そろそろ、ストックも少なくなってきたのでまた進めていきます…
煙幕の向こうで、マジノ女学院の残存車両は森へ向かっていた。
エクレールのソミュアS35。フォンデュのソミュアS35。ガレットのChar B1 bis。そして、ARL44。
残った戦車は、四両だった。
大洗女子学園に二両を撃破され、マジノは一度、戦場から距離を取った。
ガレットはB1 bisの車内で、最後尾側の様子を確認していた。
「追手は……今のところ見えませんわね」
奇襲は成功した。ARL44は、大洗のIII号突撃砲を仕留めた。大洗は一時混乱した。
だが、その後が続かなかった。
エクレールが仕掛けた機動戦術は、完全には噛み合わなかった。R35は遅れ、B1 bisは小回りが利かず、ARL44は重い。そして何より、大洗がすぐに立て直した。
西住みほ。
その名前が、ガレットの頭の中に残っていた。
「隊長……エクレールは、どうするつもりなのかしら」
皮肉ではなかった。
ただ、見ていた。新しいマジノを掲げた隊長が、ここから何を選ぶのかを。
その時、通信が入った。
『フォンデュ車へ。エクレール様の顔色が優れません』
フォンデュの声が、すぐに返る。
『やはり、胃の調子が……』
ガレットは眉を寄せた。
「まさか、この状況で?」
フォンデュの判断は早かった。
『全車、森の中へ。少し開けた場所で一時停止します。ARL44は後方警戒。B1 bisは側面警戒を』
ガレットは少しだけ息を吐く。
「副隊長判断ですのね」
『隊長が動けないなら、副隊長が動きます』
フォンデュの声は静かだった。けれど、迷いはなかった。
* * *
森の中に、少しだけ開けた場所があった。マジノの四両は、周囲を警戒しながら停止する。
エクレールのソミュアS35のハッチが開いた。搭乗員に支えられるようにして、エクレールが車外へ出る。その足取りは、明らかにふらついていた。
「エクレール様」
フォンデュが駆け寄る。
エクレールは何か言おうとした。だが、その前に口元を押さえる。
木陰まで、数歩。
そこで膝をつき、押し殺した嗚咽が漏れた。
ハンカチで口元を押さえる。間に合わなかった分が、ジャケットの端を少し汚していた。
周囲の隊員たちが、息を呑む。
エクレールはしばらく動けなかった。やがて、ゆっくりと顔を上げる。
顔色は悪い。
それでも、彼女は無理に笑おうとした。
「すみません……今日は、いつもの胃薬を忘れてしまいましたわ」
フォンデュの眉が寄る。
「今、冗談を言う場面ではありません」
「冗談ではありませんわ。かなり重大な戦術的失敗です」
「でしたら、なおさらです」
フォンデュは手を伸ばし、エクレールを支える。
「この状態では、試合どころでは……」
エクレールは立とうとした。だが、足元が揺れる。
倒れかけた体を、フォンデュが慌てて支えた。
「エクレール様!」
ガレットも近づいてくる。その表情には、苛立ちよりも困惑があった。
「そんな状態で、まだ続けるつもりですの?」
フォンデュは、苦しそうに口を開きかけた。
「エクレール様。この状態なら、私は副隊長として――」
「それだけは、だめです」
エクレールの声が、強く響いた。
森の空気が、一瞬止まる。
フォンデュは言葉を失った。
「どうしてですか」
その問いは、責めるものではなかった。心配だった。
どうして、その状態でそこまで戦うのか。
ガレットも、静かに言う。
「そんなに、勝ちたいんですか?」
エクレールは少しだけ俯いた。胸元に手を当てる。
そこには、青いスペードの記章があった。
マジノ女学院の隊長が受け継ぐ証。マドレーヌから受け取ったもの。背負うと決めたもの。
「勝ちたいですわ」
エクレールは、はっきりと言った。
「それは、否定しません」
フォンデュも、ガレットも黙っている。
「けれど、それだけではありません」
エクレールは青いスペードを見つめた。
「わたくしは、マジノ女学院の伝統を背負っています」
声はまだ少し震えていた。けれど、言葉はまっすぐだった。
「今までの防御戦術も、マドレーヌ様が守ろうとしたものも、隊員の皆さんが信じてきた戦い方も」
一拍。
