『TOGⅡで戦車道を……?』   作:きのこ大三元

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第3話「戦車道、始まります」

 体育館の扉が開くと、ざわめきが一気に大きくなった。

 全校生徒集合。

 その言葉通り、体育館にはすでに多くの生徒たちが集まっていた。

 普段の集会とは少し違う空気がある。

 何かが始まる。

 誰もがそう感じているようだった。

「何の集会だろうね」

 武部沙織が、隣を歩く西住みほに小さく声をかける。

「……うん」

 みほは小さく頷いた。

 けれど、その声は弱い。

 顔色もまだ良くない。

 さっき保健室で少し休んだとはいえ、戦車道という言葉が消えたわけではない。

 五十鈴華は、そんなみほの様子を気遣うように少し横へ並んでいた。

「西住さん、無理はなさらないでくださいね」

「ありがとう、五十鈴さん」

 みほは笑おうとした。

 けれど、うまく笑えていなかった。

 灯里は、三人の少し後ろを歩いていた。

 近すぎず、遠すぎず。

 何かあったら声をかけられる距離。

 体育館の中を見渡す。

 生徒たちは、思い思いに話している。

「戦車道って本当なの?」

「うち、戦車なんてあったっけ?」

「選択科目って言ってたよね」

「何か面白そうじゃない?」

「危なくないのかな」

 その声を聞きながら、灯里は胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。

 ここから、大洗女子学園の戦車道が始まる。

 画面の向こうで何度も見たはずの始まり。

 けれど、今は自分もその場にいる。

 観客席ではない。

 スクリーンの外でもない。

 同じ体育館に立っている。

 灯里は、そっと拳を握った。

 映画で見られなかった続きを、自分の目で見る。

 そう決めた。

 けれど、その続きを始める場所に立ってみると、想像していたよりずっと怖かった。

 なぜなら、ここにいる人たちは全員、生きているからだ。

 西住みほも。

 武部沙織も。

 五十鈴華も。

 そして、まだ知らない誰かも。

 物語の登場人物ではない。

 選んで、迷って、傷ついて、笑う人たちだ。

 だからこそ、灯里は自分に言い聞かせた。

 踏み込みすぎない。

 決めつけない。

 西住さんの選択を奪わない。

 その時、体育館の前方にあるステージへ、生徒会の三人が上がった。

 角谷杏。

 小山柚子。

 河嶋桃。

 生徒たちのざわめきが、少しずつ静まっていく。

 杏はマイクを持つと、いつもの軽い調子で口を開いた。

「はいはい、みんな集まったねー。今日は大事なお知らせがありまーす」

 その軽さに、体育館の空気が少し緩む。

 だが、隣に立つ桃は違った。

 背筋を伸ばし、マイクを受け取ると、きっぱりとした声で言う。

「本年度より、大洗女子学園では、選択科目として戦車道を復活させることになった!」

 体育館が、どっと揺れた。

「戦車道!?」

「本当に?」

「うちで?」

「戦車なんてあったの?」

「選択科目って、あのプリントのやつ?」

 ざわめきの中、灯里はみほを見た。

 みほは俯いている。

 沙織と華は、その反応に少し心配そうな顔をした。

 桃は続ける。

「戦車道は、古くから乙女のたしなみとして知られ、心身を鍛え、礼節を学ぶ由緒ある武道である!」

 その横で、柚子が資料を準備していた。

 杏は干し芋を片手に、のんびり頷いている。

 灯里は内心で思う。

 会長、自由ですね。

 だが、説明そのものは進んでいく。

 やがて、ステージ横のスクリーンに映像が流れ始めた。

 戦車道紹介映像。

 颯爽と走る戦車。

 整列する少女たち。

 華やかな試合風景。

 礼儀正しい挨拶。

 凛々しい砲撃。

 整備された車両。

 そして、笑顔で握手を交わす選手たち。

 映像は、実に綺麗だった。

 戦車道は危険なものではなく、格式と伝統のある競技。

 礼儀や精神力を養い、進学や就職にも有利。

 全国的にも人気があり、女子のたしなみとして広く親しまれている。

 そう見えるように、とても丁寧に作られていた。

「へえ……」

 沙織が、思わず声を漏らす。

