「……何ですか、これは」
戸郷灯里は、その場で固まっていた。
目の前にあるのは、ピンク色だった。全身を覆う、やけに鮮やかなピンク色のスーツ。手の部分には魚のヒレのようなものがあり、頭にはアンコウの提灯らしき飾りがついている。さらに、妙に主張の強い目玉までついていた。
戦車道の装備ではない。
少なくとも、灯里の知っている戦車道に、こんな装備は存在しない。
「あの、会長」
西住みほが、おそるおそる手を上げた。
「これ……何ですか?」
「何って、あんこうスーツ」
「そのままなんですね……」
思わず灯里の声が漏れた。
河嶋桃が、眼鏡を光らせながら一歩前に出る。
「負けた責任は、きっちり取ってもらう」
「責任という言葉の意味が、今までで一番恐ろしいです」
「それに、これはAチームだけの問題ではない」
「え」
嫌な予感がした。
とても嫌な予感がした。
角谷杏が、こちらを見た。
「戸郷ちゃんも補佐でしょ?」
「補佐です」
「じゃあ連帯責任ね」
「補佐の責任範囲が急に広いです」
「大洗ではよくあることだよー」
「大洗、怖いですね」
隣を見ると、武部沙織が顔を引きつらせていた。
「え、これ着るの? 本当に?」
「なかなか個性的なお衣装ですね」
「こ、これは……魚類を模した士気高揚用装備、ということでしょうか」
「帰る」
「麻子、逃げちゃダメ!」
五十鈴華は少し困ったように微笑み、秋山優花里は何とか前向きに捉えようとしている。冷泉麻子は無言で一歩下がり、沙織に腕を掴まれた。
その横で、みほはピンク色のスーツを見つめていた。
そして、数秒後。
「……やるしか、ないんだよね」
覚悟を決めた顔だった。
灯里はそれを見て、胸の奥で何かが決まるのを感じた。西住さんが覚悟を決めている。ならば、補佐である自分も逃げるわけにはいかない。
いや、逃げたい。
すごく逃げたい。
でも、TOGⅡの車長として、そして大洗女子学園戦車道チームの補佐として。ここで背を向けるわけには――。
「車長」
後ろから火野まどかの声がした。
振り返ると、Fチームの五人が並んでいた。まどかは、いつもの落ち着いた顔で言う。
「頑張ってください」
「止めてはくれないんですね」
「車長ならできます」
「すずさん、目を逸らしながら言わないでください」
小走すずが親指を立てる。呼子かなえは、どこから出したのかメモ帳を構えていた。
「記録しておきます。Fチーム活動記録、戦車道以外の初任務」
「記録しないでください」
「終わったら何か食べましょう」
「TOGドッグ、作ります?」
「今はホットドッグより、私の尊厳が焼かれそうです」
米倉ちとせが優しく言い、早見りんも頷く。まどかが淡々と言った。
「連帯責任なら、車長が代表でお願いします」
「Fチームの結束を、今日ほど冷たく感じたことはありません」
こうして、灯里はAチームと一緒に、ピンク色の謎スーツを着ることになった。
試合に負けた悔しさ。
聖グロの記憶が戻った余韻。
ダージリンとの再戦の予感。
それらすべてが、ピンク色の布地の中に吸い込まれていく。
大洗女子学園、恐ろしい学校である。
* * *
道路の上を、トレーラーがゆっくりと進んでいた。
その荷台の上に、灯里たちはいた。Aチームの五人。生徒会の三人。そして、なぜか灯里。つまり、合計九人のピンク色のアンコウが、町の中を運ばれている。
「……見られてます」
灯里は、前方を見ながら呟いた。
沿道の人たちが、こちらを見ている。子どもが指を差している。お年寄りが手を振っている。商店街の人が笑っている。
敵に見られた時の第六感とは違う。
これは、もっと別のものだ。
社会的な意味で、見られている。
頭の中に電球ではなく、羞恥心の赤ランプが灯った気がした。
音楽が流れ始める。
あんこうの歌。
軽快で、妙に耳に残る曲。
そして、その曲に合わせて、杏が平然と踊り出した。桃も踊る。小山柚子も、恥ずかしそうながら踊る。
みほが小さく息を吸った。
「い、いきます」
「はい」
灯里も頷く。
「もー! やるしかないんだよね!?」