「そして、勝ちたいという気持ちも」
エクレールは顔を上げる。
「全部、マジノ女学院の伝統なのだと思います」
ガレットの表情が、わずかに変わった。
「伝統を、変えるのではなく?」
「変えます」
エクレールは答える。
「けれど、捨てるためではありません。続けるために、変えるのです」
森の中に、風が吹いた。木々の葉が揺れる。
「苦しいですわ。胃も痛いです。正直、吐くほど怖いです」
フォンデュが何か言いかける。けれど、エクレールは先に笑った。
「それでも、戦車道は楽しいですわ」
その笑顔は弱々しかった。でも、確かに笑っていた。
「皆さんも、一緒に楽しみませんか?」
エクレールは、隊員たちを見た。
「これからの戦車道を」
胸元の青いスペードが、木漏れ日を受けてわずかに光る。
「マジノ女学院の伝統を」
沈黙。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
最初に目を逸らしたのは、ガレットだった。そっぽを向き、少しだけ頬を赤くする。
「……何を今さら」
フォンデュがガレットを見る。
ガレットは、視線を合わせないまま続けた。
「もう既に、私たちもその伝統なのでしょう」
エクレールは、少しだけ目を見開いた。
ガレットは腕を組む。
「だから、隊長。倒れるなら、せめて試合が終わってからになさい」
「ガレットさん……」
「勘違いしないでくださいませ。私は、まだあなたの作戦を完全に認めたわけではありません」
ガレットは、ちらりとエクレールを見る。
「ただ、ここで終わるのは癪ですわ」
フォンデュが小さく笑った。
「では、隊長」
エクレールの腕を支えながら、静かに言う。
「ご命令を」
エクレールは深く息を吸った。
まだ胃は痛い。足元も少し頼りない。
けれど、胸の奥には、さっきまでとは違う熱があった。
「ええ」
エクレールは顔を上げる。
「もう一度、動きますわ」
* * *
大洗女子学園は、隊列を組んで森へ入っていた。
左右に林が広がる道だった。視界は悪く、木々の影が戦車の車体に落ちている。
先頭を進むのはDチームのM3リー。一年生チームが、先行して偵察をしていた。
『前方、まだ敵影なしです!』
澤梓の声が無線に入る。
AチームのⅣ号車内で、みほは地図を見つめていた。
「そのまま慎重に進んでください。深追いはしないで」
『はい!』
河嶋桃の声が、Eチームから飛ぶ。
『マジノはきっとこの森にいるはずだ!』
沙織が少し不安そうに言う。
「こっちは五両、相手は四両だよね?」
優花里が頷く。
「はい。Cチームは撃破されましたが、数ではまだ大洗が有利であります」
華は照準器を覗きながら言った。
「ですが、森の中では数の有利も活かしづらいかもしれません」
麻子が操縦しながら短く言う。
「道が狭い」
みほは頷いた。
「うん。ここは相手の演習場だから、どこに誘い込まれるか分からない」
通信から、灯里の声が入る。
『Fチームです。森の中はTOGⅡには不利です。回り込まれると厄介です』
沙織が小さく息を吐く。
「TOGⅡ、森でも大変なんだね」
『TOGⅡは、だいたいどこでも大変です』
麻子がぼそりと言った。
「開き直った」
『ですが、そこが魅力です』
「そこは変わらないんだ」
少しだけ、車内の空気が緩む。
けれど、その緩みはすぐに消えた。
Dチームから、慌てた声が入る。
『敵発見! 前方にソミュアと……大きいの!』
優花里が双眼鏡を覗く。
「Char B1 bisであります!」
みほの表情が引き締まった。
「距離を保ってください! 無理に近づかないで!」
前方の道に、ソミュアS35とB1 bisが姿を見せた。短く砲撃し、直後に二両は反転して森の奥へ逃げていく。
澤の声が跳ねる。
『逃げます!』
「追います。ただし、距離を保って」
みほが指示する。
その時、別の無線が入った。
『Bチーム! 左前方の道に敵! ソミュアです!』
バレー部の声だった。
左の林の間から、別のソミュアS35が現れた。こちらも一発だけ砲撃し、すぐに引いていく。
桃が叫ぶ。
『どっちを追うんだ!?』
みほは一瞬だけ地図を見た。
