『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第13話「聖グロリアーナ、現る」

 TOGⅡが試合会場に着くころには、もうあちこちに人が集まっていた。

 

 町の人たちの声や、スタッフの合図、遠くで動く戦車の履帯音が、朝の空気に混ざっている。

 潮の匂いを含んだ風が、TOGⅡの車長席まで入り込んできた。

 

 戸郷灯里はハッチから顔を出し、大洗女子学園の車両を見渡す。

 

 金色の38(t)。

 バレー部復活の文字を背負った八九式。

 赤いIII号突撃砲。

 ピンクのM3リー。

 ボコのぬいぐるみを乗せたⅣ号。

 

 そして、自分の足元には、長すぎるTOGⅡ。

 

 側面には、ダックスフンドがパンに挟まったホットドッグ風のエンブレムが描かれている。

 戦車としてどうなのかと聞かれると、少しだけ答えに困る。

 

 でも、大洗らしいかと聞かれれば、かなり大洗らしい。

 

「……ばらばらですね」

 

 無線手席の呼子かなえが、車内から外を見上げて言った。

 

「はい。ばらばらです」

 

 灯里は頷く。

 

「でも、今はそれが大洗です」

「いいこと言ってるようで、結構そのままですね」

「事実なので」

 

 砲手席の火野まどかが、照準器周りを確認しながら小さく息を吐いた。

 

「事実を言う時の戸郷さん、たまに妙に堂々としていますよね」

「TOGⅡに乗っていますから」

「理由になっていますか?」

「気分的には」

 

 そのやり取りで、車内の緊張が少しだけ緩む。

 

『これより、大洗女子学園対、聖グロリアーナ女学院の親善試合を行います』

 

 会場アナウンスが響いた。

 

 その声を聞いた瞬間、今度は全員の表情が少し引き締まる。

 

「本当に始まるんですね」

 

 かなえが、無線機に手を添えたまま呟いた。

 

「はい」

 

 灯里は頷く。

 

「相手は聖グロです。強いです」

「戸郷さんの元いた学校、ですよね」

「……はい。たぶん」

「たぶん、ですか」

 

 まどかが落ち着いた声で聞き返す。

 

「まだ全部は思い出せていません。でも、名前を聞くだけで、少し胸がざわつきます」

 

 操縦手席の小走すずが、少しだけこちらを振り返った。

 

「無理しないでくださいね」

「ありがとうございます。でも、今は試合です」

 

 灯里は前を見る。

 

 TOGⅡの長い車体の先に、試合会場が広がっている。

 

「TOGⅡも、聖グロ相手に恥ずかしくないように動きましょう」

 

 装填手の米倉ちとせが、砲弾の固定を確認しながら言った。

 

「朝ごはんも配りましたし、準備はできています」

「車内動線も確認済みです」

 

 早見りんも頷く。

 

「あと、ホットドッグの片付けも終わっています」

「そこも大事です」

「戦車道の試合前に確認することですか?」

「Fチームでは確認事項です」

 

 まどかの冷静なツッコミに、灯里は真顔で返した。

 

 長い車体の中に、六人の声がある。

 灯里は、それを少し不思議な気持ちで聞いていた。

 

 もう一人ではない。

 

 TOGⅡは、Fチームの戦車だった。

 

 Aチームの無線から、武部沙織の少し上ずった声が聞こえてくる。

 

『うわあ……本当に他校と試合するんだ』

『空気が、いつもの練習とは違いますね』

『聖グロリアーナとの親善試合……感無量であります!』

『朝が早い』

『麻子、それは今じゃないよ』

 

 灯里は、少しだけ口元を緩めた。

 Aチームの明るさが、無線越しにこちらまで届いてくる。

 

 けれど、その奥で、西住みほの声だけは静かだった。

 

『大丈夫。まずは、落ち着いていこう』

 

 隊長の声。

 

 まだ慣れていないはずなのに、みほはもう大洗を前に進めようとしている。

 

 灯里は通信機を見つめ、小さく息を吐いた。

 

 自分は、その指揮を奪わない。

 必要な場所で支える。

 

 それが、今の自分の役割だ。

 

 やがて、会場の向こう側から、低い履帯音が聞こえてきた。

 

 灯里は、自然と背筋を伸ばす。

 

 見える前から分かる。

 音が揃っている。

 間隔が乱れない。

 焦っていない。

 

 聖グロリアーナ女学院。

 

 その名前を胸の中で呟いた瞬間、灯里の中で何かが小さく揺れた。

 

