『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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全国大会抽選回です、そして黒森峰のあの方たちと出会います。
果たして灯里の反応は…?

2026年6月28日 11時40分
あとがきに次回予告を追加しました。


第25話「全国大会抽選会」

 大洗女子学園の面々が抽選会場へ到着した時、入口には大きな横断幕が掲げられていた。

 

『第63回 戦車道 全国高校生大会』

 

 白い布地に濃く印刷されたその文字は、遠くからでもよく見えた。周囲には各校の生徒たちが集まり、制服の色も、歩き方も、話す声の調子も、大洗とは少しずつ違っている。潮風と油の匂いが混ざる大洗の格納庫とは違い、ここには大会前の緊張と、名門校が持つ静かな圧があった。

「うわあ……本当に全国大会なんだ」

「すごいであります! 全国の強豪校が一堂に会する、この空気……感動であります!」

 

 武部沙織が小さく息を呑み、秋山優花里はすでに目を輝かせていた。

 

 会場の周囲には、様々な制服を着た生徒たちが集まっている。重厚な雰囲気の制服。華やかな制服。見覚えのある名門校の制服。そして、大洗女子学園とはまるで違う、戦車道の歴史を背負っているような空気。

 

 西住みほは、その中を少し緊張した様子で歩いていた。

 

 隣にはAチームの四人。沙織、五十鈴華、優花里、冷泉麻子。さらに少し後ろに、戸郷灯里。そして、生徒会の角谷杏、小山柚子、河嶋桃が続いている。

「なんか、みんな強そうだね……」

「実際、強い学校ばかりであります」

「言わないでほしかったなあ」

 

 沙織が肩を落とす。

 

 麻子は半分眠そうな顔で周囲を見た。

「朝から人が多い」

「麻子、それ感想そこなの?」

「大事だ」

 

 華は会場の様子を静かに見回していた。

「全国大会というだけあって、空気が違いますね」

「はい」

 

 みほは頷く。

「ここにいる学校は、みんな勝ち上がるために来ているんだと思います」

 

 その声には、少しだけ硬さがある。

 

 灯里は、みほの横顔を見た。

 

 隊長としての緊張。西住流として見られるかもしれない重さ。そして、初めての全国大会。その全部が、みほの小さな肩に乗っているように見えた。

 

 そこへ、聞き覚えのある落ち着いた声が届いた。

「ごきげんよう」

 

 振り返ると、そこには聖グロリアーナ女学院のダージリンとオレンジペコがいた。

 

 ダージリンは、いつも通り優雅に微笑んでいる。

「西住さん、戸郷さん。全国大会の抽選会でまたお会いできましたわね」

「はい。よろしくお願いします」

 

 みほが少し緊張しながら頭を下げる。

 

 灯里も続いた。

「ごきげんよう、ダージリン様」

 

 言ってから、灯里は少しだけ固まった。

 

 自然に出た。

 

 聖グロ時代の名残。紅茶の香り、整えられた隊列、決められた礼儀。まだすべてを鮮明に思い出せるわけではないのに、身体だけが先に覚えている。

 

 ダージリンは楽しそうに目を細めた。

「ふふ。少しずつ戻ってきているようね、ルイボス」

「……はい。でも、今は大洗の戸郷灯里です」

「ええ。分かっていますわ」

 

 その言葉は、穏やかだった。

 

 ダージリンの視線が、みほへ移る。

「抽選は、時に戦いの半分を決めます。良い紅茶になるか、少し渋い紅茶になるかは、運次第ということもありますわ」

「運次第……」

 

 沙織が小声で呟く。

「なんか余計に緊張してきた……」

「武部殿、戦車道において運も重要な要素であります!」

「秋山さん、それ励ましになってる!?」

 

 ダージリンは小さく笑った。

「では、また後ほど」

 

 聖グロの二人が去っていく。

 

 その少し後、今度は黒髪の少女と副官らしき少女が近づいてきた。

 

