『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第24.5話「使わないで済む薬」

 マジノ女学院との練習試合が終わったあと、演習場には少しだけ穏やかな空気が戻っていた。

 

 撃破された戦車たちは回収され、白旗は畳まれ、各チームの生徒たちはそれぞれに試合の感想を言い合っている。

 

 勝った大洗女子学園も、負けたマジノ女学院も、どこか疲れていた。けれど、その疲れは悪いものではない。

 

 全力で走って、撃って、考えて、悩んで、最後まで戦い切ったあとの疲れだった。

 

 そして、その演習場の端では、簡単な交流会が開かれていた。

 

 もともと、試合後には軽く話をする予定があったらしい。大洗側からは、給食部専攻のいぬさんチームが用意した軽食と、TOGⅡをかたどった小さな焼き菓子が並べられている。

 

 長い。

 

 妙に長い。

 

 戦車というより、もはや細長いパンのようにも見える。

 

「これは……TOGⅡですの?」

 

 エクレールが皿の上を見て、少しだけ目を瞬かせた。

 

 戸郷灯里は真面目に頷く。

「はい。TOG型スイーツです」

「形は、かなり忠実ですわね」

「長さにはこだわりました」

「そこにこだわるのですね」

 

 エクレールはそう言いながらも、少しだけ笑っていた。

 

 一方、マジノ女学院側も、ただ受け取るだけではなかった。

 

 白い布がかけられた簡易テーブルの上に、深い赤紫色をした飲み物が並べられている。透明なグラスに注がれたそれは、光を受けて、宝石のように揺れていた。

 

「ワイン……ではありませんよね?」

 

 沙織が少しだけ戸惑った声を出す。

 

 当然である。

 

 ここにいるのは、戦車道をしているとはいえ高校生だった。

 

 マドレーヌが、穏やかに微笑む。

「ええ。ブドウジュースですわ」

 

 その声に、大洗の何人かがほっと息を吐いた。

 

 マドレーヌはグラスを一つ手に取り、ゆっくりと続ける。

「マジノは、葡萄の文化にも縁があります。今日はワインではなく、こちらで乾杯といたしましょう」

 

 エクレールが少しだけ背筋を伸ばした。

「マドレーヌ様……」

「試合は終わりましたもの。今は、敵味方ではなく、戦車道を共にした相手として」

 

 その言い方は柔らかい。

 

 けれど、エクレールに向けられた視線は、どこか静かに温かかった。

 

 フォンデュがグラスを配り、ガレットも少し不器用そうに大洗側へ差し出す。

 

「どうぞ。マジノの用意したものですわ」

「ありがとうございます」

 

 みほが丁寧に受け取る。

 

 沙織、優花里、華、麻子もそれぞれグラスを手にした。

 

 灯里も、グラスの中をじっと見つめる。

「綺麗ですね」

 

 エクレールが少し誇らしげに頷いた。

「味も良いですわ」

 

 灯里は小さく頷く。

「TOGⅡも、角度によっては綺麗です」

「そこでTOGⅡが出ますの?」

 

 エクレールが思わず聞き返した。

 

 マドレーヌが口元に手を添え、少しだけ笑う。

 

 その空気は、試合中の緊張とはまるで違っていた。

 

 大洗とマジノの生徒たちは、最初こそぎこちなかったが、少しずつ言葉を交わし始める。

 

 どこで撃たれたのか。

 

 どの動きが怖かったのか。

 

 TOGⅡはなぜあんなに長いのか。

 

 B1 bisは本当に硬かったのか。

 

 ARL44はどこに隠れていたのか。

 

 答えられることと、答えられないことがある。

 

 それでも、試合後の会話はどこか明るかった。

 

 エクレールも、ブドウジュースをほんの少しだけ口にする。

 

 顔色はまだ少し悪い。

 

 だが、彼女は隊長として笑っていた。

 

 戸郷灯里は、そんなエクレールの様子を見ていた。

 

 マジノ女学院の新隊長。

 

