新キャラも居るみたいで楽しみです…!
全国大会抽選会から戻った日の夜。
大洗女子学園艦の上には、いつも通りの灯りがともっていた。
寄宿舎の窓。食堂の明かり。部活動帰りの生徒たちの声。どこか遠くで鳴る船内放送。誰かが笑いながら廊下を走り、別の誰かがそれを注意する声が続く。
それらは、普段と何も変わらない。
けれど、戸郷灯里には少しだけ違って見えた。
全国大会の初戦の相手は、サンダース大学付属高校に決まった。強豪校。十両まで出場可能な一回戦。資金力も、戦車の数も、人員も、大洗とは桁が違う学校。
それだけでも十分に重い。
だが、大洗女子学園に乗っている本当の重さは、それだけではなかった。
灯里は、給食部専攻の調理スペースに立っていた。
今日は、TOGドッグではない。
TOGエクレアでもない。
TOGⅡスイーツでもない。
温かいスープ。小さめのおにぎり。焼き魚。卵焼き。少しだけ甘い煮物。そして、胃に優しそうなルイボスティー。
大きな皿に盛るようなものではない。派手な見た目でもない。けれど、夜遅くまで資料と向き合う人たちには、たぶんこういうものの方がいい。
灯里は並べた盆を見て、静かに頷いた。
「今回は、TOGⅡ要素を控えました」
隣で手伝っていた火野まどかが、少しだけ目を細める。
「控えたんですね」
「はい。箸袋に小さく描こうか迷いましたが、やめました」
「正しい判断です」
まどかは淡々と言った。
呼子かなえは、湯呑みの数を確認しながら首を傾げる。
「今日は生徒会の皆さんへ差し入れ、でしたよね」
「はい」
「何か、あったんですか?」
灯里は一瞬だけ黙った。
言うべきではない。
まだ、言うべきではない。
だから、少しだけ答えをずらす。
「今日の抽選会で、少し顔色が悪かったので」
「河嶋さんですか?」
「小山さんもです」
「会長は?」
小走すずが聞く。
灯里は、盆の端を整えながら答えた。
「会長は、顔色の悪さを干し芋で隠すタイプだと思います」
「分かるような、分からないような……」
早見りんが苦笑する。
米倉ちとせは、おにぎりを包みながら言った。
「でも、食べてもらえるといいですね」
「はい」
灯里は、湯気の立つスープを見た。
「今日は、食べてもらうために持っていきます」
それは、差し入れだった。
けれど、それだけではない。
今夜、灯里は生徒会と話すつもりだった。
大洗女子学園の、いちばん重い秘密について。
* * *
生徒会室の明かりは、まだついていた。
夜の校舎は、昼間より音が少ない。そのぶん、扉の向こうから聞こえる紙をめくる音や、椅子を引く音や、誰かが小さくため息をつく声がよく響いた。
灯里は盆を乗せたワゴンを押し、扉の前で立ち止まる。
深呼吸を一つ。
それから、軽くノックした。
「戸郷です」
中で少しだけ動きが止まった。
すぐに、小山柚子の声が返ってくる。
「どうぞ」
灯里が扉を開けると、生徒会室には三人がいた。
角谷杏は、机の端に座るようにして干し芋を持っている。小山柚子は、資料をまとめながら無理に笑っている。河嶋桃は、腕を組んだままトーナメント表を睨んでいた。
机の上には、全国大会の資料。サンダースの情報。戦車道連盟からの書類。そして、大洗女子学園の戦車道チームの名簿。
紙の上には、ただの文字と数字しかない。
けれど、その一枚一枚が、今の三人には重すぎるものに見えた。
桃が顔を上げる。
「戸郷? こんな時間にどうした」
「差し入れです」
灯里はワゴンを押して入った。
杏が少しだけ目を丸くする。
「お、夜食?」
「夕食を食べ損ねているように見えましたので」
柚子が苦笑した。
「そんなに顔に出てたかな」
「小山さんは、無理に笑う時に少し眉が下がります」
「えっ」
柚子が思わず眉に手を当てる。
桃は少し気まずそうに咳払いした。
「我々は忙しいのだ。夕食くらい後で――」
そこで、腹の音が鳴った。
桃の顔が固まる。
杏がにやっと笑った。
「河嶋ー、説得力ゼロ」
「か、会長!」
灯里は何も言わず、盆を机に並べていく。
スープ。おにぎり。焼き魚。卵焼き。煮物。ルイボスティー。
杏が湯呑みを見て、少しだけ首を傾げた。
「紅茶じゃないんだ」
「今日は、胃に優しそうなものにしました」
桃が眉を寄せる。
「胃に優しい?」
「はい。皆さん、胃が痛そうでしたので」
その言葉に、三人の動きが微妙に止まった。
