第16.5話「TOG型スイーツを作りましょう」
聖グロリアーナ女学院との練習試合から、しばらく経ったある日の放課後。
戸郷灯里は、給食部専攻の調理実習室の前に立っていた。
白いエプロン。
三角巾。
手には、消毒済みのペンとメモ帳。
その姿は、いつものパンツァージャケット姿とは少し違う。
今日の灯里は、戦車道履修者ではなく、給食部専攻の手伝いに来た生徒だった。
「……本日は、よろしくお願いします」
灯里が深々と頭を下げると、火野まどかが少し目を瞬かせた。
「そんなに改まらなくても大丈夫ですよ、戸郷さん」
「いえ。いつも皆さんにはTOGⅡに乗ってもらっていますから。今度はこちらが、皆さんの戦場を学ぶ番です」
「戦場……」
小走すずが、調理台の向こうで苦笑する。
「ここ、厨房だよ?」
「厨房も戦場です」
「まあ、昼時は実際、戦場みたいなものだけどね」
呼子かなえが、注文票を束ねながら笑った。
米倉ちとせは、大きな袋に入った小麦粉を軽々と持ち上げている。
「戸郷さん、まずは材料運びからお願いします」
「了解しました」
灯里は即座に動いた。
粉を運ぶ。
卵を割る。
調理器具を洗う。
トレーを並べる。
出来上がった惣菜の数を確認する。
慣れているとは言いがたい。
だが、手を抜くつもりはなかった。
まどかが段取りを組み、すずが配膳導線を確認し、かなえが注文と数を整理する。ちとせが重い材料を運び、早見りんが盛り付けを素早く仕上げていく。
灯里はその動きを見ながら、小さく息を呑んだ。
「……似ていますね」
「何が?」
りんが手を止めずに聞き返す。
「TOGⅡの中とです」
灯里は調理台の動きを目で追った。
「火野さんが全体の仕上がりを見る。小走さんが導線を見る。呼子さんが情報を整理する。米倉さんが重いものを支える。早見さんが最後の手順を早く正確に流す」
少しだけ、灯里の声が柔らかくなる。
「皆さんの動きは、TOGⅡの中と同じです」
五人は、一瞬だけ顔を見合わせた。
まどかが少し照れたように咳払いする。
「……それは、褒めているんですよね?」
「もちろんです」
「なら、ありがとうございます」
すずが笑う。
「戸郷さん、たまに真面目に褒めるから反応に困るんだよね」
「私はいつも真面目です」
「TOGⅡの話をしてる時はね」
灯里は否定しなかった。
その時、調理台の端に置かれていた材料が目に入った。
余ったスポンジ生地。
細長いエクレア用の皮。
チョコクリーム。
ホイップ。
丸いミニシュー。
細いチョコスティック。
そして、履帯に見えなくもない小さなチョコクッキー。
灯里の動きが止まった。
まどかがその様子に気づく。
「戸郷さん?」
「……作れますね」
「何をですか?」
灯里は、ゆっくり顔を上げた。
「TOGⅡを」
調理実習室に、短い沈黙が落ちた。
すずが言う。
「戦車は作れないよ?」
「スイーツです」
「なおさら意味が分からない」
しかし灯里は、すでに材料を並べ始めていた。
細長いエクレアを車体にする。
左右にチョコクッキーを並べて履帯にする。
上にミニシューを乗せる。
そこへチョコスティックを差し込む。
ホイップを少し絞り、飾りとして小さな紙旗を立てる。
数分後、調理台の上には、異様に長い戦車型のスイーツが完成していた。
灯里は満足げに頷く。
「TOGエクレアです」
かなえがじっと見つめる。
「……思ったより、それっぽい」
「履帯部分、もう少し均等に並べた方が可愛いかも」
りんも腕を組んだ。
ちとせがミニシューを持ち上げる。
「砲塔はこれでいいんですか?」
「良いです。ただ、もっと低くしてもTOGⅡらしさが出ます」
まどかが少し眉を寄せた。
「待ってください。やるなら見た目のバランスを整えます」
「火野さん……」
「違います。商品として出すなら、形が崩れていると困るだけです」
「つまり商品化を視野に?」
「まだ視野には入れていません」
だが、給食部専攻の職人魂に火がつくのは早かった。
「長すぎると運びにくいから、半分サイズも必要だね」
「名前はTOGエクレア、TOGロール、TOGプリンあたり?」
「ロールケーキなら、もっと長くできます」
「量産するなら、砲塔部分は先に作っておいた方が早いよ」
すず、かなえ、ちとせ、りんが次々に案を出す。
灯里は感動していた。
「皆さん……TOGⅡを理解し始めていますね」
「お菓子としてです」
まどかが即座に返した。
* * *
その後、調理実習室では、なぜかTOG型スイーツの試作会が始まった。
長いロールケーキにチョコの履帯を付けた、TOGロール。
長方形のプリンにホイップ砲塔を乗せた、TOGプリン。
バナナを車体に見立てた甘いTOGドッグ。
そして、灯里が妙にこだわった、TOGエクレア量産型。
「砲身はもう少し長くてもいいです」
「食べる時に邪魔です」
「でもTOGⅡです」
「食べ物です」
まどかと灯里が静かに言い合っていると、調理実習室の扉が開いた。
「お邪魔しまーす……って、なにこれ可愛い!」
最初に入ってきたのは武部沙織だった。
その後ろから、西住みほ、五十鈴華、秋山優花里、冷泉麻子も顔を出す。
沙織は調理台の上を見て、すぐに携帯端末を取り出した。
「写真撮っていい!? これ絶対可愛いよ!」
「TOGⅡは元から可愛いです」
「スイーツになると、さらに可愛い!」
灯里は胸を張る。
優花里は、TOGエクレアを前にして目を輝かせていた。