「こ、これも戦車道の一環であります……!」
「無になればいい」
「こういう舞も、あるのですね」
「たぶん、ありません」
沙織は悲鳴に近い声を上げ、優花里は自分に言い聞かせている。麻子は無表情で、華だけはなぜか所作が綺麗だった。
振り付けは知らないはずだった。
少なくとも、灯里はこの世界に来てから、こんな踊りを練習した覚えはない。
なのに。
体が動く。
手のヒレを振る。
足を動かす。
提灯を揺らす。
「知らないはずなのに……体が……!」
「戸郷さんも分かるの!?」
「これはきっと、TOGⅡの加護です」
「絶対違う」
沙織が驚き、麻子が即答した。
だが、今の灯里にはそれ以外の説明がつかない。TOGⅡは長い。TOGⅡは重い。TOGⅡは遅い。だが、きっと踊りにも何らかの加護を与えてくれる。そう信じないと、今の状況を受け入れられなかった。
ふと横を見ると、Cチームのうち二人が太鼓を叩いていた。
なぜ太鼓があるのか。
なぜそんなに様になっているのか。
エルヴィンが高らかに言う。
「これぞ大洗の士気高揚である!」
「進め、あんこう軍団!」
「軍団名としてはかなり弱そうです!」
カエサルも続く。灯里の叫びは、あんこうの歌にかき消された。
その時だった。
視線を感じた。
今度は、社会的な視線ではない。
もっと優雅で、紅茶の香りがしそうな視線。
まさか、と思って顔を向ける。
少し離れた場所に、聖グロリアーナの面々がいた。
試合後の帰り支度をしている最中だったのだろう。停車した車両のそばに、ダージリン、オレンジペコ、アッサム、そして控えのクルセイダー隊が並んでいる。
つまり。
見られている。
よりにもよって、聖グロに。
「……」
終わった。
灯里の聖グロ時代の品位が、今、完全に終わった。
「ダ、ダージリン様!?」
思わず声が裏返る。
「まだいらしたんですか!?」
ダージリンは、優雅に微笑んだ。
「ええ。出発前に、良いものが見られたわ、ルイボス」
「次から戸郷灯里でお願いします! 今この姿でルイボスはつらいです!」
オレンジペコが、口元を押さえていた。肩が小さく震えている。笑いをこらえている。とてもこらえている。
アッサムは資料を開きかけて、少しだけ手を止めた。
「大洗の士気回復行動……いえ、罰ゲームですね」
「記録しないでください、アッサムさん!」
「分類には困ります」
「分類しなくていいです!」
ダージリンは、まるで名画を見るような目でこちらを見た。
「大洗には、ずいぶん個性的な戦後処理があるのね」
「これは大洗の罰ゲームです!」
「そう。けれど、どんな姿でも、あなたはあなたよ」
「今だけはその言葉が重いです!」
みほも真っ赤になっていた。沙織は半泣き。優花里はなぜか敬礼しながら踊っている。麻子は無の境地。華は優雅。
灯里は、心の中でTOGⅡに謝った。
ごめんなさい。
あなたの車長は今、アンコウです。
さらに少し離れた場所から、やけに明るい声が飛んだ。
「ルイボス先輩ー! 次はクルセイダー隊も一緒に踊りますのー!?」
ローズヒップだった。
「踊りません!」
灯里は即答した。
「なら、次はもっと速い踊りを覚えましょうですわー!」
「TOGⅡは高速舞踊に対応していません!」
沙織が横で叫ぶ。
「何この会話!?」
あんこうの歌は、まだ終わらない。
灯里は思った。
聖グロの記憶は戻った。
けれど、今の自分は大洗にいる。
それを、ここまで全身で思い知らされるとは思わなかった。
踊り終わった時、灯里たちは燃え尽きていた。
戦車道の試合より疲れた気がする。少なくとも、精神的な損耗は今日最大だった。
杏は満足そうに頷いた。
「いやー、よかったよかった」
「これで責任は果たしたな」
「果たしたくなかった……」
桃も腕を組んでいる。沙織は肩を落とした。柚子は申し訳なさそうだった。
「ごめんね、みんな……」
杏は気にした様子もなく言う。
「じゃ、夕方まで自由行動ね。学園艦が出る前には戻ってきてよー」
その言葉に、空気が少し軽くなった。