 マジノ女学院のエクレールとフォンデュだった。

「大洗女子学園の皆さん。先日は、よい試合をありがとうございました」

 

 エクレールは丁寧に一礼する。

 

 みほも慌てて頭を下げた。

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

 灯里は、エクレールの顔色を見た。

 

 前よりは良さそうだ。少なくとも、今すぐ胃薬が必要そうな顔ではない。

「エクレールさん、体調はいかがですか」

「ええ。おかげさまで」

 

 エクレールは少しだけ苦笑する。

「いただいたものは、まだ大切に持っていますわ。できれば使わないで済ませたいですけれど」

「それが一番です」

 

 フォンデュが横で微笑む。

「試合以降、エクレール様は少しだけ胃薬の量が減りました」

「フォンデュ」

「良いことです」

「否定はしませんけれど、ここで言わなくてもよろしいですわ」

 

 灯里は真剣に頷いた。

「TOG MEDICAL、役に立っているようで安心しました」

「その名前はまだ少し不安ですわね」

 

 エクレールはそう言いながらも、柔らかく笑った。

 

 そして、会場の奥を見る。

「お互い、良い組み合わせになるといいですわね」

「はい」

 

 みほが頷く。

 

 だが、灯里は内心で少しだけ祈っていた。

 

 良い組み合わせ。

 

 その言葉が、どこまで良いものなのかは分からない。

 

 でも、少なくとも。

 

 ここだけは、ずれないでください。

 

* * *

 

 抽選会場の指定席に着くと、正面には大きなトーナメント表が掲げられていた。

 

 十六校。

 

 四回勝てば、優勝。

 

 言葉にすれば簡単だった。

 

 だが、その四回の中には、強豪校がひしめいている。

 

 プラウダ高校。

 

 サンダース大学付属高校。

 

 聖グロリアーナ女学院。

 

 黒森峰女学園。

 

 継続高校。

 

 名前を見ているだけで、空気が重くなる。

「四回勝てば優勝……」

 

 沙織が小さく呟く。

「四回だけって聞くと、いけそうな気もするんだけど」

「その四回が、とんでもなく大変なのであります」

「だよねえ……」

 

 みほはトーナメント表を見つめていた。

 

 大洗女子学園の抽選順は八番目。

 

 まだ、いくつかの枠が空いている。

 

 灯里は、その空き枠を目で追った。

 

 四番。

 

 すでにそこには、プラウダ高校の名前があった。

 

 前回優勝校。雪原での持久戦。カチューシャとノンナ。今の大洗がいきなり当たるには、あまりにも厳しい相手だった。

 

 八番。

 

 サンダース大学付属高校の名前がある。

 

 強豪校。資金力も、戦車数も、人員も多い。だが、まだ勝ち筋を作れる相手。

 

 灯里は、その枠をじっと見つめた。

 

 TOGⅡが置いていかれず、役目を持てる相手。

 

 それでいて、大洗が勝ち筋を作らなければならない相手。

 

 十二番。

 

 ヨーグルト学園。

 

 灯里は少しだけ首を傾げた。

 

 ブルガリア系モチーフの学園艦だったはずだ。前の二校に比べれば、勝てる可能性は高いのかもしれない。だが、そのブロックの先には聖グロリアーナ。さらに勝ち上がれば、黒森峰が来る可能性もある。

 

 厳しい。

 

 そして、十五番。

 

 継続高校。

 

 灯里は、心の中で少しだけ身構えた。

 

 ある意味、今の大洗が一番当たりたくない相手かもしれない。

 

 機動力。奇策。地形利用。TOGⅡが完全に置いていかれる未来が、少しだけ見える。

 

 灯里は静かに手を合わせた。

 

 どうか。

 

 ここだけは、ずれないでください。

「戸郷さん?」

 