 青いスペードを胸に留めた少女。

 

 試合中は胃の不調で倒れかけていたが、今は予備のジャケットに着替え、隊員たちに囲まれている。

 

 その姿は、試合前より少しだけ軽く見えた。

 

 けれど、無理をしていないわけではない。

 

 灯里はグラスを置き、エクレールへ声をかけた。

「エクレールさん」

 

 エクレールはゆっくり振り返る。

「あら。大洗のTOGⅡ乗りさん」

 

 その言い方は柔らかく、どこか楽しそうでもあった。

「少しだけ、お時間よろしいでしょうか」

「ええ。あなたからのお話なら、喜んで」

 

 フォンデュが心配そうにエクレールを見る。

「エクレール様、あまり長くは……」

「分かっていますわ」

 

 エクレールはそう言って、少しだけ苦笑した。

 

 マドレーヌは二人を見て、何かを察したように目を細める。

「行ってらっしゃい、エクレール」

「はい」

 

 エクレールは短く答え、灯里の後についていった。

 

 灯里は彼女を、演習場の端にあるベンチ近くへ案内した。そこなら風も通り、他の生徒たちの邪魔にもならない。

 

 灯里は鞄の中から、小さな紙袋を取り出した。

 

 緑色のTOGⅡのシルエット。中央には小さな十字マーク。端には、なぜか英字で「TOG MEDICAL」と書かれている。

 

 エクレールは、その袋を見つめて固まった。

「これは……?」

「最近試作したものです」

 

 灯里は真面目な顔で言った。

「内容は、胃薬です」

「……胃薬?」

 

 エクレールの声が、少しだけ裏返った。

 

 灯里は頷く。

「はい。風の噂で、マジノ女学院の新隊長は胃の調子が優れないと聞きましたので」

 

 エクレールの頬が、ほんのり赤くなる。

「どなたから、そのような噂を……」

 

 少し離れた場所で、フォンデュが目を逸らした。

 

 ガレットも、なぜか遠くの空を見ている。

「……なるほど」

 

 エクレールは小さく息を吐いた。

「マジノの情報管理には、少し課題があるようですわね」

「体調管理の共有は大事です」

「それは否定できませんわ」

 

 灯里は紙袋を差し出す。

 

 だが、エクレールが受け取る前に、灯里は少しだけ真剣な声になった。

「ただし、無理に使わないでください」

 

 エクレールが瞬きをする。

「胃薬なのに?」

「胃薬だからです」

 

 灯里は紙袋の中から、成分表と使用説明書を見せた。

「一応、成分表と使用説明書も入っています。心配なら、マジノ女学院の保健担当の方に確認してから使ってください」

「随分と丁寧ですのね」

「TOGⅡ印ですが、薬ですので」

「そこは、逆に少し不安ですわ」

「TOGⅡは安全です」

「戦車の話ではありません」

 

 エクレールは苦笑した。

 

 灯里は、その様子を見て少しだけ安心する。

 

 笑えるくらいの元気はある。それなら、きっと大丈夫だ。

 

* * *

 

 その紙袋の始まりは、少し前のことだった。

 

 大洗女子学園の授業が終わったあと、灯里は自宅地下のガレージにいた。

 

 そこには、本来ならTOGⅡが鎮座している。長く、重く、存在感のありすぎる車体。

 

 だが最近は、TOGⅡを学校側で整備する時間が増え、自宅地下のスペースには少しだけ寂しさがあった。

「TOGⅡがいない地下ガレージは、少し広すぎますね」

 

 灯里がそう呟いた時だった。

 

 ガレージの奥に、見覚えのない扉があることに気づいた。

 

 昨日まではなかった。少なくとも、灯里の記憶にはない。

 

 だが、扉はそこにあった。

 

 いかにも当然のように。

「……今度は医務室ですか」

 

 灯里は数秒だけ考えた。

 

 そして、考えるのをやめた。

「大洗ですから」

 

 扉を開けると、そこには小さな部屋があった。

 

