『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第2話「選択科目、戦車道」

 翌日の昼休み前。

 戸郷灯里は、机の上に置かれた一枚のプリントを見つめていた。

 教室の中は、少しだけざわついている。

 それも無理はない。

 今配られたのは、選択科目の履修届だった。

 問題は、その一番上。

 妙に大きな文字で、堂々と、まるで主張するように書かれている。

 ――戦車道。

「……圧が強いですね」

 灯里は、思わず小さく呟いた。

 知っていた。

 いつか来るとは分かっていた。

 大洗女子学園に戦車道が復活する。

 それは、この世界に来た時点で予想していたことだ。

 けれど、こうして実物のプリントとして目の前に置かれると、想像以上に迫力があった。

 周囲でも、クラスメイトたちが顔を見合わせている。

「戦車道?」

「え、うちって戦車道あったっけ?」

「聞いたことないよね」

「今年から?」

「なんか……強そう」

 ざわめきは、少しずつ広がっていく。

 灯里は、自分のプリントへ視線を戻した。

 選択科目の一覧。

 その一番上にある戦車道。

 そして、その欄には――。

「……ん?」

 丸がついていた。

 しかも、かなり綺麗な丸だった。

 自分で書いた覚えはない。

 灯里は、プリントを持ち上げて確認する。

 裏にも表にも、間違いなく自分の名前がある。

 戸郷灯里。

 そして戦車道の欄には、すでに丸。

「私のだけ、最初から丸がついているんですが」

 小さく呟く。

 誰も聞いていない。

 いや、聞かれても困る。

 灯里はしばらく考えた。

 誰がつけたのか。

 なぜつけたのか。

 そもそもこれは正式な履修届なのか。

 疑問は尽きない。

 だが、結論は早かった。

「……まあ、どのみち丸をつける予定でしたけど」

 そう言って、灯里は静かにプリントを机へ戻した。

 戦車道。

 その三文字を見ていると、胸の奥が少し熱くなる。

 TOGⅡがある。

 車長予定者にもされている。

 搭乗員はまだいない。

 けれど、戦車道が始まらなければ何も始まらない。

 だから、灯里に迷いはなかった。

 ただ――。

 隣の席の方から、空気が変わった。

 灯里は、そっと視線を向ける。

 西住みほが、プリントを見つめたまま固まっていた。

 顔色が悪い。

 さっきまで普通に沙織や華と話していたはずなのに、今は血の気が引いたように白い。

 指先が、紙の端を強く握っている。

 灯里の胸の奥が、きゅっと痛んだ。

 来てしまった。

 西住さんにとって、来てほしくなかったものが。

 灯里は声をかけようとして、止まった。

 何と言えばいいのか分からなかった。

 大丈夫ですか。

 そんな言葉で済む話ではない。

 戦車道、嫌ですか。

 それはあまりにも踏み込みすぎている。

 灯里は、みほが戦車道から逃げてきたことを知っている。

 けれど、それは画面越しに知っていた知識だ。

 本人が目の前で顔色を失っている今、その知識を簡単に使っていいとは思えなかった。

 だから灯里は、ただ黙っていた。

 その時だった。

 教室の扉が開いた。

 ざわめきが、一瞬で別の種類に変わる。

 入ってきたのは、三人。

 小柄で飄々とした雰囲気の少女。

 その隣で困ったように控える少女。

 そして、背筋を伸ばして厳しい顔をしている少女。

 生徒会。

 角谷杏。

 小山柚子。

 河嶋桃。

 灯里は、息を止めた。

 知っている。

 でも、初めて見る。

 画面越しではない。

 資料でも映像でもない。

 今、同じ教室の中に、生きている生徒会がいる。

 不思議な感覚だった。

 杏は軽い足取りで教室に入り、桃は周囲を見回した。

 クラスメイトたちが一斉に静かになる。

 桃の視線が、みほを捉えた。

「西住みほさん。少し話がある」

 みほの肩が、小さく跳ねた。

「……私、ですか?」

「そうだ。少し廊下へ」

 沙織が不安そうにみほを見る。

「みぽりん……?」

 みほは小さく頷いた。

 けれど、その足取りは明らかに重い。

 灯里は、みほが教室を出ていく背中を見つめた。

 扉が閉まる。

 教室の中に、ざわめきが戻る。

「何の話?」

「生徒会が直接?」

「戦車道関係かな」

「西住さんって何かあるの?」

 耳に入ってくる声が、少し遠い。

 灯里は、廊下の方を見ていた。