 隣のみほが小声で聞いてくる。

「何か、祈ってる?」

「はい」

「何を?」

「TOGⅡが細い道に入らなくて済む未来を」

「そ、そうなんだ……」

 

 みほは困ったように笑った。

 

 だが、灯里はかなり真剣だった。

 

 やがて、司会の声が会場に響く。

『続いて、大洗女子学園』

 

 大洗の席に緊張が走った。

 

 みほが立ち上がる。

「行ってくるね」

「みほ、がんばって!」

「西住殿、武運を祈るであります!」

「落ち着いて引けば大丈夫です」

「寝ずに見てる」

「麻子、それ今言うこと?」

 

 沙織たちの声を背に、みほは壇上へ向かった。

 

 箱の前に立つ。

 

 一瞬、深呼吸。

 

 そして、手を入れる。

 

 カードを一枚、引いた。

 

 会場が静まる。

 

 みほがカードを司会へ渡す。

 

 司会が高らかに読み上げた。

『大洗女子学園、八番!』

 

 その瞬間、灯里は小さく息を吐いた。

 

 トーナメント表に、大洗女子学園の名前が表示される。

 

 八番。

 

 その隣には。

 

 サンダース大学付属高校。

 

『大洗女子学園、初戦の相手はサンダース大学付属高校です』

 

 会場がざわついた。

「大洗?」

「聞いたことない学校ですわね」

「戦車道、復活したばかりでは?」

「相手はサンダースでしょう? これは……」

 

 周囲の声が、遠くから聞こえる。

 

 サンダース側の席では、金髪の少女が明るく笑っている。その近くで、別の少女が何かを確認しながら、こちらを見ていた。

「よっしゃー!」

 

 遠目に、アリサらしき生徒が喜んでいるのが見えた。

 

 沙織がそれを見て、少し顔を引きつらせる。

「もしかして、喜ばれてる?」

「無名校ですから、そう見られるのも仕方ないであります」

 

 優花里が少し悔しそうに言う。

 

 みほが席へ戻ってきた。

「ごめんね。強豪校と当たっちゃって……」

「みほが謝ることじゃないよ!」

 

 沙織がすぐに言う。

 

 だが、不安は消えない。

「サンダース校って、そんなに強いの?」

「強いであります!」

 

 優花里は資料を取り出した。

「サンダース大学付属高校は、アメリカ系の強豪校です。資金力が非常に高く、戦車道の規模も大きいです。一軍から三軍まであると言われるほど、層も厚いのであります!」

「一軍から三軍……」

 

 華が少し目を丸くする。

「そんなに多くの方が戦車道を?」

「はい! 保有車両数もかなり多いであります!」

 

 みほが補足する。

「一回戦は最大十両までだから、全部の戦力が出てくるわけじゃないけど……それでも、こちらより四両多いです」

「四両……」

 

 沙織が指を折る。

「大洗が六両だから、相手は十両?」

「はい」

「多い!」

 

 麻子がぽつりと言った。

「負けたら、単位がもらえないのでは」

「えっ、もらえないんじゃない……?」

 

 沙織まで不安になり始める。

 

 麻子は無言で、持っていたメモ紙にフォークを刺すような仕草をした。

「麻子、今ケーキじゃないよ!?」

「怒りを表現した」

「フォークで!?」

 

 少しだけ空気が緩む。

 

 だが、生徒会の三人だけは、笑い方が少し違っていた。

 

 柚子は資料を見ながら、少し顔色が悪い。桃は口を結び、腕を組んでいる。杏だけが、いつも通りの笑みを浮かべていた。

「まあ、勝つしかないよねー」

 

 その言葉は軽い。

 

 けれど、灯里には分かる。

 

 軽く聞こえるだけだ。

 

 この人たちにとって、その言葉はきっと、重すぎる。

 

* * *

 

 抽選は進んでいった。

 

 マジノ女学院の初戦の相手は、アンツィオ高校。

 