前方と左。二方向に敵がいる。
ここで分かれれば、森の中で各個撃破される。
「前方のソミュアを追います」
みほは決断した。
「全車、前方へ。戦力を分散させないでください」
灯里の声が通信に乗る。
『Fチーム、賛成です。ここで分かれると、各個撃破される危険があります』
桃が唸る。
『むう……確実に一両ずつ、か』
「はい」
みほは前を見た。
「今は、まとまって動きます」
* * *
大洗の戦車たちは、前方のソミュアを追って森を進んだ。
Dチームが先頭を走り、Aチーム、Eチーム、Bチームが続く。FチームのTOGⅡは、やや後方についていた。
長い車体が、木々の間を慎重に抜けていく。
すずが操縦席で息を吐いた。
「森の中、狭いです」
灯里はキューポラから周囲を見る。
「TOGⅡにとって、世界はだいたい狭いです」
「大変ですね」
「はい。ですが、TOGⅡは通ります」
まどかが照準器を覗く。
「前方、開けます」
かなえが無線を確認する。
「Dチーム、前方のソミュアを確認。B1 bisも近くにいます」
灯里は少しだけ眉を寄せた。
見えている敵がいる。逃げている敵もいる。
そして、見えていない敵がいる。
どこかで、何かが足りない。
その時だった。
「六時方向、反応!」
かなえの声が鋭くなる。
すずが叫ぶ。
「後ろです!」
灯里は振り返り、キューポラから森の入口側を見た。
重い車体。長い砲身。さっきCチームを撃破した隠し車両。
「ARL44……後方から来ています」
まどかが表情を引き締める。
「背面を取られます」
灯里は即座に指示を出した。
「旋回。ARL44へ正面を向けます」
すずが操縦桿を握り直す。
「正面ですね!」
「ただし、真正面ではありません。少し斜めに。昼飯の角度です」
「昼飯?」
すずが聞き返す。
灯里は、車内の全員に聞こえるように説明した。
「時計で例えると、敵がいる方向を十二時とします。その時、TOGⅡの正面を十一時か十三時に少しずらします」
すずが必死に車体を動かす。TOGⅡの長い車体が、ぎしりと音を立てながら旋回した。
「砲弾を真正面から受けるのではなく、斜めに受けることで、実質的な装甲厚を少し増やすんです」
まどかが照準器を覗いたまま言う。
「TOGⅡでも、効果はありますか?」
「あります。多分」
「今、多分って言いましたね」
すずの声が少し裏返った。
「角度は信じるものです」
「精神論になってませんか!?」
「信じて、操縦してください」
すずは短く息を吐いた。
「了解です!」
TOGⅡはARL44に対し、わずかに斜めを向いた。長い車体が、森の中で重く止まる。
* * *
前方で、逃げていたソミュアとB1 bisが反転した。
左側面の林からは、先ほど追うのを諦めたソミュアが姿を見せる。後方にはARL44がいた。
多方向からの砲撃。
マジノの挟撃だった。
『敵、反転!』
『左からも来る!』
『後ろ、ARL44!』
無線が一気に騒がしくなる。
Bチームの八九式が、左側面からの砲撃を受けた。
着弾。
白旗。
『Bチーム、行動不能!』
「バレー部が!」
沙織が叫ぶ。
みほは歯を食いしばった。
大洗は残り四両。マジノも残り四両。
数の有利は消えた。
同時に、TOGⅡにも砲弾が飛ぶ。
がん、と鈍い音が車内に響いた。
ちとせが身を縮める。
「当たりました!?」
りんが弾薬ラックを押さえる。
「白旗は!?」
かなえが外部判定を確認する。
「白旗、出ていません!」
灯里は車内の音を聞き分けるようにしてから、静かに言った。
「浅いです。耐えました」
まどかが砲塔をARL44へ向ける。
「次は危険です」
すずが叫ぶ。
「やっぱり多分じゃないですか!」
「今のところは、信じられます」
「今のところ!」
だが、止まってはいられない。
みほの声が無線に響く。
『このままでは挟まれます。全車、右手、北方向へ離脱します!』
桃が叫ぶ。
『逃げるのか!?』
『包囲される前に、場所を変えます!』
Dチーム、Eチーム、Aチームが進路を変える。森の北側へ抜ける道へ向かって、一気に動き出した。
だが、TOGⅡはすぐには動けない。
後方には、ARL44がいる。重い砲がこちらを向いていた。
