『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第21.5話「青いスペード」

 マジノ女学院の作戦車両内は、静かだった。

 

 外では、大洗女子学園の戦車たちが開始位置へ向かっている。

 

 高原には穏やかな風が吹き、遠くの木々が揺れていた。

 

 けれど、その穏やかさとは裏腹に、車内には張り詰めた空気がある。

 

 エクレールは地図を広げ、マジノの隊員たちを見渡した。

「装甲では、こちらに分がありますわ」

 

 その声は柔らかい。

 

 けれど、弱くはない。

 

「ですが、火力では大洗に警戒すべき車両があります。三号突撃砲。そして……足は遅くとも、TOGⅡ」

 

 ガレットがわずかに眉を動かした。

「TOGⅡ……あの、長い戦車ですか」

「ええ」

 

 エクレールは頷く。

「あれは、遅いからと侮れば退路を塞がれます。あれは動く壁ですわ」

「動く壁……」

 

 フォンデュが小さく復唱した。

 

 エクレールは地図の一点に指を置く。

「まずは五両で、有利な地形に布陣します」

 

 隊員たちの何人かが、少しだけ安堵したような顔をした。

 

 有利な地形に布陣する。

 

 相手を受け止める。

 

 それは、マジノ女学院が長く守ってきた戦い方だった。

 

 だが、エクレールの次の言葉で、空気はまた変わる。

「従来の防御陣形を取るように見せます」

「……見せる?」

 

 ガレットが聞き返した。

 

 エクレールは静かに目を向ける。

「ええ。見せるだけですわ」

 

 車内に、わずかなざわめきが生まれた。

 

 ガレットが地図を見る。

「ですが、大洗もマジノの防御陣形は警戒しているはずです。それで本当に……」

「わたくしは、五両で、と言いましたわ」

 

 その一言で、ガレットの表情が変わった。

「……五両?」

 

 マジノ女学院の出場車両は六両。

 

 つまり、残る一両がいる。

 

 別の場所に。

 別の目的で。

 

 エクレールは地図の脇に、細い矢印を引いた。

「大洗が、わたくしたちを従来のマジノ女学院だと考えているなら」

 

 そこで、彼女は小さく笑った。

「その考え、改めていただきませんとね」

 

 フォンデュは、その横顔を見ていた。

 

 柔らかい雰囲気をまとった隊長。

 

 胃薬を手放せない苦労人。

 

 けれど、その芯は、誰よりも頑固だった。

 

 エクレールは胸元に手を当てる。

 

 そこには、青いスペードの記章があった。

 

 マジノ女学院の隊長が受け継ぐ証。

 

 青いスペード《スペード・ブルー》。

 

「守るために、動く。この試合で、証明しますわ」

 

 通信機から、試合開始の準備を告げる声が入る。

 

 エクレールはインカムに手を添えた。

「各車、準備はよろしくて?」

 

 返答が続く。

 

 その中には、不安もある。

 

 迷いもある。

 

 けれど、エクレールはそれごと背負うように前を向いた。

「En avant」

 

 そして、静かに告げる。

「前進せよ」

 

 同じ頃。

 

 大洗女子学園側でも、西住みほの声が各車両へ届いていた。

 

『パンツァー・フォー!』

 

 戦いが、動き出した。

 

* * *

 

 少し離れた観戦地点。

 

 そこには、あまりにも場違いなほど優雅な空間が作られていた。

 

 白いテーブル。

 

 整えられたティーセット。

 

 小さな焼き菓子。

 

 観戦用モニター。

 

 そして、紅茶の香り。

 

 聖グロリアーナ女学院のダージリンは、いつものようにカップを手にしていた。

 

 隣には、オレンジペコが控えている。

 

 モニターには、大洗女子学園とマジノ女学院の開始位置が映っていた。

 

「この時期に、他校の練習試合を観戦していてよろしいのでしょうか。公式戦も近いですし……」

 

 オレンジペコが少し心配そうに言う。

 

 ダージリンは紅茶を一口含み、穏やかに微笑んだ。

「こんな格言を知ってる?」

「はい」

「伝統とは、灰を崇めることではなく、火を受け継ぐこと」

 