せっかく陸に降りているのだ。試合で疲れてはいるが、自由時間は貴重である。
みほたちは、町でショッピングをするらしい。麻子は、祖母に顔を見せに行くという。
灯里は少し迷ったが、Fチームの方を見た。
「皆さん、どうしますか?」
「せっかくなので、食材調査をしたいです」
「TOGドッグ改良案ですね!」
「長いパンを探したいです」
「ソーセージの種類も確認したいですね。今のレシピは悪くありませんが、改善の余地があります」
かなえ、りん、ちとせ、まどかが順に言う。
すずは少し考えてから言った。
「あと、町の道幅も見たいです。TOGⅡが通れそうなところと、絶対無理なところ」
「TOGⅡはどこでも行けます」
「嘘です」
すずに即答された。
こうして、灯里たちはAチームとは別行動を取り、大洗の町を歩くことになった。
* * *
陸地の町は、学園艦とは違う匂いがした。
潮風。
焼き物の匂い。
揚げ物の香り。
人の声。
車の音。
戦車に乗って通った時とは違い、自分の足で歩くと、町の距離感がよく分かる。
「この道は、TOGⅡだと厳しいですね」
すずが道幅を見ながら言う。
「曲がり角で詰まります」
「TOGⅡは詰まるのではありません。町がTOGⅡを受け止めきれないだけです」
「それを詰まるって言います」
まどかが、パン屋のショーケースを見ながら言う。
「この長いパン、使えそうですね」
「本当だ。TOGドッグ用にちょうどいいかも」
「こっちのパン、少し硬めです。ソーセージを挟んでも崩れにくそう」
「パン候補、二種類。価格、要確認。大量購入できるかも聞きます」
りんが身を乗り出し、ちとせは別の棚を見ていた。かなえがメモを取る。
灯里は少し感動していた。
戦車道の自由時間なのに、Fチームはとても自然に食材調査をしている。
この人たちは、本当に頼もしい。
「皆さん、すごいですね」
「給食部専攻ですから」
まどかは淡々と答えた。
「食材を見るのは基本です」
商店街を歩いていると、町の人たちが声をかけてくれた。
「今日の試合、見てたよ!」
「あの長い戦車、あんたたちのかい?」
「すごかったねえ、道いっぱいだったよ!」
灯里は胸を張った。
「はい。TOGⅡです。長くて可愛いです」
「可愛い……?」
すずが横で首を傾げる。
お肉屋さんでは、試作用のソーセージを見せてもらえた。
「ホットドッグにするなら、こっちの太いやつもいいぞ」
「太い……」
灯里は真剣に考えた。
「TOGⅡの砲塔を表現するなら、太さも重要ですね」
「車長、食べ物です」
かなえが冷静に止める。
魚屋さんでは、あんこうの話になった。
「今度はあんこうドッグでも作るか?」
その瞬間、灯里たちの顔が少しだけ曇った。
「すみません。今日はあんこうという単語が少し心に刺さります」
「何かあったのかい?」
「いえ、尊厳が少し」
店の人はよく分からなさそうだった。
それでも、大洗の人たちは温かかった。戦車道が復活したことを喜んでくれる人。負けてもよく頑張ったと言ってくれる人。次は勝てよと笑ってくれる人。
大洗女子学園は、学園艦だけで浮いているわけではない。
ちゃんと、町と繋がっている。
そう感じられる時間だった。
その途中だった。
「――戦車なんて」
どこかから、声が聞こえた。
冷たい声だった。
「みんな、鉄屑になってしまえばいいのよ……」
灯里は足を止めた。
まどかが気づく。
「戸郷さん?」
「どうしました?」
かなえもこちらを見る。
灯里は周囲を見回した。今の声。どこから聞こえたのか分からない。人通りの向こう。店の陰。あるいは、少し離れた建物の方。
姿は見えない。
でも、確かに聞こえた。
戦車なんて、みんな鉄屑になってしまえばいい。
灯里は静かに言った。
「今、TOGⅡの悪口を言っている人がいました」
「たぶんTOGⅡ限定ではないと思います」
「戦車全体への悪口は、TOGⅡへの悪口も含みます」
すずが目を瞬かせる。まどかが頷いた。
「理屈としては間違っていませんが、落ち着いてください」
「はい」
灯里は深呼吸した。