杏だけは、すぐにいつもの調子で笑う。
「いやー、戸郷ちゃんはよく見てるねー」
「見ています」
灯里は、静かに答えた。
「戦車道のことも、この学園艦のことも」
桃は、何かを感じ取ったのか、少しだけ表情を硬くした。
「……戸郷」
「まずは食べてください」
灯里はそう言って、自分も向かいの椅子に座った。
生徒会室に、しばらく箸の音だけが響いた。
杏はいつも通りに見える。だが、食べる速度はいつもより少し遅かった。柚子は、スープを両手で包むように持っている。桃は最初こそ強がっていたが、一口食べると、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
「……うまいな」
「ありがとうございます」
「べ、別に褒めたわけではないぞ」
「はい」
灯里は頷いた。
「栄養補給は重要です」
杏が、おにぎりを持ったまま笑う。
「給食部専攻っぽいねー」
「私は給食部専攻ではありませんが、いぬさんチームには給食部専攻の専門家がいます」
「専門家」
「はい。補給と段取りの専門家です」
少しだけ空気が緩んだ。
けれど、それも長くは続かなかった。
灯里は、ルイボスティーの湯呑みに手を添えた。
そして、何気ない声で言った。
「……負けたら、廃校ですもんね」
箸の音が止まった。
柚子の指が、湯呑みの縁で止まる。
桃の目が見開かれる。
杏だけが、ほんの少しだけ目を細めた。
生徒会室の空気が、音を立てずに凍った。
「戸郷」
桃の声は、低かった。
「なぜ、それを知っている」
灯里は、逃げなかった。
三人をまっすぐ見る。
「どこで知ったかは、教えられません」
「そんな曖昧な話で済むと思っているのか」
「済まないと思います」
桃が言葉を詰まらせた。
灯里は続ける。
「だから、今ここで言いました」
柚子の顔色が、はっきりと変わっていた。
いつもの柔らかい笑顔は消えている。
杏は干し芋を机に置いた。
「よく知ってるねー」
声は軽い。
けれど、目は笑っていなかった。
「どこまで知ってるの?」
灯里は少しだけ息を吸った。
「戦車道で成果を出せなければ、大洗女子学園は廃校になること」
柚子が息を呑む。
「全国大会で優勝しなければ、その可能性が高いこと」
桃の拳が震える。
「そして、その事実を、今は生徒会の皆さんだけが抱えていること」
生徒会室に沈黙が落ちた。
外から、遠い船内放送の音が聞こえる。
何も知らない生徒たちの声が、廊下の向こうを通り過ぎていく。
それが、かえって重かった。
桃が立ち上がった。
「だったら何だ」
声が荒い。
怒っている。
いや、怒ろうとしている。
「お前は、それを西住たちに言うつもりか」
「言いません」
灯里は即答した。
桃が言葉を止める。
「今すぐ全員に言うべきだとは、思っていません」
灯里は静かに言う。
「西住さんたちには、まだ普通に戦ってほしいです。全国大会に出られることを喜んで、サンダースの強さに驚いて、それでも勝つ方法を考えてほしい」
柚子が、少しだけ目を伏せる。
「でも」
灯里は続けた。
「生徒会の皆さんだけで、抱え込むものではありません」
桃が唇を噛む。
「抱え込むしかないだろう!」
その声には、悲鳴のような響きがあった。
「今、全員に言えばどうなる。戦車道を始めたばかりの連中に、学園の命運まで背負わせるのか。西住はただでさえ――」
桃はそこで言葉を止めた。
みほのことを言いかけたのだろう。
黒森峰から来た少女。西住流の名を持つ隊長。今日、抽選会場で姉と会い、また傷ついた少女。
そのみほに、さらに廃校の重さを乗せるのか。
桃は、それができなかった。
柚子が小さく言う。
「私たちだって、言えるなら言いたいよ」
その声は震えていた。
「でも、言ったら皆が怖がるかもしれない。戦車道をやめたいって言う子が出るかもしれない。西住さんが、自分を責めるかもしれない」
杏は、何も言わない。
ただ、机の上のトーナメント表を見ていた。
灯里は、三人の前に置かれた食事を見た。
冷め始めたスープ。半分残ったおにぎり。湯気の薄くなったルイボスティー。そして、資料の上に置かれた大洗女子学園の名前。
「この学園艦には、普通科も、船舶経営科も、商業科も、農業科も、給食部専攻もあります」
灯里は静かに言った。
「甲板の上だけでも、何千人もの人が暮らしています。艦全体で見れば、もっと多い」
柚子が顔を上げる。