「戦車道って、思ってたより華やかなんだね」

 華も、興味深そうにスクリーンを見つめていた。

「礼儀作法や精神面にも関わるのですね。少し意外でした」

「なんか、女子力高そうじゃない?」

「女子力、ですか?」

「だって、こういうのやってる子って、かっこいいし、モテそうだし」

 沙織の言葉に、華は少し考え込んだ。

「華道とは異なりますが、姿勢や心構えを重んじる点では、通じるものがあるのかもしれません」

 二人の声には、明らかな興味が混ざっていた。

 灯里はそれを聞きながら、みほの横顔を見る。

 みほは、映像を見ていなかった。

 いや、見てはいる。

 けれど、その目は画面の華やかさを追っていない。

 きっと、別のものを見ている。

 試合。

 黒森峰。

 雨。

 川。

 助けに向かった先。

 そして、その結果。

 灯里はそこまでを知っている。

 知ってしまっている。

 けれど、それをここで口にすることはできない。

 映像は綺麗だ。

 でも、西住さんにとって戦車道は、こんなに綺麗なものだけじゃない。

 灯里は、プリントを握るみほの手を見た。

 指が、少し震えていた。

     ◇

 紹介映像が終わると、桃が再びマイクを取った。

「戦車道は選択科目である。履修を希望する者は、配布された履修届に記入し、指定の期日までに提出するように!」

 杏が横から軽く付け加える。

「まあ、興味ある子はどんどん来てねー。初心者歓迎だからさ」

 柚子が資料をめくる。

「初心者向けの説明や見学も予定しています。経験がない人でも大丈夫です」

 その言葉に、生徒たちのざわめきはさらに大きくなった。

「初心者でもいいんだ」

「見学だけでも行ってみようかな」

「戦車って乗れるの?」

「選択科目なら単位も出るんだよね?」

 その流れに乗るように、杏がにこにこしながら言った。

「それと、成績優秀者には特典も検討中でーす」

 桃がぎょっとする。

「会長、それはまだ正式には――」

「たとえばー」

 杏は指を折りながら数えた。

「食堂の食券百枚とか」

 体育館がざわついた。

「百枚!?」

「え、食券!?」

「本当に?」

「それから、遅刻見逃し二百日とか」

 桃がマイクを奪いかける。

「会長!」

 しかし生徒たちは別の方向でざわついていた。

「遅刻見逃しって何!?」

「二百日は多くない?」

「誰向けの特典?」

 灯里は無表情のまま、心の中で呟いた。

 まるで誰かのための特典だぁ……。

 まだその誰かは、この場にはいない。

 少なくとも、灯里の視界にはいない。

 だが、低血圧で朝に弱い誰かに向けられたような露骨さを感じる。

 杏はさらに続けた。

「あと、通常授業の三倍の単位とか」

「会長! 確定事項のように言わないでください!」

 桃がついに止めに入る。

 柚子が慌ててフォローした。

「え、ええと、詳細は今後正式にお知らせします!」

 体育館は笑いとざわめきで少し明るくなった。

 緊張していた空気が、少しだけ緩む。

 沙織は目を輝かせていた。

「食券百枚ってすごくない?」

 華も静かに頷く。

「それほど期待されているということなのでしょうか」

 みほは困ったように笑った。

 でも、その笑顔はまだ弱い。

 灯里は、それを見落とさなかった。

     ◇

 説明会が終わり、生徒たちは体育館から出始めた。

 あちこちで戦車道の話が飛び交っている。

「ちょっと面白そうじゃない?」

「見学だけ行ってみようかな」

「食券百枚は大きいよね」

「戦車ってどんな感じなんだろ」

 沙織も、完全に興味を持った様子だった。

「ねえ、みほ。戦車道って、思ってたよりすごいんだね」

「……うん」

「私、ちょっとやってみてもいいかなって思っちゃった。なんか、かっこいいし」

 華も頷く。

「私も、少し興味があります。武道としての側面があるなら、学べることも多いかもしれません」

「五十鈴さんも?」

「はい。もちろん、まだ詳しくは分かりませんが」

 二人は前向きだった。

 悪気はない。

 むしろ、純粋に興味を持っている。

 でも、みほは明らかに戸惑っていた。

「でも……」

 小さく呟く。

 沙織はすぐには気づかない。