怒りというより、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
誰の声だったのだろう。
戦車を嫌う人がいる。
それは、別におかしなことではない。
戦車道がある世界でも、全員が戦車を好きなわけではない。むしろ、嫌う理由がある人もいるのだろう。
でも。
あの声は、ただ嫌っているだけではなかった。
何かを切り捨てるような声だった。
「車長?」
ちとせが心配そうに見る。
灯里は小さく首を振った。
「大丈夫です。行きましょう」
けれど、その声は、夕方になっても頭の片隅に残っていた。
* * *
夕方。
灯里たちは、買い込んだ食材やメモを抱えて、学園艦へ戻る場所へ向かった。
Fチームは、比較的余裕を持って戻れた。
「時間管理は大事です」
「注文管理と同じですね」
「自由行動も業務の一部みたいになっていますね」
「Fチームですから」
かなえが言う。
理由になっているようで、なっていない。
しばらくして、Aチームも戻ってきた。
かなりギリギリだった。
「間に合ったぁー!」
「危なかったであります!」
「間に合ったなら問題ない」
沙織が息を切らし、優花里も荷物を抱えていた。麻子は眠そうだった。みほは少し困ったように笑っている。
そして、華。
灯里は、彼女の表情に気づいた。いつものような穏やかな笑顔ではある。けれど、少し暗い。花が水を失ったような、静かな影があった。
そういえば、五十鈴さんは花道の家の人だった。
昼間に聞いた声が、ふと蘇る。
戦車なんて、みんな鉄屑になってしまえばいいのよ。
まさか。
灯里は華を見た。
けれど、何も言わなかった。
今ここで踏み込むべきではない。
少なくとも、それは自分が最初に聞くことではない。
みほも、華の様子に気づいているようだった。
けれど、華は小さく微笑んで言う。
「少し、歩き疲れてしまいました」
それ以上は、誰も聞かなかった。
学園艦は、夕方の光の中で出航の準備をしていた。灯里たちは、それぞれの荷物と、今日一日の疲れを抱えて、大洗女子学園へ戻った。
* * *
学園へ戻ると、校舎の前にDチームが待っていた。
澤梓を中心に、一年生たちが並んでいる。
みほが少し驚いた顔をした。
「みんな……?」
澤が、一歩前へ出る。
「西住先輩!」
そして、勢いよく頭を下げた。
「今日は、すみませんでした!」
他の一年生たちも続く。
「戦車、置いて逃げちゃって……」
「怖くなって……」
「迷惑かけました……」
みほは、慌てて首を振る。
「そんな、謝らなくても……」
でも、一年生たちは真剣だった。
澤が顔を上げる。
「でも、最後の西住先輩、すごくかっこよかったです」
「え……」
「聖グロ相手に、最後まで戦って、一対一みたいなところまで持ち込んで……すごいと思いました」
別の一年生も言う。
「次は、逃げません」
「ちゃんと乗ります」
「もっと頑張ります!」
みほは、少しだけ目を見開いた。
それから、優しく笑った。
「うん。一緒に頑張ろう」
その言葉に、一年生たちの顔が明るくなる。
灯里は横から見ていて、胸が少し温かくなった。
怖くなるのは当然だ。初めての試合。しかも相手は聖グロリアーナ。逃げ出したことを責めるのは簡単だ。でも、戻ってくる方がずっと難しい。
灯里は一歩前に出た。
「怖くなるのは普通です」
一年生たちがこちらを見る。
「私も、今日の試合で何度も怖いと思いました。TOGⅡは大きいので、目立ちますし、遅いですし、逃げにくいです」
「そこは事実ですね」
すずが小声で言う。
「ですが」
灯里は続ける。
「次に戻ってこられるなら、それで十分です。戦車道は、一回で上手くなるものではありませんから」
澤が、しっかりと頷いた。
「はい!」
その時だった。
「ふむ」
背後から桃の声がした。
振り返ると、生徒会の三人が立っていた。杏はいつものように軽い顔。柚子は少し安心した表情。桃は腕を組んでいる。
「というわけで」
杏が言った。
「これからの作戦は、西住ちゃんに任せるよー」