灯里は地図を見た。
ARL44の最高速度。TOGⅡの速度。このまま逃げれば、追いつかれる。背面を撃たれる。
なら。
灯里は無線に手を伸ばした。
「Aチーム、Fチームです」
『戸郷さん?』
みほの声が返る。
「このままでは、TOGⅡはARL44に追いつかれます」
少しの沈黙。
灯里は続けた。
「ここでARL44を足止めします」
まどかが静かに砲を向ける。すずが操縦席で息を呑む。かなえ、ちとせ、りんも、何も言わなかった。
灯里は、はっきり告げる。
「可能なら、撃破します」
みほは、すぐには返事をしなかった。
けれど、状況は待ってくれない。北へ抜けるには、誰かがARL44を止める必要がある。
それができるのは、TOGⅡしかいない。
『……お願いします』
みほの声は、重かった。
灯里は頷く。
「はい」
一拍。
「TOGⅡは、ここで止まります」
Aチーム、Dチーム、Eチームが北へ離脱していく。その背後で、TOGⅡだけがゆっくりと向きを変えた。
遅く、長く、すぐには逃げられない車体だった。
だからこそ、ここで逃げないことを選べる。
灯里はキューポラから顔を出し、森の入口に立つARL44を見た。
「Fチーム、停止」
長い車体が、ぎしりと軋む。
「ここで、食い止めます」
その先には、マジノ女学院の重い切り札がいた。
TOGⅡとARL44。
長すぎる重戦車と、眠りから覚めた重戦車が、森の入口で向かい合った。
* * *
一方、Aチーム、Dチーム、Eチームの三両は、森の北側へ向かって走っていた。
Cチームを失い、Bチームも撃破された。さらに、TOGⅡはARL44を食い止めるために残った。
大洗に残された戦力は、三両。
Ⅳ号戦車D型。
M3リー中戦車。
38(t)戦車。
貴重な戦力を削られながらも、三両は追手から逃げ続けていた。
『西住、まだ追ってきているぞ!』
桃の声が無線に入る。
みほは地図を見た。
前方で、道が二つに分かれている。右手の道と、左手の道。
みほは、短く息を吸った。
「ここで二手に分かれます」
『何だと!?』
桃の声が裏返った。
『この状況で戦力を分散させるのは危険だ!』
「はい。危険です」
みほは認めた。けれど、声は揺れなかった。
「でも、地の利は向こうにあります。このまままとまって逃げても、また包囲されます」
沙織が不安そうに振り返る。
「みほ……」
「包囲される前に、こちらから決着をつけます」
みほは無線へ声を出した。
「Aチームは右手へ。EチームとDチームは左手へ進んでください」
『一年生チーム、了解です!』
『生徒会チーム、了解……でいいんだな、会長!?』
『いいよー。面白くなってきたね』
桃の息を呑む音が聞こえた。
『面白いで済む状況ではありません!』
それでも、38(t)は左へ向かう。M3リーもそれに続く。
AチームのⅣ号だけが、右手の道へ入った。
* * *
その動きを、エクレールはソミュアS35の中から見ていた。
「……分かれた?」
大洗は残り三両。普通なら、固まって逃げる。戦力を集中させ、数の不利を補う。
それなのに、西住みほは分かれた。
右手に、Aチーム。左手に、DチームとEチーム。
フォンデュの声が通信に入る。
『エクレール様、どうされますか?』
ガレットも続く。
『このままなら、左の二両をまとめて押さえられますわ』
エクレールは、右手へ消えていくⅣ号を見た。
西住みほ。
西住流の名を持ちながら、西住流らしくない隊長。
この状況で、あえて一両になる。
それは、逃げではない。
エクレールには、そう見えた。
「……挑戦状、ですわね」
胸元の青いスペードに、指を添える。
胃はまだ痛い。けれど、視線は逸らさなかった。
「フォンデュ、ガレット。あなたたちは左手の二両を」
『了解しました』
『任されましたわ』
エクレールは、自分のソミュアS35の進路を右へ向けた。
「わたくしは、西住みほを追います」
森の中で、三つの戦いが分かれた。
TOGⅡとARL44。
Dチーム、Eチームと、フォンデュ、ガレット。
そして。
西住みほと、エクレール。
決着のための道が、静かに分かれていった。