 全部は聞こえない。

 けれど、何が話されているかは分かる。

 今年から戦車道が復活すること。

 みほに履修してほしいこと。

 それがお願いという形をしていても、ほとんど決定事項に近いこと。

 みほは言うはずだ。

 この学校には戦車道がないと聞いていた。

 だから選んだのに、と。

 そして生徒会は、今年から復活すると返す。

 強引だ。

 かなり強引だ。

 灯里はそう思う。

 けれど、同時に知っている。

 生徒会は何も考えていないわけではない。

 その裏には、大洗女子学園の廃校という危機がある。

 それでも。

 みほにとっては、ただの理不尽だ。

 戦車道から逃げてきた少女に、もう一度それを突きつける。

 灯里は、机の上の履修届を見つめた。

 戦車道。

 自分が追いかけてきたもの。

 みほが逃げてきたもの。

 同じ三文字なのに、二人にとって意味がまるで違っていた。

     ◇

 数分後、みほが戻ってきた。

 教室の扉が開く。

 みほは、静かに席へ戻る。

 足取りはふらついていない。

 表情も大きく崩れてはいない。

 けれど、目に光がなかった。

 灯里はそれを見た瞬間、胸が冷えた。

 本当に、目が死んでいる。

 沙織が慌てて声をかける。

「みぽりん、大丈夫?」

「……うん」

 返事はある。

 でも、声が薄い。

 華も心配そうに身を乗り出した。

「西住さん、お顔の色が……」

「大丈夫……」

 大丈夫ではない。

 灯里には分かった。

 次の授業が始まっても、みほの様子は戻らなかった。

 先生が黒板に文字を書く。

 生徒たちがノートを取る。

 いつも通りの教室の空気。

 その中で、みほだけがどこか遠くにいた。

「西住さん」

 先生が名前を呼んだ。

 反応がない。

「西住さん?」

 もう一度呼ばれて、みほはようやく顔を上げた。

「……はい」

「ここの答え、分かりますか?」

「……えっと」

 視線が泳ぐ。

 教科書のどこを見ればいいのかも、分かっていないようだった。

 灯里は、ゆっくり手を上げた。

「先生」

「戸郷さん?」

「西住さん、少し具合が悪そうです。保健室へ連れて行きます」

 教室が少しざわつく。

 みほが灯里を見る。

「戸郷さん、私は……」

「顔色が悪いです」

 灯里は静かに言った。

 強い口調ではない。

 けれど、引くつもりはなかった。

「少し休んだ方がいいと思います」

 先生はみほの顔色を見て、すぐに頷いた。

「そうですね。戸郷さん、お願いできますか」

「はい」

 灯里が立ち上がると、沙織も勢いよく手を上げた。

「先生、私も行きます!」

 華も続いた。

「私も、ご一緒します」

 先生は一瞬困った顔をしたが、みほの様子を見て頷いた。

「では、三人で付き添ってあげてください」

 みほは小さく頷いた。

「ありがとう……」

 灯里はみほの横に立つ。

「行きましょう、西住さん」

 みほは、少しだけ迷ってから立ち上がった。

     ◇

 保健室は静かだった。

 白いカーテン。

 消毒液の匂い。

 窓から入る柔らかな光。

 みほはベッドに横になった。

 沙織は椅子を引き寄せ、華はベッドの横に立つ。

 灯里は少し離れた場所に座った。

 近すぎない距離。

 今のみほには、それくらいがちょうどいいと思った。

 しばらく、誰も何も言わなかった。

 最初に口を開いたのは、沙織だった。

「ねえ、みぽりん。さっき、生徒会の人たちに何言われたの?」

 みほは、布団の上で指を握った。

「……戦車道を、履修してほしいって」

「戦車道を?」

 沙織が眉をひそめる。

「でも、さっきのプリントにあったやつだよね。そんな急に?」

「今年から、復活することになったって……」

 みほの声は小さかった。

「でも私、この学校には戦車道がないって聞いて……だから、ここに来たのに」

 その言葉に、沙織も華も黙った。

 灯里は、視線を落とす。

 知っていた。

 けれど、本人の口から聞くと、重さが違った。

 画面越しに見ていた時には、物語の一部だった。

 でも今は違う。

 目の前で、同じクラスの女の子が傷ついている。

 それは、物語ではなかった。

 みほは少しずつ言葉を続ける。

「うちは……代々、戦車道をやっている家で。小さい頃から、戦車道が身近にあって……」

 沙織は黙って聞いている。

 華も、みほの言葉を遮らない。