 オレンジペコは、小さく頷いた。

「オーストリアの作曲家、グスタフ・マーラーの言葉ですね。伝統とは、形をそのまま残すことではなく、そこに込められた精神を受け継ぐことだと」

「ええ。マジノ女学院が守ってきたものが、灰なのか、火なのか」

 

 ダージリンは、モニターの中のマジノ女学院を見つめた。

「今日は、それが見られるかもしれないわ」

 

 オレンジペコもモニターを見る。

 

 マジノ女学院。

 

 防御の伝統を持つ学校。

 

 その戦い方は堅実で、美しい。

 

 けれど、近年は勝利から遠ざかっている。

 

「それに」

 

 ダージリンは続ける。

「西住流らしくない西住みほさんが、今日はどんな戦いを見せてくれるのか。興味があるのよ」

 

 オレンジペコは少しだけ頷いた。

「聖グロ戦でも、最後まで粘っていました」

「ええ」

 

 ダージリンの視線が、別のモニターへ移る。

 

 そこには、ゆっくりと動くTOGⅡが映っていた。

「それに、ルイボスもいるもの」

「戸郷さんですね」

「守りの学校を相手に、あの長いTOGⅡをどう置くのか。見ておきたいわ」

 

 ダージリンは楽しそうに微笑んだ。

「今日は、良い紅茶になりそうね」

 

* * *

 

 さらに別の観戦地点。

 

 そこには、もう一人、マジノ女学院の試合を静かに見守る者がいた。

 

 やや明るいオレンジ色の髪。

 

 赤いカチューシャ。

 

 整えられたツインテール。

 

 マジノ女学院の制服を着た三年生。

 

 マドレーヌ。

 

 約三ヶ月前まで、マジノ女学院戦車道隊の隊長だった少女である。

 

 彼女の前にも、小さなティーセットと観戦用モニターが置かれていた。

 

 ただし、ダージリンほど余裕に満ちた空気ではない。

 

 マドレーヌは、モニターの中のエクレールを静かに見つめていた。

「エクレール……」

 

 その声には、懐かしさと、少しの心配が混ざっていた。

 

 青いスペードを胸元に留めた後輩。

 

 かつて、自分に正面から挑んできた少女。

 

 マドレーヌは、三ヶ月前のことを思い出す。

 

* * *

 

 三ヶ月前。

 

 マジノ女学院の戦車道隊は、低迷していた。

 

 昨年の全国大会は初戦敗退。

 

 一年間の公式戦成績は、四敗一分け。

 

 防御陣形は美しい。

 

 伝統は守っている。

 

 隊員たちも、決して怠けていたわけではない。

 

 けれど、勝てなかった。

 

 それでも、多くの隊員は思っていた。

 

 マジノ女学院とは、守る戦車道の学校である。

 

 防衛戦術こそが誇りである。

 

 勝てないからといって、伝統を捨ててよいのか。

 

 マドレーヌもまた、その伝統を守ろうとしていた。

 

 ただ古いものにしがみついていたわけではない。

 

 マジノ女学院が積み上げてきた戦い方を、軽々しく壊したくなかった。

 

 守る戦車道には、守る戦車道の美しさがある。

 

 耐え、受け止め、相手を削り、最後まで崩れない。

 

 それは、マジノの誇りだった。

 

 その空気の中で、二年生だったエクレールは、マドレーヌの前に立った。

「マドレーヌ様」

 

 真っ直ぐな声だった。

「このままでは、マジノ女学院は勝てません」

 

 その言葉だけなら、まだ部員たちも聞いていた。

 

 悔しいが、事実でもあったからだ。

 

 しかし、エクレールはさらに踏み込んだ。

「勝つことに消極的であるかのように見える伝統なら」

 

 周囲の空気が変わる。

 

 フォンデュが、はっとエクレールを見た。

 

 エクレールは引かなかった。

「わたくしは、その伝統はいらないと思います」

 

 ざわり、と部屋が揺れた。

 

「エクレールさん……?」

「今、何と……」

「伝統が、いらない……?」

「それは、あまりにも……」

 

 マジノ女学院の伝統を、正面から否定する言葉。

 

 それは、部員たちにとって衝撃だった。

 

 これまでの自分たちを否定されたように感じた者もいた。

 

 前隊長であるマドレーヌを否定されたように受け取った者もいた。

 