「ここは、戦車道チームだけの学校ではありません」
桃は、何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。
灯里は続ける。
「だからこそ、生徒会の皆さんが抱えているものは、重いです」
それは、理解しているつもりだった。
原作知識としてではない。
今、この学園艦で暮らしている一人として。
TOGⅡで走る一人として。
給食部専攻の仲間と、戦車道チームの仲間と、自動車部の人たちと関わってきた一人として。
灯里は、ようやくその重さを少しだけ実感し始めていた。
「でも」
灯里は、杏を見た。
「一人で持つには重すぎます」
杏は、まだ笑わない。
桃も、柚子も、何も言えない。
灯里は、少しだけ考えた。
そして、不器用に言った。
「これで、私も共犯ですね」
桃の眉が跳ね上がった。
「共犯とは何だ、共犯とは!」
「秘密を知ってしまったので」
「だから共犯なのか!?」
「はい」
灯里は真面目に頷く。
「生徒会の皆さんだけの荷物ではなくなりました」
柚子の目が、少しだけ潤んだ。
杏がようやく口を開く。
「……重いよ、この荷物」
「TOGⅡよりは軽いと思います」
「比べるな!」
桃が即座に突っ込んだ。
その声はまだ荒かった。
けれど、さっきとは少し違っていた。
灯里は真剣な顔で続ける。
「TOGⅡも、一人では動かせません」
「戦車と一緒にするな」
「長くて重いものは、役割を分けないと動きません」
杏が、ふっと笑った。
「戸郷ちゃんらしいねー」
「はい」
灯里は頷いた。
「私は、私にできる場所で支えます」
柚子が小さく息を吐いた。
「支えるって……どうするの?」
「まず、皆さんが食事を抜かないようにします」
桃が目を瞬かせる。
「そこからなのか」
「はい。倒れたら、指示も隠し事もできません」
「隠し事を前提にするな」
「ですが、今はまだ隠すのでしょう」
桃は、言い返せなかった。
灯里は、今度は少しだけ声を低くする。
「いつかは、言わなければいけません」
杏の表情が、わずかに変わる。
「その時、生徒会の皆さんだけが悪者にならないようにしてください」
柚子が唇を噛む。
「大洗のために動いた人たちが、大洗から責められるだけで終わるのは、嫌です」
桃は、黙っていた。
杏は、椅子の背にもたれた。
「いつか、ね」
「はい」
灯里は頷く。
「今はまだ、勝つために動く時です」
その言葉に、杏は少しだけ目を閉じた。
柚子は、ようやく湯呑みを両手で持ち直した。
桃は椅子に座り直し、冷めかけたスープを見た。
「……戸郷」
「はい」
「このことは、絶対に他言するな」
「はい」
「西住にもだ」
「はい」
「Aチームにも、いぬさんチームにも、誰にもだ」
「はい」
桃はしばらく灯里を睨んでいた。
だが、その目には、怒りだけではないものが混ざっていた。
「その代わり」
灯里が先に言った。
「生徒会の皆さんも、無理をしすぎないでください」
「我々は生徒会だ。無理くらいする」
「無理と無茶は違います」
「む……」
桃が言葉に詰まる。
杏が小さく笑った。
「桃ちゃん、言われてるよ」
「会長もです」
「私も?」
「はい」
灯里は杏を見る。
「笑ってごまかすのは、かなり高度な技術だと思います。でも、ずっとは無理です」
杏は、少しだけ目を丸くした。
それから、ゆっくり笑った。
「ほんと、よく見てるねー」
「見ています」
灯里は繰り返した。
「戦車道のことも、この学園艦のことも」
柚子が、少しだけ涙を拭うように目元へ手をやった。
「ありがとう、戸郷さん」
「私は、食事を持ってきただけです」
「ううん。それだけじゃないよ」
柚子は、少しだけ笑った。
その笑顔は、さっきよりも自然だった。
* * *
食事が終わる頃には、スープもおにぎりも、ほとんどなくなっていた。
杏は最後の干し芋ではなく、灯里が持ってきた煮物をつまんでいる。桃は不本意そうな顔をしながらも、卵焼きをきれいに食べ終えていた。柚子は、空になった湯呑みを両手で包んでいる。
生徒会室の空気は、完全に軽くなったわけではない。
廃校の事実が消えたわけではない。
サンダースに勝たなければならないことも、全国大会で優勝しなければならないことも、変わらない。
けれど、たった三人だけで抱えていた秘密に、もう一人だけ触れた。
それだけで、ほんの少しだけ呼吸がしやすくなったように見えた。