「素晴らしいであります! 長大な車体をエクレアで再現するとは……! 戸郷殿、履帯の表現に改善の余地があります!」
「秋山さん、やはりそこに気づきましたか」
「はい! この部分をもう少し細かくすれば、さらにTOGⅡらしさが――」
「食べ物なので、そこまで再現しなくていいです」
まどかが冷静に止めた。
みほは、困ったように笑っている。
「戸郷さん、今度はお菓子なんだね」
「はい。TOGⅡは、戦車としてだけではなく、菓子としても可能性があります」
「可能性……」
みほは少しだけ考え、それから微笑んだ。
「でも、楽しそうだね」
灯里は、その一言に少しだけ表情を緩めた。
「はい。楽しいです」
聖グロリアーナとの試合が終わってから、まだ日は浅い。
負けた悔しさも、戻った記憶の重さも、完全に消えたわけではない。
それでも、こうして笑える時間がある。
大洗の日常は、ちゃんと続いている。
そのことが、灯里には少し嬉しかった。
華は、すでに試食用の皿を手にしていた。
「いただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。五十鈴さん用に、TOGプリン・デラックスもあります」
「まあ」
華の目が輝いた。
そのプリンは、普通のプリンというより、ほとんど小さな要塞だった。
麻子が眠そうな目で見つめる。
「……長いな」
「TOGⅡですので」
「甘いのか?」
「甘いです」
「なら食べる」
気づけば、試食会は大洗戦車道チームの小さな集まりになっていた。
沙織が写真を撮り、優花里が細部を語り、華が上品に次々と食べ、麻子が静かにプリンをつつく。
みほはその様子を見ながら、少し安心したように笑っている。
その時だった。
「なにこれ、売れるじゃん」
声がした。
全員が振り返る。
そこには、いつの間にか角谷杏が立っていた。
隣には小山柚子と河嶋桃。
桃は目を細めて調理台を見る。
「また勝手に妙なものを作っているのか」
「試作です」
「試作という言葉で何でも許されると思うな」
杏はTOGエクレアをひとつ手に取り、くるくる眺めた。
「いいねー。長いし、可愛いし、話題性あるし」
灯里は嫌な予感を覚えた。
「会長、これは試作品です」
「試作品ってことは、本販売もあるってことだよね?」
「言っていません」
「じゃあ、次の練習試合で販売候補に入れてみよっか」
「候補という言葉に、すでに危険を感じます」
かなえがメモを見ながら言う。
「でも、原価計算はできます」
「配膳導線も作れるよ」
「材料があれば、量産もできます」
「砲塔部分だけ先に作っておけば、提供速度も上げられます」
すず、ちとせ、りんが続く。
まどかが静かにため息をついた。
「……やるなら、品質は落とせません」
「皆さん?」
灯里は五人を見た。
杏がにやりと笑う。
「決まりだね」
「まだ決まっていません」
「じゃあ、企画書よろしくー」
灯里は固まった。
調理実習室の空気は、すでに販売準備へ傾きつつあった。
戦車道の練習試合前に、なぜかスイーツ販売の企画が立ち上がっている。
大洗では、たぶんこういうことが普通に起きる。
灯里はそう理解し始めていた。
* * *
やがて片付けが終わる頃。
調理台の上には、試作品がいくつか残っていた。
灯里は、それらを見つめながら、ふと今日の作業を思い出す。
材料を運ぶ手。
数を数える声。
導線を見る目。
盛り付けを急ぐ指先。
注文を整理する耳。
それは、TOGⅡの中で見ている五人の姿と重なっていた。
灯里は、静かに言った。
「皆さんがTOGⅡに乗ってくれて、本当に良かったです」
五人が顔を上げる。
まどかが少し照れたように視線を逸らした。
「急にそういうことを言わないでください」
「まあ、私たちも最初はホットドッグの手伝いのつもりだったんだけどね」
「気づいたら搭乗員登録されてたし」
「でも、楽しいです」
「忙しいけどね」
すず、かなえ、ちとせ、りんが続く。
灯里は少しだけ頭を下げた。
「これからも、よろしくお願いします」
まどかが微笑む。
「こちらこそ」
少し良い空気になった。
しかし、その空気は長く続かなかった。
杏が置いていった紙を、かなえが見つけたからだ。
そこには、丸い文字でこう書かれていた。
『次回練習試合・販売候補』
『TOGエクレア』
『TOGロール』
『TOGプリン』
『TOGドッグ甘口版』
『各数量、要相談』
灯里は無言で紙を見つめた。
「……本当に売る方向なんですね」
すずがぽつりと言う。
まどかが腕を組んだ。
「やるなら、仕込み計画が必要ですね」
「販売価格も決めないと」
「小麦粉、追加で必要です」
「砲塔の量産、私やります」
かなえ、ちとせ、りんがすぐに動き出す。
灯里はゆっくりと目を閉じた。
TOGⅡは戦車である。
長くて、重くて、遅くて、でも愛らしい戦車である。
だが、大洗女子学園においては。
時々、商品にもなるらしい。
灯里は小さく息を吐き、紙の一番下に書き足した。
『TOGⅡは概念です』
まどかがそれを見て、即座に赤ペンで訂正した。
『食品企画です』
灯里は、少しだけ不満そうにした。
けれど、すぐに笑った。
次の練習試合まで、あと少し。
聖グロリアーナとの試合で見えた課題は多い。
操縦。
装填。
無線整理。
待ち伏せ位置への移動。
そして、なぜか補給と販売計画。
Fチームの準備は、戦車倉庫だけでは終わらない。
大洗女子学園戦車道チームの次の一週間は、厨房からも始まっていた。