 エクレールは、多数派の代弁者ではなかった。

 

 むしろ、その瞬間、彼女は異端になった。

 

 マドレーヌは怒鳴らなかった。

 

 だが、伝統を守ろうとしてきた前隊長として、その言葉を軽く受け流すこともできなかった。

 

 ただ、表情は静かに冷えた。

「……今の言葉、自分が何を言ったのか理解していて?」

「理解していますわ」

 

 エクレールは答える。

「それでも、勝てない伝統を守るだけでは、マジノ女学院は前へ進めません」

 

 マドレーヌは、しばらくエクレールを見つめた。

 

 その瞳には、怒りだけではないものがあった。

 

 失望。

 

 痛み。

 

 そして、ほんの少しの期待。

 

「そこまで言うなら、何か考えがあるのでしょうね?」

「あります」

 

 エクレールは一歩前に出た。

「わたくしと、決闘してください」

 

 部屋が再びざわつく。

 

 マドレーヌは静かに問う。

「隊長の座をかけて、ということかしら?」

「はい」

 

 エクレールは迷わず頷いた。

「わたくしが勝てば、隊長の座を譲っていただきます」

 

 マドレーヌは、すぐには答えなかった。

 

 やがて、ゆっくりと口を開く。

「よろしいですわ」

 

 周囲が息を呑む。

「勝てば、隊長の座を譲ります」

 

 だが、そこで終わらなかった。

「けれど負けたなら、あなたには戦車道を辞めてもらいます」

 

 フォンデュが声を上げかけた。

「マドレーヌ様……!」

 

 マドレーヌはエクレールから目を逸らさない。

「伝統を変えるというのは、それほど大きなことです」

 

 その声は厳しかった。

「ただ勝ちたいだけなら、許されません。背負う覚悟があるのなら、証明なさい」

 

 エクレールは、深く頭を下げた。

「望むところですわ」

 

* * *

 

 決闘は、ルノーFT-17改同士で行われた。

 

 同じ車両。

 

 同じ条件。

 

 違うのは、乗り手の考え方だけ。

 

 マドレーヌは、従来の防衛戦術を取った。

 

 有利な地形に布陣し、射線を固定する。

 

 相手の接近を拒み、近づく前に削る。

 

 守りとは、臆病者の逃げ場ではない。

 

 相手を削り、近づかせず、勝つための技術。

 

 これが、マジノ女学院の戦車道。

 

 マドレーヌは、そう信じていた。

 

 エクレールは苦しんだ。

 

 正面から近づこうとすれば、撃たれる。

 

 迂回しようとすれば、射線を押さえられる。

 

 マドレーヌの布陣は堅かった。

 

 美しかった。

 

 まさに、マジノ女学院の伝統そのものだった。

 

 だが、エクレールは止まらなかった。

「煙幕、展開」

 

 白い煙が、戦場に広がる。

 

 視界が切られる。

 

 マドレーヌの射線が、機能しなくなる。

 

 エクレールは正面から付き合わなかった。

 

 防御陣形が意味を持つ距離を、潰しに来た。

 

 マドレーヌは気づく。

 

 守りを壊すのではない。

 

 守りが機能する条件そのものを、消しに来たのだ。

 

「……エクレール」

 

 マドレーヌは小さく呟いた。

「あなた、本気で……」

 

 煙の向こうから、エクレール車が現れる。

 

 近い。

 

 近すぎる。

 

 防御姿勢の隙を突かれた。

 

 砲声。

 

 マドレーヌの車両に、白旗が上がった。

 

 決闘は終わった。

 

 勝者は、エクレールだった。

 

「……勝ちましたわ」

 

 遠くで見守っていたフォンデュが、ほっと息を吐く。

 

 周囲の隊員たちは、言葉を失っていた。

 

 伝統の陣形が破られた。

 

 それも、同じ車両で。

 

 同じ条件で。

 

 マドレーヌは、車内でしばらく目を閉じていた。

 

 悔しい。

 

 当然だった。

 

 だが、それ以上に、妙な納得もあった。

 

 まさか、こちらが用意した皿の上で、食べるつもりだった相手に食べられるとは。

 

 マドレーヌは小さく笑った。

 

 自分は気づいていた。

 

 マジノ女学院の車両は、防御主体の思想に向いている。

 

