すると、ひとりのおじさんが親指を立てた。

 

「いやあ、目覚めがいいな!」

 

 別の人も笑う。

 

「戦車道、今日試合なんだろ? 頑張れよ!」

「大洗の名前、見せてこいよー!」

 

 灯里は少し固まった。

 

「えぇ……」

 

 怒られると思った。

 しかし、なぜか応援された。

 

 これが大洗なのか。

 

 灯里は、深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。TOGⅡも頑張ります」

 

 その時、ようやく家の中から沙織の声が響いた。

 

「起きた! 麻子、ちょっと目開けた!」

 

 みほがほっとしたように息を吐く。

 

「よ、よかった……」

 

 麻子は、しばらくして布団に包まれたまま外へ連れてこられた。

 目はほとんど開いていない。

 

「……地震か」

「空砲!」

 

 沙織が叫ぶ。

 麻子はTOGⅡを見た。

 

「……長い目覚ましだな」

「効果はありました」

「近所迷惑だ」

「否定できません」

 

* * *

 

 麻子は、半分眠ったままⅣ号へ乗せられた。

 

 操縦席に座らせるにはまだ危険なので、最初は車内で毛布に包まれている。

 集合時間は迫っていたが、ここから学校までは戦車でゆっくり移動することになった。

 

 AチームのⅣ号。

 FチームのTOGⅡ。

 

 その周囲に、他の戦車も少しずつ合流していく。

 

 朝の町を戦車が進む。

 

 これだけでも相当な光景なのに、その中にTOGⅡがいる。

 

 長い。

 とにかく長い。

 

 一般の道にいるだけで、異物感がすごい。

 

 灯里はTOGⅡの車長席から周囲を見ながら、少し申し訳ない気持ちになった。

 

「通行の皆さん、すみません。TOGⅡです」

「謝罪の内容が独特です」

 

 かなえが無線席で笑う。

 

「TOGⅡは長いので」

「それは分かります」

 

 その一方で、Fチームは朝食配布も担当していた。

 

 今日の朝食は、朝用TOGドッグ。

 

 レバニラ案は却下された。

 

 麻子本人から、朝からは重いと言われたからだ。

 

 そこで、まどかたちが考案したのは、たまごとほうれん草の軽めのTOGドッグ。

 小さめのパンに、ふんわりした卵、ほうれん草、少しのチーズ。

 温かいスープもついている。

 

 灯里は少し名残惜しそうに言った。

 

「レバニラは朝には重いとの判断でした」

「妥当です」

「匂いも強いですし」

 

 まどかと小走すずが即答する。

 かなえは、道端のチームメンバーに声をかけた。

 

「朝用TOGドッグ、配りまーす!」

 

 ちとせが保温ケースを運び、りんが手際よく包みを渡す。

 沙織が受け取って、目を輝かせた。

 

「おいしい! これ朝にちょうどいい!」

「卵が優しい味ですね」

「戦車移動中に温かい朝食……補給の大切さを実感するであります!」

 

 華と優花里も、それぞれ朝用TOGドッグを口にする。

 みほは、麻子の分を持ってⅣ号の中へ戻った。

 

「冷泉さん、食べられる?」

「……内容による」

「たまごとほうれん草だよ」

「採用」

 

 麻子はゆっくり起き上がり、朝用TOGドッグを受け取った。

 一口食べる。

 

「……悪くない」

 

 灯里は無線越しにそれを聞いて、静かに頷いた。

 

「レバニラでなくても成功です」

「まだレバニラ諦めてなかったの?」

 

 沙織の声が無線越しに聞こえた。

 

「将来的には」

「朝以外でね!」

 

* * *

 

 戦車が町を進むと、思った以上に多くの人が声をかけてきた。

 

 朝早いというのに、家の前や店先に人が出ている。

 

「戦車道復活したんだってな!」

「試合頑張れよー!」

「大洗の名前、見せてこい!」

「気をつけて行ってこいよ!」

 

 子どもたちも手を振っている。

 

「あの長い戦車、なにー?」

「犬の絵が描いてある!」

「かわいい!」

 

 灯里の背筋が、少しだけ伸びた。

 

「聞きましたか」

「可愛いと言われましたね」

「TOGⅡが」

「エンブレムも含めてだと思います」

「つまり、TOGⅡが可愛いということです」

 

 すずが操縦席で小さく笑う。

 

「戸郷さん、すごく満足そうですね」

「ふっ……分かる子たちです」

 

 かなえが無線席で言った。

 

「TOGⅡ、町の人気者ですね」

「当然です」

 

 りんが包み紙を整理しながら言う。

 

「次から子ども向けの小さいTOGドッグも作りますか?」

「採用です」

 

 灯里は即答した。

 ちとせが頷く。

 

「ミニTOGドッグですね」

「素晴らしい響きです」

 

 戦車道の試合前だというのに、Fチームの車内は少しだけ屋台会議になっていた。

 

 けれど、その空気は悪くなかった。

 

 緊張しすぎない。

 でも、戦う準備はする。

 