 それを聞いたエクレールが、少しだけ安堵したように見えた。

 

 灯里は小さく頷く。

 

 エクレールさんの胃に、少し優しい組み合わせかもしれません。

 

 もちろん、アンツィオ高校を侮るわけではない。だが、初戦からプラウダや黒森峰に当たるよりは、まだ現実的だ。

 

 一方、聖グロリアーナ女学院の相手はBC自由学園だった。

 

 その瞬間、BC側の席から言い争う声が聞こえてきた。

「強豪校と当たってしまったではないか!」

「君のくじ運が悪いんだ!」

「なにをー!」

 

 沙織がびくっとする。

「な、なんか揉めてる?」

「BC自由学園は、二つの学校が合併した学園艦であります。内部の派閥意識が強いという噂も……」

 

 優花里が小声で説明する。

 

 灯里は少しだけ遠い目をした。

 

 たしか、マジノ女学院とも関係の深い学校だったはずだ。

 

 これ以上、エクレールさんの胃が痛まないことを祈ります。

 

 トーナメント表は、少しずつ埋まっていく。

 

 聖グロリアーナとは反対ブロック。

 

 次に戦うとしたら、決勝。

 

 だが、その前に向こうには黒森峰がいる可能性が高い。

 

 灯里は表を見上げた。

「遠いですね、決勝は」

「うん」

 

 みほも小さく頷いた。

「でも、まずは初戦だね」

「はい」

 

 灯里は、サンダースの名前を見た。

 

 初戦。

 

 大洗女子学園の全国大会は、強豪校との戦いから始まる。

 

* * *

 

 抽選会が終わると、ちょうど昼時だった。

 

 生徒会は大会関係者との確認があるらしく、別行動になった。

 

 Aチームの五人と灯里は、会場近くの喫茶店に入ることにした。

 

 店の看板には、こう書かれていた。

 

『戦車喫茶 ルクレール』

 

「戦車喫茶……」

 

 沙織が看板を見上げる。

「すごい名前だね」

「戦車道の抽選会場の近くですから、こういうお店も多いのであります!」

 

 優花里はすでに興味津々だ。

 

 店内に入ると、そこは戦車道関係者向けの小さなテーマパークのようだった。壁には戦車の写真。テーブル番号は車両番号風。呼び出しボタンは砲塔の形。メニュー表には、各国戦車をモチーフにした料理やスイーツが並んでいる。

 

 華が感心したように言う。

「内装もメニューも、戦車を意識しているのですね」

「流石、戦車喫茶ですね」

 

 灯里も頷く。

 

 そして、メニューを開いた瞬間、動きが止まった。

「……あります」

「何が?」

 

 沙織が覗き込む。

 

 そこには、写真付きでこう書かれていた。

 

『TOGⅡスイーツセット』

 

 長いエクレア。細長いロールケーキ。履帯風チョコクッキー。小さな砲塔飾り。それは、かつて大洗の調理実習室で生まれたTOG型スイーツの発展形だった。

「えっ、戸郷さんのやつじゃない!?」

「はい」

 

 灯里は、震える声で言った。

「世界が、少しずつTOGⅡに近づいています」

「近づいてるのかな、それ」

 

 沙織が首を傾げる。

 

 優花里は目を輝かせていた。

「素晴らしいであります! TOGⅡスイーツが一般展開されているとは!」

「実は、あの試作品を見た戦車道協会の蝶野教官が、戦車道を盛り上げる企画として提案してくださったそうです」

 

 灯里は、妙に誇らしげだった。

「現在は、TOGⅡバームクーヘンも考案中です」

「バームクーヘンまで……」

 

 みほが少し困ったように笑う。

 

 灯里はメニューを見ながら、しばらく動かなかった。

 

 世界がTOGⅡで埋め尽くされる未来。

 

 喫茶店にTOGⅡ。

 

 土産物屋にTOGⅡ。

 

 遊園地にTOGⅡ。

 