 白い壁と清潔な棚。小型の薬剤調合装置、診断補助端末、薬剤成分分析機、救急箱、戦車道競技者向け健康管理キット。

 

 そして、分厚い書類の束。

 

 灯里は一番上の書類を手に取る。

 

 そこには、厚生労働省らしき許認可書類と、戦車道競技者用健康管理設備としての登録書類が入っていた。

 

 使用履歴の記録義務。

 

 薬剤調合の制限事項。

 

 既存薬の範囲内での安全な調合。

 

 ドーピングに該当する成分の使用禁止。

 

 医師の診断を必要とする症状への単独使用禁止。

 

 灯里は、しばらく無言で読んだ。

 

 そして、静かに頷いた。

「意外と、ちゃんとしています」

 

 それは大事なことだった。

 

 何でも治せる装置ではない。病気を一瞬で消すものでもない。寿命や体質を根本から変えるものでもない。

 

 できるのは、胃薬、酔い止め、栄養補助剤、外用薬、応急処置用の薬、既存薬の範囲内での調合。

 

 つまり、便利ではある。

 

 けれど、万能ではない。

「よく分からないものを、よく分からないまま使うのは怖いです」

 

 灯里はそう言いながら、説明書を読み込んだ。

 

 試しに、いくつかの項目を確認する。

 

 乗り物酔い止め。疲労回復補助剤。口内炎用の薬。喉飴。栄養ゼリー。長距離移動用補助食品。

 

 さらに、妙な項目もあった。

 

 TOGⅡ酔い止め。

 

 長時間低速移動時の、眠気防止ではない疲労補助。

 

 砲撃音で胃が痛い人用胃薬。

「最後のものは、需要がありそうです」

 

 灯里は真剣に言った。

 

 そして思い出した。

 

 マジノ女学院のエクレール。

 

 試合中、胃の不調で倒れかけていた新隊長。

 

 胃薬を忘れたと言いながら、それでも戦車道を続けようとした人。

 

 あれは、ただのギャグではなかった。

 

 隊長としての責任。伝統を変える重さ。仲間を背負う怖さ。

 

 それらが、彼女の胃に集まっていたのだろう。

 

 灯里は、調合装置の画面を見た。

「まずは、普通の胃薬からですね」

 

 そうしてできたのが、今エクレールへ渡そうとしている紙袋だった。

 

* * *

 

 現在。

 

 エクレールは、灯里から紙袋を受け取った。

 

 袋のTOGⅡの絵を、じっと見る。

「なぜ胃薬の袋に、TOGⅡが描かれていますの?」

「分かりやすいからです」

「何がですの?」

「私から渡したことが」

「それは確かに分かりますわね」

 

 エクレールは思わず笑った。その笑い方は、試合中よりも少し柔らかい。

 

 灯里は続ける。

「もし飲み続けて評判が良ければ、今後も定期的に送ります。もちろん、体に合わなければすぐにやめてください」

「ありがとうございます」

 

 エクレールは、袋を胸元に抱えるように持った。

「できれば、使わないで済むのが一番なのですけれど」

 

 その言葉に、灯里は少しだけ目を細めた。

 

 エクレールは、遠くにいるマジノの隊員たちを見る。

 

 フォンデュ。ガレット。ソミュアの搭乗員たち。ARL44の整備に回っている隊員たち。

 

 試合前とは、少しだけ空気が違っていた。

 

 不安はまだある。疑問も消えていない。エクレールの改革を、全員が完全に受け入れたわけでもない。

 

 けれど、彼女はもう一人ではなかった。

 

 マドレーヌも、少し離れた場所からそれを見ている。

 

 前隊長としてではなく、今はただ、次へ進もうとしている後輩を見守るように。

「でも」

 

 エクレールは、青いスペードに指を添えた。

「今後は少し、ましになるかもしれません」

 

 それは、胃薬があるからだけではない。

 

 背負うものを、少しだけ分け合えたから。

 