 それが今の大洗には合っている気がした。

 

* * *

 

 学園艦から陸へ降りると、景色が変わった。

 

 茨城県大洗町。

 港。

 道路。

 町並み。

 

 そして、一般車に混じって移動する戦車たち。

 

 普通の車の横を、Ⅳ号が走る。

 八九式が走る。

 金色の38(t)が走る。

 ピンクのM3リーが走る。

 赤い三突が走る。

 

 そして、TOGⅡが走る。

 

 いや、走るというより進む。

 

 ゆっくり、長く、存在感を放ちながら進む。

 

 灯里は内心で呟いた。

 

 自動車に紛れるTOGⅡ。

 

 紛れていない。

 まったく紛れていない。

 

「すみません。TOGⅡです」

 

 また心の中で謝った。

 それでも、町の人たちは笑顔で手を振ってくれる。

 

 戦車道が、この町に受け入れられているのだと感じた。

 

 みほもⅣ号の車長席から、その光景を見ていた。

 沙織が無線で明るく言う。

 

『みほ、すごいね。みんな応援してくれてる』

「うん……」

 

 みほの声は、少しだけ震えていた。

 怖さではなく、驚きに近い。

 

 戦車道が、誰かに責められるものではなく、応援されるものとしてそこにある。

 

 それは、みほにとっても新鮮だったのかもしれない。

 

『温かい町ですね』

『大洗の皆さんの期待を背負っているのであります!』

『朝は嫌いだが、朝食は悪くなかった』

『そこなんだ』

 

 華、優花里、麻子、沙織の声が続く。

 いつものやり取り。

 

 けれど、その向こうには確かに町の声があった。

 

* * *

 

 少し進んだところで、灯里は後ろを振り返った。

 

 そこには、大洗女子学園艦があった。

 

 巨大だった。

 

 頭では知っていた。

 この世界の学園艦が、常識外れに大きいことは。

 

 けれど、陸から振り返って見ると、改めてその大きさがよく分かる。

 町の向こうに、船というより都市が浮かんでいる。

 

「……大きいですね」

 

 灯里は思わず呟いた。

 かなえが外を見て言う。

 

「学園艦って、やっぱりすごいですね」

「TOGⅡより大きいです」

「比べる対象がおかしいです」

「でも、TOGⅡより大きいです」

「それはそうです」

 

 すずが即座に返す。

 

 その時、進行方向の横に、さらに巨大な影が見えた。

 

 聖グロリアーナ女学院の学園艦。

 

 大洗女子学園艦より、さらに大きく見える。

 二倍以上、とまでは正確には分からない。

 

 けれど、圧倒されるほどの存在感があった。

 

 灯里はしばらく見つめた。

 胸の奥が、またざわつく。

 

 あそこに、自分はいた。

 

 赤い制服を着て。

 

 紅茶の香りの中で。

 

 誰かに「ルイボス」と呼ばれて。

 

 でも、今は大洗の制服を着て、TOGⅡに乗っている。

 

 その事実が、少し不思議だった。

 

 沙織の声が無線に入る。

 

『あれ、聖グロの学園艦? 大きくない!?』

 

 優花里が興奮気味に答える。

 

『聖グロリアーナ女学院は名門校でありますから、学園艦の規模も大きいのでしょう!』

『朝から大きいものばかりだな』

『たしかに、今日は驚くことばかりですね』

 

 麻子と華の声が続く。

 みほは少しだけ黙ってから、静かに言った。

 

『もうすぐ、試合会場だね』

 

 その声に、緊張が混ざっていた。

 

 灯里は前を見る。

 

 試合会場へ向かう道。

 大洗の戦車たちが、それぞれの色をまとって進んでいく。

 

 金色。

 赤。

 ピンク。

 バレー部復活の文字。

 ボコのぬいぐるみを乗せたⅣ号。

 

 そして、長いダックスフンドを描いたTOGⅡ。

 

 町の人たちの声援を背に受けながら、未熟な大洗女子学園戦車道チームは、初めての対外試合へ向かっていた。

 

 相手は聖グロリアーナ女学院。

 

 全国大会準優勝経験を持つ強豪校。

 

 そして、灯里がかつていた場所。

 

「Fチーム」

 

 灯里は通信機に向かって言った。

 

「まもなく会場です。朝食の片付けと、車内確認をお願いします」

「了解です」

 

 まどかが答える。

 すずが操縦桿を握り直す。

 

「TOGⅡ、ゆっくり進みます」

「各車、会場方向へ移動中。町の応援、多数です」

「朝食配布、完了です」

「ミニTOGドッグ案、あとで詰めます」

 

 かなえ、ちとせ、りんが続く。

 灯里は小さく頷いた。

 

「はい。あとで」

 

 今は、試合だ。

 

 TOGⅡの長い車体が、朝の光の中を進んでいく。

 

 聖グロの巨大な学園艦を横目に、大洗の戦車たちは会場へ向かった。

 

 そして、灯里の胸の奥で。

 

 赤い制服の記憶が、少しずつ、輪郭を取り戻し始めていた。

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