 給食にTOGⅡ。

 

 なんて素晴らしい世界でしょう。

「戸郷さん、すごくいい笑顔になってる」

「危険な笑顔だ」

 

 沙織と麻子が小声で言う。

 

 席に座り、六人はメニューを決めた。

 

 テーブルの端には、砲塔型の呼び出しボタンがある。

「これを押すんですか?」

 

 華が不思議そうに見る。

「押してみようよ」

 

 沙織が軽く押した。

 

 次の瞬間。

 

 どん、と大きな砲撃音が店内に響いた。

「ひゃっ!?」

 

 沙織が飛び上がる。

 

 麻子は半目のまま呟いた。

「起きた」

「麻子が!?」

 

 優花里は目を輝かせる。

「おそらく九〇式戦車の砲撃音を再現したものですね! 実際の音とは当然違いますが、雰囲気があります!」

「戦車道をやっていると、こういう音にも少し慣れてきますね」

 

 華が静かに言う。

「慣れたくなかったかも……」

 

 沙織が肩を落としたところで、店員がやって来た。

「ご注文はお決まりですか?」

 

 華が皆の前に置かれたメニューを静かに確認した。

「では、まとめてお願いいたします」

 

 沙織が頼んだパスタ。みほのサンドイッチと紅茶。優花里の戦車カレー。麻子の甘いものと飲み物。灯里のTOGⅡスイーツセット。

 

 華はそれらを順に伝えたあと、最後に自分の分を続ける。

「それから、私はチョコレートケーキを二つ、いちごタルトを一つ、レモンパイ、ニューヨークチーズケーキをお願いいたします」

 

 店員は一瞬だけ固まった。

「……以上で、六名様分でしょうか?」

「はい」

 

 華はにこやかに頷く。

 

 沙織は思わずメニューから顔を上げた。

「華、全員分まとめてくれたんだよね?」

「はい」

「でも最後のケーキ、全部華の分だよね!?」

「はい。軽く、です」

「軽く!?」

 

 みほが苦笑する。

 

 優花里は感動していた。

「五十鈴殿、見事な注文であります!」

「ありがとう、秋山さん」

 

 麻子は眠そうに呟く。

「私は甘いものなら賛成だ」

「麻子まで……」

 

 沙織は頭を抱えた。

 

* * *

 

 しばらくすると、テーブル横の小さなレーンが動き出した。

 

 ドラゴンワゴンを模したミニ搬送台が、料理を乗せてやって来る。

「わあ、何これ!?」

「ドラゴンワゴン型の搬送台であります! 回転寿司の新幹線レーンに近い仕組みですね!」

 

 優花里が嬉しそうに説明する。

 

 一台目に軽食。二台目にケーキ類。そして三台目。

 

 長い。

 

 やたら長いスイーツが乗っていた。

 

 写真より大きい。

 

 明らかに、TOGⅡだった。

 

 灯里は立ち上がりそうになった。

「スイーツでもTOGⅡですね」

「戸郷さん、座って」

 

 みほが慌てて止める。

 

 華は目を輝かせた。

「まあ。想像よりも立派です」

「華さん、食べられますか」

 

 灯里が真剣に聞く。

 

 華は上品に微笑んだ。

「もちろん完食します」

 

 その声には、一点の迷いもなかった。

 

 灯里は深く頷く。

「頼もしいです」

 

 やがて、料理とスイーツが並ぶ。

 

 戦車型のケーキ。砲塔を模したチョコ飾り。履帯風のクッキー。主砲のような棒菓子。

 

 華は嬉しそうに眺める。

「どれも可愛いですね」

「戦車モチーフなのに、ちゃんと可愛いのすごいね」

 

 沙織も感心していた。

 

 灯里はTOGⅡスイーツにフォークを入れる。

 

 だが、長い。

 

 食べても、まだ長い。

 