灯里は、食器をワゴンに戻す。
「明日から、サンダース戦の準備ですね」
「そうだな」
桃は資料を手に取る。
「敵は十両。こちらは六両。戦力差は大きい」
「資金力も、人員も、経験も違います」
柚子が続ける。
杏は干し芋を一本だけ手に取り、いつもの笑みに戻った。
「でも、勝つしかないよねー」
灯里は頷いた。
「はい」
そして、少しだけ考えてから言う。
「サンダースは、きっと正面から強い学校です」
「分かるのか?」
「資料と、少しだけ勘です」
「勘か」
「はい。ですが、強い学校ほど、強い戦い方をしてきます」
灯里は、トーナメント表のサンダースの名前を見る。
「大洗は、普通に戦っても勝てません」
桃が眉を寄せる。
「はっきり言うな」
「事実です」
灯里は静かに続けた。
「だから、西住さんが必要です」
杏が灯里を見る。
「そして、戸郷ちゃんも?」
「私は、TOGⅡを必要な場所に置きます」
「またそれか」
桃が呆れたように言う。
灯里は真剣だった。
「TOGⅡは速くありません。でも、必要な場所に先に置ければ、役に立ちます」
杏は、どこか楽しそうに頷いた。
「じゃあ、頼むよ。共犯さん」
灯里は一瞬だけ固まった。
桃が叫ぶ。
「会長まで共犯と言わないでください!」
「だって本人が言ったし」
「言いました」
「戸郷も認めるな!」
少しだけ、笑いが生まれた。
重い秘密の上にある、小さな笑い。
それは、この場には必要なものだった。
* * *
生徒会室を出ると、廊下は静かだった。
夜の学園艦。
窓の外には、甲板の明かりが見える。
遠くで、誰かの笑い声がした。
明日になれば、また普通の日常が始まる。
授業があり、部活動があり、食堂があり、戦車道の練習がある。
みほたちは、サンダース戦に向けて考える。
沙織は不安がりながらも通信を頑張る。
華はきっと、落ち着いて砲手席に座る。
優花里はサンダースの資料を山ほど集める。
麻子は朝の早さに文句を言う。
いぬさんチームの五人も、TOGⅡの中で自分たちの役割を果たそうとする。
誰も、まだ知らない。
負けたら、この学園艦がどうなるのかを。
でも、灯里は知っている。
生徒会も知っている。
だから、今夜からは四人になった。
秘密を抱える人数が、ひとり増えた。
それだけのこと。
けれど、灯里はそれを軽いことだとは思わなかった。
「共犯、ですか」
自分で言った言葉を、もう一度小さく呟く。
良い言い方ではない。
でも、今の自分にはそれくらいがちょうどいい気がした。
生徒会の隣に立つ。
みほたちには、まだ言わない。
それでも、何も知らないふりもしない。
できることをする。
食事を運ぶ。
情報を整理する。
TOGⅡを動かす。
必要なら、重い秘密の横に座る。
灯里は廊下の窓から、夜の学園艦を見た。
この場所には、たくさんの人が暮らしている。
戦車道チームだけではない。
生徒会だけでもない。
皆の場所だ。
「負けられませんね」
声は小さかった。
けれど、確かだった。
全国大会一回戦。
相手はサンダース大学付属高校。
大洗女子学園はまだ、学園の本当の危機を知らない。
けれど、その裏側で。
小さな共犯の食卓は、静かに片付けられた。
そして、大洗の明日は、また少しだけ重くなった。
【次回予告】
全国大会一回戦。
相手は、サンダース大学付属高校。
資金力、車両数、補給体制。
何もかもが大洗より大きい相手を前に、みほたちは作戦を立てるための情報を必要としていた。
優花里:
「相手の編成が分かれば、作戦も立てやすいであります!」
灯里:
「では、確認しに行きましょう」
沙織:
「えっ、今なんて言った!?」
みほ:
「優花里さん、戸郷さん、無理はしないでね……?」
優花里:
「はい! 偵察任務であります!」
灯里:
「必要な情報を得て、無事に帰還します」
麻子:
「言い方が完全に任務だな」
サンダースの学園艦へ向かう、優花里と灯里。
そこに待っていたのは、大量のシャーマン。
広すぎる格納庫。
巨大な食堂。
そして、アメリカンサイズの補給体制だった。
灯里:
「ここは食堂ではありません。補給拠点です」
優花里:
「戸郷殿、偵察の視点が独特であります!」
果たして二人は、無事に情報を持ち帰ることができるのか。
次回、第26話。
「偵察任務、二人であります」
情報戦も、戦車道であります。