 自分が作ろうとしている伝統の中に、すでに仲間たちがいると分かったから。

 

 灯里は、その意味をなんとなく察した。

「使わないで済む薬が、一番良い薬なのかもしれません」

「そうですわね」

 

 エクレールは微笑む。

「でも、持っているだけで安心できるものもあります」

「TOGⅡと同じですね」

「いえ、それはどうでしょう」

 

 即答だった。

 

 灯里は少しだけ残念そうにする。

「TOGⅡも、いるだけで安心できます」

「相手側からすると、胃が痛くなる存在でしたわ」

「効果が出ていますね」

「出てはいけない効果です」

 

 エクレールが笑う。

 

 灯里も、ほんの少しだけ笑った。

 

* * *

 

 少し離れた場所では、フォンデュがその様子を見ていた。

 

 ガレットが隣に立つ。

「何を渡されていましたの?」

「胃薬だそうです」

「……大洗女子学園は、戦車だけでなく薬も出してきますの?」

「TOGⅡ印だそうです」

「なおさら不安ですわね」

 

 フォンデュは小さく笑った。

「ですが、エクレール様は嬉しそうです」

 

 ガレットは少しだけ黙る。

 

 そして、そっぽを向いた。

「なら、よろしいのではなくて」

 

 その言い方は、どこか不器用だった。

 

 マドレーヌは、その隣で静かにグラスを傾けていた。

 

 中身は、ブドウジュース。

 

 かつてのマジノなら、勝った相手と同じテーブルを囲むことに、もう少し硬さがあったかもしれない。

 

 けれど今日のエクレールは、敗北のあとでも笑っている。

 

 悔しさを抱えたまま、前を向こうとしている。

「薬よりも」

 

 マドレーヌが、小さく呟いた。

 

 フォンデュとガレットが振り返る。

 

 マドレーヌは、エクレールを見たまま続けた。

「背負うものを分け合える方が、よほど効くかもしれませんわね」

 

 ガレットは少しだけ言葉に詰まった。

 

 フォンデュは静かに頷く。

「……はい」

 

 マドレーヌは微笑んだ。

「それでも、使わないで済む薬があるのは、悪くありませんわ」

 

* * *

 

 灯里は、帰り際にもう一度だけ紙袋の中の説明書を確認した。

 

 この設備で作れるものは、まだ限られている。

 

 胃薬。酔い止め。栄養補助剤。応急処置用の薬。

 

 完全に治す薬ではない。何でも解決するものでもない。

 

 けれど、もしもっと正確な診断データがあれば。

 

 もし、症状に合わせて、少しでも楽にできる補助薬が作れるのなら。

 

 いつか、誰かの役に立つ日が来るのかもしれない。

 

 灯里は、そう思った。

 

 たとえば、今日のように胃を押さえる誰か。

 

 あるいは、戦車道とは別の場所で、長く体調と向き合っている誰か。

 

 だが、それはまだ先の話だ。

 

 今は、目の前のことから。

 

 戦車道で出会った人が、少しでも楽になること。

 

 隊長として背負う重さが、ほんの少しでも軽くなること。

 

 それくらいなら、TOGⅡ印の胃薬にも、できることがあるのかもしれない。

 

 エクレールは紙袋を持ち、灯里へ向き直った。

「戸郷さん」

「はい」

「次に戦う時は、できれば胃薬なしで挑みたいですわ」

「それが一番です」

 

 灯里は頷いた。

「ですが、必要なら送ります」

「ええ」

 

 エクレールは、青いスペードを指先で軽く押さえた。

「お守りとして、受け取っておきます」

 

 風が吹く。

 

 高原の草が揺れる。

 

 交流会のテーブルでは、TOG型の焼き菓子と、マジノのブドウジュースが並んでいた。

 

 マジノ女学院の青いスペードと、TOGⅡ印の小さな紙袋が、同じ光の中にあった。

 

 使わないで済む薬。

 

 それはきっと、今日のエクレールにとって、少しだけ未来を軽くするものだった。

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