 華と麻子がそれぞれのケーキを食べ終える頃、灯里はまだTOGⅡの半分ほどだった。

「TOGⅡは、スイーツになっても長いですね」

「そこが魅力です」

 

 灯里は真剣だった。

 

* * *

 

 少し落ち着いたところで、みほが小さく口を開いた。

「ごめんね」

 

 沙織が顔を上げる。

「え?」

「強豪校と当たっちゃって」

 

 みほは、サンドイッチの皿を見ながら言った。

「サンダースは、本当に強い学校だから」

 

 華が静かに首を横に振る。

「西住さんが謝ることではありません」

「そうだよ、みほ。くじだもん」

 

 沙織も笑って見せる。

 

 だが、みほの表情はまだ少し重い。

 

 優花里が説明を続けた。

「サンダース大学付属高校は、資金力も人員もかなり豊富です。戦車もたくさん持っていて、練度も高いであります」

「一回戦は十両までだから、極端な差にはならないけど……」

 

 みほが言う。

「それでも、こちらより四両多いです」

「四両差って、やっぱり大きいよね」

 

 沙織が少し不安そうに言う。

 

 麻子は、ケーキにフォークを突き刺した。

「単位がかかっている」

「麻子、本当にそこなんだね」

「重要だ」

 

 沙織が苦笑する。

 

 それから、ふと思い出したように顔を明るくした。

「でもさ、全国大会って勝ち進んだらテレビ中継とかあるんだよね? もしかして、有名になっちゃうかもー」

「武部殿、確かに注目度は上がると思います!」

「えへへ、どうしよう。インタビューとか来ちゃったら」

「まず勝つ必要がある」

「麻子、現実に戻さないで!」

 

 みんなが少し笑う。

 

 その笑いは、まだ軽い。

 

 全国大会に出られるだけでもすごい。負けても記念になる。ベストを尽くせば、それで十分。

 

 きっと、大洗の多くの生徒は、まだそう思っている。

 

 灯里は、TOGⅡスイーツの残りを見つめた。

 

 生徒会だけは違う。

 

 そして、自分も。

 

 負けても記念。

 

 そう言える状況ではないことを、知っている。

 

 だが、今ここで言うことはできなかった。

 

* * *

 

 食事を再開しようとした時だった。

 

 通路側から、声がした。

「副隊長……?」

 

 その声に、みほの手が止まった。

 

 灯里も顔を上げる。

 

 そこに立っていたのは、黒森峰女学園の制服を着た二人だった。

 

 一人は、西住まほ。

 

 もう一人は、逸見エリカ。

 

 みほの表情が、明らかに変わった。

「お姉ちゃん……」

 

 まほは、鋭い視線でみほを見る。

 

 エリカは、少しだけ口元を歪めた。

「ああ、元でしたね」

 

 その言葉に、沙織が眉をひそめる。

 

 華も、優花里も、麻子も、息を呑んだ。

 

 まほは静かに言った。

「まだ戦車道をやっているとは思わなかった」

 

 みほは、俯いた。

 

 去年の決勝。黒森峰。西住流。逃げるように転校した過去。その重さが、ほんの一言でテーブルに落ちてきた。

 

 優花里が立ち上がる。

「あの試合のみほさんの判断は、間違っていませんでした!」

 

 エリカの視線が、優花里へ向く。

「部外者は黙ってて」

「す、すみません……」

 

 優花里は怯む。

 

 みほは何も言えない。

 

 まほは短く言った。

「行こう」

 

 二人は去ろうとする。

 

 重い空気。

 

 それを見ながら、灯里はエリカをじっと見ていた。

 

 そして、心の中で呟いた。

 

 あっ。

 

 ワニの人です。

 

「逸見エリカさん」

 

 灯里は立ち上がった。

 

 エリカが怪訝そうに振り返る。

「何よ」

 

 灯里は鞄の中から、小さなぬいぐるみを取り出した。

 

 ワニ。

 