 機動戦術には向かないものも多い。

 

 だからこそ、防衛戦術を変えられなかった。

 

 いや。

 

 変えることを恐れていた。

 

 私が守ろうとした伝統は、間違いではなかった。

 

 けれど。

 

 正しいだけでは、勝てない時代になっていた。

 

 マドレーヌは車両から降りた。

 

 エクレールも車両を降り、緊張した顔で待っている。

 

 マドレーヌは、彼女の前まで歩いた。

「お見事でしたわ」

「マドレーヌ様……」

 

 エクレールは息を詰める。

 

 マドレーヌは、胸元からひとつの記章を外した。

 

 青いスペード。

 

 マジノ女学院の隊長の証。

 

「これは、マジノ女学院の隊長が受け継ぐ証」

 

 マドレーヌは、それをエクレールへ差し出す。

「青いスペード《スペード・ブルー》」

 

 エクレールは、両手でそれを受け取った。

 

 それは小さな記章だった。

 

 けれど、その重さは、砲弾よりもずっと重く感じられた。

 

「ただの飾りではありません」

 

 マドレーヌは言う。

「マジノの伝統を背負う、ということです」

 

 エクレールの手が、わずかに震えた。

 

 マドレーヌは静かに続ける。

「あなたが変えるというのなら、変えてみせなさい」

 

 その声は、厳しく。

 

 けれど、冷たくはなかった。

「ただし、捨てるのではなく、背負った上で」

 

 エクレールは、深く頭を下げる。

「マドレーヌ様……ありがとうございました」

 

 マドレーヌは、少しだけ微笑んだ。

「頑張りなさい、エクレール」

 

* * *

 

 現在。

 

 マドレーヌは、モニターの中のエクレールを見ていた。

 

 青いスペードを胸元に留めた後輩は、今、隊員たちに指示を出している。

 

 まだ不安はあるだろう。

 

 周囲の全員が納得しているわけでもない。

 

 それでも、エクレールは前へ進もうとしている。

 

「エクレール」

 

 マドレーヌは静かに呟いた。

「見せてもらうわ」

 

 紅茶のカップに、指を添える。

「私が守ろうとしたものを、あなたがどう受け継ぐのか」

 

* * *

 

 聖グロリアーナの観戦地点。

 

 モニターの中で、マジノ女学院の五両が動いていた。

 

 それは一見、従来の防御陣形に見える。

 

 有利な地形へ進み、相手を受け止める形。

 

 だが、オレンジペコはすぐに違和感に気づいた。

「ダージリン様」

「ええ」

 

 ダージリンは紅茶を手にしたまま、モニターを見つめる。

 

 オレンジペコの声には驚きがあった。

「マジノ女学院、一両だけ別行動です」

「防御陣形ではなく……?」

「守る学校が、前へ出ようとしている」

 

 ダージリンは微笑んだ。

「だからこそ、見に来たのよ」

 

 オレンジペコは、もう一度モニターを見る。

 

 五両は守りに見せる。

 

 だが、一両が別の道を選んでいる。

 

 それは、今までのマジノ女学院ならしなかった動き。

 

 ダージリンは、楽しそうにカップを置いた。

「西住流らしくない西住みほさん」

 

 次に、別のモニターへ視線を向ける。

「TOGⅡに乗ったルイボス」

 

 そして、マジノ女学院の表示を見る。

「守ることをやめなかったまま、前へ進もうとするマジノ女学院」

 

 ダージリンは静かに笑った。

「今日は、本当に良い紅茶になりそうだわ」

 

* * *

 

 マジノ女学院の五両は、防御陣形を組むために前進する。

 

 だが、その背後で、一両だけが別の道を選んでいた。

 

 エクレールは、青いスペードを胸元に留め、インカムに告げる。

「En avant!!」

 

 その声は、守りに閉じこもるためのものではなかった。

「前進せよ」

 

 一方、大洗女子学園。

 

 西住みほの声が、各車両に届く。

 

『パンツァー・フォー!』

 

 大洗の戦車たちが動き出す。

 

 その中で、TOGⅡだけは少し遅れて、ゆっくりと地面を踏みしめた。

 

 戦いは、まだ始まったばかり。

 

 そしてこの試合は、守る者同士の戦いでは終わらない。

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