「それに、みほって戦車道詳しいんだよね? だったら安心かなって」

 その言葉に、みほの肩がわずかに強張った。

 灯里は、足を止めた。

 このままだと、みほの気持ちが置いていかれる。

 沙織と華は、みほを傷つけたいわけではない。

 ただ、戦車道の紹介映像を見て、前向きな気持ちになっているだけだ。

 だからこそ、少しだけ間に入る必要があった。

「西住さん」

 灯里は静かに声をかけた。

 みほが振り向く。

「はい……?」

 沙織と華も、灯里を見る。

 灯里は少しだけ言葉を選んだ。

「西住さんが決めていいと思います」

 みほが目を瞬かせる。

「私が……?」

「はい」

 灯里は頷いた。

「誰かに決められるんじゃなくて、西住さんが選んでいいと思います」

 その言葉に、沙織の表情が変わった。

「あ……」

 沙織は、ようやくみほの顔色を見た。

「ごめん、みほ。私たちだけ盛り上がっちゃってた?」

 華も、申し訳なさそうに目を伏せる。

「西住さんのお気持ちを、先に伺うべきでしたね」

 みほは慌てて首を振った。

「ううん、二人が悪いんじゃないの。私が……」

 言葉が続かない。

 戦車道が嫌い。

 そう言い切れるわけではない。

 戦車道が好き。

 それも、今は言えない。

 みほは、どちらにも進めずにいるようだった。

 沙織は、そんなみほの手を取った。

「じゃあ、急いで決めなくていいよ」

「え?」

「一緒に考えよ。みほが嫌なら嫌って言えばいいし、ちょっと考えたいなら考えればいいし」

 華も静かに頷く。

「はい。すぐに答えを出す必要はないと思います」

 みほの表情が、少しだけ緩んだ。

「……ありがとう」

 灯里は、そのやり取りを見て、胸の奥で息を吐いた。

 この二人なら、西住さんを一人にはしない。

 でも、西住さんの代わりに決めることもしない。

 それが、今はとても大事だった。

 灯里自身は、戦車道を選ぶ。

 TOGⅡがあるから。

 自分の理由があるから。

 けれど、みほにはみほの理由がある。

 逃げたいなら、逃げてもいい。

 戻りたいなら、戻ってもいい。

 ただ、それを誰かが勝手に決めてはいけない。

 灯里はそう思った。

     ◇

 体育館の出口付近で、灯里はひとりの少女を見つけた。

 ふわりとした髪。

 少しおどおどした姿勢。

 けれど、その手に握られた履修届だけは、まるで宝物のように大事にされている。

 秋山優花里。

 灯里は、自然と足を止めた。

 優花里は周囲のざわめきの中で、少し浮いていた。

 誰かに話しかけたい。

 でも、自分からはなかなか行けない。

 そんな雰囲気がある。

 それでも、目だけは輝いていた。

「戦車道……本当に、大洗で……」

 小さな呟きが、灯里の耳に届いた。

 灯里は、そっと声をかけた。

「秋山さん、ですよね」

 優花里は、びくっと肩を跳ねさせた。

「は、はい! 秋山優花里です!」

 勢いよく振り向く。

 その反応に、灯里は少しだけ微笑んだ。

「戸郷灯里です」

「戸郷殿……!」

「殿?」

「あっ、す、すみません! つい!」

 優花里は慌てて頭を下げる。

 灯里は首を振った。

「大丈夫です。むしろ、少し嬉しいです」

「そ、そうでありますか?」

「はい」

 灯里は、優花里の手元を見る。

「戦車道、選ぶんですか?」

 優花里の表情がぱっと明るくなった。

「はい! 戦車、大好きなので!」

 その声には、迷いがなかった。

 戦車が好き。

 戦車道をやりたい。

 ただそれだけの、真っ直ぐな気持ち。

 灯里は、その眩しさに少しだけ目を細めた。

「戦車、好きなんですね」

「はい! 戦車は素晴らしいです! 設計思想、運用思想、国ごとの特色、履帯の音、装甲の角度、砲塔の形状……!」

 優花里はそこまで一気に言って、はっと口を押さえた。

「す、すみません。つい……」

「分かります」

 灯里は真顔で頷いた。

「分かるのですか?」

「はい。特にTOGⅡはいいですよね」

 その瞬間、優花里の目が大きく見開かれた。

「今、TOGⅡとおっしゃいましたか!?」

 灯里は静かに頷いた。

「言いました」