 ただし、普通のワニではない。

 

 TOGⅡの着ぐるみを着たワニだった。

 

 長い車体風の布をまとい、背中には小さな砲塔がついている。

 

 灯里は真剣な顔で、それを差し出した。

「あなたに、これを」

「……何よ、これ」

 

 エリカの顔が、困惑で固まった。

「TOGⅡの着ぐるみを着たワニのぬいぐるみです」

「見れば分かるわよ! 分からないけど!」

 

 灯里は続ける。

「TOGⅡ世界征服プロジェクトの試作品です」

「何その物騒な名前!?」

「去年の練習試合の時から、あなたを見ていたら、そんなアイディアが浮かびまして」

「なんで私を見て、ワニにTOGⅡを着せる発想になるのよ!」

「直感です」

「最悪の直感ね!」

 

 沙織が小声で言う。

「戸郷さん、すごい方向から空気変えてきた……」

 

 麻子は半目で頷いた。

「強い」

 

 灯里は、さらにエリカへ近づき、小声で言った。

「ちなみに、この喫茶店にはTOGⅡハンバーグがあります。ぜひ食べてみてください」

 

 エリカの表情が変わった。

「……なんで、私がハンバーグ好きだって知ってるのよ」

 

 灯里は、少しだけ意味深に笑う。

「ふふっ。私は日本帝国軍情報省の者でして」

「どこにあるのよ、そんな省!」

「秘密機関です」

「嘘つきなさいよ!」

 

 エリカはワニぬいぐるみを受け取ったまま、突き返さなかった。

 

 その手は、微妙にぬいぐるみの砲塔を撫でている。

 

 灯里は内心で頷いた。

 

 ツンデレです。

 

 エリカがぎろりと睨む。

「今、何か失礼なこと考えたでしょ」

「いえ。ワニは可愛いと思っていました」

「なおさら失礼よ!」

 

 まほは、そのやり取りを静かに見ていた。

 

 何かを言うわけではない。

 

 ただ、少しだけ視線をみほへ向ける。

 

 そして、今度こそ歩き出した。

「行くぞ、エリカ」

「は、はい」

 

 エリカは、ぬいぐるみを持ったまま慌ててまほの後を追う。

 

 去り際、もう一度だけ振り返り、灯里を睨んだ。

「これ、借りるだけだから!」

「はい。正式採用版をお楽しみに」

「いらないわよ!」

 

 二人は去っていった。

 

 重かった空気は、少しだけ変わっていた。

 

 けれど、みほの表情は完全には戻らない。

 

 華が静かにメニューを手に取った。

「もう一つ、食べましょうか」

「華、そういう励まし方!?」

 

 沙織が思わず突っ込む。

 

 麻子は、すでに自分のケーキを食べ終えていた。

「私は賛成だ」

「麻子も!?」

 

 灯里は、自分のTOGⅡスイーツを見た。

 

 まだ半分。

 

 華は、すでに追加注文の準備をしている。

 

 みほは、その様子を見て、ほんの少しだけ笑った。

 

 完全に元気になったわけではない。

 

 でも、ひとりではない。

 

 テーブルの上には、食べかけの皿があり、冷めかけた紅茶があり、長すぎるTOGⅡスイーツがまだ半分残っていた。さっきまで胸を締めつけていた言葉は消えない。それでも、隣には沙織がいて、華がいて、優花里がいて、麻子がいて、灯里がいる。

 

 黒森峰にいた頃とは違う。

 

 ここでは、沈黙しても、誰かが隣に座ってくれる。

 

 みほは、もう一度だけ小さく笑った。

 

 それが、今の大洗だった。

 

* * *

 

 夕方。

 

 抽選会を終えた大洗の面々は、学園艦へ戻るための小型移動艦に乗っていた。

 

 空は少し赤く染まり始めている。

 