 先頭に見えたのは、重厚なチャーチル歩兵戦車。

 その後ろに、マチルダIIがきれいに続いている。

 

 一両。

 二両。

 三両。

 四両。

 五両。

 

「……マチルダが五両」

 

 口に出してから、灯里は自分の声が少し硬いことに気づいた。

 

 記憶の中の原作とは、少し違う。

 いや、違って当然だ。

 

 この大洗には、TOGⅡがいる。

 自分がいる。

 

 聖グロは、ちゃんとこちらを見ている。

 

『チャーチル歩兵戦車に、マチルダIIが五両……! まさに聖グロリアーナらしい重厚な編成であります!』

『なんか……並び方からして強そうなんだけど』

『とても整っていますね』

『硬そうだな』

 

 優花里、沙織、華、麻子の声が無線越しに続いた。

 

 灯里は思わず通信に入る。

 

「硬いです。ゲームでも……いえ、資料でも硬いです」

『今、ゲームって言いかけなかった?』

「気のせいです」

 

 かなえがFチーム内で小さく笑う。

 

「戸郷さん、少し動揺しています?」

「少しだけです」

「聖グロだからですか?」

「それもあります」

 

 灯里は、聖グロの隊列を見つめた。

 

 綺麗だった。

 

 速いわけではない。

 でも、乱れない。

 チャーチルを中心に、マチルダIIが同じ呼吸で前へ出てくる。

 

 戦車が並んでいるというより、ひとつの作法のようだった。

 

 その動きを見ていると、胸の奥に古い感覚が浮かび上がる。

 

 赤い制服。

 紅茶の香り。

 整列する戦車。

 誰かの声。

 

 そして、もうひとつ。

 

 灯里は、今この編成の中にいない車両を思い浮かべた。

 

 クルセイダー巡航戦車。

 

 もっと軽い履帯音。

 もっと速い車体。

 もっと騒がしい声。

 

『ルイボス先輩! TOGⅡって本当に速くならないんですかー!?』

『なりません』

『えーっ! 英国戦車なのにー!?』

『英国戦車だからです』

『あの人、速さという概念に喧嘩を売っていますわー!』

 

 灯里は瞬きをした。

 

 今の声は、誰だったのだろう。

 まだ分からない。

 

 けれど、懐かしい。

 

「戸郷さん?」

 

 まどかの声で、灯里は車内に戻ってきた。

 

「大丈夫ですか?」

「はい。今、少しだけ変なことを思い出しました」

「変なことですか」

「TOGⅡが速くならないことについて聞かれていました」

「変ですね」

「はい。かなり変です」

 

 すずが小さく笑う。

 

「でも、戸郷さんっぽいです」

「褒めていますか?」

「たぶん」

 

 大洗側と聖グロリアーナ側の戦車が所定の位置に停まると、代表者たちが顔合わせのために前へ出ることになった。

 

 大洗側からは、隊長のみほ、生徒会の河嶋桃、そして補佐として灯里。

 杏と柚子は少し離れて見守っている。

 

 灯里はTOGⅡから降りた。

 

 車内の鉄と機械の匂いから離れると、朝の空気が少しだけ冷たく感じる。

 

 向こう側から、ダージリンが歩いてきた。

 隣にはオレンジペコがいる。

 

 優雅で、静かで、隙がない。

 

 紅茶の香りがするはずのない会場で、灯里は一瞬、湯気の向こうにその人を見た気がした。

 

 知っている。

 

 この人を、自分は知っている。

 たぶん、遠くから見ていたのではない。

 もっと近くで。

 声が届く距離で。

 

 桃が緊張した様子で口を開く。

 

「本日は、急な申し込みにも関わらず、練習試合をお受けいただき――」

「構いませんことよ。親善試合は、戦車道の華ですもの」

 

 ダージリンは穏やかに微笑んだ。

 

 その声で、灯里の胸の奥が小さく鳴る。

 

 知っている。

 この声を、紅茶の湯気越しに聞いたことがある。

 

 ダージリンは大洗の戦車たちを静かに眺めた。

 金色の38(t)。

 ピンクのM3リー。

 赤いIII号突撃砲。

 バレー部復活と書かれた八九式。

 

 そして、ダックスフンドホットドッグを大きく描いたTOGⅡ。

 

 その視線が、TOGⅡで止まる。

 

「ずいぶん個性的な戦車をお持ちですのね」

 

 桃が少し気まずそうに咳払いをした。

 

「そ、その……大洗らしさというか……」

 

 灯里は一歩前に出る。

 

「TOGⅡです」

 

 ダージリンは、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「ええ。見れば分かりますわ」

 