「TOGⅡ! あの英国面あふれる超重戦車! 長大な車体! 試作車両ならではの異様な存在感! 全長十メートル級の、まさにロマンの塊!」

 優花里の声が、どんどん熱を帯びていく。

 灯里は、その言葉を聞いて胸が熱くなった。

 いる。

 ここにいる。

 TOGⅡを分かる人が。

 灯里は、静かに右手を差し出した。

「友達になりましょう」

 優花里は一瞬固まった。

 それから、両手で灯里の手を握った。

「はい、戸郷殿!」

 沙織が少し離れたところからそれを見て、目を丸くした。

「え、何この速さ」

 華は穏やかに微笑んだ。

「共通の趣味とは、距離を縮めるものなのですね」

 みほは、その様子を見て少しだけ笑った。

 さっきよりも、ほんの少しだけ自然な笑顔だった。

     ◇

 体育館の前方では、生徒会が履修希望者の確認を始めていた。

 希望者は、履修届を提出していく。

 灯里も、自分のプリントを持って進んだ。

 桃が書類を確認する。

「戸郷灯里は……すでに戦車道に丸がついているな」

「はい」

 灯里は真面目に答えた。

「なぜか最初からついていました」

 桃が眉をひそめる。

「なぜか?」

 杏が横から笑う。

「でも、やるんでしょ?」

「やります」

 灯里は即答した。

「TOGⅡがありますので」

 周囲にいた生徒が、少しざわついた。

「TOGⅡ?」

「なにそれ?」

「戦車?」

「名前?」

 優花里だけが、明らかに反応していた。

「TOGⅡ……あります、とは……?」

 灯里は、まだ答えなかった。

 その代わり、杏を見た。

 杏は、まるで分かっていたようににこにこしている。

「戸郷ちゃん、例のやつ、よろしくねー」

「分かりました」

 灯里は頷く。

 桃は真面目な顔で言った。

「くれぐれも校内で事故を起こすなよ」

「TOGⅡは長いですが、安全運転はできます」

「長いことは否定しないのだな」

「事実ですので」

 柚子が少し不安そうに聞く。

「本当に大丈夫? 誘導する人、必要なんだよね?」

「はい。上から周囲を確認してくれる人がいると助かります」

 灯里は、そこで優花里を見た。

 戦車に詳しい。

 TOGⅡという名前に即座に反応した。

 そして、おそらく上に乗って周囲確認を頼んでも、怖がるより興奮する可能性が高い。

 適任だった。

 灯里は、優花里へ向き直る。

「秋山さん」

「はい!」

「少し付き合ってもらえますか」

「はい? 何にでしょうか?」

 灯里は、当たり前のように言った。

「TOGⅡを出します」

 優花里は、数秒固まった。

 そして、震える声で聞き返す。

「……今、なんと?」

「TOGⅡを出します」

「TOGⅡを……出す……?」

「はい。実物を」

 優花里の瞳が、みるみるうちに輝いていく。

「じ、実物……実働……?」

「たぶん動きます」

「たぶん!?」

 沙織が目を丸くする。

「え、戸郷さん、戦車持ってるの?」

 華も驚いたように口元に手を添えた。

「それは、また……大きなお話ですね」

 みほも、信じられないように灯里を見ていた。

「戸郷さん……TOGⅡって……」

 灯里は静かに頷く。

「長い戦車です」

 説明としては、あまりにも足りなかった。

 だが、灯里にとってはそれが最重要だった。

 杏が楽しそうに笑う。

「じゃ、説明会の次は実物見学ってことで」

 桃が頭を抱える。

「会長、段取りが雑です!」

「インパクトは大事だよー」

 柚子は苦笑しながら、資料に何かを書き足していた。

 灯里は、体育館の出口の向こうを見た。

 その先には、校舎があり、広場があり、さらにその先に自宅がある。

 地下ガレージには、TOGⅡが待っている。

 映画館の席は、もうない。

 けれど、車長席はある。

 そして今、その長すぎる戦車が、大洗女子学園の前に姿を現そうとしている。

 灯里は、小さく息を吸った。

「行きましょう、秋山さん」

 優花里は、感極まったように敬礼した。

「はい、戸郷殿!」

 その日の放課後。

 大洗女子学園の広場に、

 誰も予想していなかった長すぎる戦車が姿を現すことになる。

 

 

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