「えっ?」
みほが固まった。
「私、ですか?」
「うん」
杏は軽く頷く。
「今日の最後、よかったよ。ちゃんと考えて、ちゃんと動いてたし」
桃も、少し悔しそうにしながら言う。
「まあ、私の作戦を破棄したことについては思うところもあるが……結果として、最後の判断は悪くなかった」
「桃ちゃん、素直じゃないなー」
「会長!」
柚子が苦笑する。
「でも、みんなも西住さんの指示なら動きやすかったと思うし……」
みほは戸惑っていた。
「でも、私……」
灯里は、その横で静かに言った。
「私も、西住さんが隊長でいいと思います」
みほがこちらを見る。
「戸郷さん……」
「今日、最後まで大洗を動かしていたのは西住さんです。私は補佐で十分です」
「でも、戸郷さんも……」
「私が隊長をすると、TOGⅡの話が長くなります」
「え?」
「TOGⅡは長いので、指揮まで長くなると通信が渋滞します」
沙織が苦笑した。
「理由そこなんだ……」
「ですが、戸郷殿の補佐は心強いであります!」
「車長は補佐くらいがちょうどいいと思います」
「まどかさん、少し刺さります」
「褒めています」
「本当に?」
優花里が力強く頷き、まどかが後ろから言う。
杏は笑った。
「じゃ、決まりね。隊長は西住ちゃん。戸郷ちゃんは補佐」
みほは、少し不安そうに周りを見た。
沙織が笑う。
「大丈夫だよ、みほ」
「西住さんなら、きっと」
「無理なら手伝う」
「西住殿が隊長であります!」
華、麻子、優花里も続く。一年生たちも声を上げた。
「お願いします、西住先輩!」
みほは、困ったように笑った。けれど、その表情には、どこか覚悟があった。
「……うん」
小さく、でも確かに。
「頑張ります」
その瞬間、大洗女子学園の戦車道が、少しだけ形を変えた気がした。
聖グロ戦で負けた。
でも、その負けは、ただの敗北ではなかった。
* * *
「それと、これ」
杏が、今度は小さな箱を取り出した。
「聖グロリアーナから届いてたよ」
「聖グロから?」
みほが受け取る。
中には、ティーカップと紅茶。それから、一通の手紙が入っていた。
みほは、少し緊張した様子で手紙を開く。
そこには、流れるような綺麗な字で書かれていた。
本日は良い試合をありがとう。
あなたのお姉さまとの試合より、面白かったわ。
また公式戦でお会いしましょう。
ダージリン
読み終えたみほは、少しだけ頬を赤くした。
「お姉ちゃんとの試合より……」
「聖グロリアーナが紅茶を贈るのは、好敵手と認めた相手に対してだと言われています!」
「え、すごいじゃん、みほ!」
「認められた、ということですね」
「高そうだな」
「麻子、そこ?」
優花里が感動したように叫び、沙織も嬉しそうに言う。華も少し表情を和らげた。
みほは、ティーカップを大事そうに持った。
それは、今日の戦いが無駄ではなかった証のように見えた。
すると、柚子がもう一つ箱を持ってきた。
「それと、戸郷さんにも」
「私に、ですか?」
宛名を見る。
戸郷灯里。
差出人は、聖グロリアーナ女学院。
灯里はそっと箱を開けた。
中には、小さなティーセットが入っていた。白を基調にした上品なデザイン。縁には赤茶色の差し色。
派手ではない。
けれど、どこか温かい色だった。
ルイボスの色だ。
手紙も入っている。
灯里は、それを開いた。
ルイボスへ。
いえ、今は戸郷灯里さんと呼ぶべきかしら。
あなたが自分の戦車道を見つけたこと、嬉しく思います。
TOGⅡに乗るあなたは、聖グロにいた頃よりもずっと不器用で、ずっと楽しそうでした。
次に会う時は、ルイボスとしてではなく、大洗の戸郷灯里として。
あなたのTOGⅡで、もう一度私たちに挑んできなさい。
それまで、紅茶の淹れ方を忘れないように。
ダージリン
灯里は、しばらく何も言えなかった。
「車長?」
「泣いてます?」
「泣いてません。これは紅茶の湯気です」
「まだ淹れてません」
「心の湯気です」
「便利ですね、心」
かなえが心配そうに声をかけ、すずが覗き込む。まどかが箱の中を見て、冷静に指摘した。