 その言い方は、初めて見る相手へのものではなかった。

 

 まるで、昔から知っている癖を見つけたような声。

 

 オレンジペコが、灯里の顔を見て、わずかに目を見開く。

 

「……まさか」

 

 その小さな声に、灯里の胸がまた揺れた。

 

 ダージリンは、今度は灯里を見る。

 そして、静かに言った。

 

「それに……大洗には、懐かしい茶葉が混ざっているのね」

 

 茶葉。

 

 その言葉が、灯里の中で、鍵のように回った。

 

 ダージリンは微笑む。

 

「お久しぶりね、ルイボス」

 

 世界の音が、一瞬だけ遠くなる。

 

 赤い制服。

 白いカップ。

 紅茶の香り。

 

 陽の差す部室。

 

 優雅にカップを持つダージリン。

 その隣で、静かに紅茶を注ぐオレンジペコ。

 そして、少し困ったように立っている自分。

 

『優秀な生徒には、茶葉の名をつけることがありますの』

『でしたら……ルイボスティーで』

『ルイボス? 紅茶ではなくて?』

『好きなので』

『あなた、面白い子ね』

 

 ダージリンが微笑む。

 

『では、ルイボスと呼びましょうか』

 

 オレンジペコが、小さく首を傾げる。

 

『ルイボスさん、ですか』

『はい。覚えやすいと思います』

『ええ、とても』

 

 灯里は、喉の奥でその名前を転がした。

 

「……ルイボス」

 

 自分は、そう呼ばれていた。

 

 聖グロリアーナで。

 赤い制服を着て。

 

 戦車道をしていた。

 

 一年生ながら、期待されていた。

 ダージリンからも、見込まれていた。

 

 そこまでは、思い出せた。

 

 けれど。

 

 なぜ転校したのか。

 最後に誰と何を話したのか。

 

 そこだけが、まだ霧の向こうにある。

 

「戸郷さん、大丈夫?」

 

 みほの声で、灯里は会場に戻ってきた。

 

 チャーチル。

 マチルダ。

 大洗の車両。

 TOGⅡ。

 

 全部が、今の現実として目の前にある。

 

「はい」

 

 灯里はゆっくり頷いた。

 

「少しだけ……戻りました」

 

 遠くから沙織が不思議そうに呟く。

 

「ルイボス?」

「戸郷さんの、聖グロ時代のお名前でしょうか」

「聖グロリアーナでは、優秀な生徒に茶葉の名を与えることがあると聞いたことがあります!」

 

 華が静かに言い、優花里の声が少しだけ真面目になる。

 

 桃が驚いたように灯里を見た。

 

「戸郷、お前……やはり聖グロでかなりの実力者だったのか?」

 

 灯里は少し困った。

 

「思い出しきれていません。ただ、そう呼ばれていたことは、思い出しました」

 

 ダージリンは、責めるでもなく、懐かしむように微笑んでいる。

 オレンジペコも、静かに灯里を見ていた。

 

「ルイボスさん……本当に、大洗にいらしたんですね」

 

 その声は、驚きよりも安心に近かった。

 

 灯里は、少しだけ頭を下げる。

 

「まだ、全部は思い出せません。でも……お久しぶりです。オレンジペコさん」

 

 名前は自然に出た。

 それが、自分でも不思議だった。

 

 オレンジペコは柔らかく微笑む。

 

「はい。お久しぶりです」

 

 ダージリンは、TOGⅡを見上げた。

 

「大洗でTOGⅡに乗っていると聞いた時は、少し驚きましたわ」

「……私も、まだ全部は思い出せません」

 

 灯里は、TOGⅡを振り返る。

 

 長い車体。

 大洗の車両として描かれたエンブレム。

 まだ正式名ではない、Fチーム。

 

「でも、今は大洗の戸郷灯里です」

 

 ダージリンは静かに頷いた。

 

「ええ。そのようですわね」

 

 そして、TOGⅡを見て言う。

 

「とてもあなたらしい戦車ですわ」

 

 その言葉が、胸に残った。

 

 まだ全部は思い出せない。

 けれど、その一言だけで分かることもある。

 

 この人は、昔の自分を知っている。

 TOGⅡに執着していた自分を、きっと知っている。

 

 ダージリンは、みほの方へ視線を移した。

 

「西住さん。あなたが大洗の隊長ですのね」

 

 みほは少し緊張しながら頷く。

 

「はい。よろしくお願いします」

 

 ダージリンは穏やかに微笑んだ。

 

「どんな相手にも、手は抜きませんわ」

 