「でも、私は……あまり、いい思い出がなくて」

 みほの声が震えた。

「だから、戦車道がない学校に来たかったの。普通に友達を作って、普通に学校生活を送って……そういうのを、してみたかった」

 灯里は唇を引き結んだ。

 戦車道から逃げてきた子。

 第1話で自分がそう思った言葉が、今さら胸に刺さる。

 逃げたのではない。

 みほは、休みたかったのだ。

 戦車道ではない場所で、自分を取り戻したかったのだ。

「じゃあ、断ろうよ」

 沙織が言った。

 みほが顔を上げる。

「え……?」

「嫌なんでしょ? だったら断ればいいよ」

 沙織の声は明るい。

 けれど、軽くはなかった。

「生徒会の人たちが何て言ったか知らないけど、みぽりんが嫌なら嫌って言っていいと思う」

 華も静かに頷いた。

「私も、そう思います。西住さんが望まないのであれば、無理にする必要はないと思います」

「でも……」

「一人で言いにくいなら、一緒に行くよ」

 沙織が笑う。

「ね、華」

「はい。私もご一緒します」

 みほは目を見開いた。

 その表情が、少しだけ崩れる。

 泣きそうで、でも泣くのを堪えているような顔だった。

 灯里は、その三人を見ていた。

 沙織。

 華。

 そして、みほ。

 やっぱり、西住さんにはこの二人が必要だ。

 灯里はそう思う。

 自分が何かを言う必要はない。

 少なくとも、今は。

 みほを戦車道へ戻す役目は、自分ではない。

 みほが安心して迷えるように、そばにいること。

 それくらいなら、できるかもしれない。

 沙織が、ふと灯里を見る。

「戸郷さんは?」

「え?」

「戸郷さんも、戦車道やるの?」

 灯里は少しだけ考えた。

 机の上のプリント。

 最初から丸がついていた履修届。

 地下ガレージのTOGⅡ。

 まだ一人分しか埋まっていない車長席。

「私は……やります」

 みほの肩が、わずかに強張る。

 灯里はすぐに続けた。

「でも、西住さんにやってほしいからではありません」

 みほが灯里を見る。

 灯里は、ゆっくり言葉を選んだ。

「私には、私の理由があります。だから戦車道を選びます」

 TOGⅡに乗るため。

 映画で見られなかった結末を、この世界で見届けるため。

 その全部を、今ここで話すことはできない。

 だから灯里は、短く言った。

「西住さんには、西住さんの理由があっていいと思います」

 保健室が静かになる。

 沙織が、少し驚いたように灯里を見る。

 華は穏やかに目を伏せた。

 みほは、小さく息を吸う。

「……ありがとう」

 それだけだった。

 けれど、灯里には十分だった。

     ◇

 授業終了のチャイムが鳴った。

 保健室の空気が少しだけ動く。

 残っているのはホームルームだけ。

 このまま教室に戻るべきか、少し迷う時間だった。

 その時、校内放送のスピーカーが音を立てた。

『全校生徒に連絡します』

 灯里は、顔を上げた。

 来る。

 そう思った。

『全校生徒は、体育館へ集合してください』

 保健室の中の空気が、一瞬で変わる。

『繰り返します。全校生徒は、体育館へ集合してください』

 みほの顔が、また強張った。

 沙織がすぐにその手を取る。

「大丈夫。私たちも行くから」

 華も静かに頷いた。

「はい。ご一緒します」

 灯里も立ち上がった。

 戦車道の説明会。

 分かっていた。

 この放送の先にあるものを、灯里は知っている。

 けれど、やはり実際にその場へ向かうとなると、胸がざわついた。

 みほはベッドから起き上がる。

 その動きはまだ少し重い。

「行こう、みぽりん」

「……うん」

 四人は保健室を出た。

 廊下には、同じ放送を聞いた生徒たちが次々と流れ出していた。

「何だろうね」

「体育館って、全校集会?」

「さっきの戦車道の話かな?」

「え、マジで?」

 ざわめきの中を、灯里たちは進む。

 灯里は、隣を歩くみほを見た。

 みほは前を向いている。

 けれど、その指先は沙織の手を少し強く握っていた。

 その先に待っているものを、灯里は知っている。

 戦車道。

 西住みほが逃げてきたもの。

 戸郷灯里が追いかけてきたもの。

 そして――大洗女子学園の運命を変えるもの。

 体育館の扉が、ゆっくりと開いた。

 

 

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