りんが手紙を見て、にやっと笑った。
「車長、愛されてますね」
「からかわれている気もします」
「でも、嬉しそうです」
ちとせが優しく言う。
灯里は、ティーセットをそっと箱に戻した。
嬉しかった。
ルイボスだった自分を、消さなくていい。
でも、今の自分は戸郷灯里でいい。
そのことを、もう一度言ってもらえた気がした。
* * *
「さて」
杏が、軽い調子で手を叩いた。
嫌な予感がした。今日一日で、杏の「さて」はかなり危険だと学んだ。
「みんなに、もう一つお知らせー」
「まだ何かあるんですか?」
沙織が身構える。
桃が一歩前へ出た。
「一週間後、練習試合を行う予定だ」
空気が変わった。
優花里が反応する。
「練習試合でありますか!?」
「相手校はまだ調整中だ」
「公式戦まであまり時間がないから、できるだけ実戦経験を積んでおきたいの」
柚子が補足する。杏は笑って言った。
「聖グロ相手にあれだけやれたんだから、次はもっといけるっしょ」
桃が、みほを見る。
「そのためにも、西住。お前には隊長として、次の一週間で全体をまとめてもらう」
みほは、一瞬だけ不安そうな顔をした。
けれど、すぐに小さく頷いた。
「はい」
灯里も、その横で頷く。
「補佐として、手伝います」
「頼むよ、戸郷ちゃん。あと、TOGⅡもちゃんと動けるようにしておいてね」
「TOGⅡはいつでも動けます」
「動けますけど、速くはないです」
「速さだけが戦車道ではありません」
すずが横から言い、灯里は真顔で返した。
まどかが冷静に言う。
「でも、次の一週間は操縦練習を増やした方がいいですね」
「無線整理も改善します。今日の市街地戦、情報量が多すぎました」
「装填も、もっと速くできます」
「流れ作業、詰めたいです」
かなえ、ちとせ、りんも続く。
灯里は、Fチームのみんなを見た。
聖グロ戦の前とは違う。
みんな、もうTOGⅡをただの出店用の長い戦車とは思っていない。自分たちの戦車として、どう動かすかを考え始めている。
それが、嬉しかった。
聖グロリアーナとの練習試合は終わった。
負けた。
けれど、何も残らなかったわけではない。
Dチームは、次は逃げないと誓った。
西住みほは、大洗女子学園の隊長として任されることになった。
灯里は、その隣でTOGⅡと共に支える補佐になった。
そして、聖グロリアーナから届いた紅茶の香りは、今日の敗北がただの負けではなかったことを教えてくれていた。
一週間後。
相手は、まだ決まっていない。
どんな学校が来るのかも分からない。どんな戦いになるのかも分からない。
けれど、大洗女子学園の戦車道は、もう止まらない。
灯里は、そっとTOGⅡの姿を思い浮かべた。
長くて、重くて、遅くて、けれど自分にとって一番大切な戦車。
「一週間……」
小さく呟く。
「TOGⅡを、もっと動けるようにしないといけませんね」
その言葉に、Fチームの五人が顔を見合わせた。そして全員が、ほぼ同時に同じ表情をした。
嫌な予感の顔だった。
「車長、無茶な練習メニューを考えてません?」
「考えていません」
「本当ですか?」
「少しだけです」
「少しだけ、の内容を確認します」
「ほどほどでお願いします」
「でも、やるなら付き合いますよ」
すず、まどか、かなえ、ちとせ、りんの声が続く。
灯里は、思わず笑った。
「はい」
TOGⅡは遅い。
けれど、灯里たちはもう止まってはいない。
大洗女子学園の次の一週間が、静かに始まろうとしていた。
これにて1部終了です、いかがでしたか?
そして、次回からは全校大会の前に1.5部として外伝にあったマジオス女学院との練習試合編を投稿予定です。
漫画は実家に置いたままなので、改めて読み返すために電子書籍で購入しました…
苦労人枠のマジオス女学院の隊長、エクレールさんが可愛いです!
最終章2話でも、少し出演していたようです。
ガルパンの外伝作品は、リトルアーミーⅠ&Ⅱ、リボンの武者などもどれも面白いのでお勧めです。いつかこちらでも余裕があれば書いていきたいです。