 その声は優しい。

 けれど、甘くはない。

 

「サンダースであろうと、プラウダであろうと、大洗であろうと。戦車道に立つ以上、相手は対等ですもの」

 

 みほは、少しだけ背筋を伸ばした。

 

「はい」

 

 灯里も、その言葉に聖グロらしさを感じていた。

 

 相手を見下さない。

 格下だからと油断しない。

 紅茶のように落ち着いて、最後まで自分たちの戦車道を貫く。

 

 それが、ダージリンの聖グロ。

 

 自分は、そこにいた。

 いたはずなのだ。

 

 ダージリンは少しだけカップを持つような仕草をして、言った。

 

「お互い、騎士道精神に則り、よい試合にいたしましょう」

 

 みほが頭を下げる。

 

「よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします」

 

 桃と灯里も続いて一礼する。

 

 するとダージリンは、ほんの少しだけ灯里を見た。

 

「楽しみにしていますわ、ルイボス」

 

 そこで、少しだけ言葉を止める。

 

「いえ――戸郷さん」

 

 灯里は目を見開いた。

 

 その呼び直しは、過去を消すものではなかった。

 聖グロのルイボスを忘れたわけでもない。

 

 ただ、今ここに立っている自分を見てくれている。

 

 大洗の戸郷灯里。

 TOGⅡの車長。

 Fチームの一人。

 

 灯里は、静かに頷いた。

 

「はい」

 

 みほは、そのやり取りを見ていた。

 

 ダージリンは灯里を知っている。

 灯里も、まだ思い出しきれていないだけで、聖グロを知っている。

 

 そして、灯里は今、大洗にいる。

 

 自分と同じように。

 

 みほは、少しだけ胸の奥が揺れるのを感じたように見えた。

 

 審判が前に出た。

 

『それでは、これより大洗女子学園対、聖グロリアーナ女学院の親善試合を開始します』

 

 両校の生徒たちが、それぞれ整列する。

 

『一同、礼!』

 

「よろしくお願いします!」

 

 大洗と聖グロの声が、会場に響いた。

 

 礼が終わると、それぞれの車両へ戻っていく。

 

 みほはⅣ号へ向かいながら、灯里の方を見た。

 

「戸郷さん」

「はい」

「無理しないでね」

「ありがとうございます。西住隊長も」

「隊長って言われると、まだ慣れないな……」

 

 みほは少しだけ笑った。

 灯里も、小さく頷く。

 

 それから、TOGⅡへ戻った。

 

 Fチームの五人が、少し心配そうに待っている。

 まどかが最初に聞いた。

 

「戸郷さん、大丈夫ですか?」

「はい。少し思い出しました」

「聖グロにいた頃のことですか?」

「はい。でも、まだ全部ではありません」

「無理しないでくださいね」

 

 かなえが無線機を確認しながら言った。

 

「ありがとうございます。今は試合に集中します」

「相手は強いんですよね」

「強いです」

「じゃあ、いつもより詰まらせないようにします」

「お願いします」

 

 ちとせとりんが装填位置で頷く。

 

「砲弾、すぐ出せます」

「焼き上がり……じゃなくて、装填準備も大丈夫です」

「試合中にホットドッグ用語が出るの、Fチームらしいですね」

「気をつけます」

 

 灯里は車長席へ入った。

 

 TOGⅡの中は、いつもの鉄と機械の匂いがする。

 

 落ち着く。

 

 赤い制服の記憶も。

 紅茶の香りも。

 ルイボスという名前も。

 

 まだ胸の奥に残っている。

 

 けれど、今の自分が座っているのは、聖グロの部室ではない。

 

 TOGⅡの車長席だ。

 

「Fチーム」

 

 灯里は通信機に向かった。

 

「発進準備」

「Fチーム、発進準備」

 

 かなえが復唱し、すずが操縦桿を握る。

 ちとせとりんが装填位置を確認し、まどかが照準器を覗き込む。

 

「TOGⅡ、ゆっくり行きます」

「はい。先に、必要な場所へ」

 

 聖グロリアーナの隊列は、美しかった。

 そして、重かった。

 

 この動きを、自分は知っている。

 

 けれど、まだ思い出せない。

 

 それでも、今は進む。

 

「Fチーム、発進します」

 

 TOGⅡの長い車体が、ゆっくりと動き出した。

 

 大洗女子学園、初めての対外試合。

 

 相手は、聖グロリアーナ女学院。

 

 そして――。

 

 ルイボスと呼ばれていた少女の記憶が、戦場の中で、少しずつ目を覚まそうとしていた。

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