 昼間の会場にあった熱気は、少しずつ遠ざかっていた。代わりに、甲板を撫でる風と、低く響くエンジンの音と、海の匂いが戻ってくる。大洗の空気に近いその匂いを吸うと、灯里はようやく一日が終わりに近づいているのだと感じた。

 

 みほは艦橋近くで、海を眺めていた。

 

 風が髪を揺らす。

 

 そこへ、優花里が静かに近づいた。

「西住殿」

「秋山さん」

「寒くないですか?」

「うん、大丈夫」

 

 みほは小さく笑った。

 

 優花里は、少しだけ迷ってから言う。

「私は、全国大会に出られるだけでも嬉しいです」

 

 みほが、優花里を見る。

「たとえ、ベストを尽くして負けたとしても……それはきっと、大切な経験になると思うのであります」

 

 優しい言葉だった。

 

 みほは、少しだけ目を伏せる。

 

 その時。

「それじゃあ困るんだよねー」

 

 杏の声がした。

 

 振り返ると、そこには生徒会の三人がいた。

 

 杏はいつものように笑っている。

 

 だが、柚子の表情は少し硬い。

 

 桃は、はっきりと険しい顔をしていた。

「絶対に勝て」

 

 桃が言った。

「我々は、どうしても勝たなければならない」

 

 優花里が驚いたように目を見開く。

「どうしても……?」

 

 柚子が、つい口を開きかける。

「そうなんです。だって、負けたら――」

 

 その瞬間、杏が軽く手を上げた。

「柚子ちゃん」

 

 柚子は、はっとして口を閉じた。

 

 空気が止まる。

 

 みほも、優花里も、何かを感じ取ったように黙った。

 

 杏はすぐに、いつもの調子へ戻る。

「まあ、西住ちゃんと戸郷ちゃんにかかってるから、頑張ってねー」

「か、会長……」

 

 桃が何か言いたげにするが、杏はそれ以上言わなかった。

 

 生徒会の三人は、そのまま去っていく。

 

 みほは、海へ視線を戻した。

「どうしても、勝たなきゃいけない……」

 

 優花里は不安そうに言う。

「全国大会で優勝するというのは、簡単なことではありません。ですが、生徒会の皆さんは、何か……」

 

 言葉が続かなかった。

 

 少し離れた通路。

 

 灯里は、その会話を聞いていた。

 

 みほたちからは見えない位置。

 

 けれど、生徒会の言葉は、はっきりと届いていた。

 

 負けたら。

 

 終わる。

 

 その事実を、灯里は知っている。

 

 でも、まだ言えない。

 

 ここで言えば、みほの戦車道はまた別の重さを背負ってしまう。大洗のみんなの空気も変わってしまう。戦車道を選んだばかりの生徒たちが、まだ知らなくていい重さが、全部のしかかってしまう。

 

 生徒会だけが抱えている重さ。

 

 それを、灯里は知っている。

 

 知ってしまっている。

 

 夕暮れの海は、静かだった。

 

 学園艦の方角に、光が見える。

 

 あの上には、普通科も、船舶科も、商業科も、農業科も、給食部専攻もある。何千人もの生徒がいて、もっと多くの人たちが暮らしている。昼休みに食べるご飯があり、放課後の格納庫があり、購買の声があり、誰かが洗濯物を干す生活がある。

 

 そこは、戦車道チームだけの学校ではない。

 

 灯里は、静かに息を吐いた。

「……そろそろ、ですね」

 

 誰に言うでもなく、そう呟く。

 

 次の試合は、サンダース大学付属高校。

 

 全国大会一回戦。

 

 けれど、その前に。

 

 灯里には、向き合わなければならない人たちがいた。

 

 生徒会。

 

 大洗女子学園の秘密を、たった三人で抱えている人たち。

 

 夕暮れの風の中で、灯里は小さく拳を握った。

 

 全国大会は始まった。

 

 そして、大洗女子学園の本当の重さも、少しずつ姿を見せようとしていた。

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